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逃しません。



 ひいらぎ 赤音あかねは、苛立っていた。



「なんなのよ、もう」


 疲れ果てたような声でそう呟き、赤音はそのままベッドに倒れ込む。


 最初の『夜』が、終わった。時間にすれば、たった1時間。天底災禍が近づくにつれ『夜』の時間も長くなり、悪夢の強度も増していく。でも最初のうちは大した悪夢は出てこないから、しばらくはただの肩慣らし。



 ……そう思っていたのに、それは唐突に姿を現した。



 全長100mはあるだろう、巨大な蜘蛛。そんな天底災禍まじかでも現れないような大悪夢が、夜空から滲み出るように姿を現した。


『夜』に現れる悪夢は、それがどれだけ巨大でも、現実のものに大した影響は与えられない。


 ……が、それほど大きなものに暴れられると話は別だ。そんな大きな悪夢に暴れられると、現実にも夢にも悪影響を与えてしまう。それにそもそも、こんな悪夢が持ち主のところに戻れば、その人物は必ず死んでしまうだろう。


 ……いやきっと、死ぬだけでは済まない。何百何千もの人間を巻き込んで死ぬような、そんな大事件を起こす筈だ。



 だから赤音たちは6人全員で協力し、その悪夢に立ち向かった。



 橙華が動きを止め、黄葉が叩き、緑が切り裂き、赤音が燃やし、紫恵美が踏み潰す。そして最後に青波が、消し飛ばす。


 そこまでしても、その悪夢は消えなかった。粉々になった蜘蛛は糸を使って他の悪夢を取り込み、瞬く間に復活した。天底災禍を直接その目で見ている青波ですら、それを化け物と呼んだ。



 それ程までに、その悪夢は図抜けた存在だった。



 そしてそれからみんなで必死なって奮闘し、なんとかそれが持ち主に戻るのは止められた。……けど結局、倒し切るには至らなかった。だからきっとあの悪夢は、明日の『夜』にも姿を現すだろう。


 皆それが分かっているから、学校に行く気力もなく、同じようにベッドに倒れ込んだ。


「お腹、空いたな……」


 なかなか眠ることができなかった赤音は、ゆっくりとベッドから起き上がり、買っておいた菓子パンの封を切る。


「……このパン、あんまり美味しくない」


 でもだからって、疲れている身体で料理を作る気にもなれないし、いつも夕飯を作ってくれている橙華に頼るわけにもいかない。


 ……そもそも、橙華とは少しずつ喋るようになっていたけど、仲直りできたというわけではなかった。


「……なにやってるのよ、ほんと」


 なずなを追い出してから、姉妹仲は急激に悪くなってしまった。特に緑と紫恵美とは、ほとんど会話もしていない。……今日のあの蜘蛛の悪夢の時も、もっと上手く連携を取れていれば倒せていたかもしれないのに。


「……関係ない。私は1人でも、やらなきゃいけないんだ」


 魔法少女。柊の役目。それは決して、私情を持ち込んでいいようなものではない。その役目は一歩間違えれば大切な家族が死んでしまうほど、危険なものなのだから。


 ……いや事実。5年前の、天底災禍が現れた時。赤音たちのそばからも、犠牲者が1人出ていた。


「それでも、私は……」


 机の下に隠すように置かれた宝物に、視線を向ける。それがある限り、どんなことがあっても赤音の心が折れることはない。


「……!」


 けれどふと、思い出してしまう。なずなの家に入っていった、あの女のことを。するとそれだけで胸に張り裂けるような痛みが走り、赤音はぎゅっと枕を抱きしめる。


「……私には、関係ない」


 赤音はいつもと同じ現実逃避という名の魔法で、痛みに耐える。


 そもそも赤音は、分かっていた。分かっていて、なずなをこの家から追い出した。……その筈なのに、赤音の弱い心はその事実に納得してくれず、いつもいつも痛い痛いと叫びを上げる。



『赤音。貴女の魔法は、明けない夜だ』



 そこで、その言葉を思い出す。この胸の痛みもまた、その契約の一部であると。だから赤音は諦めたように目を瞑り、胸の痛みから目を逸らす。


「風邪、治ったかな……」


 最後に小さくそう呟き、赤音はそのまま深い眠りについた。



 ◇



 翌日の放課後。まだまだ青い空を見上げながら、俺は大きく息を吐く。


「絶対になにか、あったんだろうな……」


 緑姉さんたちは、今日も学校を休んでいた。学校には風邪だと連絡しているみたいだけど、姉妹全員が同時に風邪を引くなんてことはあり得ないだろう。


 それにそれを証明するかのように、昨日の夜、緑姉さんから返信のメッセージが届いた。



『私たちは、大丈夫です。それより、なずなが元気になってよかった』



 なにかを隠すような、顔を見なくても嘘だと分かるメッセージ。そんなメッセージが1通だけ届いて、それ以降はどれだけ連絡しても一向に返事が返ってこない。


「なにを、ぼーっとしてらっしゃるのですか? なずなさん。あまり惚けていると、転んでしまいますよ?」


 俺の隣を歩く蘇芳さんはそう言って、楽しそうに笑う。


 結局、俺は蘇芳さんの誘いを断ることができなくて、蘇芳さんの家に行くことになってしまった。だからこうして2人で並んで、蘇芳さんの家に向かって歩いていた。


「…………」


 ……無論、本気で逃げようと思えば逃げられないわけじゃない。けど、蘇芳さんがどこまで俺の過去を知っていて、なにが目的なのか。それはまだ、分かっていない。


 だからそれを知る為にも、もう少し蘇芳さんに近づいてみることにした。


「……って、でかっ。ここが本当に、蘇芳さんの家なのか?」


 蘇芳さんが足を止めた大きな家を見上げて、思わず目を見開く。


「はい。あまり自慢できるような家ではありませんが、ここがわたくしの家ですわ。なずなさんの部屋の準備も終わっているので、今日からでも泊まって頂いて構いませんわよ」


「それは……有難いな」


 蘇芳さんの家は、でかいと思った柊さんの家よりさらに倍以上でかい。ここまでくればもう家ではなく、屋敷と呼んだ方がいいだろう。


「ささっ、上がってください。おもてなしの準備は、済ませてありますから」


 そうしてその屋敷に上がらせてもらい、目を見張るような歓待を受けた。使用人の人に高そうな紅茶を淹れてもらい、マッサージまでしてもらって、夜は舌が溶けるような夕飯をご馳走になった。


 そして気づけば辺りは、夜の闇に飲まれていた。


「……返信、きてないな」


 俺にあてがわれた部屋の椅子に腰掛けて、そう呟く。


 ……今日は泊まるつもりはなかったのだが、蘇芳さんも帰すつもりはなかったらしく、気づけばもう電車がなくなるような時間になってしまっていた。


「まだ、あの女のことが気になるのですか?」


 当たり前のように部屋にやって来た蘇芳さんは、真っ黒な瞳で俺を見る。


「……いや、まあ、気になるのは気になるよ」


 嘘をつく理由もなかったので、俺はそう言葉を返す。


「でも、返事は来ないのでしょう? ならそれは、あの方たちに貴方は必要ないということですわ」


「それは……」


 それは、その通りなのかもしれない。彼女たちがなにに巻き込まれていて、なにに困っているのか。それは俺には分からないが、きっと俺にできることなんてなにもない。……いや寧ろ、何度もメッセージを送って迷惑がられているかもしれない。


「ふふっ、寂しいのですか? ……でも、大丈夫ですわよ? あんな女たちのことなんて、わたくしが忘れさせてあげますわ。……この身体を、使って……」


 蘇芳さんは艶っぽい声でそう囁き、俺の耳たぶにキスをする。


「──! い、いきなりなにするんだよ!」


 その感触のくすぐったさに、俺は慌てて距離をとる。


「ふふっ、可愛いですわね。わたくし、そういう方面には疎いのですけど、なずなさんの困った顔を見ると……ゾクゾクしてしまいますわ……!」


「……勘弁してくれ」


 そう言って、大きく息を吐く。


「それより、どうですか? わたくしの家、気に入って頂けましたか?」


「……まあ、夕飯は凄く美味しかったよ。ちょっと、落ち着かないけど」


「すぐに慣れますわ。なんせここは今日から、なずなさんの家になるのですから」


「……招待してくれたのは嬉しかったし、色々ともてなしてくれたことにも感謝してる。……でもまだ、ここに住むとは言ってないよ」


「すぐにでも、そう言いたくなりますわ。なんせわたくしは、貴方を愛しているのですから」


 蘇芳さんはまるで獲物を狙う獣のように、長い舌で自身の唇を舐める。


「蘇芳さんは、どうしてそこまで俺を……気にしてくれるんだ? 自分で言うのもなんだが、俺は大した人間じゃないぞ?」


「ふふっ、まだそんなことを仰るのですね」


 蘇芳さんは長い綺麗な黒髪をなびかせて、ゆっくりと俺の方に近づいてくる。


「…………」


 俺はそんな蘇芳さんから逃げるように、後ずさる。……が、すぐ後ろは壁で、逃げ場はどこにもありはしない。


「逃しませんわよ? ……絶対に絶対に、逃しません。だって貴方の才能をこの目で見るのが、わたくしの長年の夢なのですから」


 蘇芳さんはそう言って俺の耳元に顔を近づけ、ふーと息を吹きかける。


「────」


 俺はそのくすぐったさに、思わず顔を背ける。


「隣の部屋に、行きましょう? ……わたくしがどれだけ貴方を愛しているのか、それをたっぷり教えて差し上げますわ」


 強ばった俺の身体を優しく抱きしめてから、蘇芳さんは俺の腕を引いて隣の部屋に移動する。……そしてその部屋に入った瞬間、俺はすぐに気がついた。彼女が俺の秘密をどれだけ知っていて、俺になにをさせようとしているのか。



 だから俺はその日から、蘇芳さんの家で暮らすことになった。



 やはり俺の人生は、明けない冬だ。どこに行ってもなにをしても、痛みと苦しみからは逃れられない。



 それを強く実感しながら、俺の新たな生活が始まった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 女の子に言い寄られる状況で、明けない冬?春が来てるじゃないですか(^_^;)
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