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運命。



 死んだ筈の子供を抱いて、ゆりが家に帰って来た。



「なに、を……」


 それがどれだけ、狂ったことなのか。それがどれだけ、悍ましいことなのか。そんな当たり前のことに気がつかず笑うゆりを見て、欠慈は壊れたように膝をついた。



 自分たちの子供は、確かに死んだ。



 ならあの赤子は、誰だ? もしや人様の子供を、勝手にさらって来たのか? ああ、怖い。そんな行いは、決して許されない罪だ。……でも怖いのは、そこじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 欠慈はそれが、なにより怖かった。だから彼は膝をついたまま、恐れるように愛しい女と赤子から目を背ける。


「どうしたの? 欠慈。私たちのなずなの顔、ちゃんと見てあげてよ」


 ゆりは子供のような笑顔でそう言って、泣き叫ぶ赤子の顔を見せようとしてくる。


「や、めろ……」


 欠慈はそれが、怖くて。怖くて。怖くて。けれどそれでも逆らうことができず、ゆっくりと赤子の顔を覗き込む。


「────」


 ……その赤子の顔を見た瞬間、欠慈は気がついた。自分の考えがどれだけ甘く、この世界はどれだけ狂っているのか。自分たちはとっくに外れた道を歩いているのに、自分はなんて常識的なものの考え方をしていたのかと。



 泣き叫ぶ赤子の目元は、自分にそっくりだった。



 すらっとした鼻筋は、どこからどう見てもゆりのものだ。そしてなにより……自分の奥底に眠る魂が、この子は自分の子だと告げている。


「この子は本当に、なずななのか?」


 そんな欠慈の問いに、当たり前じゃないと笑うゆり。……死んだ筈の愛しい我が子が、蘇った。そんな悍ましいことは許されないと言うように泣くて赤子は、確かに自分たちの子供だった。



 なずなの死は、なかったことになっていた。



 どの記録を見ても、誰と話しても、なずなが死んだなんて話は出てこない。狂った世界で、欠慈だけが正しく世界を認識していた。


 それが彼の、特別。なにより壊れた絵を描く彼は、誰より確かに世界を見る目を持っていた。白い運命が手を伸ばすほど、彼の藍色の瞳は特別だった。


 けれどゆりにとって、そんなことはどうでもいいことだった。彼女にとって世界とは、常に異常なものだ。望めば願いが叶うのなんて、彼女にとっては当然のことだった。



「やっと終わった」



 なずなを家に連れ帰って来てから数日後。ゆりは倒れて、病院に運ばれた。


 でもゆりに思い残すことなんて、なにもありはしない。産まれた時から胸に巣食っていた、子を産むという呪い。それをようやく、果たすことができた。狂っていたけど幸せな恋に、身を浸すことができた。



 ならもう、思い残すことなんてなにもない。



 なずなを蘇らせた白い運命が、自分からなにを奪うのだとしても。……たとえこの命を、奪うのだとしても。別にもう構わない。ゆりに思い残すことなんて、なにもありはしなかった。


 ナズナの花言葉は『私の全てをあなたに捧げる』。そのあなたとは、誰なのか。それは蜘蛛の神でも、白い夜でもない。なずなはただ、灰宮 ゆりという人間を満足させる為だけにこの世に生を受けた。



「あー。いい人生だった」



 病室で1人、ゆりは笑った。



 ◇



 それから数年後。なずなは順調に育ち、それに反してゆりは1年の大半を病院で過ごすようになっていた。


「…………」


 すぐに死ぬかと思ったゆりの命は、中々消えない。もうやることはやったのに、どうしてか終わらない。それはまるで、エンドロール後に本編が始まったような気持ち悪さで、彼女は日々退屈な生活を送っていた。



「おかあさん」



 そんな中。ゆりの唯一の楽しみは、なずなが見舞いに来てくれることだった。


 おかあさん。おかあさん。と、小さな口を必死に動かして、彼はいろんなことを話してくれた。その大半は、本当に些細などうでもいいことだったけど、そんななずなを見ていると日々の退屈を忘れられた。



 ない筈の愛情に、胸が痛んだ。



 それに彼が時折見せてくれる絵は、子供とは思えないほど綺麗だった。そういえば欠慈に惚れたきっかけは、彼の絵に魅せられたからだったな。なんてことを思い出すほど、なずなには絵の才能があった。


 父親の欠慈も、そんななずなを見て誇らしそうにしていた。この子は俺を凌ぐ画家になるなんて、嬉しそうに笑っていた。


 欠慈もこの頃になると、なずなが死産だったことを忘れかけていた。いや、彼は必死に忘れようと努力していた。……だってその頃の生活は、頭が麻痺するくらい幸福だったから。



 けれど、ある日。



 いつものように見舞いに来てくれたなずなの手に、包帯が巻かれていた。ゆりは心配に思いなずなに理由を尋ねたが、なずなはただ転んだだけだよと、笑うだけだった。


 その後。ゆりは欠慈を問い詰めた。あの怪我はなんなのだ、と。それに欠慈は胸にナイフでも突き刺されたような顔で、囁くようにこう言った。



 なずなは虐められているんだ、と。



 この頃のなずなは、とても明るい性格をしていた。外見もどこか人形のようではあったが、とても整っていた。だから彼が虐められるような理由なんて、どこにもありはしなかった。



 けれどどうしてか、なずなはどこへ行っても虐められた。



 幼稚園でも。小学校でも。習い事でも。なずなはどこに行っても馴染むことができず、どこへ行っても孤立した。……いや、それは正確ではない。



 なずなはゆりの、逆だった。



 ゆりはどこへ行ってもなにをしても、全て自分にとって都合のいい結果を出すことができた。どんな集団も、彼女がいるだけで上手く回った。


 けれどなずなは、その逆。どこに行ってもなにをしても、排斥の対象になる。それまでどれだけ上手く回っていた集団も、なずながいるだけで狂って上手く回らなくなる。



 それでゆりは、ようやく気がつく。



 自分が白い夜に捧げたのは、なんの価値もない女の命なんかではない。なんの幸福も知らずに死んだなずなは、未来の幸福を犠牲にして蘇ったのだと。



「……………………嘘よ」



 後悔した。もう遅い。叫んだ。もう遅い。願った。もう遅い。祈った。もう遅い。呪った。もう遅い。狂った。もう遅い。どうでもいい筈だった。もう遅い。あの子の幸せなんて、なんの興味もなかった。



 なのに



 ……愛してしまった。



 なにかもが手遅れで、なずなはこれから辛く苦しいだけの人生を歩むことになる。


「……嫌だ」


 ゆりはそんな現実を、絶対に認める訳にはいかなかった。あんなに可愛くて優しい子が幸福になれないなんて、おかしいと叫んだ。自分はもう長くはないけど、それでもなずなが幸せに生きてくれると信じていたから、こんな退屈な生活にも耐えられた。



 なのになずなは、苦しむだけの人生を生きる。



 狂ったように、ゆりは暴れた。欠慈はそれに、考え過ぎだと言い聞かせた。どんなことがあっても、なずなは自分が守る。そもそも子供が子供を虐めるのに、大した理由なんてない。だから遠くに引っ越せば、なずなも……。


 ……それは嘘だと、欠慈は自分でも気がついていた。彼の目は明確に、なずなを取り巻く異常を映していたから。でもどうしても、そんな事実を認められない。だから彼は必死にゆりを宥めて、なずなと一緒に家に帰った。



 そしてゆりはその日、病院を抜け出した。



 動かない身体を無理やり動かし、あの時と同じ少女を探した。あの真っ白な少女なら、なずなの呪いをどうにかできる。自分はこれからどんな目に遭ってもいいから、あの子だけは幸せでいて欲しい。



 運命から外れた、ゆり自身の愛情。



 その想いは今までにないほど熱く、動かない筈の身体を遠い山奥へと運んだ。なずなを失った時と同じように、そうすれば白い少女が姿を現してくれると信じて。



「……いない」



 けれど白い少女は、現れなかった。そもそも彼女は、なずなの幸福にもゆりの幸福にも興味なんてない。彼女は自分に必要な依代を作る為に、なずなを蘇らせた。


 それは彼女にとってもリスクのある行動だったが、そこまでしてでも彼女にはなずなが必要だった。



 けれど別に、なずなが幸福になる必要なんてない。



 ある程度の年齢まで育てば、依代として役割を果たせる。それだけで、充分。それ以上の価値なんて、彼にはない。……いや、神は心を源に力を使う。だからなずなが不幸であればあるほど、その魂は神にとって都合のいいものになる。


 ……無論、なずなが自ら死を選ぶようなことがあれば、その限りではない。けれど呪われている人間は、そう簡単に死を選ぶことすらできない。



 故にここに、神は現れない。



 ゆりが死んだ後も。どこに逃げて、誰と関わっても。なずなはただ、辛いだけの人生を送る。それが死者を蘇らせた、大きな大きな代償だった。











「──なにをしている、人間」



 けれどそこで、灰色の声が響いた。



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