死んでしまった転移ヒロインが巻き戻って地に足つけて生きるそんなお話
あたしはたまにとっても怖い夢を見るんだ。眠ってるあいだに殺される夢。最初のころはそれこそ夜中にうなされて飛び起きちゃうこともあったくらい。
かっこいい、あたしの自慢のおとうさんに言わせると、あたしのなくした記憶のどこかで、とっても怖い目にあったのかもしれないねって。でも、今はもう安全な場所にいるんだから、それを心から納得できればきっと見なくなるよって。
おとうさん。といっても実のお父さんじゃないんだ。実の親の記憶はあたしのなかに残ってないんだよね。あたしの記憶の一番古いのは帝都で起きた精霊禍の直後の現場だから。
あのとき気づいたら、あたしは見知らぬ住宅街の真ん中にあった、なんか爆発で丸く平らになったみたいなところにひとりで立っていた。
最初に思ったのは旅行に来てなにか事故に巻き込まれたのかなって。でも荷物はなにも持ってなくて、服はお出かけ着なんかじゃないほんとの普段着の動きやすい服だったから、違うかもって思いなおした。だってこんな可愛くない普段着ドレスのまま旅行に来るやついない。
あたしはこのときまだそれまでの記憶がないことに気づいてなくて、きょろきょろあたりを見回した。そして意味もなく両手を見てしまった。なにか考えがあってしたことじゃなくて、無意識の行動。でもきっちり折りあげられて捲られた袖から覗く左腕に色鮮やかな痣みたいなものを見つけて、とんでもなくびっくりした。
聖痕だ!
「今回の聖痕は君か。どこの家の人だ? ここらじゃ見かけない顔だな……」
そのときすっごくいい声で声をかけられた。なぜかそちらを見るまえから、その人は帝都守備隊の茶色の騎士服を着ているって思った。
イケメンだ……。顔のいい人ってなんか胡散臭いっていうか、気をつけなきゃいけない気がするって思うと同時に、それとは別のよく分からない思考も働いて、わけも分からないままに胸がぎゅうっと痛んだ。なんていうの、この人に嫌われたくない、好かれたいってなぜだか分からないけど、すごく切実に、強く強く思ったの。
自分でも分かんないひりつくような焦燥感が湧きあがってきて、ひどく不安定になったあたしと目が合ったその人は、なぜだかびくっとしたあとで、ひどく優しそうに微笑みかけてくれた。
……それを見て、安堵で泣きそうになるこの心はいったいどこからやってくるの?
「大丈夫か? どこか痛いところはあるか? 怪我はしてないか?」
あたしの心を解すかのようにゆっくり話しかけてくれる隊長さん。なんか泣きたい。なんか変。混乱してる自分がとても怖くなって、ふりはらうように大っきな声で返事した。
「いえっ、大丈夫です! 怪我はしていません」
「そうか、それは幸いだったな。オレは帝都守備隊の三番隊を率いるサムエルだ。君の名前は?」
「ヒナノです」
「ヒナノ。ここはオレの隊の管轄地域だがやはり聞き覚えのない名前だな。どこの家の人か教えてくれるかな」
「家……」
え、家? えーと、家は、って、やだ、うそ、分かんない! 名前はヒナノ、これは分かる、でも、これ以外のこと、全然記憶にない!
混乱した気持ちは記憶喪失っていう新しい不安に置き換わってなくなって、そのまま意識から消えていった。
「……分かりません。どうしよう! 記憶がないです……」
そのとき帝都守備隊の人がもう一人やってきた。
「隊長~、被害者はいませんでしたよ~、裏の家の婆さんがちょっと転んで膝を擦りむいたくらいでした~」
「おまえは、報告の仕方に気を遣えといつも言ってるだろうが」
「あ、すいません、つい~。あ、この子が今回の聖痕ですか? ん? 顔色が悪いですね、大丈夫ですか?」
軽そうなしゃべり方の人だったけど、こっちの動揺に気づくとすぐに真面目な顔になって確認してくれる。
あたしは不安からつい縋るような気持ちでそっちを見てしまった。すると、目が合うとサムエルさんと同じようになぜかびくっとしたあとで、ひどく優しそうに微笑みかけてくれた。
「大丈夫ですよ、もう精霊禍は収束しましたからね」
まだ全然なにも把握してないのに慰めてくれようとする気持ちが嬉しい。とてつもない安心感が込みあげてくる。
……この世界はあたしに優しい人ばかりだ……。
それから帝都守備隊三番隊のこの二人が、家も記憶もないあたしの面倒をみてくれた。
隊長のサムエルさんと部下のケイネス。二人の見た目は生真面目と軽そう、イケメンとフツメン、全然違うんだけど、年齢はそこまで離れてなさそうだと思ってた。せいぜい二十五歳と二十歳くらい? ケイネスは十九歳でだいたい合ってたんだけど、びっくり! サムエルさんはすっごい年上の人だった。なんと四十九歳! 若く見えすぎ、化け物でしょ! お肌もつやぴかだよ? 信じらんない!
幼馴染みで同い年だっていうすっごい美人で男前の奥さんに紹介してもらったとき、どんどん年が離れてくみたいでやんなっちゃうのよ、って豪快に笑い飛ばしてたよ。確かにこれは笑うしかないかも。彼女も美形だけど、年を重ねた成熟の美しさだっていうのに、サムエルさんのはちきれんばかりのエネルギー! って感じなんだもん。
そんな見た目逆年齢差カップルみたいな二人だけど一緒に立っているのがとてもしっくりしてて、互いを大切に思い合う素敵なご夫婦だ。すっかりあたしは二人に懐いてしまった。
そうしたら、そんな素敵なサムエルさんたちは、身寄りも頼れる人もいないあたしの後見人に立候補してくれた。サムエルさんの実家は帝都有数の商家で、サムエルさんたちもお金に困ってないんだそう。だから聖痕の後見人も務められる。
「だが君は聖痕だ。ここは帝都だから貴族に後見を求めることもできるぞ。オレたちは裕福だが庶民だしな」
「どうしてそんなこと言うんですか?」
ちょっと泣きそうなあたしに困ったような顔をして、サムエルさんが言う。
「オレの個人的な勘でしかないんだが、ヒナノはもしかしたらサイロウの貴族じゃないかと思うんだ」
サムエルさんの話によると、アルタス王国のサイロウってところの人は黒髪黒目大柄な人が多いんだそう。あたしも黒髪黒目だし、背も帝都の女性たちより高くて、体つきもなんて言うかバインバインだ。それにアルタス王国の庶民はだいたいが二文字の名前で、三文字の名前は貴族以上の身分の人なんだって。そのうえあたしが庶民のことを知らなくて生活力が低いから、そう思ったみたい。
「いやです! あたしは絶対貴族じゃない」
あたしは取り繕えるけどお口も悪いし、礼儀作法もよく知らない。だから絶対貴族じゃない。それになにより、貴族にはなぜか背筋が震えるほどの恐怖を感じた。
「サムエルさん、あたしをそんなところにやらないで!」
わけも分からず震えていると、サムエルさんは頭にぽすんと手をのせて謝ってくれて、いやな記憶なら取り戻せなくてもいいかもなって言ってくれた。
あとでサムエルさんは奥さんとケイネスにあたしをいじめるなって叱られたそう。悪いことしちゃった。
あたしの記憶はその後も戻らなかった。身寄りや知り合いも見つかることはなく、引き取られていったサムエルさんちの豪邸で、娘のように親身に助けてもらい、いつしか二人をおとうさんおかあさんと呼ぶようになった。
あたしが恐怖を示すものはふたつ、おとうさん以外のイケメンと、王侯貴族の特に女性。あれから無理にあたしの記憶を取り戻そうとしなくなった周りの人たちのおかげで、イケメンは避けながら生活してる。王侯貴族は庶民にはもとより縁遠い。
そして、あたしはケイネスと恋に落ちて結婚した。あたしの年齢は記憶がないから分からないけど、ケイネスの二歳下で登録したの。
ケイネスはあたしの精神年齢はもっともっと下じゃないかってよくからかってくるよ。あたしが毎回反論するから楽しまれてるね、あれは。
ケイネスは初見は軽そうに見えるけど、その実とても思慮深い人で、余計にそう思うのかもね。孤児院出身の努力家で、その存在を認めて引き立ててくれたおとうさんをすごい尊敬してる。
ケイネスは孤児院出身でも優秀だから、変な上に目をつけられて困らないように、そう見えないようにしてるんだろうな。
そんなケイネスが慣れないあたしの側にさり気なくずっといてくれて、見てなさそうなのに困っていると必ず助けてくれるんだよ。気分が落ちこんだときは笑わせてくれるし、こんな人、捕まえるに決まってるよね。
あたしはこれからこの帝都で、明るくて頼りになる夫とこうしてやりあいながら、かっこいい自慢のおとうさん、美人で男前なおかあさんたちと一緒に、地に足つけて堅実に生きていくんだ。
家族に愛されながら、家族を愛しながら。これって、すごい幸せな人生だよね。
そうして幸せを噛みしめながら生きていかれたら、そのうちきっと悪夢も完全に見なくなるんだよ。
……でも、ふと心を過る思いがある。
夢みたいに幸せな今と、思い出せない悪夢。どちらが本当の夢なのかな。
そんな疑問が浮かんで消えた。