白昼夢。
異常事態が起こっていた。
世界から音が消えた。街から人が消えた。さっきまで簡単に開いた筈の屋上の扉が、どれだけ力を込めても開かない。……これが、姉さんの言っていた白い呪いによる異常なのか。それとも別のなにかなのか。
まだなにも、分からない。
「どうしようなずなくん! あたしたち、閉じ込められちゃったよ!」
屋上の扉を何度もガチャガチャとしてから、橙華さんが不安そうな顔で俺の胸に飛び込んでくる。
「…………」
大きな胸をむにゅりと押しつけられると、こんな状況でもドキッとしてしまう。
「橙華姉さん。無意味になずなに、くっつかないでください」
「無意味じゃないよ。こうやってくっついて、お互いの不安を和らげ合ってるんだよ。ねー? なずなくん」
「……まあ確かに、安心はできますね」
俺のその言葉を聞いて、緑姉さんはむすっと息を吐く。
「じゃあ私も、なずなにくっつきます。私はなずなのお姉ちゃんなんですから、くっつくのは当然です」
ぎゅっと強く、緑姉さんが俺の背中に抱きつく。緑姉さんは相変わらずいい匂いがして……じゃなくて。今はそんなことより、確かめなければならないことがある。
「なあ、2人とも。このままでいいから、いくつか質問してもいいか?」
「いいよ。なずなくんが知りたいなら、おっぱいのサイズくらいいくらでも教えてあげるよ?」
「……私もなずなになら、構いません」
と。2人が答えてくれたので、とりあえず今の状況を整理することにする。
「まず訊きたいんだけどさ、2人ともこの状況がなんなのか知らないか? 『夜』にまつわるなにかとか。神や魔法に関わるなにかだったりとか。そういうの、分かるか?」
「ううん。あたしは知らないよ、こんな変なこと」
「すみません、なずな。私にも分かりません」
「そうか。分からないなら、分からないでいいんだ」
こんな状況でも、2人はとても落ち着いているように見えた。だからもしかしたら、なにか知っているのかもと思ったけど、どうやらそうではないらしい。
「なら2人とも、魔法は使えるか? こんな状況だから、使えなくなったりしてないか?」
「あたしは……うん。問題ないよ。ちゃんと繋がってる感覚がある。……試しにあたしのおっぱいを揉みたくなる催眠、かけてあげよっか?」
「ふざけないでください、橙華姉さん」
「そんな睨まないでよ、みどちゃん。……というかみどちゃんだってさっき、自分の胸のサイズ教えようとしてた癖にー」
「あれはただの……冗談です。……それより、なずな。私も問題ないです。ちゃんと魔法、使えます。……だからもしなにかあっても、私がなずなを守ります」
緑姉さんは俺を安心させるように、優しい声でそう告げる。
「ありがとう。ならもしもの時は、頼むな?」
「はい! 任せてください!」
緑姉さんの嬉しそうな声に緩んだ頬を引き締めて、続く言葉を口にする。
「……それで、だ。2人とも魔法が使えるってことは、空飛べるよな? なら簡単に、ここから出られるだろ?」
「あ」
「そうでした」
2人は同じように息を吐いて、ようやく俺から手を離す。……少し寂しいと思ってしまうが、今はそれどころではない。
「前に柊……赤音さんに聞いたんだけど、普通の人には姿が見えなくなる魔法を使えるんだろ? ならとりあえずそれを使って、下に降りてみないか?」
「……いや、なずな。そういう魔法の使い方は……」
「大丈夫だよ、みどちゃん。天底災禍も終わったんだし、多少無理をしても問題ないよ。それより早くこんな所から出て、なずなくんとデートしないと」
「……そうですね。少しくらいなら、大丈夫ですよね。……なずなとデートするのは、私ですけど」
緑姉さんはニコリと笑って、また俺の身体に抱きつく。そしてそのまま、ふわっと宙に浮き上がる。
「あ、ずるいよ〜。なずなくんはあたしが運んであげたかったのにー」
「ダメです。なずなの胸に顔を埋めてふにゃふにゃな顔をしている橙華姉さんに、なずなは任せられません」
「あ、ちょっと待ってよ〜」
緑姉さんが俺を抱えて空を飛ぶ。そしてそのままゆっくりと、学校の中の様子を確認する。もしかしたらそこに、黄葉や柊 赤音がいるかもしれないから。
「────」
けれど学校の中を見て、思わず息を呑んだ。
おかしなことになっているとは、分かっていた。けれどそう分かっていても、目の前に広がる景色はとても……恐ろしいものだった。
学校には、誰の姿もなかった。
どこをどう見ても、人っ子1人いない。無論、街に人がいないのはなんとなく分かっていた。けれど、ついさっきまで授業を受けていたみんなが消えているのを見ると、言いようのない不安に胸が痛む。
「……なんだよ、これ」
姉さんは確か言っていた筈だ。白い呪いを受けている子は、俺ほど強い呪いは受けていないと。
なら、この景色はなんだ?
俺の呪いは苦しくはあったが、それでもこんな風に世界そのものを変えるほどではなかった。
「…………」
……でもだからって、姉さんが嘘を言っているとも、間違えたことを言っているとも思えない。ならこれは、白い呪いとは全く関係のないことなのか。それとも或いは、なにかを見落としているのか……。
「みんなで、街の様子を見てまわりましょう」
学校の様子を一通り見て回った後。緑姉さんはさっきよりずっと真剣な様子で、そう言った。
「うん。分かったよ。……大丈夫だとは思うけど、みんなになにかあったら大変だしね」
地面に降りて、3人で並んで歩き出す。……流石にもう、ふざける気にはなれない。2人もそれは同じなのか、真剣な様子で辺りを見渡している。
そうしてしばらく、3人で街の様子を見て回った。
「…………」
けれどやはり、どこにも人の姿はない。まるで世界が終わってしまったような静寂だけが、どこまでも広がっている。そしてどうしてか全ての建物に鍵がかけられていて、自分たちの家にすら入ることができなくなっていた。
無論、ネットも繋がらないし、電話も通じない。学校から出て2時間近く街を散策しても、疲れもしないしお腹も空かない。これでは、まるで……。
「私たち、夢でも見ているんでしょうか?」
俺の思考を見透かしたように、緑姉さんは言う。
「そうだね。ここは多分、『夜』に近いなにかなんだと思うよ。……だからお母さんは、まだ腕輪を外しちゃダメだって言ってたんだ」
「……真白さんは、どこまで分かってたんでしょうね?」
「……多分お母さんは、全体分かってると思うよ。あの人は昔から、そういう人だから」
3人で並んで、ぼーっと空を見上げる。
俺たちは結局、学校の屋上に戻ってきていた。どこに行っても誰もいないし、どの建物にも入れない。だから他にやることもなく、ただぼーっと空を見上げる。もうそれくらいしか、やることがない。
「ねぇ、なずなくん。ずっとこのままだったら、どうする? もうあたしと、結婚しちゃう?」
ふざけたように笑って、橙華さんが俺の腕を抱きしめる。
「諦めるには、まだまだ早いですよ? 橙華さん」
「諦めてなんかいないよ。でも……この空を見てると、そういうこと考えたくなるんだよ」
「……ですね。もう何時間も経ってる筈なのに、太陽も雲も動いてない。この空は……見てると不安になりますね」
この時が止まったような青空は、綺麗だけど目に痛い。
「大丈夫です、なずな。絶対に私が、どうにかしてみせます。……だから、橙華姉さんと結婚する必要はありません」
「じゃあここから無事出られたら、あたしと結婚しよう」
「……それじゃ死亡フラグですよ、橙華さん」
そうやって3人で笑い合う。……そうしていると、1人じゃなくてよかったと強く思う。この2人と一緒なら、きっとこの状況もどうにかできる筈だ。
……この頃の俺にはまだ、そんな風に思える余裕があった。
3人で楽しく笑いあってから、体感で1週間。
「…………」
この状況がなんなのか。それすらまだ、分かっていなかった。




