第5話 最恐の勇者様
全身を鎧で包み、抜き身の剣を下段に構える目の前の男・・・カイを前にスコットはたじろいでいた。
目がいくのは身に纏っている鎧。現在冒険者の間で主流になっているそれよりも重装で、デザインもクラシカルで目を引くもの。古代騎士をテーマとした歌劇でしかお目にかかれないだろう姿だ。
付与魔法の力で布切れですら付与魔法無しの甲冑と互角の防御力を持つこともある現代において、明らかに異質で過剰な装備と言える。冒険者は動きが悪くなる、という点を考慮して前衛の盾役ですらこんな装備でダンジョンに潜ることはない。王国の重装兵団が身に着けているという話を聞いたことがあるが、目の前の男がそうであるようには見えないし、貴族が道楽で飾っている甲冑が一人でに動き出したような滑稽さがある。
スコットがいつもの正常な精神状態であるならば「なんだその恰好は?歌劇団かよ」くらいの軽口を叩いたかもしれない。しかし、目の前にいる滑稽な恰好をした男からは、到底そんな軽口を叩けないような威圧感を感じる。
立ちはだかる男の正体にスコットは予測はついていた。特憲の女を尾行して宿を突き止めたミルドから事前に聞いていた、彼女の同行者の二人のうちの一人の男だろう。どうやって奇襲を事前に知ったのかは知らないが、女を守るために俺たちを待ち伏せしていたのだろう。
最初は大した障害にはならないだろうし、なるようならついでに始末してやればいいなどと考えていた。しかし、実際はなんだコイツは。特憲の女よりもヤバイのではないか。
-ダンジョンで未知の魔物と出会ったときの恐怖と緊張。
そうか、これと同じかとスコットはいくらかの時間をかけてから気が付いた。周りの仲間と同じようで、皆一言も発することなく、身動きが取れないでいるようだった。
「・・・・・・」
カイも一歩も動くことなく、黙ってその場で立ったままだった。
しかしスコット達と違い、ただ彼らの動きを見張っているだけといったようだ。一歩でも踏み込んでくればその瞬間に持っている剣で切り捨てる、そんな殺気をスコット達に向けていた。
状況は酒場でエリーザと対峙したときと似ているようでいて、実際はスコット達の心情は当時とは全然違うものだった。エリーザのときは戦う準備さえきっちりしていれば、状況次第で勝機が見いだせるだろうという自信があった。だから準備をしたうえで確実な報復をしてやろうとさっきまでは動いていた。
しかし目の前の男はどうだ。
得体が知れず、不気味なオーラを持った敵。同じ人間であるはずなのに、どうして未知の魔物を相手にするかのような恐怖を感じてしまうのか。
(いや・・・魔物じゃない。こいつはあくまで人間だ)
恐怖に飲まれてしまいそうだったスコットは、すんでのところで留まった。
「よう兄ちゃん。いきなり引き返せとはどういうことだ?」
威圧感により沈黙を余儀なくされていたスコットだったが、精いっぱい平静さを装ってようやく口を開いた。
「俺たちはこの先にある飲み屋に飲み直しにいくだけだぜ。俺たちがこの先に行くことをお前が止める権利があるのかよ」
スコットが言うことは口から出まかせである。しかし出まかせでも揺さぶってやることはできる。相手が魔物ではなく人間である以上、言葉で意思疎通をすることはできるのだ。目の前にいる男は自分たちの本当の目的について把握しているのだろうが証拠はない。言葉で揺さぶって隙さえ作ってしまえば・・・
「そうだ。俺たちがお前の言うことを聞く必要なんかないだろ。行かせてもらうぜ」
スコットの考えに気付いたミルドもスコットに続くようにそう言った。だが口ではそう言いながらまだ一歩も足を進めることはできなかった。
そこにいる皆がカイの反応を待っていた。
「お前だ」
発言したミルドの顔を見て、それまで黙っていたカイは口を開いて彼を指さした。
「お前が僕たちの後を尾行していただろう」
「なっ・・・!」
ミルドは顔面蒼白になった。しらばっくれるべきだったのだろうが、あまりの衝撃にその余裕がなかったのだ。
ミルドの尾行は完璧だった。気配を完全に絶った上に、望遠魔法で距離を取りつつ監視しながらエリーザ達を尾行したのである。気付かれるなんてことは万に一つもあり得ないことだった。
「野生の動物や魔物のそれに比べると実に稚拙でわかりやすかった」
「・・・・・・」
「寝込みを襲って酒場での恨みを晴らそうという気だな」
直球で来たカイに対し、場を誤魔化す余裕のないミルドは押し黙ってしまう。それは肯定していることと同じであった。
しかし
「尾行?何の話をしてるんだ。お前の勘違いじゃないのか?」
あくまでスコットはシラを切る。
話を聞くとカイはあくまで勘のようなもので尾行に気付いたようだが、証拠がないのは変わらないのだから、このままシラを切りとおしてしまおうと考えていた。
カイはそのスコットの言葉には何も答えなかった。
「なぁ、いつまで通せんぼするつもりだよ。もういいだろ?ここを通るぜ」
カイが答えに窮していると思ったスコットは畳みかけた。
(今は隙を見せない男だが、こうして言葉を交わしてさえいればいずれ集中力が尽きることもあるだろうから、そういった瞬間さえ捉えれば・・・)
「だめだ。一歩も近づくな」
身を乗り出そうとしたスコットに、取り付く島もないといった感じでカイは言った。
彼の眼光は鋭くなおも威圧を続けており、言葉による揺さぶりは一切効果がないようだった。
「10数えよう。それまでの間に引き返さないのなら、お前たちの命があると思うな」
カイは一方的にそう言った。
「引き返す以外の動きを見せても同じだ。命はないと思え」
更に続ける。
駄目だ言葉でどう言っても警戒を緩めることはないだろう。コイツの言葉は恐らくハッタリではないということが、何となく理解できる。やると言ったら本当にやる、スコットはどこかそう確信めいたものを感じていた。
「わかったわかった。違う店で飲むことにするわ」
スコットが両手を軽く上げてそう言った。
「なぁ、行こうぜ皆」
そう言って仲間を見回すスコット。そう言いつつも彼の表情は意味ありげに笑みを浮かべていた。その表情を見て察する仲間たち。
同じく察したロイドは引き返すように背中をカイに向けて作った死角で、こっそり鞄から痺れ薬の入った瓶を取り出していた。スコットは引き返すふりをしてカイに攻撃を仕掛けるという意図があり、それをここにいる仲間全員が察して行動に移そうとしていたのである。
その第一弾がロイドの持つ痺れ薬による先制だった。
皆がカイに背中を向けて歩き出す。しかしある程度カイとの距離が取れたのを見計らって、ロイドが行動に出た。
痺れ薬入りの瓶を手に取ってカイの方に振り返ったのである。
即効性の痺れ薬の詰まった瓶だが、この中身をぶちまかれたら周囲にいる人間はたちまち行動不能になるものだ。スコット達全員はあらかじめ耐性をつけるための薬を飲ませてあるので効くことはない。しかしカイは別だ。得体の知れない相手ゆえに真正面から仕掛けるのは不安があるが、動けなくなったところを仕留めるのは簡単なのでこういう手段に出た。
ロイドが振り向いてから一秒と経っていない。カイとの間合いも取った。瓶を地面に叩きつけて痺れ薬をぶちまけることを防ぐことはカイには出来ないはずだった。
「!!」
それは一瞬だった。
光る何かがロイドにぶつかったかと思うと、一瞬にして「ボンッ」と彼の全身は炎に包まれた。
薄暗かった周囲も一瞬にして明るくなるくらいの、ロイドの服も、持っていた瓶も中身ごと焼失するだけの強力な炎だった。
「・・・・・・」
突然炎に身を包まれたロイドを皆が茫然と見つめる。ややもしないうちに炎は消え、そこには人の形をした黒い塊が姿を現した。ゴツリと音を立ててそれは倒れる。鎮火したものの、その姿は見慣れたスコット達でさえ、もはや彼と見分けがつかないほどに黒焦げとなったロイドであった。
彼は「ヒュー・・・」とだけ呼吸らしきものをしていたが、ややもしないうちにそれも聞こえなくなる。
あっけなくロイドが死んだ。その事実に唖然としてスコット達は全く言葉を発することができなかった。
「警告はしたはずだ」
その言葉にようやくハッとしてカイのほうを見ると、左手の人差し指をロイドのいた方に向けていた。
何だ?何をした?
魔術の類か何かか?あんな一瞬で??
その場にいたスコット達の頭は混乱していたが、「未知の攻撃を受けロイドが死んだ」という事実だけは理解していた。彼らとて少しは名の知れた冒険者である。ダンジョンで魔物に対してこれに近い状態はこれまでに経験したことがなかったわけではなかった。
こんなときこれまで彼らがしてきた行動は
「逃げる」
申し合わせたわけでもなしに、スコット達は一瞬で散開した。
逃げるといっても本当の意味で逃げるわけではない。一度その場から逃げてみせるが、相手を監視しつつ包囲して反撃の機会を伺うつもりだった。それでも駄目なら本当に撤退する。それがダンジョンにおいて強敵を相手にするとき、彼らが行ってきたやり方だった。
弓矢を持つ狩人の一人が逃げるために弾幕を張るために弓矢を振り向きざまに射った。束にして射られたにも関わらず、綺麗にカイに目掛けて複数の矢がカイに飛んでいく。ダンジョンにおいても撤退戦のときには足止めとしてやっていた攻撃だった。
しかしカイはその矢を持っていた剣で一瞬で薙ぎ払うと、その鎧姿からは想像も出来ない速度で狩人へと距離を詰め、一刀にして彼を真一門に切り捨てる。その隣にいた大剣使いはあまりのスピードに困惑しながらも体が戦闘を覚えていたのが幸いしてか、既に大剣を振るってカイに命中させる寸前まで動いていた。だが、その大剣もそれより遥か細いはずのカイの剣によって攻撃は簡単にいなされ、仕掛けた側が呆気にとられる間もなく滑らせるように走らせた反撃の一刀によってあっさりと倒れる。
その大剣使いはパーティの前衛であり、彼自身の体力と強力な防具により倒れたところなど誰も見たことがないほど硬いガードを誇っていたはずだった。しかし彼は数秒とて敵を食い止めることも叶わず、いとも簡単に倒れ伏して起き上がることはなかった。
(ヤバイ)
ここにきてスコットは気付いた。
この男はかなう相手ではないと。自分が思うより遥かに強大で、獰猛な相手なのだと。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!)
スコットは振り返ることなく全力で逃げだしていた。同じように察した何人かも逃げ出しているのが横目に見える。察しの悪いやつがまだ仕掛けているようだが、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
失敗した。あの鎧の化け物は手を出してはいけない相手だったのだ。
街中でもこれだけの無茶をあっさりやってのけるのは、いざとなったら特憲の庇護を受けることができるからか?だとすればこの後躊躇なく俺たちを皆殺しにするのでは。
どうする?とにかく町の外に逃れてしまうか。町のどこにいても奴は構わず追い掛け回してくる気がする。ならば・・・
走りながら考えを巡らせているスコットの目の前に、急に建物の角から人影が飛び出してきた。避ける余裕もなくそのままぶつかり、思わずよろけてしまう。
「ちっ、馬鹿やろう!」
ぶつかった相手に思わず叫ぶスコットだが、その相手は襲撃前まで会っていた顔見知りの憲兵だった。
「いてて・・・あれ、スコットさん、ここで何してるんですか?」
憲兵は不思議そうな顔をして尋ねた。が、あることに気付いたのか、顔を真っ青にして
「失敗したんですか?まさか」
事が事なら自分の立場を危うくするだけに、質問を重ねる憲兵の声は震えていた。
「うるせぇ!今それどころじゃねぇんだ!!」
振り払おうとするスコットに憲兵はなおすがりつく。
「近くに来たついでにと、さっき角族長にお挨拶にいったら、今回のこと何も知らない感じでしたよ!どういうことなんですか?今回はあくまでスコットさんの私怨で、角一族の総意とは関係ないお話だったんですか?それだと事が大きくなると私たちだけじゃ誤魔化しきれませんよ!」
「何っ!?てめぇ族長に話しやがったのか!!」
角族長とは角一族をまとめる、腕っぷしが強く狂暴な性格で、仲間から見てもとても恐ろしいリーダーである。今夜の酒場では会合があってその場にはいなかったので、スコット達が特憲のエリーザと揉め事を起こしたことは知らなかった。その事がバレるを嫌ったスコットは、私怨だけではなく、その揉め事が後々角一族に悪影響を及ぼさないようにと、先手を打つためにも今回の襲撃を即断した。最低限の尻ぬぐいさえしてしまえば、事が知れても最低限の叱責で済むと思っていたのだが、襲撃に失敗した挙句今逃げ回っていると知られるとスコットの立場は角一族においても非常にまずいことになってしまう。
(いや、今はそんなことはどうでもいい。現状をどうにかしねぇと・・・)
角族長の制裁は恐ろしいが、まずは目の前の脅威を何とかしなければならない。鎧の化け物は今にもどこからか自分に襲いかかってくるかもしれないのだ。
(・・・待てよ)
スコットは閃いた。
今この場を自分一人逃げ切っても、脱走者でありかつ、仲間から死者を出した戦犯の裏切り者として自分は角一族に追われることになってしまう。ならばどれだけ惨めな思いをするとしても、いますぐ角族長に頭を下げて何とか追ってくる化け物をパーティ総出で殺したほうがいいのではないか。角族長は自分とは比較にならないほどの戦闘能力と経験を持つ。自分はアレに勝てる気がしなかったが、角族長に頼めばなんとかなるだろう。
先ほどまで逃げ延びることに必死だったスコットの目に光明が差し込んだ。
「何とか言ってくださいよスコットさん!」
腕にしがみつく憲兵を振り払うと、スコットは近くにある角一族のアジトへと走りだした。