第19話 再会の勇者様
士官学校にてルーカスは剣術、体力だけでなく、座学も優秀であった。
座学には世に確認されている魔物についても学ぶが、数百種類という魔物の種類を全て、シルエットからでも当てられるほど、ルーカスは正確に魔物のことを記憶出来ていた。
「こいつは・・・」
だが、そんなルーカスにも、今の前にいる大型の魔物は記憶していなかった。
ルーカスやカイ達の前に現れたソレは、全高は3メートルほどで、なめくじのような図体、無数の触手・・・そして何より最大の特徴なのが、大きな大きな一つの目玉だった。照明が消え、周囲が真っ暗であるにも関わらずその姿を確認できたのは、その魔物自体が白く淡い光を体から放っているからだった。
ルーカスは実際に魔物というものを間近で見たことがなかったが、リックを始めとした先輩騎士達はそうではなかった。
だが、そんな彼らでさえ、突如として目の前に現れたこの目玉の魔物は、見たことがなかった。
ギョロリ
目玉の魔物はその大きな目である者を睨んだ。その対象はカイだった。
「ほぉ、これは・・・」
見つめられたカイの反応は、ルーカス達のそれとは少し異質だ。
目玉の魔物の視線はカイから外れることはない。
明らかに魔物はカイを意識しているようだった。
「客人を護れ!」
リックが叫んだ瞬間、リック含んだ数人が動き、即座に目玉の魔物とカイとの間に立ちふさがりバリケードとなった。
それと同時に動く者がいる。ルーカスだ。
「はあああああああ!!」
叫びながら振りかぶり、全力で剣で目玉の魔物に斬りかかるルーカス。
気合で叫んだというのもあるが、自分に意識を向けさせる意味もあった。
ザンッ!
ルーカスの太刀は、目玉の魔物の側頭部?に深々と入り込んだ。目玉がある位置から「ここが頭かな?」と適当に急所と定めて打ち込んだ場所であったが
「っ!!」
手ごたえがあった、とルーカスは思った。剣は間違いなく深めに入り、いかに巨体を持っているといっても、決してダメージが無いということはないだろう。そう考えていた。
だが、
「ルーカス!距離を取れ!」
リックが叫んだ。
会心の一撃に気を取られてしまったルーカスは、ここで反応を遅らせてしまう。
ゴキィ
意識の外・・・真横からの攻撃を、ルーカスは全く防御できずに無防備に受けてしまった。
無数の触手による攻撃であったことにルーカスが気が付いたのは、打ちのめされて地面に転がってからだった。
(まずい・・・)
ルーカスは全身の骨が軋んだ音を聞いた気がした。
まだ攻撃を受けた直後で感覚が鈍っているのか、はっきりした痛みが伝わってこない。が、体が動かない。これはもしかしてかなり大きなダメージを受けたのではないか、不気味なほど冷静に、ルーカスはそう考えた。
「くそっ・・・」
動かないなりに体を転がらせて、顔だけでも目玉の魔物に向けようとした。なんとか再び視界を魔物に向けたとき、ルーカスの目に入ったのは、他の兵士が剣を先ほどのルーカスと同じように斬りこませたところだった。
(よしっ・・・)
思わず唸る。自分が打ち込んだそれと比較すると浅いが、それでもそこそこのダメージを与えることができたはずだと思った。少なくとも、いくらかは怯むはずだ。そう考えていた。
だがしかし
「なっ・・・!」
攻撃をした兵士は、ルーカスと同じように触手の一撃で激しい打撃を受け、あっさりと地面に転がされていた。目玉の魔物に怯んだ様子はない。まるでまとわりつく蚊を手で払うかのように、軽々と斬りかかる兵士が打ちのめされていく。
(馬鹿な!これが本物の魔物・・・!?)
剣撃を受けても怯まず、まるでただ進行上の障害物を淡々と排除するかのように訓練された兵士が軽く弾かれる。見た目の恐ろしさも相まって、ルーカスの目には未知の存在である目玉の魔物がただただ圧倒的な恐怖そのものに映った。
(馬鹿なっ・・・)
魔術を展開できないイレギュラーのせいだろうか?ただそのイレギュラー一つで自分達はここまで無力になってしまうものなのか?
否!
「ぐっ・・・」
せめて、せめてもう一太刀でも。
ルーカスはただただその一心で体を起こそうとする。
体の動きが悪い。まだダメージから立ち直れていない?思うように足も腕も動かなかった。
足も腕も、ところどころ折れていたからだった。触手の一撃は装備していた鎧の意味もなく、ルーカスに大きなダメージを与えていた。
「ぐ、ぐぅ・・・」
歯を食いしばる。突っ伏してしまいそうな体を、心を、全力で奮い立たせる。
「・・・・・・」
口が動く。それほど達者ではないが、ルーカスは回復魔術が使えたので詠唱してみた。
だが、どれだけやっても詠唱は意味を成すことがなかった。1ミリも魔術が展開される感覚が無いのを確認すると、詠唱をやめる。どういう理由かわからないが、魔術はどうあっても使うことができないようだ。
武器や防具に関しても、付与魔術が正常に機能しているかは怪しい。ポーションなどの回復アイテムがあったとしたらどうなのかだろうか?それも意味がない?試そうにも自分は持っていない。補佐のそのまた補佐の自分が持っているはずがない。
どちらにせよ、無い物に頼ることはできない。
ルーカスは再び剣を手に取った。目玉の魔物はルーカスや他に倒れている兵士には目もくれず、客人であるカイと、その前に立ちふさがるリックに向かって進んでいる。
「あああああああああ!!」
ルーカスは叫ぶ。体を奮い立たせる。本来なら動くはずのない、休息を必要としている体を無理して動かす。無理を通せば道理は引っ込む。死ぬ気になれば体は動く、今はそうやって動かさねばならん。
どうやってやったのかはルーカス自身わからなかった。だが、ルーカスは走り出していた。再び全力の一太刀を目玉の魔物に叩き込む。今度は頭頂部。剣はいくらか入り込んだが、最初に打ち込んだときと比べて断然浅かった。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
もう一撃。同じところにルーカスは打ち込んだ。いくらか刃は先ほどよりも食い込んだ。もう一撃を打ち込んだところで、ルーカスは再び触手により弾かれた。
「ガハッ」
あまりのダメージに意識を失いそうになる。かろうじて意識は繋いだものの、今度こそ体を動かすことはできそうになかった。
(ダメか・・・)
体を巡る激痛ではなく、あまりの自分の不甲斐なさに涙が出そうになった。
目玉の魔物は動きを止めることなく、リック達のほうへ向かっていく。残る兵士はリックだけのようだった。
不甲斐ない!
自分がこれまで打ち込んできた剣術は、実戦でここまで役に立たないものなのだろうか。
ルーカスの心の内に湧いてきたのは、恐怖ではなく、ただただ惨めな気持ちだった。悔しい。武道大会でそこそこの記録を打ち立てたから何だというのだ。プライベートの時間を削って鍛錬に打ち込んだから何だというのだ。
自分は実戦にて何の役に立つこともなく、いとも容易く地に伏せられてしまった。魔術が使えないから?そのイレギュラー、は自分の不甲斐なさを肯定してくれるのか?仕方がないと?
否。
足りないのだ。自分に力が足りないだけなのだ。鍛錬が、才能が、覚悟が。
いつしかルーカスは再び起き上がろうとしていた。もう起き上がれないはずだったが、どういうわけか体が動いていた。間違いなく体の何カ所かの骨が折れている。足、体、腕、どれを動かそうとしても激痛が走り、思うように動けない。
だが、もしここで目玉の魔物に殺されてしまうのだとしたら、同じことだとルーカスは思っていた。ならば最低でも差し違えることはできないだろうか?彼が立ち上がったのはその一心からだった。
目玉の魔物は、リックと交戦に入っていた。
「客人。これから私が交戦に入ったら、即座にここから逃げ出してください」
リックは客人である、カイとガッツにそう言った。護衛としてついていた兵士で動けるのは、ついにリック一人となってしまった。
最初の最初に客人の二人を避難させなかったのは、判断ミスだったなとリックは悔いた。魔物が現れた以上、この場だけにしか奴らがいないとは限らない。無暗に逃がすより、自分達の目と手が届くところで魔物をその都度撃退したほうが、結果として安全であると思っていたのだ。
だが、計算外だ。目の前にいる未知なる魔物は、考えていた以上に強力であるようだった。
何度か兵士が斬りつけたはずだが、この魔物は意に介している風でもない。リックは何度も魔物と戦ったことがあるが、こんな経験は初めてだった。
(魔術師がいれば、強力な火力で吹き飛ばしてしまうということもできるかもしれないが・・・)
考えてしまうが、今この場には強力な魔術師はいない。リックも攻撃魔術は使えるが、それでも目の前の大きな魔物を吹き飛ばすほどの火力があるとは思えないし、そうでなくても今はこの周辺において何故か魔術が使えない。魔通信も行うこともできない以上、応援を呼ぶこともできない。
では今出来る事は何か。自分の命に代えても、閣下より頼まれた客人をこの場より逃がすことのみ。
今この場で動ける兵士はリックだけだ。客人を逃がした後は護衛が誰もいなくなるが、今この場でリックが目玉の魔物を食い止めておかないと、すぐに追いつかれてしまうかもしれない。リックが護衛したまま逃がすことはこの相手には難しい。
いろいろと考えた末に、リックはここで差し違えてでも客人を逃がそうと考えていた。
「さて・・・」
剣を構え、リックは目玉の魔物の動向に目を見張った。
これまで他の兵士が戦っている様子を見て、通常の斬撃による効果はあまり望めないことがわかっている。どれだけ斬りつけられても、血をあまり流さない。痛覚がないのか、それとも鈍いのか、斬られてもそれを意に介している様子が見られない。
スカルナイトなどのアンデッド系なのか、甲冑などの無機物に邪悪な意思が憑依した系か、いずれも魔術による攻撃が有効で、剣撃による攻撃はあまり効果的とは言えない。だが、今この場では剣しか使うことはできないのだ。
わかっている。今、この場でこの敵を倒しきることは限りなく不可能に近い。何のデータもないうえに、攻撃手段が限られている。
「いくぞっ!」
リック一瞬魔物に対して背を向けたかと思うと、振り向き際にナイフを投げ放った。狙いは、目玉の魔物の、その大きな目玉。
ブスッ
と、ナイフは弾かれることなく、ストレートに目玉に突き刺さった。
相も変わらず痛覚はあるようには見えなかったが、しかし物理的に視界に影響が出たせいか、真正面からでもあるにかかわらず、魔物はリックの接近を許した。
「ヒュッ・・・」
一呼吸すると、リックは素早い剣撃を連発し、目玉の魔物を斬りつける。リックはルーカスと違い、重い一撃を打ち込む剣撃ではなく、数多く斬撃を繰り出すスタイルだ。
だが、そのスタイルもいつものようなキレには及ばない。付与魔術による速度向上の恩恵が無いからである。
「こいつっ・・・!」
加えて、表皮が思いのほか硬い。ルーカスの剣は深々と切り裂いていたのを見ていただけに、同じように刃が通るかと予想していたリックは焦ってしまっていた。
(まさか、剣に付与されている魔術も効果を発揮していない!?)
斬撃を繰り返しながら、リックはそのころに気付いた。第7軍兵士に支給されている剣には、どれも付与魔術が付いている。素早く振るための速度向上、そして攻撃力向上のために切れ味の補助までされている。それは子供が片手で振っても、大岩をバターのようにスライスしてしまう程のものなのだ。
ガスッ
何回目の剣撃が目玉の魔物の表皮に刺さったものの、そこで剣が抜けなくなってしまい、リックの攻撃は止まった。
「しまった!」
距離と取る暇もなく、リックは触手による攻撃を受け、激しく地面に叩きつけられた。
「がはっ」
攻撃を受ける瞬間、受け身を取ったリックだったが、それはかろうじて意識を飛ばさない程度の効果しかなかった。全身が痛い。骨がいくつか折れている。到底動けそうになかった。
どうやら防具に付与されている魔術も効果を成していないようだなとリックは気付く。軽量でありながら、身に着ける者の全身をオーラが纏い、見た目に反して体の全てが守られるようになっている。
そしてその防御力は、巨獣に踏まれても耐えられるほどの力を有しているはずだった。
だが、実際に今攻撃を受けてみた感覚は、その付与魔術の恩恵が存在していないとわかるものだった。鎧にもヒビが入っている。
(ルーカスめ・・・あいつ・・・)
虚ろな目でリックは、この攻撃を受けて立ちあがったルーカスに対し脅威を感じていた。立ち上がっただけでなく、再度攻撃までしていた。なんという精神力なのだろうと、敬意を表さずにはいられない。
リックは一撃で心が折れそうだった。
(・・・は、あいつ、マジか・・・)
極度のストレス環境における幻覚症状だろうか。気のせいでなければ、ルーカスは再び立っているように見える。二度の攻撃を受けておきながら、まだ立てるというのか?
だが、どう見ても一太刀すら浴びせられるような状態に見えない。立っているが、立っているだけだ。軽く押されるだけで倒れるだろう。それでも立っていた。立って良いことなど何もない。また標的にされる可能性があるだけだ。
「素晴らしい」
リックの耳に、場違いな賞賛の声が入った。
その声を発していたのは客人・・・護衛対象だった鎧の男、カイだ。
(逃げていなかったのか!)
驚愕に目を見開くリックだったが、この状況を前にしながら、そのあまりの堂々とした態度であるカイを見て、「逃げろ」と叫ぼうとした口を閉ざした。
(なんだ・・・どうしてだ?)
絶望的な状況だ。命をかけて逃がすはずだった護衛対象は逃げてはおらず、自分を含めここにいる全ての人間が無駄死にするかもしれない。そんな状況であるはずなのに、どういうことなのか、この鎧の男の見ていると、そうした絶望感といったものを全く抱かない。そのことにリックは困惑していた。
「恐縮ですが、皆さまの矜持というものを拝見させていただきました。素晴らしいものでした」
意識があるリックに対して語りかけるようにカイは言った。
リックには意味がわからなかったが、カイは以前に自分に対し及び腰になった憲兵とリック達を比較していた。リック達の動向によっては国軍に対してもカイは失望していただろうが、彼らは最後まで矜持を貫いた。そのことがカイには嬉しかった。この時代にも戦士はいるのだと。
「僕の自己満足のために、今の今まで傍観していて申し訳ありません。ただちに終わらせます」
カイはそう言って剣を抜いた。
彼は言葉の通り今の今まで傍観を貫いていた。目の前で何人が攻撃を受け吹き飛ばされても、一切動こうとしなかった。第7軍の兵士達の矜持を尊重していたのである。
だが、勝負はついた。もう誰も戦うことはできない。
ならば、次は自分の番だ。そう思ってカイは前に出た。
カイが前に出ると、目玉の魔物は瞬きをして眼球に刺さったナイフを弾き飛ばした。触手をゾワゾワと動かし、先ほどよりも活発に動いているように見える。
リックはそれを眺めながら、自分達はこの魔物に本気で相手にされていなかったのだということを察した。この魔物の目的は、あくまで最初からこの鎧の男だったのではないかと、そう気づかされる。
「久しぶり・・・でいいんでしょうかね」
「えっ?」
カイの言葉に訳が分からず、リックは答えに窮した。だが、カイのその言葉は、リックではなく、目玉の魔物に向けられていたようだった。
「・・・」
目玉の魔物は当然返事をすることはない。
「いくらかイメージチェンジしたようだが、それでもこの時代で見知った顔が見られるのは嬉しいものだな」
カイの声はいくらか弾んでいるようにリックには聞こえた。
リック達は見たこともない、この目の前の未知なる魔物は、カイにとっては見知った存在だったのだ。
魔物は1100年前、カイが戦ったことのある相手だった。




