……お願い。
青波さんから、黄葉のことを聞いた後。時間なんて感覚が分からなくなるほど泣き続け、何度も何度も後悔した。
「……行かないと」
そしてふと青波さんの去り際の言葉を思い出し、ふらふらとした足取りで青波さんの部屋の扉を開く。
「来てくれたんだね、なずな」
青波さんはいつもと変わらない声でそう言って、俺を出迎えてくれる。
「……すみません。遅くなって」
「いいよ。それより、わざわざ来てくれてありがとう。さ、そこのベッドに座って」
「…………」
言われた通りベッドに腰掛け、青波さんを見る。青波さんはそんな俺になにかを誤魔化すように笑いかけ、ゆっくりと言葉を告げる。
「なずな。いきなりで悪いけど、今さら取り繕っても仕方ないから、はっきり言うね? ……このままだと明日の『夜』に、みんな死ぬ。そして明後日、神の悪夢……天底災禍が現実になって、世界が滅びてしまう」
青波さんの瞳は、揺らがない。ついさっき見せた子供のような弱さは、もうどこにも見受けられない。
「……青波さんは、凄いですね」
「私は……私はただ、薄情なだけだよ」
「薄情な人は……いや、いいです。そんなことより、確か青波さんは、昔の天底災禍を1人で退けたんですよね? なのに今回は、勝てないんですか?」
「うん。勝てない。今はまだあの時のように準備ができていないし、なにより今回の天底災禍はあの時とは規模が違う。だから──」
「俺、戦いますよ」
青波さんの言葉を遮って、真っ直ぐにそう言い切る。
「どれだけリスクがあっても、構いません。どれだけ痛くてどれだけ辛くても、構いません。俺も、戦います。もうこれ以上、誰にも傷ついて欲しくない。それに黄葉の……黄葉の死を、無駄にしたくないんです」
「……君は本当に、優しい子だね。そして……強い子だ」
青波さんは、笑う。そしてそのままゆっくりと、俺の隣に腰掛ける。
「でも、ごめん。今の君に、あの腕輪を渡すことはできない」
「……どうして、ですか?」
「私たちの使う魔法は、そんなに簡単じゃないからだよ」
青波さんはまるで子供に言い聞かせるよな口調で、言葉を続ける。
「私たちは幼い頃、母さんに魔法の使い方を教わった。別に資格がいるってわけじゃないけど、ちゃんと魔法を使えるようになるには、それなりの訓練が必要なんだ。……でも残念だけど、もうそんなことをしている暇はない」
「いりませんよ、訓練なんて」
「いくら君がそう言っても、無理なものは無理なんだよ。前にも言ったけど、私たちの魔法は心だ。そして、なずな。今の君の心は、どういう状態にある? そんな心で無理に魔法を使えば、その真っ黒な心がそのまま魔法になってしまう」
カチカチと秒針の音が数度響くくらいの間を開けて、青波さんは言う。
「そうなればきっと、またあの蜘蛛の悪夢が『夜』に現れる。だから、ごめんね? 今のなずなに、腕輪は渡せない。……そもそもあの藍色の腕輪は、特別だから」
「……前にも言ってましたよね、それ」
「うん。あれはちょっと、他とは違うんだ。……知ってる? 私たちのこの腕輪は、昔やってた魔法少女のアニメに出てきたやつを、真似して作ったんだ」
「その腕輪、形を変えられるんですか?」
「鋭いね。そう。この腕輪は魔法と同じだから、私たちのイメージで自由に形を変えられる」
でも、と青波さんは遠い目で天井を見上げる。
「藍色の腕輪だけは違う。あれは昔からずっと、変わっていない。1番最初の、藍色の魔法少女。その人の想いが強すぎて、藍色の腕輪だけ固まったまま形を変えられないんだ」
「つまり?」
「……使うと飲み込まれる。藍色の腕輪を使った子は、例外なくみんなその腕輪……その想いに飲み込まれて、消えている。……まあ正直、なずなならそれくらいどうにかできると思う。でも万が一にもなずなが消えてしまったら、緑や紫恵美は今度こそ完全に再起不能になるだろう。だからやっぱり、君を戦わせることはできない」
「……そう、なんですか」
空っぽの心を寄せ集めて、なんとかそう答える。青波さんの言葉は難しいわけじゃないから、理解することはできる。今の自分がちゃんと話せているかは分からないが、理屈は理解できた。
でもだから、なんだっていうんだ。
そんなことで、納得できる筈がない。そんなことで、止まれる筈がない。神の悪夢だかなんだか知らないが、そいつは黄葉を……殺した。そんなやつを、放っておけない。みんなを傷つけたやつを、このまま黙って見過ごすことなんてできる筈がない。
だから、俺は──
「私がなずなを呼んだのは、橙華のことを話したかったからなんだ。橙華の魔法について、ね」
青波さんは俺の思考を見透かしたように優しく笑い、冷たい手で俺の手を握る。
「……橙華さんの魔法、ですか?」
「うん。私たちはそれぞれ、得意な魔法を持ってる。私は、消滅。紫恵美は、物体の操作。赤音は、炎。黄葉は、肉体強化。緑は、風。そして橙華は、催眠」
「……催眠って、そんなので悪夢を壊せるんですか? そもそも悪夢に、催眠なんて効くんですか?」
「効くよ。悪夢も元は、人の心だからね。……まあ大きすぎる悪夢には効果が半減するし、天底災禍にはまず通じない。でも、悪夢を操って他の悪夢を壊させるなんて真似ができるのは、橙華だけ。それがあの子の、才能」
「そうなんですか。……でもだから、なんだっていうんです?天底災禍に通じないなら、そんなの意味──」
「それでも、必要なんだよ」
そう言って、青波さんは笑う。……いや、それはきっと笑みではない。心の奥底の痛みを隠すように、青波さんは小さく口元を歪める。
「橙華に、私たちを洗脳してもらうんだ。そうすれば明日も、問題なく戦える。みんながいつも通り戦ってくれるなら、今度こそ私が……どんな手段を使ってでも天底災禍を破壊する」
そこで青波さんは、俺を抱きしめた。強く強く、痛いくらい強く抱きしめて、耳元で囁くように言う。
「でもあの子は昔いやなことがあって、人に魔法を使うことができなくなってる。だからね、なずな。酷いことを頼んで申し訳ないけど、君が橙華を説得してくれ。今の私の言葉では、あの子には届かない。だから、お願い。君が橙華を説得してくれれば、必ず私が天底災禍を破壊する」
青波さんの声が、脳を痺れさせる。それこそまるで、その青波さんの声が催眠であるかのように、深く深く俺の傷んだ心に染み入る。
「…………」
でも俺は、流されない。たとえそれが絶対に必要なことなんだとしても、1番聞かなければならないことを聞いていない。だから俺は青波さんの手を振り払い、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて言った。
「青波さん。青波さんは一体、どんな催眠をかけてもらうつもりなんですか?」
「それは……」
そこで青波さんは、目を瞑って黙り込む。
「…………」
痛いくらいの沈黙が、肌を刺す。いつもなら聴こえてくる筈の少女たちの笑い声が、いつまで経っても聴こえてこない。……あの誰より元気な少女の声は、もう2度と聴こえてこない。
だから青波さんは、言った。
「──柊 黄葉なんて、元から存在しなかった。みんなにそう、催眠をかけてもらうんだ。そうすればみんな、問題なく戦える筈だよ」
その青波さんの言葉に、俺はなんの言葉も返さなかった。




