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始まった。



 柔らかな朝日がまぶたに触れて、ゆっくりと目が開く。



「……朝か」


 まだ少し重い頭を振って、身体を起こす。カーテンから溢れる光は温かく、冷房が効いた部屋は少しだけ肌寒い。


「って、丸一日寝てたのか」


 スマホで時刻を確認して、驚く。姉さんとの戦いを終えてから、もう丸一日も経っていた。疲れていたとはいえ、これは流石に……。


「いや、あんなに頑張ったんだし、偶にはいいか」


 立ち上がり伸びをする。……やっぱり身体はまだ重いが、いろいろと区切りがついたお陰か心は軽い。


「みんな、もう起きてるかな。……というか姉さん。みんなもちゃんと、運んでくれたよな?」


 そもそも当の俺に、家に帰った時の記憶がない。俺が覚えているのは、溢れるような朝日と姉さんの笑顔だけ。その後どうなったかなんて、なにも覚えていない。


「…………」


 ……でも俺はちゃんとジャージに着替えて。カーテンを閉めて。おまけに冷房までつけて。心地よく眠っていた。


「……やっぱ過保護だよな、姉さんは」


 姉さんが俺をベッドに寝かせて、せっせとカーテンを閉めている姿を想像すると、思わず笑みが溢れる。


「いや。今はそれより、みんなのことか」


 姉さんが約束してくれたのだから、みんなが無事なのは間違いない。……そう理屈では分かっているのだけど、やっぱり顔を見ないと安心できない。


 だから俺は早足に自室を出て、みんなの部屋を順番に見て回る。



 ……けどみんなはまだ、眠ったままだった。



「ま、みんなは俺が寝ている間も戦ってくれてたんだし、仕方ないか」


 黄葉も含めてみんな顔色は良かったし、呼吸も安定していた。だからきっと、もうしばらく休めば目を覚ますだろう。


「姉さん……も流石に、そんなにすぐには来れないか。姉さんのあの依代は、真白さんがどこかに運んでいた筈だしな」


 となると、暇だ。1人だ。無論、俺は1人には慣れている。灰宮 なずなという人間は、なにもない場所でなにもしないことに特化している。


「…………」


 でも今はなんていうか……落ち着かない。ようやく長い戦いが終わった。まだ白白夜の死神とかいう奴は生きているが、それでも一区切りついたのは確かだ。


 だから今はただ、この胸の内の喜びを誰かと分かち合いたかった。


「俺も、弱くなったな」


 自室の椅子に腰掛けて、そう独りごちる。……すると、トントンと。控えめなノックの音が、耳朶を打つ。


「……! 誰か起きたのか!」


 俺は急いで、ドアの方に向かう。



 すると、そこに居たのは……。






「えへへ。おはよ、師匠。今から一緒に、散歩に行かないか?」



 久しぶりに見た黄葉の笑顔は、いつもとなにも変わらなかった。



 ◇



 そして、まだ日が昇ったばかりの早朝。俺と黄葉は肩を並べて、静かな街を歩いていた。


「なあ、黄葉。どうしていきなり、散歩なんだ?」


 今言うべき言葉は他にあるだろうに、俺の口から最初に溢れたのはそんな言葉だった。


「習慣なんだよ。……なんだっけ? ルーチンワークってやつ? わたしは毎朝この辺をぐるーっと走ってるから、じっとしてると落ち着かないんだよ」


「なるほどな。お前のそのぶっ飛んだ身体能力は、そんな小さな積み重ねからできてたんだな」


「わたしだって、努力してるのさ! ……まあどっちかって言うと、昔から足が速かったから走る習慣ができたんだけどな」


 黄葉はそこで小さく笑って、空を見上げる。今日は雲1つない快晴で、風が心地いい。


「って、そんなことより。ありがとな、師匠。わたしを助けてくれて。やっぱ師匠はすげーよ。一生尊敬するって、もう決めた!」


「なんだよ、それ。……つーかまあ、気にすんなよ。大したことはしてない。そもそもお前があんな風になったのだって、もとを正せば俺のせいだ。だからお礼なら、俺じゃなくてみんなに──」


「てい」


 そこで何故か、軽く頭を叩かれる。……痛い。


「なんだよ、どうして急に叩くんだよ」


「師匠がバカだからだ。……わたし、おぼろげだけど見てたんだぜ? 師匠がすげー、頑張ってくれてたの。だから、ありがとう師匠。師匠のお陰で、こうしてまた師匠と話せた!」


 少しの曇りもない瞳で、黄葉は笑う。……そんな瞳で見つめられると、否定することなんてできない。


「……いいよ。気にすんな。俺もお前にまた会えて、よかった」


「あははっ。師匠、照れてる」


「うるせー。このくらいで照れるかよ、バカ」


 2人で笑い合って、また歩く。……そんな当たり前の日常が嬉しくて、思わず泣いてしまいそうになる。



 本当に俺は、弱くなった。



「……あれ? ないな」


 と。そこで黄葉は唐突に足を止めて、キョロキョロと辺りを見渡す。


「なにしてんだ? 猫でも探してるのか?」


「え! ここ、猫いるのか!」


「いや知らんけど。少なくとも俺は、この辺りで猫を見たことはないな」


「ちぇ、なんだよ。期待させるようなこと言うなよ、師匠」


「悪い……じゃなくて。どうしてお前は、そんなところで立ち止まってるんだ?」


 改めてそう尋ねると、黄葉は少しだけ沈んだ顔で言葉を返す。


「ここにさ、空き缶が捨ててあったんだよ。……毎日毎日、捨ててあったんだよ。だからそれをちょっと離れたゴミ箱に捨てに行くのも、わたしの日課だった。なのにどうしてか、今は1個も落ちてない」


 ふしぎだー。と黄葉は言う。……もしかしたら黄葉はそれが気がかりで、こんなに早い時間に目を覚ましたのかもしれない。こいつは本当に……すごい奴だ。


「……多分だけど、そこにゴミはもう捨てられないぜ? この前俺がゴミを捨ててる人と話して、捨てるの辞めてもらったから」


「ええ⁈ それほんとか? 師匠!」


「こんなことで嘘つくかよ」


「……! やっぱ師匠はすげー! 師匠はスーパースーパーヒーローだ!」


 黄葉はキラキラとした目で、こちら見る。


「なんだよ。そんな目で見られるようなことはしてないぞ?」


「してるんたよ! 師匠は自分に無自覚過ぎる」


 黄葉はプンスカと怒って、言葉を続ける。


「……わたしはさ、人って変えられないんだと思ってた。ゴミをポイ捨てする人に注意しても、喧嘩になるだけだって思ってたんだ」


「喧嘩になっても、お前が負けることなんてないだろ?」


 相手がプロのボクサーでも、黄葉なら指1本で倒せる筈だ。


「だからだよ。下手に喧嘩して怪我でもさせたら、ヤバいだろ? だからわたしは、余計なことはしないでおこうって諦めてたんだ」


「それはなんていうか、随分と真っ当な……って。お前1番最初、俺に襲いかかってきてたじゃねーか!」


「あー、あれは別。あん時の師匠は、敵だと思ってたから。家族を傷つける奴に、わたしは容赦しない」


「……別に俺は、お前たち家族を傷つけるつもりなんてなかったけどな。……でもま、これからは気をつけるよ」


「なに言ってんだよ。師匠だってもう家族なんだから、わたしが守ってやる! 今度はわたしが、師匠を助けてやるからな!」


 黄葉は屈託なく、笑う。……そんな笑みを見せられると、小さいことなんてどうでもよくなってしまう。


「……まあでも、俺も今回の件でいろいろ気がついたよ。自分が存外、不器用で臆病だってこととか。頑張ればこのどうしようもない現実を、変えられることとかな」


「なに言ってんだよ。師匠はポイ捨てしてた人に注意して、辞めさせたんだろ? なら師匠には元から、現実を変える力があったんだよ。……わたしが何年も前から諦めてたことを、師匠は簡単に変えてみせた。だからやっぱり、師匠はすげーよ!」


「……お前が言うなら、そうなのかもしれないな」


 俺は俺が思ってる以上に、凄いやつなのかもしれない。……黄葉といると、そんな風に思えてしまう。


「さて、そろそろ帰るか。もしかしたらみんなも、目を覚ましてるかもしれないしな」


「そうだな! 実はわたし、すげーお腹減ってるんだ。だから早く帰って朝ごはんにしよう! ラーメンとピザとカレーと牛丼を買って帰ろう!」


「そんなに持って帰れねーよ」


「じゃあ宅配だ!」


「……それなら、まあいいかもな。みんなもお腹、減ってるだろうし」


 黄葉と2人並んで歩く。そんな当たり前の幸せを、噛み締める。……黄葉には悪いけど、俺はそれだけでもうお腹いっぱいだった。


「あ、そうだ。忘れてた」


 そこで黄葉が立ち止まる。立ち止まってクルリと、こちらに視線を向ける。


「なんだ? なんか忘れ物か?」


 だから俺は、そう尋ねる。普段となにも変わらず、肩から力を抜いてそう言葉を返す。すると黄葉はううんと首を横に振って、言った。当たり前のように、いつもと同じように胸を張って、その言葉を口にした。






「──わたし、師匠が好きだ。だから、わたしと結婚してくれ」




「……………………………………は?」



 そうしてここから、楽しい楽しいラブコメが始まった。



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― 新着の感想 ―
[一言] おやおや、目覚めたらさっそくそれ/w 赤の縛りは… 解けていないんだろうな
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