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びっくりした?



「あー、酷い目にあった……」


 黄葉の作戦のせいでパンツまでびしょ濡れになった俺は、午後の授業をサボって柊さんの家に帰って来た。


「シャワー浴びよ」


 体育のために持って行っていたタオルで、水滴が落ちないよう髪を拭いてから家に上がる。


「…………」


 どうしてもまだ、『ただいま』という言葉を口にするのは抵抗があった。……いやそれは抵抗ではなく、ただ照れなのかもしれない。どちらにせよ俺は、黙って家に上がる。


「家が近いって、こういう時に便利だよな」


 まだあの山小屋のような家に住んでいたら、きっと風邪をひいていただろう。なんせあの家は、帰るだけで2時間近くかかってしまう。


「まあこの家に来なけりゃ、こんな風にびしょ濡れになることもなかったんだけどな」


 自室に入り適当に着替えの服を選んで、風呂場に向かう。


「誰か、入ってませんかー」


 風呂場の前で、そう声をかける。今はみんな……いや、引きこもりの紫恵美姉さん以外のみんなは、出かけていて家にはいない。



 けれど、念には念を入れなければならない。



「ここで柊 赤音とでも鉢合わせしたら、それで終わりだ」


 この前は気を抜いてしまってせいで、危うく追い出されるところだった。ただでさえ嫌われているのに、そんなミスを何度もしたら今度こそこの家にいられなくなる。


「よしっ。誰もいないな」


 そう確認してから、脱衣所で服を脱いで風呂場に入る。


「相変わらず、でかい風呂」


 柊さんちのお風呂は、引くほどでかい。足を伸ばしてつかれるどころか、軽く泳げるくらいの広さだ。もしかしたら、6人姉妹全員で使うことを想定しているのかもしれないけど、1人で使っていると少し場違いに思ってしまう。


「まあ、どうでもいいや。さっさと終わらせよ」


 そう言って、熱いシャワーを全身で浴びる。そうすると身体から余計な力が抜けていき、とても気持ちいい。


「あー。生き返るー」


 ……けどそんな風に緩んだ身体は、ふと響いた声のせいで一気に強ばる。



「入ってるの誰〜? あたしも入っていいかな〜」



 橙華さんの、声だ。まだ学校にいる筈の橙華さんの声が、どうしてか俺の耳朶を震わせる。そしてまだ返事をしていないのに、脱衣所からガサゴソと服を脱ぐ音が聴こえてくる。


「待った待った! 入ってるの、俺です! 灰宮 なずなです! だから入って来ちゃ、ダメですよ!」


「……? あ、なずなくんだったのか〜。じゃあ、入っちゃダメだねー」


「……すみません、すぐに出るんで待っててください」


「いえいえ。気を遣わなくても、大丈夫だよー。ゆっくり入ってねー」


 そんな声が響いて、とてとてと遠ざかっていく足音が聴こえる。


「……びびったー。……つーか、どうしてあの人が家にいるんだ? 時間的に、まだ授業は終わってない筈だろ……」


 まあなんにせよ、変なことにならないうちにさっさと上がってしまおう。そう考え、最後にもう一度だけ熱いシャワーを浴びて──。



「お邪魔しま〜す」



 まるで俺の思考を遮るように風呂場の扉が開いて、すぐ側からそんな声が響く。


「……は?」


 だから俺の頭は、一瞬で真っ白になってしまう。


「うわー。なずなくん、結構筋肉あるねー。お姉ちゃん、ちょっとドキドキしちゃうよー」


「まあ鍛えてますから……って、そうじゃなくて! いやいやいや。……え? なにこの状況。どうして入って来たんですか? 橙華さん」


 事態が全く理解できていない俺は、時が止まったように動くことができない。


「あたしたち姉妹はね、今でも一緒にお風呂に入るんだ〜。だからあたし、ずっと思ってたんだよ。なずなくんとも一緒に、お風呂に入ってみたいなーって」


「いや、俺は男ですよ? それにこんなところ赤音……さんに見られたら、俺殺されますよ」


「大丈夫だよ。赤音ちゃん今は、学校だから」


「橙華さんだって、学校の筈でしょ?」


「あたしはね、サボりなんだ〜。びしょ濡れになって走って行くなずなくんの姿が見えたから、心配で見に来ちゃった」


 えへへ、と楽しそうにと笑う橙華姉さん。……悪いが、笑い事じゃない。


「……それで、なにが目的ですか? 金なら、ないですよ」


「うん? なんでお金? なずなくん、お小遣い欲しいの?」


「いやいや、なんでそうなる。そうじゃなくて、俺は──」


「お姉ちゃんアタック!」


 そこでそんな訳の分からない声とともに、背中に柔らかな感触が押しつけられる。


「…………」


 いや、それで俺は気がつく。


「……橙華さん。水着、着てる?」


「だいせーかい! あはははっ。なずなくん顔真っ赤になってて、可愛い。けど、ざーんねん! あたしはちゃんと、水着を着てましたー!」


 なんて言いながら、橙華さんは俺から距離を取る。目の前の鏡でちらりと確認すると、どうやら本当に水着を着ているようだった。


「…………」


 ……でも、だからなんだって言うんだ? 訳が分からない。いや或いはこれが、紫恵美姉さんや黄葉が言ってた、橙華さんのおかしなところなのか?


「ドッキリ大成功! なずなくん、あたしにはあんまり話しかけてくれないから、一回こうやってびっくりさせてあげたかったんだー。ふふっ。これでもう、仲良しだよね!」


「……そうですね」


「あれ? あんまり嬉しそうじゃない。……もしかして、またあたしやり過ぎちゃったかな? 実はあたし、いつもやり過ぎだって皆んなから怒られちゃうんだ……。やっちゃったなぁ」


 橙華さんは、しょんぼりと落ち込んでしまう。……喜怒哀楽が激しい人だ。


「……いやまあ、俺としては別にいいんですよ? すげードキドキしたし、凄く……柔らかかったんで」


「ほんと? 喜んでくれた?」


「はい。ただまあ……1つ気になることがあるんですけど、訊いてもいいですか?」


「スリーサイズはね、上から──」


「訊いてないことは、答えなくていいです!」


 慌てて、そう叫ぶ。……この人はなんていうか、黄葉とは別次元で頭のネジが外れてる。


「あれ、違うの? でもスリーサイズじゃないなら、なにが聞きたいの?」


「いや、つまらないことで申し訳ないんですけど、俺の方は水着を着てないんですけど、それは大丈夫なんですか?」


「……………………あ」


 そこで一瞬、橙華さんの時間が止まる。


「たいへんだ、たいへんだ。たいへんだよ! このままだとあたし、変態さんだ! そうだそうだ、そうだった! 忘れてた!」


 あたふたと、橙華さんは慌てふためく。そして最後に、



「ごめんなさーい!」



 そう言って、走って風呂場から出て行ってしまう。



「……なんだったんだ?」



 結局、なに1つとして意味が分からなかった。けど、どうやら撃退には成功したらしい。


「もしかしてここの姉妹って、変な奴しか居ないのか?」


 なんてことを呟いて、しばらく待ってから俺も風呂場から出る。当たり前だけど、もうそこに橙華さんの姿はなかった。


「……って、なんだこれ」


 けれどその代わりというように、俺の着替えの上に謎の紙袋が置かれていた。


「橙華さんの忘れ物か?」


 とりあえず、安全の為に服を着る。そして意味もなく辺りを見渡してから、袋の中を確認してみる。


「……たい焼きだ。……なんで?」


 わけが分からず、首を傾げる。けどそこで、袋の裏側に小さなメモ用紙が貼り付けられていることに気がつく。



『お昼食べてないって聞いたから、とりあえずこれ食べて。それでも足りないようなら、あたしの部屋に来てね。美味しいご飯、作ってあげるから。橙華お姉ちゃんより』



「……ずるいな」


 どうしてか、泣いてしまいそうになる。でもこんなことで泣くのはカッコ悪いから、誤魔化すように小さく息を吐く。



「前言撤回。いい人ばっかだ」



 まだ温かいたい焼きの頭に、かぶりつく。……それは甘くて、とても美味しかった。



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