第7話 悪魔の勇者様
かつて実力、規模共に町最大で幅をきかせていた冒険者集団「角一族」のアジトである館は、魔法により着火した火が燃え広がり、全体が炎に包まれようとしていた。
本来消火に当たるべき角一族の面々の大半は館にいたが、今では動かぬ屍だ。
角一族のリーダー、オーガこと角族長は仲間の死体と燃えていく館を、身を起こしながら虚ろな目で見ていた。
「・・・これが俺の、角一族の終わりか」
そう呟く角族長はカイの一刀によって大量の出血をしておりもはや長くはなかったが、不思議なことにその表情はつきものが落ちたかのようにどこか晴れやかであった。カイの襲撃は手下の不注意から始まった理不尽な仕打ちであるはずだったのにだ。
「まだ息があったか」
剣についた血を布切れでふき取っていたカイが角族長の様子に気が付いた。
「完敗だ。・・・これが最初で最後の敗北か・・・」
冒険者になって以来、負け知らずでがむしゃらに上に登ることを考えて生きていた角族長は、ここにきて一瞬にして全てを失ったことになる。しかしこれまで人生の大半を上り詰めることに夢中で一日とて休むことのなかったこの男は、死ぬ今になって不思議な安らぎを感じていた。
「・・・アンタみてぇに圧倒的に強いやつにやられるなら、諦めもつくってもんだ。・・・まさか全力を引き出すことすら出来なかったとは」
物理での攻撃も、魔法での攻撃も、カイはあえて受けていた。最初からまるで勝負にならなかったわけだが、それを認めたくなくて最後の最後まであがいてみたが、それもまるでカイに及ぶことはなかった。
自分がこれまでに築いてきたものを失ったが、それも自分も強さもこの目の前の男にかかれば元より一瞬にして消え失せてしまう程度のものなのだったと思うと未練はなかった。出し切った末の敗北に角族長は自分でも驚くほど清々しい気持ちになっていた。
「いや、最後は少しだけ本気を出した」
そう言うカイの言葉に、角族長は少しだけ嬉しそうに笑った。
「・・・なぁ、あんた何者なんだ。最後に、それだけ教えてくれないか」
角族長の最後に気がかりなものと言えばそれだった。
思えば手下のスコット他数名が酒場で揉め事を起こしたのが原因でこの状況があるということみたいだが、いくら相手が特別高等憲兵だとしても、いきなりここまでの仕打ちをしたりはしないだろう。この男は恐らく特憲ではないのだと角族長はわかっていた。
「僕は・・・」
カイは少しだけ躊躇ったあと
「名はカイ。勇者だった・・・らしい。他はまだよくわからない」
そう答えた。
スコットのときと違った自分を名乗ったのは、実際に剣を交えて角族長にいくらか戦士として敬意を表するところがあったからだった。
「・・・へっ・・・なんだそりゃ・・・」
無表情なようでいて、心なしか当惑しているような気がするカイの顔を見て、角族長は失笑した。
「わけがわからねぇ・・・勇者って、アンタ勇者なのか本当に・・・」
角族長の言葉はかすれている。
『悪魔の間違いだろ』
最後の言葉は口が動いただけで発せられることはなかった。角族長が息絶えたからだ。
それを見届けるとカイは館の外へ走り出した。館に広がる炎に巻き込まれたり、そして出来れば街で騒ぎになる前にこの場から去らなければとカイは思っていた。
館にはもう生存者はカイ以外に誰もいなかった。
「そ、そこで止まれ!」
館の敷地を出ようとしたところで、カイは声をかけられた。
十数人の武装した人間が行く手を阻むように整列している。
彼らは町の憲兵団の見回り隊であった。スコットの只ならぬ様子を始め、角一族の面々と思わしき連中がところどころで死亡している様を見て、事態を把握するために出動したところ、角一族の館から煙が上がっているとの通報を受け駆け付けていた。
「憲兵だ。君、今その館から出てきたな。煙が上がっているが、何が起こっている?火事か?」
先頭に立つ見回り隊の隊長が男がカイに問う。
面倒になる前にさっさと出たかったが、そうはいかなかったかとカイはしかめ面をした。
しかし隊長も表情にこそ出さないが、その心の内はしかめ面をしたい気持ちで溢れていた。
(こいつは面倒ごとの予感だ・・・)
他の憲兵も訝しんでいた。なにしろ目の前の男は、血にまみれた甲冑を身に着けた状態で角一族の館から出てきたのだ。明らかに異常であり、何かしら事を起こしているのは間違いないのだ。
憲兵の立場ともなれば、目の前に明らかに怪しい者がいるというのに、素通りさせるというわけにはいかない。
しかし隊長は考えていた。
『この男とは関わってはいけない』と。
町でも幅を利かせていたはずの実力派の角一族の面々を殺害したのは、恐らく目の前にいるこの男なのだと直感で理解した。館のほうから一人で出てきたが、あそこには今では街で見つかったのと同じように角一族の死体が転がっている可能性があるのではないか。
やや間をおいて、カイは思いついたように質問に答えた。
「火事ですね。僕も今憲兵さんに通報しようと思っていたんですよ」
固い笑顔で言い放つカイの苦し紛れの返答に、隊長は思わず頭を抱えそうになった。
どうせならもっとうまく嘘をついて欲しいと思った。
「ここは『角一族』の拠点だな。彼らはどうしたんだ」
更に隊長は問う。
「まだ寝てると思いますよ。死ぬほど疲れてましたからね。早く消火してあげてください。僕はたまたま所用で立ち寄っただけなんです」
カイの返答は怪しすぎるほど怪しいものだった。
そして当のカイも半ばテンパって答えている感じではあった。
さてどうしたものか。顔はしっかり見られてしまったし、酷い言い逃れをしようとしておいてなんだが、もう口でどうにか誤魔化してここを離れることはできそうになかった。
カイが思い悩み、つい無意識に手を剣の柄に置くと
「まぁ良いだろう」
対応に困るカイに対しての隊長の態度は意外なものだった。
「これから我々は消火活動に入ることにする。ではな」
そう言って合図に合わせて憲兵たちはポカンとするカイを無視して横を通り過ぎ、ところどころ煙の上がる館の方へゾロゾロと走っていった。
「・・・隊長、本当に良かったんですか?」
カイを通り過ぎ、角一族の館の消火作業に入っていた若い憲兵の一人が隊長に問う。
「何がだ?」
隊長と呼ばれた男は聞き返す。先ほどカイとやり取りをした憲兵だった。
「・・・あの男をそのまま行かせてしまって・・・」
どう考えても街での殺傷事件も、館での出火も、あの甲冑の男カイが絡んでいるのは明らかだった。
本来なら隊長の独断で解放してしまっていいわけがなかった。
「我々は誰も見ていない。火災発生の通報があり、駆け付けただけだ。いいな?」
しかし隊長はあくまでカイのことは無かったことにするという態度だ。
答えに窮したカイは剣の柄に手を置いたが、隊長はそれを「この場を切り抜けるための戦闘の決断した」と勘違いをしていた。自分も含め、そこにいる全員が命を落とすと思ったのだ。
だから強引に話を打ち切った。
「お前も長生きしたければ、余計なことに首を突っ込むな。あのままあの男をあそこに縛り付けていたら、逆上して何をしてきたかわかったものではない」
隊長の蒼白な顔を見て、若い憲兵は思わず頷いていた。
無論本来は憲兵が関わらねばならぬ事件である。だが、この憲兵隊長はカイに底知れぬ恐怖を感じ、関わるのを避けることを即断した。元よりこの町の憲兵は角一族の懐柔にあって職務には熱心ではなかったのもあるが、この一件に深くかかわると自分の身が危ういのではと思ったからだ。
この後、消火の終えた館から発見された角一族連中の遺体を見て、隊長は自分の判断は間違ってなかったのだと再認識した。
(角族長を倒したというのか?馬鹿な・・・)
角族長の遺体を見て隊長は言葉を失った。剣による切り傷からの出血多量が死因であるようだが、角族長が武器での攻撃に打ち負けるなどそうそう考えられることではなかった。
先ほど出会ったカイは鎧に返り血こそあったものの、当人は無傷か軽傷程度のようにしか見えなかった。
(圧勝したというのか?角族長に・・・)
あくまで一人での戦闘であったとすればだが・・・と、隊長は背筋に冷たいものが滴るような感じをおぼえた。
街で発見された遺体を合わせると、およそ角一族の全員といえる人数が殺されたことになる。遺体を確認すると、背中から斬られたものや土下座して命乞いをした状態で斬られたものまであった。ためらいもせず、淡々と角一族の連中を殺していった人間性を考えるに、自分が先ほどあえてカイを逃がさずに足止めしていれば、間違いなくあの場で殺されていたのではないかと隊長は足を震わせる。
関わったことにしてはいけない。自分はアレに関しては何も知らない。知ろうともしない。隊長はカイに関することは一切記録せず、この件については敵対する冒険者パーティによる襲撃と予想されると報告書にまとめることにしたのだった。
「ふぅ・・・」
カイは街はずれに流れる小川で血に汚れた鎧を洗っていた。
洗いながら、鎧に損傷個所がないか細かくチェックする。破損などが特に見受けられないのを確認すると、フッと笑みを浮かべた。
(なんだ、思ったより通用するじゃないか)
角一族との戦闘を終え、カイは自分の戦闘力と使っている武具が現代のレベルにもついていけるだろうことを実感して胸をなでおろしていた。
あえて攻撃を受けてみた鎧もしっかりと耐えてくれた。魔術による攻撃も受けてみたが、鎧がしっかりと体を守ってくれた。剣のほうも防がれることはなく通用しそうだ。
自分の使っていた時代では伝説の勇者が使っていたとされていた武具である。時代が進むにあたり陳腐化してはいないかと心配になったが、少なくとも現役の冒険者が持っている武具にも引けを取らないのは間違いないようだ。エリーザ達の話を聞いてその辺がとにかく心配だったが、とりあえず現代でも一定の水準には達しているようだ。
エリーザ達への脅威は取り払ったし、憲兵はうまく誤魔化せたようだし、とりあえずのところは今夜は安心して寝られそうだとカイは思った。
そう、彼の頭にはあくまでそれだけのことしかなく、角一族を皆殺しにしたことなど、もはや何も気にしていなかった。
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「はぁっ!ハァハァ・・・」
一人の男が薄暗い森の中を全力で走っていた。
彼はカイのことを宿屋まで尾行したミルドだった。角一族は彼を残して全員が死んだが、彼だけが生き残っていた。いや、『生き返っていた』。
(危なかった!)
彼の手にはボロボロになった小さな細工物のお守りが握られていた。
それは不死鳥・・・フェニックスの尾で作られたお守りで、持ち主を一度だけ死から蘇らせることができると言われていたものだった。
(単なる噂でしかないと思ったが、まさかお守りが本物だったとは)
ミルドは偽物だと思っていたが、それでも一応と常に身に着けていたものだった。
カイに斬りつけられて致命傷を負ったはずだが、実際にそのときにお守りが効果を発揮したようで、意識を失いながらもゆっくりと時間をかけて傷を再生し、やがて動ける程度にまで回復した。お陰でカイにも憲兵にも悟られることなく復活を果たし、今こうして全力で走ることが出来ている。彼にとってはこれまでの人生で最大の僥倖といえた。
「ハァッ、ハァッ」
ミルドは病み上がりにも関わらず心臓が止まりそうなほど全力で走っている。恐ろしいカイから離れたいから?いや、それだけではなかった。それ以上に彼には急ぐ理由があった。
(まさか本当にいたなんて!)
ミルドの脳裏には火の玉を指先から発し、一瞬で仲間を火だるまにしたカイの姿が思い浮かんだ。
無詠唱での魔術発動だった。明らかに詠唱をする時間など無かったはずだとミルドは思った。
(とんでもないことになっちまったが、ツイてる。ツイてるぜ)
彼にとって今宵の僥倖とは、自らの命が救われたことと、それともう一つあった。
それは無詠唱で魔術を発動したカイという存在を知ったこと。
(このことを報告すれば俺はっ・・・!)
全力疾走で息を切らしながらもミルドは顔をニヤつかせていたのだった。