第8話 夢見の勇者様
「カイ。オサマさんとナディアさんが来ていますよ」
魔術書を読んで勉強していた僕に、母さんは友達が来てくれたことを伝えてくれた。
僕はチラリと隣に座る父の顔を見ると
「まぁ、今日はこの辺でいいでしょう」
咳払いをしながらそう言ってくれた。
「父上、今日もありがとうございました」
僕はいつものように勉強を見てくれた父にお礼を言いながら頭を下げると、すぐさま幼馴染たちが待つ外へと早歩きで向かった。どうして早歩きなのかというと、家の中で走ると両親に物凄く怒られるからだ。
「カイ!」
「今日は勉強もういいのか?遊ぼうぜ」
外で僕を待っていてくれたのは、幼馴染のオサマとナディアだ。二人は兄妹で、兄のオサマは僕と同じ年、妹のナディアは一つ年下である。
近所に住む二人は僕のかけがえのない友達だった。
「今日は湖のほうへ行きましょ。私、お弁当作ってきたの」
ナディアがそう言って包みを見せてくれた。
「楽しみだなぁ!・・・っと、楽しみですね。ナディアの作るものはおいしいですから」
喜びのあまり、僕はつい前と同じ話し方をしてしまった。思わず周囲を見回すが、オサマとナディア以外には誰もいない。
「なんだよカイ、俺たちにはその話し方やめてくれっていったじゃねーか」
オサマが怒った。僕だって本当は前のように普通に話したい。
「そうしたいんですけど、誰にでもこの話し方をしないと父と母が怒るんですよ」
父と母は言う。「勇者」であるためには必要なことなのだ、と。そして僕は勇者なのだと。
「ちぇ、なんだか段々厳しくなるよなー カイの父ちゃんは」
オサマが唇を尖らせると
「遊べる時間もお勉強と剣術の訓練で前より減ったもんね・・・」
ナディアがそう言って俯いた。
「確かに時間は前より減りましたが、無くなることは絶対にないと父は言ってました。さぁ、時間がもったいないから行きましょう」
僕は笑って二人の手を取った。
これは剣術、魔術の勉強、厳しい教育の合間の僕の息抜き。二人に会うことは僕にとってかけがえの無い大切な時間だった。
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「・・・夢か」
早朝に目が覚めたカイは、天井に向かってボソッと呟いた。森林で目覚めて以来、夢を見たのはこれが初めてだ。
見たのは自分がまだ幼い頃の夢だった。いまこうして夢を見るまで忘れていたものだった。
昨日までの自分と変わらず記憶はいろいろと曖昧なものが多いが、先ほど見た夢の内容は間違いなく自分が昨日まで忘れていた記憶の一部であったと確信できた。
「・・・・・・」
少し頭の中を探ってみるが、今見た夢の内容以外のことはまだ思い出せそうにない。
焦っても仕方ない。寝て夢を見続けることによっていずれ様々な記憶を思い起こすことができるだろう。
「・・・薄情だな。僕も」
大切な幼馴染のことを先ほどまで忘れていたことに関しては、カイはとても恥ずかしい気持ちになった。しかもまだ全てを思い出すことが出来ない。なんと情けないことだろう。これは一体なんなのだろうか?記憶障害にしても少々重すぎるのではないか。
グー・・・
気分が滅入っていたものの、腹時計が鳴ったところでカイは気を取り直して食事をすることにした。
(今は考えても仕方あるまい。なるようになるだろう)
カイは案外と単純で前向きであった。
「うん、おいしい」
宿屋の一階にある食堂でカイは朝食を取りながら舌鼓をうった。
昨晩食べたものよりは軽めのものばかりだが、それでもカイの舌を唸らせるのは十分なものであった。
以前自分が生きた時代と大きく違うもの、その一つが食べ物。昔なら王族でしか食べられなかったようなもの・・・いや、それ以上のものを一般人が普通に食すことができる。
(これから毎日食事をするたびに昔との違いを思い出すのだろうか・・・いや、今だけだろう。そのうち違いがあったことすら忘れてしまう)
毎日この時代のものを食べ、慣れていって昔の味を忘れるたびに、昔のことそのものまで一緒に記憶のどこかに消えていってしまうのだろうか。カイはふと感傷的になった。
オサマもナディアも、もうとっくにこの世にはいないはず。いくら自分が彼らを覚えていたとて、あの夢で見たあの二人にはもう会えないのだ。
そういえばナディアの作る料理はどんなものだっただろうか。
「あら、おはよう。お早いお目覚めだね」
カイが食事をするテーブルの対面に、見たことがない女が腰を掛けた。
(いや、どこかで見たことがあるだろうか?声をどこかで聞いたような・・・)
カイは思わず女の顔をじろじろ見てしまう。中々の美人だ。
「あれ、どうしたの?私のこともう忘れちゃった?」
じろじろ見られていることが可笑しいのか、女は破顔一笑する。
「・・・アネット・・・さん?」
声をよくよく聞いて、自然と口から出たのがその言葉だった。
「そうだよアネットだよ。『さん』は別にいらないって」
そう答える女・・・アネットの言葉を聞いて、カイは目を丸くした。
昨日は森林を歩き通して髪はボサボサ、疲労困憊も顔に出て、元々それほどしていなかったが、化粧も落ちてしまっていた。しかし身だしなみを整えた今はカイから見てほぼ別人だ。
「・・・正直驚きました。まさかこんな美人だとは」
思わず本音がカイの口から洩れる。言ってしまってから「失礼だったか?」とカイは一瞬当惑するが
「アハハ。やめてよ恥ずかしい。人妻を口説くつもりかい?」
照れ笑いしながら驚愕の事実をサラッと話すアネットは気にはしてなかったようだ。
「結婚されてましたか」
これだけの美人なら、まぁそうだろうなとカイは納得する。
「そうだ・・・私の旦那は、もしかしたらカイと気が合うんじゃないかと予感がするんだよね。王都へ行ったら是非会ってよ」
「もちろん。楽しみにしてます」
アネットの夫とはどんな人だろう。カイも興味があった。
「・・・おや、そういえばエリーザは?」
カイは周囲を見回しながら、思い出したように言った。アネットと一緒に来た感じではなさそうだった。
「エリーはちょっと朝からお仕事でね。昼くらいには戻ってくるんじゃないかな」
「仕事ですか?」
「うん、昨日エリーが酒場で揉めたあの男たちが、なんと昨夜から今朝の間に全員殺害されたんだとか」
アネットの言葉にカイは背筋がゾッと寒くなった。忘れていた。そういえば昨晩は大仕事をしたのだった。
「彼らが拠点にしていたところも火事になったみたい。恨みをいろいろと買っていた連中だから心当たりには事欠かないらしいけど、物騒だよねぇ・・・」
「そう・・・ですね」
「本来なら捜査はこの町の憲兵の仕事だからエリーは別に何もしなくていいんだけど、昨晩関わったことがあるだけにエリーもちょっと気になるみたいでさ」
「そ、そぉなんですか・・・」
「まぁ、本格的に捜査するのはエリーじゃないし、ちょっとだけ憲兵から聞くこと聞いたら帰ってくるって言ってたし、昼頃まで待っていればいいよ」
そう言うとアネットは自分の元に運ばれてきた朝食に手を付け始めた。
カイは昨晩はエリーザとアネットにはわからないようにと、彼なりに注意をしながら行動をしてきたつもりだった。今のところはアネットには気付かれてはいないようだが、エリーザはどうだろうか。捜査で何か自分のことに気付いたりしてしまわないだろうか?
「僕ちょっと外を出歩いてきますね。昼前に戻ります」
なんとなく落ち着かなくなり、カイは気を晴らすために宿を飛び出していた。
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宿を飛び出してややもしないところで、人だかりがあることに気付いた。それは昨晩、カイが角一族の連中と最初に対峙した場所であった。そういえばあそこで一人火炎魔法で死なせたのだったなと思い出す。
昨晩は剣と鎧の返り血を洗い流して宿に帰ったら早々に寝てしまったが、宿の目と鼻の先に死体をそのままにしてしまったわけだ。憲兵が何やら後片付けをしていて、一般人は現場に近づかないように制限をしている。エリーザの姿はそこにはないようだった。
昨晩のことは憲兵はカイに対し関わらないとしたが、当のカイはそれを知らない。あまり現場をウロウロしては疑われるかもしれないと思ったカイは逃げるようにその場を離れ、宿から少し距離のある人出の多い通りにやってきた。特にアテがあるわけでもなく思わず来てしまったが、朝早くからの街の様子も見てみたかったので丁度良いといえば丁度良かった。
「さぁいらっしゃい!朝採れの新鮮な野菜だよ」
「焼き上がりのパンだよ!うちのはどこよりもおいしいよ!」
朝早くから開けている店では元気のいい呼び込みが多数見られたが、それがカイにはとても斬新な光景であった。多くの人が行き交う、とても活気のある街並み。自分が生まれ育った国ダラムートでは、城下町ですらここまでの活気は見られなかったなとカイは感嘆した。焼き上がりのパンの匂いにつられ、カイは朝食を食べたばかりにも関わらず一軒呼び込みをしていたパン屋に寄ってパンを購入した。
「・・・これで足りるかな?」
「ひぃ、ふぅ・・・へい、毎度!」
この時代のお金は昨晩角一族との戦いの後、彼らが持っていたそれを手に入れていた。先にこちらの命を奪おうと仕掛けてきた相手を殺し、その相手から金品を奪うことは悪には当たらない。カイはそう考えていたので特にそうすることもその金を使うことも、彼は特にためらうことはなかった。前の時代からもカイはそうしてきたのである。
とはいえ、前の時代ではそれほど問題にはならなかったが、この時代ではその行動は一般的にどのように思われるかわからない。極力エリーザ達の前ではこのお金を使っているところを見られるのは控えたほうが良さそうだと考えていた。
ちなみにカイが持っていた前の時代のお金はこの時代では使うことができないようだ。
デザインが違うだけの同じ金貨かと思ったが、前から持っていたものは含有率が今の時代のそれとは違うらしく、歴史的価値はあっても純粋に金としての価値は高くないらしかった。早く自分で何かしら食い扶持を見つけなければならない。
しかし何はともあれ、今は目の前の買い食いに集中しよう。
「うまい・・・」
店の軒先で早速パンにかじりついたカイはパンの味に感動した。
「そうだろそうだろ。良くわかってるね兄ちゃん」
カイの素直なリアクションが良かったのだろう。年配の店主がとても嬉しそうに笑った。
「朝飯はまだだったか?良かったらこれも飲んでけよ。これはサービスだ」
そう言って店主は煎れたての紅茶を入れたカップを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
朝食は既に食べたが、特にそれは言わずにカイはその紅茶をいただくことにした。
その紅茶もとても美味しく、これにもカイは感動した。
「兄ちゃんはこの街は初めてか?旅人かい」
キョロキョロしながら通りの歩いていたカイを見てそう思った店主はそう尋ねた。
「えぇ、そうなんです。とても活気のあるところですね」
「ここは王都からそう離れてないからな。けどまぁ、騒がしいのはそれだけじゃないんだけどな」
「他に何かあるんですか」
「あぁ、あんたは知らないだろうがこの町にいたゴロツキどもにちょっといろいろあったみたいで今朝はちょっと騒然としてるのさ」
ングッ、とカイはパンを喉に詰まらせそうになった。
「それとな。もうすぐエイセル教の教会堂の新しいのが完成するから、その関係で人の出入りが活発ってのもあるな」
店主がそう言って視線を向けた先には、建造中の建物があった。今いる通りに建っているいる家屋は多くが二階建てだが、それよりも一際も二際も大きい建造物に見える。
「この町の信徒も増えてきたから、教会堂を新築するんだ。エイセル教900年の記念祭の準備もあって、全国から信徒から関係者からひっきりなしに来てる。記念祭当日は町も全体が大騒ぎになることだろうな」
「エイセル教・・・?」
『エイセル教』という単語にカイは反応した。はっきりと記憶しているわけではないが、頭の片隅で引っかかるような感覚。それが何であるか記憶にないはずなのに、その単語を頭の中で反芻するたびに、鈍い頭痛と吐き気が襲ってくるような不快感があった。
「なんだ、もしかしてエイセル教を知らんのか?」
店主が意外そうな顔をする。その反応を見て、カイはエイセル教なるものがこの時代では一般的に広く認知されているということを理解した。
「実は結構田舎から来たんですよ。良かったら教えてもらえませんか」
頭のどこかで知りたくないという感情が芽生えているが、それでもこれからこの時代で生きるには必要な知識だというその思いが勝った。
「エイセル教というのはだな、創生の神エイセル様を崇める教団だよ。エイセル様ってのは最初にこの大地を、空を、そして俺たち人間を創生したとされている神様だよ」
「神様ですか」
またもカイは鈍い頭痛を感じた。
エイセル教、自分がいた時代にはあっただろうか?よく思い出せない。
「教団の教えが爆発的に普及したのは899年前らしいがな。大昔にあったとされる聖魔大戦は知ってるか?」
カイは頷いた。丁度アネット達が昨晩教えてくれた、この世界を大きく変えた大戦のことだ。
「950年前にあった聖魔大戦では魔族に対して人類は劣勢だった。その劣勢の人類を手助けしてくれたのがエイセル様だ。エイセル様は使いである天使様の軍団を戦線に投入し、魔族を撃退してくれたとされている」
それでは人類がした勝利というより神様の勝利ではないかと思ったが、カイは黙っていた。
「エイセル様はその後、人類に『力』を授けて下さり、以後我々を天より見守っていて下さる。その『力』は、今の我々の暮らしに必要はものであり、また魔族との戦いにも必要なものだ。それが『魔素』だ」
「魔素・・・ですか」
自分がいた昔と、今いる時代で大きく違うもの・・・それは魔素の存在。それが神様の置き土産であると知ってカイは驚愕する。
「その魔素を研究したことで今みたいに便利に使いこなすようになるまでに数百年かかったがな。エイセル様より授かった『力』は今でもこうして人類を助けている。今の我々はエイセル様あってのものなのだ。そのエイセル様への感謝と信仰を忘れぬよう、899年前に設立されたのが『エイセル教』だ。今の人類の繁栄ははエイセル様あってのものということで、歴にもなっている」
エイセル教というものは思っていた以上に人類にとって大きな組織のようだった。
899年前の設立というのなら、1000年以上前にいた自分が知るはずもなかったが、それにしても生い立ちが生い立ちとはいえ、一つの宗教がそこまで大きな存在になるという事実はカイにとって驚愕に値することだった。カイがいた時代にも宗教はいくつかあったが、一つとしてこの時代にあるような大きな影響力を持つものは皆無であった。
「まぁ、エイセル教は大きくはなったが、それでも全員が全員信仰しているわけではないし、教団も強引な勧誘などしない。この国での普及はちょっと遅れてるくらいだしな。お前さんが知らなかったようにね」
カイは思わず苦笑いをする。
「俺も昔は信じてなんぞいなかったがね。女房が熱心な信徒なんで、まぁなんとなく付き合いで信仰するようになっちまった」
そう言って店主は首から下げていたロザリオを見せる。
カイはそれをどこかで見た・・・ような気がしたが、一旦それは心の隅に置いておいた。
「入信するかどうかは置いておいて、知らなかったなら一度教会に行ってみたらどうかな?新堂は建設中だが、前からある教会堂は今も開いてるぞ。教会は信徒でなくても誰でも歓迎してるしな」
店主の言葉にカイは少し考えこんだが、カップにある紅茶を飲み干すと
「そうしてみましょうか」
と、呟いた。
エイセル教について知ることは、この時代を生きることにおいて必要なことだ。必要なことなら、早いうちに済ませたほうがいい。カイの決断は早かった。