第10話 礼拝の勇者様
「どうぞ、ここは聖堂です」
サラに案内されたカイは、エイセル教会の聖堂というところに連れてこられた。
ほぅ、と思わずカイは溜め息をつく。エイセル教会は外見もさることながら、内装の礼拝の間まで贅を凝らしたものであった。
オブジェ一つとっても高価なものなのだろうとカイは感じた。外も中も芸術の塊のようだ。
「ここで神様に祈りを捧げるんですよ」
周囲を見回すと、他にいる礼拝客は思い思いの恰好でじっと黙って祈っているようだった。部屋の隅では男の聖職者がそれらを見守っている。そのうちの一人がカイと目が合うと、穏やかな笑みを向け、礼拝を促すようにかすかに頷いたように見えた。
「私はここで最後のお祈りをしていきますね。カイさんもどうですか?」
「私は作法を知りませんが・・・」
サラの誘いにそう答えると
「エイセル教のお祈りに作法はないんですよ。人それぞれのやり方でいいんです」
「そうなんですか?」
「えぇ。神様にお祈りする心さえあれば、細かいことは問わないというのがエイセル教の決まりです」
後で聞いた話だと、このシンプルさがエイセル教が爆発的に世界に普及した理由の一つであるらしい。
カイはそこまで言うのならと、とりあえず真似事だけでもすることにした。サラは両の掌を組んで頭を下げてお祈りをした。カイもそれに倣おうとしたが、ここで唐突に何故か「こうしよう」という思いが頭を過ぎり、彼は自然と両の掌を組み、両膝をついて頭を下げ、神に祈った。まるで「こうするものだろう」ということを、体が覚えていたかのように、自然とそうなったことにカイは戸惑いを覚えていた。
「カイさんのお祈り、何だか凄く堂に入ってましたね。初めてだったと思えないです」
「いえ、実際初めてだったんですが、何となくあの姿勢に」
お祈りが終わって聖堂を出てからも、カイは戸惑っていた。
先ほど自分があの姿勢で祈りを捧げる横で、同じく誰かが共に祈っているビジョンが頭を過ぎったのだ。頭を過ぎったものは自分の記憶の中のものだったのだろうか。もしそうならいずれその記憶は思い出すことになるのだろうか?
カイはその記憶が、どこか思い出さなければならないことのような気がして、奇妙な焦りに近い感情を抱いていた。
「どうでしたか?聖堂は」
「美しいものでしたね。素晴らしいところでした」
サラの問いかけに、カイは心のままにそう答えた。
しかし、カイはどこか釈然としない、教会に対して違和感のようなものを感じていた。それが何であるか具体的に頭から出てこないので、口にしようも無かったので黙っていたが、どうにもすっきりしない感情が彼の心の中を渦巻いていた。だが、案内をしてくれたサラの前でそれを表に出そうとは思わなかった。
「ここで懺悔をしたり、祈ってその日の生きる活力にしたり、ゲン担ぎにしたり、いろいろな人が来るんですよ」
サラの言われて見回してみると、教会堂では老若男女様々な人間がいた。冒険者風の者も、老人も、子供も、とにかく人が耐えることなく教会堂に出入りしている。エイセル教が人から厚く信仰されていることが理解できた。エリーザやアネットも信仰しているのだろうか。
「気が向いたら、またお祈りしてみてくださいね」
「えぇ、今日はありがとうございました」
それからサラはお世話になったシスターと挨拶をするというので、解散することになった。時刻は既に昼前になろうとしていたので、エリーザが宿に戻ってきているかもしれないと思い、カイはすぐに宿へ帰ろうとした。
だが、エイセル教会の敷地から出たところで、ローブに身を包んだ何者かがカイの前に立ちふさがった。
「少しよろしいですか?」
ローブで顔は見えないが、声を聞いて年配の男性であることはわかった。
「それほどゆっくりもできませんが、なんでしょう?」
怪しい身なりではあるものの、敵意がある相手ではないと判断し、カイは話を聞くことにした。
「いやなに、あなたはエイセル教会に来られたのは今日のこれが初めてですかね?」
「どうして?」
「一時間ほど前もあなたをここで見ていました。連れの女性の方に教会を案内してもらったってとこですよね?」
「えぇ・・・」
そんなに前から目の前の老人に目をつけられていたのかとカイは困惑した。
悪意、敵意のある視線ならカイは何となく察したかもしれないが、そうでない視線だったためか気が付かなかった。
「私たちはね、いつもエイセル教会に来る人を見ているんですよ。誰か信徒で、誰がエイセル教初目の人かってのは見れば大体わかる。あなたはエイセル教会に来たのが初めての人だ」
自信を持っているように言う老人に
「えぇまぁ・・・」
カイも唖然としてただそう返すことしかできなかった。
一体なんだというのだろう?
「大の大人でエイセル教会に訪れたことのない人もそこそこいるもんだけどね、あなたみたいな人がたまにいるんですよ」
「どういうことですか?」
「教会を出て、違和感、不信感、とにかく釈然としない、心を開けない、そんな顔をした人が、ですよ」
カイは図星を突かれてドキリとした。
顔に出ていた?・・・出ていたかもしれない。エイセル教会に対する「よくわからないが、どこか気に入らない感」。
目の前の老人に対して看破されたことはどうでもいい。しかし、先ほど親切に自分を案内してくれたサラにも同じ顔を見せてしまっていたのだろうか?彼女の前では隠せていただろうか?不快な気持ちにさせてしまっただろうか?
そのことばかりが気になった。
「あなたのような人はね、何度教会を訪ねたって変わらないもんなんですよ。エイセル教を自分の中に受け入れることはない。今まで何人も見たからわかるんです」
カイは老人の言葉をただ黙って聞いていた。
半分当てずっぽうに言っているのかもしれないはずの言葉は、妙にカイの心に刺さった。
自分でもなぜエイセル教に対して違和感があるのかわからない。しかし老人の言うように、カイはたった一度しか訪ねたことのないエイセル教に対して、決して相容れることはないという、直感といったものか、どこか確信めいたものがあった。
「だとしたらどうだと言うのですか?」
カイは否定をしなかった。その言葉を聞いて老人は満足そうに頷き
「我々の仲間に・・・と言いたいところですが、まずはこれを読んで知ってもらうだけでも良いでしょう」
老人はそう言って、肩から下げた鞄から一冊の小さな本を取り出した。
「これを・・・」
本をカイに手渡そうをしたときだった。
「おい!何をしている!!」
耳をつんざくような大声が響いた。
カイが声のしたほうを見ると、先ほど教会で見たような聖職者の服装をした男二人が物凄い剣幕で迫ってきていた。迫力もそうだが、二人とも手に槍や剣を持っており、カイは一瞬身構えた。
「時間をかけすぎたか」
老人は忌々しげに呟くと、聖職者二人の到着を待つことなく、推定される年齢からは想像もつかない凄まじい速さで逆方向へ逃走した。
「待て!」
二人のうち一人は、カイを素通りしてそのまま老人を追ったが、もう一人はカイの元に残った。
「異教徒め、少し目を離した隙に・・・!」
残ったほうの聖職者が忌々しそうに言った。彼からは先ほど教会で感じた穏やかさは微塵も感じさせない様子にカイは目を丸くする。
「一体どうしたんですか?」
何が何だかわからないカイは尋ねた。
「今あの老人と話していましたね」
聖職者はずいとカイに詰め寄る。
「えぇ、話しましたが」
「検めさせてもらえませんか」
「えっ」
有無を言わせぬ迫力で迫られ、答えを聞くより前に聖職者はカイの体を調べ始めた。
だが、元々軽装で来たために取り調べはすぐに終わった。
「あの老人からは何も受け取ってないですね?」
取り調べは済んだはずだが、聖職者は念を押してきた。
「何も受け取っていません」
「そうですか、それは良かった」
聖職者が探していたのは、老人が手渡そうとした本のなのかなとカイは思った。もしあのときに受け取っていたら、今頃どうなっていたのだろう。
「お時間を取らせまして申し訳ありません。今後も彼らとは関わらないようにお願いします。では失礼します」
聖職者はそう言うと、すぐに老人が去っていった方向へ慌ただしく走っていった。
残されたカイは茫然とそれを見送っていたが、近くで見ていたと思われる冒険者風の男が寄ってきた。
「よう、災難だったな。けどまぁ、まだ運が良かったほうだと思うぜ」
「えっ、どういうことですか」
「あんたが話していた相手はエイセル教が目の敵にしている異教徒さ。彼らはいろいろなところに潜んでいて、これだと決めた相手を自分たちの信ずる道に勧誘するんだ。あんたはそれに選ばれたってわけ」
「なんと」
エイセル教会から含みのある表情をして出てきたカイを見て、彼らは付け入る隙があると踏んだようだ。
「で、話してみて感触が悪くないと思ったら、勧誘のための入門書とか渡すらしいんだよ。それを読んでもらって共感を得て、自分たちの仲間になってもらうためにな。でも、もしその入門書を持っているのがエイセル教に見つかったら、それはもう面倒なことになるって話だぜ。エイセル教は、異教徒は邪教の信仰者で、『神敵』とみなしているからな」
敵・・・なるほど、先ほどの聖職者たちは老人が自分たちの敵だから、過敏な反応をしていたのか。もし先ほど渡そうとした入門書とやらの名の本を受け取っていたら、仲間と思われて今頃は確かに面倒なことになっていたかもしれない。
「入門書を持っているのが見つかったら、厳しい取り締まりを受けるとか、教会の座敷牢で反省を促されるとかいろいろ噂が流れているけど、まぁ、俺は直接見たわけじゃないから何とも言えないがね。なんにせよ、エイセル教の敵とされている連中と関わりあいにならないにこしたことはないさ。『神敵』とやらにされれば、もうまともに世の中で生きていくことはできないよ」
冒険者風の男の言うことは、もしかしたら尾ひれがついただけの噂かもしれない。だが、真実かもしれない。しかも氷山の一角である可能性だってある。
エイセル教についての真実はまだわからないが、それでも一つ「エイセル教は肌に合わない」ということだけはカイは実感することができた。
「それほどのことになるなんて、異教徒というのは一体何を信仰しているのですか?」
カイの質問に男はかぶりを振って
「さぁな。知りたくもないね。命が惜しい」
と答えてその場を去っていった。
カイは異教徒に興味を抱き始めた。エリーザ達を待たせてしまうことの懸念さえ無ければ、すぐにでも逃走した老人を探しに行きたかった。しかし、もし首尾よく彼を見つけたところで、一緒にいるところを先ほどのような聖職者に見られるとどうなるのだろうか。エリーザ達に迷惑がかかってしまうのだろうか。
自分の迂闊な行動次第では、いずれエイセル教に目をつけられ、『神敵』とされることがあるのだろうか。
カイは物思いにふけながら、自分のいた宿へと戻っていった。




