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姉。



 その日。蜘蛛の少女は唐突に目を覚ました。



「…………」


 何千年もの間、隠れるように眠り続けた蜘蛛の依代。彼女にはもう本体を動かすどころか、この依代を動かす力すら残ってはいなかった。


 ……その筈なのに、彼女はまるで人間のように、ふと目を覚ました。


「……夢ではない、か」


 少女は立ち上がり、まだはっきりとしない感覚を確かめるように外に出る。


「────」


 山から見下ろす景色は、この身体で活動していた時とは比べ物にならないほど、発展していた。


 少女も100年に1度吐き出される悪夢を通して、朧げながら人々の変化を知覚していたつもりだ。けれど夜を照らす星々より眩い光は、1000年という時間の重みを物語っていた。


「……変わらんな」


 しかし神の口から溢れたのは、それだけ。華やかな街並みも。夜を染める光も。楽しそうに笑う人々も。そんなのはただのガワだと、神は嗤う。


「悍ましい」


 人々の本質は、昔からなにも変わっていない。1000年前のあの時から。10000年前のあの時から。人々はなに1つとして、前に進んでいない。


 あの大きな建物は、腐った悪行を覆い隠す為だけのものだ。あの眩い光は、赤黒い血から目を背けさせる為だけのものだ。人々は変わらず、争い続けている。なにも学ばず、血を流し続けている。


「……っと」


 そこでようやく、少女は気がつく。この身体が目を覚ました原因。自身に纏わりつく、真っ黒な闇に。


「これは……まさかこれは、神の力か?」


 蜘蛛の少女に纏わりつく闇には、目を見張るほどの力が宿っていた。衰えたとは言え、今の少女でも人間とは比べ物にならない力を有している。


 けれどこの闇は、そんな少女をもってしても凄まじいとしか言えないほどの力が、込められていた。


「貴様が妾を起こしたのだな? 目的はなんだ?」


 そう声をかけるが、闇は言葉を返せない。闇にはもう、そんな知性は残っていない。万年の時を戦い続けた鷹の闇は、一振りの剣と言っていいような存在に成り果てていた。


 ……成り果てていながら、それは微かに残った意思で少女を探し出し、力を与えて目を覚まさせた。


「……分からんな」


 真っ暗な闇は自身の意思を伝えようと、必死に蠢く。けれど神の少女の力をもってしても、その真意は読み取れない。


「……仕方ない。喰らうが、構わんな?」


 少女はそう言って、闇を糸で絡めとる。闇が本気で抵抗すれば、そんな糸は簡単に断ち切れる。……けれど闇は黙ってそれを受け入れた。


「──あむ」


 少女はそんな闇の態度を肯定と受け取って、その闇を飲み込んだ。



「──っ!」



 そして少女は、知った。



 白白夜の死神。神と人のさがを入れ替えた、狂った純白。目的も動機もなにもかもが不明で、神を名乗りながら神でも人でもない存在。この世の全てを掌で転がす、超常なる異常。


 そんな怪物が理解できない指向性で、この世界を真っ白に染め上げようとしている。



「……くだらん」



 けれどそんな事実を知ってなお、少女はそう吐き捨てた。


「妾には関係ない」


 こんな世界が滅びようが、少女にはもうどうでもいいことだった。少女が持っていた人々に対する愛情は、数千年前に消え失せた。大切な友人だった神々も、もうこの世界には残っていない。自分も含めて残った神々は、その残滓が過去の行動をなぞっているだけ。



 だから少女に守りたいものなんて、この世界のどこにもありはしなかった。



「そもそも妾には、そんな力などない」


 この暗い闇から力と記憶を受け継いだ今の少女は、戦闘力だけで言えば全盛期をも凌ぐほどだ。……けれど、それだけ。少女は戦う神ではないし、その性格からして戦いには向いていない。


 そもそもこの依代は何千年も放置されていて、朽ち果てる寸前だ。戦うどころか少し力を使うだけで、崩れ落ちてしまうだろう。


「新しい依代を作るには、本体を動かさねばならんが……」


 今の少女には、その手段がない。何千年もの時が経ったせいで、本来なら繋がっている筈の糸が切れてしまっていた。


「…………」


 ……いや、天底災禍という自身の悪夢を使えば、それも可能なのかもしれない。けれどやはり、そこまでして戦う理由が少女にはなかった。


「まったく。こんなことを教えて、妾にはどうしろと──。あれは……」


 そこで少女は、1人の女の姿を見つけた。虚な目で重い身体を引きずり、なにかを探すように辺りを見渡す1人の女性。その姿はまるで死に場所を探しているようでありながら、必死に希望を探しているようにも見えた。



 そしてなによりその魂に、白い夜を見た。



「……気色悪い。どうなっておるのだ、この世界は」


 白い神のことを知った直後、それにまつわるであろう人間が現れた。それはまるで誰かに操られているようで、背中を這いずるような不快感に少女は冷たい息を吐く。



 そして少女はそのまま、その女性に声をかけた。



「──なにをしている、人間」



 その声を聞いて、女は狂ったように蜘蛛の少女に視線を向ける。


「────」


 その瞳に、神である少女が気圧された。とっくに動かない筈の身体を動かすその意思に、神では決して計り得ないものを見た。


「人を……人を、探してるの! ここに、いる筈なのよ! 白い女の子が。居ないと、あの子が……なずなが幸せになれないの!」


「……落ち着け、人間。……事情を話せば、力になってやれるかもしれん。だからそんな狂った目で、妾を見るな」


 関わるつもりなんてなかった。声をかける理由なんてなかった。助ける意味なんて、ある筈がなかった。けれど気づけば少女は、そんな言葉を口にしていた。



 それこそまるで、運命みたいに。



「わた……私の子供が! このままだと、駄目なの! 私が自分勝手に願ったせいで、あの子が得る筈の幸せを奪ってしまった……! だからお願い! あの子を助けて! 私にできることなら、なんだってするから……!」


「分かった。分かっているから、掴みかかってくるな。煩わしい。……落ち着けと言うておるだろ」


 そんな悪態を吐きながら、少女は女の要領を得ない説明を聞き続けた。まるで自分が目を覚ましたのは、この女の力になる為だと言うように、少女は熱心に女の言葉に耳を傾けた。



 そして真っ白な月に見下ろされながら、少女は言った。



「いいだろう。その幼子を、妾の力で救ってやる」



 神は気がつかない。この女の真の異常性に。望めば全てが叶うその力は、神とて例外ではないということに。この女性は白白夜の死神が目をかけるほど特別で、更に彼女はその白が用意した運命の中心にいると。



 神はなににも、気がつかない。



「……くふ」



 ……いや、それは正確ではない。神はそこまで、愚かではない。蜘蛛の少女は一目見た瞬間、彼女が白と関わっていることに気がついた。



 気がついていながら、声をかけた。



 だって少女にとってもこの女は、都合のいい存在だったから。この女の身体なら、神の依代という重みに耐えられるかもしれない。人を救う気なんて少女にはなかったが、それでも替の身体はあるに越したことはない。


「……やはり、愚かだ」


 それにそのなずなとかいうは幼子は、この女よりずっといい肉体をしているかもしれない。ならその幼子が成長するまで守ってやるのも、一興だろう。




「──なずな。これからは彼女が、貴方の姉よ」




 そして、数日後。そんな言葉が響いて、なずなに灰色の姉ができた。



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