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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
1章 インテレディアの宿屋の娘
5/37

 次の日、ラファはどこからか拾ってきた木の枝で、宿の前に大きな円を描いた。ネルたちを全員円の中に立たせて自分もその中に入る。

 レフィルが大雑把な線を見下ろしながら呆れた。

「ラファの魔法陣はいつ見てもいい加減だよね」

「いいじゃん、要は発動すりゃいいんだから」

木の枝を放ってラファはケタケタ笑った。ネルとデクレの手を取ると、足を肩幅に開いて目を閉じた。

「ネル、レフィルと手繋いで。離すなよ、はぐれるとどこに飛ばされるかわからないからな…せーの!」


 一瞬の浮遊感の後、ネルは足元が柔らかい砂に取られて尻もちをついた。途端に地面の焼けるような熱さに飛び上がる。

 見回すと、そこは一面砂の世界だった。砂の丘陵が陽の光でゆらめいている。今さっきまでそこにあったはずの家はどこにもない。背後には高い白い壁がそびえ立ち、その向こうに三本の尖塔の先が覗いていた。

「ここ、どこ?」

呆然としていると、レフィルにマントのフードをかぶせられた。彼も頭にストールを巻いている。

「言ったでしょ?焦げるって。ここはラトメディアの首都フレイリア。喉が乾きやすいから、気分が悪くなったらすぐに言って。中に入ればまだ外壁で陽を遮れるけど、日が昇りきればもっと気温が上がるから」

「まだ暑くなるの!?」

早朝だというのに、すでにそこはルシファの村よりずっと暑かった。レフィルは頷きながらデクレのフードも深く被らせるように引っ張った。一番厚着であるはずのラファは涼しい顔であたりを見回している。


「門番に入れてもらわなきゃならないんだけど、エルはちゃんと話を通してんのかなあ」

「エルとはどこで待ち合わせてるんだい?」

「特に何も。クレッセは神護隊の本部にいるって話だからたぶんそこに行けば会えると思うけど」

ラファは外壁を辿りながら、門番らしき男のところに近づいて行った。ラファの行く先を見て、ネルはドキリとしながらデクレのマントを握った。

 忘れもしない、あの麻のコートに白い詰襟のシャツ、黒いズボンの制服。かつてクレッセとユールおじさんを連れて行った連中の制服だ。


 ラトメ神護隊の制服姿の、槍を持った門番は、ラファを見るなり警戒心もあらわに槍を構えた。

「お、お前、何者だ!神都の奴か!?」

「あ、神都ファナティライストの高等祭司でラファって者だけど。ラトメ神護隊のエルミに呼ばれてきたんだけど入れてくれない?」

「なに!?聞いてないぞ、エルミさんがお前のような敵地の者を招くわけないだろう!怪しい奴め!」

「あーあ、案の定」

 レフィルが様子を見守りながら呟いた。今にも手元の槍をラファに突き刺しそうな男にハラハラしながらデクレが尋ねた。

「なんであの門番はあんなに喧嘩腰なんだ?」

「神都とラトメって昔から仲が悪いんだ。聖書の解釈が違うからさ」

「ああ、宗教論争ってやつ」

デクレは納得したようだがネルはシューキョーロンソーさんがどこの偉い人の名前なのか分からなくて首をひねった。


「神都の犬がラトメの地を汚すなァ!」

熱くなった門番は、ネルたちがあっと声を上げる間もなく、槍の切っ先をラファの左肩のあたりに突き刺した。

 ネルたちは思わず飛び出そうとしたが、レフィルに腕を掴まれる。

「まあまあ落ち着いて、この暑いのにそんなにイライラしてちゃ熱出して倒れちまうよ」

当のラファは袖から血がこぼれ落ちているのを気にも留めずにニコニコ笑いながら、自身に刺さっている槍の柄を掴んだ。そのあまりの平常心に、門番の男の腰も引けていた。

「ヒッ…化け物か、コイツ…」

「人聞きが悪いなあ、ちょっと人より丈夫なだけだって」

槍を抜きながら、ラファは門番に顔を寄せてなにやらコソコソ言いながら、袖口から取り出した何かを門番の胸ポケットに差し入れた。


 すると、門番はみるみるうちに態度を和らげた。そればかりか、ラファに媚びるようにへらへら笑って揉み手で礼などしている。

「は…はは、まあエルミさんに呼ばれたというなら仕方ないですね、きっと伝達が上手くいってなかったんでしょう」

「そうそう、まあよろしく頼むよ」

ラファはポンポン門番の胸ポケットを叩いて、ようやくこちらを振り返った。門番はレフィルの姿を認めるとさっと青ざめる。

「ヒッ…レフィル様!」

「やあ、ご苦労さま」

「ラファさん、大丈夫!?」

ネルはラファに駆け寄って肩下げから救急セットを取り出そうとしたが、彼は血を拭いながらカラカラ笑った。

「ヘーキヘーキ、こんくらい」

「でも、いっぱい血が出てた」

「大丈夫、もう塞がったし」

ラファはぐるぐる腕を回して見せた。分厚い服に阻まれて傷口がよく見えないが、確かにすでに血が止まっているらしく、ネルは目をみはった。

「あんなに深く刺されてたのに…」

「俺、丈夫なのが取り柄だから。さあ行こうぜ。鞄から手を離すなよ、スられるからな」


 白い門をくぐると、聞いていたとおり、外壁のおかげか少し陽が遮られて落ち着いた暑さだった。粘土づくりの壁や橋がいくつも立ち並んでいて入り組んだ道が続いており、何本もの棒が突き出た不思議な煙突がそこかしこから突き出している。その向こうに、外壁越しでも見えた三本の白い尖塔が伸びていた。中でも真ん中の一本はひときわ背が高く、ネルが百人肩車しても到底届かない高さではないかと思った。

「あれがラトメの三尖塔。左から舞宿塔、神宿塔、貴宿塔」

レフィルが塔を指しながら解説した。

「あの塔を中心にフレイリアは三つの街に分かれてるんだ。これから行くのは神宿街の中心部だよ。道が入り組んでるからはぐれないようにね」


 その時、カランカランとどこからか鐘の音が響いた。家々や、その周りにテントや絨毯を引いて過ごしていた人々がわらわら通りに出てくる。

「礼拝の時間だ!」

人々は、ちょうどレフィルが説明してくれた神宿塔のほうに向けて、深々と平伏する。異様な光景にネルもデクレも後ずさった。

「な、なに?」

「ラトメではお祈りの回数が多くてさ、朝と晩に礼拝の時間があるんだ。あとは食事のときに祈りの文句を言ったり、寝る前に神様に感謝したり」

言いながらラファがチラリとレフィルを見る。彼は平伏こそしていなかったが、胸に手を当てて無言で頭を下げている。

 ラファは胸の前で十字を切って神宿塔に向けて一礼すると、ネルたちに向けてにこりと笑った。

「俺のいる神都じゃこんなかんじ。簡単でいいだろ」


 ラファの説明を聞いている間に礼拝の時間は終わったらしく、人々はおのおのの家に向けて散っていく。そばを通っていた痩せ細った男女の会話が聞こえてくる。

「“神の子”の後任はいつ決まるんだろうねえ…私たちはいつまで無人の塔に向けて祈ればいいんだい」

「おい、滅多なことを言うな。神護隊に聞かれたら処刑ものだぞ」

「まったくフェルマータ様がバカなことをしでかさなきゃ…」

ラファとレフィルが神宿街に向けて歩き出したので、それ以上聞くことはできなかった。彼らの背中を追いかけると、ラファが神宿塔を見上げながらレフィルと話しているところだった。

「神宿塔はまだ閉まったままだって聞いてたけど、礼拝の鐘は鳴らしてるんだな」

「礼拝の時間だけ鍵を開けるんだ、神護隊長の管理下で。前に礼拝させろって暴動が起きたからね」

「レインか。神護隊もアイツがいるからまだチンピラ手前で保ってるんだよなあ」

「あそこの内部も貴宿塔と舞宿塔の利権争いでだいぶゴチャゴチャしてるけどね」

 

 白い塔が近づくにつれて、テントや地面に絨毯を敷いて外で生活している人が増えてきたように感じた。彼らは見慣れないネルたちを落ち窪んだ目でじっと見てくる。なんだか居心地が悪くてネルはデクレの背に張り付いた。

「さっき”神の子”の後任が決まってないって聞いたけど、父さんはそのためにラトメに連れてこられたんじゃないのか?」

デクレが尋ねた。

「“神の子”の継承には儀式が必要になる。僕も詳しいことは知らないけど、前“神の子”のフェルマータがその儀式を渋ってるらしい」

「へえ、そういえばユールは今どの塔にいるんだっけ?貴宿塔の管理下だったか」

ラファがさらりと話に加わってきたが、レフィルは目を細めて彼を見上げた。

「君に教えられるわけないでしょ、ウチの最高機密なんだから。ラファみたいな神都の血の気の多いやつの手の届かない場所だよ」

「チッ、そう簡単に手の内は見せないか」

ラファはおどけて言ったが、ネルの目にはラファの口元が不穏げに歪んだように見えた。


 レフィルの先導に従ってぐねぐね曲がる小道を抜けると、ようやく開けた場所に出た。日差しを遮る壁がなくなって、照りつける光に目が眩みそうになる。その広場には中央に大きな噴水があり、そこからあちこちの方向に水路が伸びていて、緑鮮やかな木々も生えていた。噴水を起点にして三本の整備された大通りが引かれて、それぞれ尖塔に繋がっている。

 噴水の前で一人の女性が立っていた。水しぶきを背景に、彼女の長い銀髪もきらめいて見える。麻のコートの裾から伸びる黒いズボンを履いた長い脚はすらりと細くて、少し頼りなげな儚さすら感じた。しかし、後ろ姿を見ただけで、ネルは恐怖に血の気が引いた。

「あ、あ、あのひと」

デクレも彼女を覚えていた。ネルの手を握ってくれたが、彼もまたかすかに震えていた。


 銀髪の女性はこちらに気づくと、あの雨の日の冷徹さが嘘のように優しく瑠璃色の瞳を細めた。

「ラファにレフィル、あなた方が一緒だなんて珍しい」

「ルシファでたまたま会ってね」

「おいエル、門番にちゃんと話を通しておけよ。おかげでいらない怪我しただろ」

「怪我をされたのですか?」

女性は心配そうにラファの元に駆け寄って、肩口の槍で刺された穴にそっと触れて申し訳なさそうにうなだれた。

「それは大変失礼いたしました。伝達はしておいたはずなのですが…あとで門番には適切な対応を取っておきましょう」

それから女性はついとこちらを見た。あれから5年も経つのに、彼女の姿は以前見た時となにも変わらないように思えた。


 女性は少し目を見開いた。

「あなたは、あのときの勇敢な女の子。それに…ああ、()()()()もうひとりいたのですね」

彼女はデクレに向けてほほえんだ。ぞっとして、ネルはデクレの前に出て両腕を広げた。その女性は優雅に一礼する。

「クレッセが双子だと、そう言わなければずっと気づかないところでした。デクレ様、私はエルミ。ラトメ神護隊の副隊長をしています。今までお迎えに行けず申し訳ありませんでした」

「な、にを言ってるんだ?父さんとクレッセを無理矢理連れて行ったくせに」

あたかもクレッセたちを連れて行ったのは善意だったとでも言いたげだ。デクレに睨みつけられると、エルミと名乗った女性は悲しそうに眉尻を下げた。

「あれは仕方がなかったのです。本当はもっと穏便にお連れしたかったのですが、上の命令で逆えず…あなたのお父上には申し訳ないことをしました。もちろん、それを見てしまったあなた方にも」


 沈んだ調子でうつむく姿が本気で悔いているように見えて、ネルの広げた腕から力が抜けかけたところで、ラファが間に割り入った。

「御託はいいからはやくクレッセのところに案内しろよ」

ラファに視線を投げかけられて、ネルは昨夜彼が言ったことを思い出した。誰も信用するなということは、この女性が言っていることも嘘なんだろうか?


 エルミに連れられてまた曲がりくねった細道を抜けてやってきたのは、平屋建ての広々とした建物だった。中に入ると、中庭で木刀を振っていたり、机の並んだ部屋で書類と睨めっこをしていたりする人々はみな神護隊の制服を着ている。ここが聞いていた神護隊の本部らしかった。

 すれ違う人たちは不審そうにこちらを、特にラファを見て「神都の高等祭司じゃないか、なんでここに…」「エルミさんの客か?」と小声で噂している。

 だいぶ奥のほうまでやってきて、ある一室の前でエルミは足を止めた。

「こちらです」

「さて、二人に会うことでクレッセにいい兆候が出ればいいんだけど」

レフィルが口端を上げた。背筋を暑さのせいだけではない冷たい汗が流れる。


 木の扉がエルミによって開かれる。カーテンが引かれているのか、中は薄暗かった。幼い子供の部屋みたいに、本や積み木や人形が散乱している。

 ベッドの上で膝を立てて俯いていた小柄な少年が顔を上げた。琥珀の瞳が、こちらを向いた。

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