第1話 全裸の勇者様
もう何も聞こえないはずなのに。
何も見えないはずなのに。
何も考えられないはずなのに。
何故だろう、僕を見て誰か・・・女の子が泣いているのがわかる。
僕を抱きしめて泣きじゃくっているのがわかる。
それを見て僕はとても悲しい気持ちになった。
しかし同時に温かい気持ちにもなった。
僕のために泣いてくれている。
ただそれだけのことに僕は胸がいっぱいになった。
悲しい別れ。
そのはずなのに、僕の心はとても満たされていた。
やがて今度こそ本当に何も聞こえなくなった。
何も見えなくなった。
何も考えられなくなった。
僕の意識は途絶えた。
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「・・・はっ」
何か夢を見ていた気がする。
遠い昔のことのような、ほんの少し前のことのような、曖昧な感覚。
何だったかなと思いだそうとするが、考えれば考えるほどそれは掴もうとする手をすり抜けるように記憶から消え去ろうとしていく。
「夢か・・・」
そしてついに何も思い出せなくなった。
仕方がない、夢とはそういうものだ。しかし何だろう、こうも喪失感というか忘れることが切ないと思うような夢なんて今まで見たことがあっただろうか。
考えても思い出すことはないだろう。僕はかぶりを振ってこのことを頭から追い出そうとした。
そして周りを見渡して気づいた。
「・・・ここって、どこだ?」
僕の知らない景色がそこにあった。
夢のことは一瞬にして頭から消え去った。
「どこで寝たんだっけ・・・」
僕は寝る前のときの記憶を探りだした。
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~エイセル歴899年~
ロラーシア王国 国有地ルアー大森林
「ねぇ、随分進んだと思うんだけど、まだ辿り着かないの?」
ロラーシア王国の王都から、馬車で半日ほどの場所にある辺鄙な場所にある大森林。ここは国有地で一般人は立ち入り禁止であるが、森周辺の何カ所かに簡易な立て札で「立ち入り禁止」と書いてあるのみで、巡回する兵どころか、柵すらもろくにない場所である。
鬱蒼としたその森の中を、二人の女が歩いていた。
「ん~、そろそろだね。もうすぐ着くよ、もうすぐ。はぁ、だからさ、もうちょっと、もうちょっとだけさ、ゆっくり歩こうじゃない、ね、エリーちゃん、お願い」
汗だくになってそう促すのはアネット。歳は30代前半でありながら、宮廷付きの考古学者である。だらしなく羽織ったマントをはだけさせ、息を切らし気味に先を歩く者の後についている。マントには木の葉や蔓の切れ端が絡みつき、赤茶色の長い髪はボサボサで、満身創痍といった言葉が当てはまりそうな姿であった。
「だめよアネット。日頃から言ってるじゃない。本ばかり読んでないで、たまには運動しなさいって。私の言うこと聞かないでいるから悪いのよ」
アネットにエリーと呼ばれた少女はエリーザ。長い黒髪を後ろで纏めた、綺麗な顔立ちをした少女である彼女は、16歳にして王国でも将来有望とされている大変優秀な剣士であった。
今ボロボロになって後ろを歩いているアネットと同じように何時間か歩いているはずだが、彼女とは対照的で身綺麗なままである。汗だくではないし、マントを纏ったまま整地されているわけでもない、歩きづらいはずの森の中を難なく歩いていく。運動不足を指摘されていたアネットと違い、冒険の経験もあるために未開の森も歩きなれているからだ。
今二人が森を歩いているのはアネットの考古学者としてのフィールドワークのためであり、エリーザはその護衛という名目の付き添いであった。
宮廷付きの考古学者ではあるものの基本研究費はあまり出ない。たまに出るフィールドワークでは魔物なり野盗なり危険が伴う場では規則で護衛をつけなければならないが、個人的に親しく剣士として優秀でもあるエリーザを一人護衛という名目で付き添いにつけることで、最低限の予算でやり繰りできるようにしていた。今回もそれだった。
「最初の元気はどこに行ったのかしら?『早くいくよー置いていくよー』なんて言ってたのに」
「いやー、うん、もうすぐお宝に会えると思うとね?ついはしゃいじゃってね・・・」
ここでエリーザは自分の手の中にあるコンパスに目を向けた。
「方角は間違ってないはずね。確かにそろそろ目的地かしら。・・・で、今回は大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫さ。今回は信頼できる・・・多分」
「そういえば今日はどういったものを探しているの?どうせ空振りに終わるかもしれないからって、聞いてなかったわ」
アネットは懐から包みを取り出し、それをエリーザの前で広げてみせた。エリーザの足が止まる。
「これは2年前、ジガンっていう、結構名の売れた冒険家が残した手記なのさ。それによると、この先にある大樹で、あるものを見つけたらしいんだよ」
「もったいぶらないでよ。あるものって何?」
「『人水晶』さ」
「人水晶・・・!?」
人水晶とは、まさにそのまま『人間』が閉じ込められた、巨大な水晶のことである。これまでに数回だけ発見されたという記録があるが、信ぴょう性も含め謎が非常に多い。
まず殻といえる水晶が全く割れない。何をしても傷一つつかない。熱しても冷ましても、一切変形することなく、その形を保ったままのであるという。『水晶』とは見た目がそうであるから名づけられただけで、実際はどんな物質なのか、全く解明されていなかった。対象を封印する「結界」の一種なのではないか、という説がある。
そして中身の人間も謎が深い。発見されて数年安置されることもあるのだが、その間一切を歳をとるわけでもなければ、肉体が腐敗していく様子もない。しかし、あるとき突然に水晶が消滅したかと思うと、まるで眠りから目が覚めたかのように何事もなく覚醒したのだという。
しかし、水晶は欠片一つ残さず消滅、中の人間についてのその後の記録も残っておらず、また、記された文献の中には大変胡散臭い内容のものもあったため、物証無し、当事者無しでもはや都市伝説と言えるものであった。
「アネット、あなた、またインチキ掴まされてるんじゃない?」
エリーザは脱力した。アネットがこの手のインチキに騙されて、調査を空振りさせられたのは初めてではない。
「そんなことはない!これは本物だと思うんだ・・・これは、考古学者の勘さ」
アネットは大変優秀な学者ではあったが、少ない研究費で賄えない分を私費を投じてまで研究に打ち込むという情熱を持っていた。余暇には世界中から資料を取り寄せてはまる一日それに目を通したり、そうかと思えば突然にフィールドワークに出かけて数日王都に帰ってこないときもある。
その熱心さ故たびたび盲目になり、出どころの怪しい資料・・・宝の地図などを見つけては高値で買い、そして騙されるということが何度かあった。
エリーザは今回もアネットは騙されたのだと疑った。
「人水晶が本当にこんなところで2年前に見つかっていたのなら、大騒ぎになっていたはずだわ」
エリーザは根拠を述べた。
存在こそ伝承で伝わってはいるものの、実物があれば世紀の大発見だ。
「この発見者は見つけたそれを公表しなかったのさ。ここは国有地だから不法侵入ってのもあるだろうけど、極秘に回収して高値で買い取ってくれる相手を探すことにしたみたいなんだ」
人水晶を見つけたとなれば、それはもう大発見だから、いくら金を積んでも買いたいという人間はいくらでもいるだろう。
「事実、手記によると人水晶は二つ見つかって、その一つを回収したみたいだね。大きかったから、一度に両方を回収できなかったとある」
「二つ!?希少な人水晶が二つも?」
エリーザはあきれ返った。これはますますもってインチキであるという疑いが濃くなった。
「一つを回収して保管するなり売り払うなり、やることをやったらすぐに残りのもう一つの回収をしようと思っていたみたいなんだけどね。一つ目の回収をしたというところで、手記は終わっているのさ」
「他の手記に続きがあるんじゃない?今から行ったところで残ってはいないと思うわ」
「その可能性もある。けど、そうじゃない可能性もある。だから行くんじゃないか」
そう言うとアネットは「ほら、行くよ」と、さっきまでボロボロだったのがウソであったかのように、イキイキとして先を歩きだした。そんなマイペースのアネットを見てエリーザは溜め息をついた。アネットは話をしているうちに興奮してきて元気を取り戻したようだった。
「有名なはずの冒険家のジガンがさ。2年前のこの手記を書いたと思われる時期から、その後一切目撃されたという話もなく、行方不明になっているのさ」
アネットは話の続きを始めた。
「ジガンはそこそこ借金していてね。行方不明になってから、取り立てのために借金取りが結構血眼で探したみたいなんだけど、全く足取りは掴めてない状態みたいだね。この手記だってジガンの隠れ家だったと思われるところから発見したんだけど、そこにも誰かが立ち寄った形跡はなかった」
人水晶を売るときにトラブルを起こしたか、それとも何か別の理由で姿を眩まさねばならなくなったか、あるいは殺されたのか。いずれにせよ、ジガンは首尾よく人水晶を捌いて楽隠居をしている・・・という可能性は低そうだ。二つあったといううちの一つは、まだ現場に残っている可能性も確かにある。
と考えると、手記の内容がガセであれなんであれ、エリーザは今回の探索の結末に少しだけ興味がわいた。
それから少ししてのことだった。
「やった!・・・多分、ここだ」
木々を抜け、歩きに歩いた末に、二人は目的地と思われる場所にたどり着いた。手記の通り、樹齢1000年以上ありそうな大樹がそこにあった。
「・・・・・」
エリーザは思わず言葉を失った。
地面が草木で覆われて歩くのも億劫な道中だったわけだが、この場所は大樹を中心に少し開けており、陽が差し込み、実に神秘的な光景だった。
人水晶の姿は見えないが、この光景が見られただけでもちょっとだけ来た甲斐があるかもしれないとエリーザは思った。アネットのいたほうに目をやると、彼女はいつの間にか大樹の根本に張り付いており、調査を開始していた。
エリーザは調査には一切手を出さず、待っているだけである。素人が手伝えることなど知れているからだ。
「肝心のものはありそうかしら?」
15分ほど待ってから、エリーザは大樹の幹に這いつくばって調査していたアネットに声をかけた。人水晶の姿は無かったので今回は空振りだ。それをわかってはいたのだが、返ってきた返事は意外なものだった。
「あぁ、想定していたものとは違うけど、とても素晴らしいものが見つかった」
エリーザに目線を向けるでもなく、幹に張り付いたままアネットはそれだけ答えた。
何を見つけたのかは知らないが、成果は上々らしい。一度こうなるとアネットは飲まず食わずで集中してしまうので、今それを邪魔することもないと、エリーザはそれ以上は今は聞かないことにした。
『さてどうしようか・・・』
アネットが調査に満足するまでにどれだけの時間がかかるだろう。一時間はかかるだろうか。それとも夕暮れまでかかるのだろうか。流石にそのときは切り上げさせるが、とりあえず当面はどうやって時間を潰したらいいものか。
何気なく見回すと、最初には気付かなかった大樹の裏側に小さめながら湖があることに気づいた。
透き通るような綺麗な水だ。思えば今日は朝から数時間ずっとこの森林を歩いていて、アネットに比べると断然マシではあるがエリーザも汗をかいた。彼女はちょっとくらい水浴びをしてサッパリしたいかなと思った。
「アネット。私、ちょっとこの湖でサッパリしようと思うんだけど」
「どうぞー」
アネットは視線を向けず調査を続けたまま答えた。
「それじゃあ・・・」
エリーザはブツブツと呟く。
-『索敵』-
エリーザは魔術『索敵』を発動させた。
これは術者を中心に円を描くように索敵のレーダーを張り巡らし、範囲内であれば視覚の及ばない位置でも生物の存在を感知することができる魔術である。
この『索敵』の範囲と精度は術者によってまちまちだが、エリーザのそれは非常に広範囲かつ精密で、木の生い茂る森の中でも半径200メートル程であれば人間はおろか野鳥、小さな虫でもその存在を感知できる。
『索敵』では特に周辺には警戒すべき気配は感じなかった。水浴びしている最中に魔物に襲われることも他人に覗かれることも無さそうだ。
エリーザは安心して水浴びをすることにした。
衣服を脱いで、剣を置き、纏めていた長い髪を下ろしてから彼女は湖に入った。
「はぁ・・・」
冷たい水だ。気持ちがいい。
調査が終わったらアネットにも勧めてみようか。などと思っていたときだった。
『ザバァァァァァ』
と、不意に目の前で水しぶきが上がった。
何かが湖の底から浮きあがってきたのだ。
「えっ!?」
エリーザの『索敵』は水の中の生物も感知することができる。無論、水浴びする前に湖も調べたはずだった。湖の中には魚くらいしかいなかった・・・だが。
湖から出てきたのは男だった。エリーザと同じように全裸になった男だった。
「あっ・・・」
男もエリーザを見て唖然としているようだった。二人はお互い全裸で向き合っている状況に混乱していた。
しばし目が合い、そして男の目線が自分の体のほうに下りていき、それに気づいたときエリーザは一瞬にして感情を爆発させた。
「い・・・」
「・・・い?」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
エリーザは思わず男に渾身の鉄拳をくらわせていた。
これがエリーザと全裸の男『カイ』との出会いだった。




