第9話 早朝の勇者様
「これがエイセル教会・・・」
教会堂にたどり着いたカイはその建物を見上げながら、感嘆して思わず呟いていた。
城でもないのに石造りで強固そうでありながら、デザインも中々に洗練されており、随分と手間と金がかかった建物であることは一目でわかった。周囲にある建物と比較しても明らかに異質だ。
自分がいた時代の建物と比較してどうだっただろうか、と記憶を探ると、それは覚えているようで「王城か貴族の館でもなければこれだけ巨大な建物はなかった」という答えが出てきた。
「どうしました?教会は初めてですか?」
カイが茫然と教会堂を眺めていると、突然横から声をかけられた。
振り向くとそこにはエリーザと同じくらいの年齢と思われる少女がそこにいた。どこかで見たことがある気がするが、この教会の関係者だろうか?エリーザとは違うタイプだが整った顔をしており、見たらそうそう忘れることもなさそうなのにな、とカイは思いつつも質問に答えることにした。
「えぇ、見るのも初めてです。あまりの素晴らしさに驚いてしまいました」
これはカイの本心だった。この初めて見たこの教会堂とやらはカイのいた時代の建築物にはなかった美しさがあった。
「素晴らしいですよね。でも、今建設している新堂が完成すればもっと驚くものになると思いますよ」
そう言って少女が目を向けた先には、建設中と思わしき新堂があった。まだ足場が組まれて布で目隠しされているが、シルエットだけで今目の前にある教会堂の何倍も大きな建設物になることは理解できた。
「完成するまでにあと一か月はかかるみたいです。完成したらすぐに見てみたかったけど、私は今日でこの町を離れることになりまして、叶いそうになくて残念です」
少女はそう言って寂しそうに俯いた。
「ここを離れてしまうのですか?」
「えぇ。私、昨日までいた職場を辞めることにしたんです。これを機に町も出ようって」
ここまで話していてずっとどこかで見たなと思っていた少女の顔に、カイはようやく誰なのか思い出すことが出来た。
「あなたは・・・もしかして酒場のウエイトレスさんですか」
少女は昨晩、酒場で角一族のスコットに絡まれていたウエイトレスだった。
「思い出してくれたんですね。私はサラって言います」
どうやら酒場のウエイトレス・・・サラはカイのことを覚えていたようだった。
「僕の名前はカイ。すぐに思い出せなくて申し訳ありません」
「助けてくれた憲兵さんと同じテーブルにいた方ですよね。さっき偶然見かけたんですけど、なんだかずっと教会堂を眺めていて気になったので、つい声をかけちゃいました」
そう言ってサラは笑った。
「ここを離れると言いましたが、もしかして昨晩のことで・・・」
「えぇ、昨日のことでちょっと・・・まぁ、職場の人たちとも気まずくなってしまって・・・」
カイは昨晩の酒場でのことを思い出した。酔客にサラが絡まれていたとき、店主をはじめ従業員の誰もが見て見ぬふりで助けようとしなかった。もしもあの場にエリーザのように場を制することが出来る者がいなければどうなったいたのか。未遂で終わったとはいえ、彼女にしてみれば恐ろしい経験であっただろう。そんな職場を離れようと思うのは仕方がないが、昨晩問題を起こした連中はカイが手を下したことにより、もう二度とあの店にやってくることはない。それをどう彼女に伝えたらよいものかと思い悩んでいたが
「まぁ昨日のことあってか退職金は多めに貰えましたし、元々私は同じ場所にいつまでもは居着かない性格なんです。今回はちょっとだけ予定より早かったけど」
そう言うサラの言葉に「まぁどのみち辞めることになったのなら」と、カイは黙っていることにした。
「この教会には私が最初にこの町に来たときに、あの職場を紹介してもらったりいろいろとお世話になったんです。今日は最後にお礼を言いたくて」
「へぇ、教会とはそういうこともしてくれるんですね」
「そういういうわけじゃないですけどね。けど教会って人が良く集まるから、地元のネットワークが広いんですよ。だから教会の人たちと顔見知りになって仲良くなると、仕事を探していると言えば結構いいお仕事とか紹介してもらえるんですよ。だから私は、最初に訪れた町ではまず教会に行ってそこの人たちと仲良くなるようにしているんです」
カイは感心した。目の前の少女は昨晩こそ乱暴な男に迫られて震えていたこともあり、か弱い印象があったが、実際は受けた印象より処世術に長け、たくましいようだ。
「ところでカイさんは教会は初めてのようですけど、今日はお祈りに来たんですか?」
「いえ、見に来ただけです」
サラの質問にカイはそう答えた。
「エイセル教会というものがどういうものか知りたかったんです。田舎から来たもので」
「今までエイセル教会を見たことがなかったんですか?」
カイは頷いた。
「じゃあこれから教会堂の中もご覧になってみます?」
「入ってもいいのですか?」
「もちろん。教会はいつでも誰でも入ることが出来るんですよ」
案内をしてくれるつもりのようで、サラが促すようにカイの先を歩き出した。
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エリーザは角一族の殺害現場を調べていた。
数十人に及ぶ人間が一夜にして皆殺しになり、同時に起きた火災により死体もいくつか燃えたといった凄惨な現場だが、エリーザは臆することなく踏み込んでいった。
事件があれば捜査をするのは基本的にその町を受け持つ憲兵団だが、特別高等憲兵も申し出れば捜査に加われる権利を持つ。必要なら憲兵団に優先して捜査をすることもできるが、逆に自分の任務に関係がないことなら、例え目の前で起きた事件であっても憲兵団に丸投げして無視することもできる。
エリーザは昨晩、自分といざこざがあった人間らに起きた事件なだけに、気になって現場に見にきただけに過ぎず、別段優先的に捜査をしようなどと考えたわけでもなかったが、憲兵団からしても特憲たるエリーザが来た以上は蔑ろにするわけにはいかない。エリーザは遠慮したが、憲兵団は捜査を一旦止め、案内役として若い憲兵を一人彼女につけ、自由に現場を見る時間を融通した。
「今のところ、殺害現場の目撃者はありません。火の手が上がったところを見た、というのが何人かいる程度ですね」
案内役の憲兵が言った。
「『角一族』はメンバー全員が決まった刻印がされた金属製のアクセサリを身につけています。ここにある遺体は全てそれらを身に着けていますので、見つかった遺体は全て『角一族』のメンバーだと思われます。そして数からして恐らくは『角一族』のメンバーほぼ全員であると思われます」
憲兵はメモを読み上げてエリーザに聞かせた。
「角一族の生存者は?」
「今のところ、一人も見つかっておりません」
「容疑者に心当たりは?」
「この角一族の面々は以前から他の冒険者パーティとの揉め事が絶えませんでした。怨恨による複数人での襲撃であるという可能性もあり、そっちの方面も含め現在捜査をしています」
「魔物の襲撃である可能性は?」
「町の破魔の防壁が突破された形跡はありませんが、その可能性でも調べてはいます。まぁ、現場から見て恐らく人間による犯行である可能性が高いですが」
「・・・ま、心当たりには事欠かないってことね」
エリーザは適当に相槌を打ったが、多人数による襲撃であるとは考えづらかった。死体は斬殺か焼死体の二つだったが、斬殺死体はいずれもたった一刀によって絶命したと思われ、かなりの剣の達人による犯行であると予想された。どれも「斬る」ことに慣れたと思われる見事な切り口であった。恐らく斬殺を行った者は同一人物、一人によるものだ。
焼死体も一瞬で絶命するほどの強力な炎で焼かれたと思われる。角一族の中には魔術師が何人かいたと憲兵団に聞いたが、魔術師がいるなら戦闘に入ったとき、防御魔術を含めた補助魔術を使用するはずである。それがセオリーなのだ。防御魔術が機能していたのなら、よほど強力な火炎魔術をぶつけられない限り、この遺体のようにこんがり綺麗に焼けることはない。頭部や心臓部などの急所が生焼けの状態になっていたりするのが一般的なのである。
しかしこの焼死体はその防御魔術など無かったかのように綺麗に焼かれてしまっている。防御魔術が間に合わないほどの高速詠唱か、あるいはそれを打ち破るほどの強力な火力で焼いたのか、いずれにせよ焼死体は高位の魔術師による犯行なのではないか。
エリーザは特憲であるだけにこの手の死体を見ることは初めてではなかった。この角一族殺人事件の現場をザッと見ても、よほどの無能でなければ剣の達人と高位の魔術師による少人数の犯行であり、多人数による犯行であるとは考えられないだろうとエリーザは考えていた。
「揉めていたグループが相当の手練れを雇ったということかしら」
現場を見てわかったのは、犯人は角一族に対して一切の情けもなく、確実に仕留めにいっているということであった。命乞いをしていた状態から斬られたと思われる死体もあった。逃げようとして背中から斬られたものもだ。
あまりに機械的に殺人をこなしたと思われる現場を見て、恨みを持つ本人らではなく、それらが雇った強者による犯行なのではないか。
「犯人についてはまだ何の情報もないのよね」
「・・・はい、今のところ、何の情報も入っておりません」
エリーザは自分についた若い憲兵の表情をチラリと盗み見た。
視点が定まらず、そわそわと落ち着きがない。
恐らくだが、何かを隠しているのだろうなとエリーザは思った。もしかしたら犯人の目途がついているのかもしれない。しかし、それを明らかにできない理由があって、わざと見当違いな捜査をしているのではないか。
「これでいいわ。今日はありがとう。時間を取らせて悪かったわね」
ここで粘っていても真相にたどり着く可能性は低いだろう。帰る旨を伝えると、若い憲兵は露骨にホッとしたような表情を浮かべた。
(角一族は憲兵団、冒険者ギルド、町議会とも繋がりがあったと調べはついている。その辺が関係しているのかもね)
エリーザは憲兵団による隠蔽について何かしら思うところはあったが、今日のところは引き上げることにした。王都に戻ったら裏からいろいろ調べてみようかと考えていた。
「・・・」
エリーザは最後にふと、シートの上に乗せられた斬殺死体に目をやった。昨晩、自分と揉めた相手・・・スコットのものであった。昨晩酒場で楽しそうに騒いでいた彼が、一夜にして物言わぬ死体にされた。
怨恨か、勢力争いか、心当たりは多そうだし、もしかしたら死んで当然と言えるほどの悪事を重ねた人間かもしれない。
エリーザは特憲という立場であるゆえに、行きがかり上人間を殺めることになったことも無くはなかった。しかし、自分と最近まで話したことのある人間が、実際に残虐な死を迎えるのを目の当たりにするのはまだ慣れていないようで、彼女の胸の中には言いようももない微妙な感情が渦巻いていた。
(自分はまだまだ未熟だ・・・)
人の死にある程度は慣れておかないと特憲としてはまだまだ半人前だ。
それにしても角一族の連中をここまで徹敵的に惨殺した人間とは、一体どんなものなのだろうか。狂人なのだろうか、それとも感情の無いのだろうか。いずれにせよ、神をも恐れぬ悪魔だなとエリーザは思った。
しかし、当の人間は今、教会堂で見よう見まねで神に祈りを捧げていた。