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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
1章 インテレディアの宿屋の娘
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 散々ソラとデクレが怪しんでいたレフィルは、警戒をよそになにかと親切だった。旅慣れないデクレとネルのためにできるだけ歩きやすい街道沿いを進んで、近隣の村の宿に泊まりながらゆっくり南へと下っていく。

「わたし、旅ってもっと野宿するものだと思ってた」

「もちろんもっと急いで進みたければそうするけど」

レフィルは魔物避けの香を焚きながら言った。

「野宿慣れしてない子供を二人も抱えてそんな強行軍してちゃ能率が悪いよ。君たちだって1日歩き続けて挙句に一晩焚き火の番とかしたくないでしょ?」

「おまえだって大して変わらない年じゃないか」

デクレはレフィルを睨んだが、レフィルのほうはまったく意に介した様子もない。鼻歌まじりに香炉の蓋を閉めている。


 ネルはレフィルの奏でる旋律を聴きながらぴんときた。

「魔物避けの歌だよね、そうでしょ?」

そう言うと、レフィルはちょっとびっくりしたようだった。

「よくわかったね、そうだよ。旅してるといろんな困ったことに出くわすからね。歌はそういう困難を退ける。怪我しない歌、いい宿に当たる歌、あしたいい天気になる歌、とかね。まあおまじないみたいなもんだよ。ぜんぶ即興だけど」

「あのね、昔うちに来たお客さんが話してくれたの。世界を救う巫子さまのひとりは、歌をうたって願いを叶えることができたって」

「そりゃあだいぶ盛った逸話が流れたもんだね」

レフィルはそんな不思議なことを言って立ち上がった。

「別になんでも願いを叶えられたわけじゃなくて、単純にその巫子の魔法の使い方が歌を媒介にしてたってだけだと思うよ。魔法は神様の力を借り受ける行為だけど、特に決まった呪文があるわけじゃないからね。魔法陣を描く者もいれば、お祈りする者もいる。もっとも、僕は魔法を使えないからこれは本当にただのおまじないだけど」

「神官は魔法が得意なんじゃないのかよ」

「普通はね。魔法が使えれば転移魔法で今頃はラトメまでひとっ飛びだったんだけどなあ」

デクレの嫌味をかわして、レフィルは目の前の森を見上げた。

「今日はこの森を抜けた先にある村で一泊しよう。その先はもう砂漠になるから、ラトメの首都まで村はほとんどないよ。今日のうちに英気を養っておこう」

「砂漠ってどういうところなの?」


 森を分け入って小枝を折りながらレフィルは苦笑した。

「まあ、つまんない場所だよ。一面茶色い砂と岩場ばっかりで、魔物避けを絶やすとすぐに魔物がやってくるし。昼は日差しが強くて夜は凍えるほど寒い。まして今は治安が悪くて盗賊もよく出るし、いいとこじゃないのは確かだね」

「そ、そうなの?」

生まれてこの方原っぱと豊かな森しか知らないネルには想像もつかない世界だ。不安になってデクレの袖を握っていると、デクレが冷ややかに言った。

「怖いなら今からでも遅くないから村に帰れよ」

「やだ!」

ネルは反射的に叫んだ。バタバタと先頭に踊り出て、デクレを振り返って舌を出す。

「帰らないからね!」

「…僕が言うことじゃないけどさ、君、本当にあの子と結婚していいの?一生振り回されるよ、あれ」

「うるさい」



 一行が森向こうのルシファの村にたどり着いたのは日がてっぺんから少し傾いた頃で、ネルはすでにジリジリとした暑さにうなだれていた。

「あついよう…」

「言わんこっちゃない」

デクレは呆れた調子で言ったが、彼もこの気温には辟易しているらしく、声に覇気がなかった。ひとり、厚手の神官服を身に纏うレフィルはケロっとしていて、率先して宿のほうに向かっていく。

「二人とも、これからが本番だよ。とりあえず宿に荷物を置いたら水とマントを買おう。ちゃんと準備しないと日中は焦げるよ」

「焦げるの…!?」

ネルが太陽によって黒こげの炭みたいになった自分とデクレを想像して思わず鞄を傘にしたとところで、脇から声をかけられた。


「あれ?レフィルじゃん。おーい、久しぶりー」

現れたのはこれまた分厚い黒い衣装に身を包んだ少年だった。ネルたちよりも少し年上だろうか。重そうな黒い大きな帽子を振って、彼はネルたちの元に寄ってきた。

 レフィルは目を瞬いてその少年を見た。

「ラファ、どうしてこんなところに?」

「エルの奴がさあ、ラトメが爆発する前に9番を回収しろって言うから。ホント、いつ来てもここは暑いよなあ。もうさっさと帰りたいわ」

 帽子でハタハタその身を仰ぐ少年と目が合った。ブラウンの髪は汗に濡れていて、瑠璃色の瞳がネルとデクレを見て不思議そうにきらめいた。

「レフィルが子連れなんて珍しいな。君たち、どこの子?ダメだよ、コイツはとんでもない悪党だから簡単に付いてきちゃ」

「人聞きが悪いなあ。その子、君の甥っ子だよ」


 レフィルの言葉に、ラファは仰天した様子でこちらを見た。ネルとデクレもぎょっとする。

 ラファは目を輝かせて、帽子を無造作に頭に乗せるとぱちんと両手を叩いた。

「お前、デクレか!」

「…そ、そうだけど、おまえ誰だよ」

「うわーっ、でっかくなったなあ!俺が最後に会ったときはまだお前まだ赤ん坊だったもんなあ!ってことは隣はネルか!」

冗談なのか本気なのかよくわからないことを言いながら、ラファはネルの顔を見てゲラゲラ笑った。

「すっげえ父親そっくり!」

「え、えーと、あなたは?」

ネルとデクレは少年から一歩距離を取った。さすがに今回はデクレに何も言われずとも、彼の怪しさがよく分かった。


 ラファと呼ばれた少年はにこりと笑って佇まいを直した。

「俺はラファ。デクレのおばさんの旦那さん。要するにお前のおじさん」

「嘘つけ!」

デクレはすかさず突っ込んだ。「僕とほとんど変わらない年じゃないか!おばさんと何歳差だよ!」

「いや、同い年。俺、今年で43」

「若作りってレベルじゃないだろ!」

ラファの見た目はどんなに多く見積もっても20歳には届かないだろうというくらいで、青年とも呼べないあどけない顔立ちだった。耳が尖っていないから、ネルの母のようにエルフというわけでもない。どこまでが本当でどこからが嘘なのかよく分からないが、きっとからかわれているのだろうとネルは思った。


「そっかー。ここにいるってことはクレッセに会いにいくんだな。あいつのこと聞いた?」

「病気だって…」

その時、にこにこ楽しげだったラファから、ずるりと溶けるように一切の表情が削げ落ちた。冷たい瑠璃色のまなざしを、ネルは昔どこかで見たような気がした。

 ラファは視線をレフィルに滑らせて、この暑さの中で底冷えするような低い声でつぶやいた。

「マジで悪党じゃねえか、お前」

「僕はなんにも嘘はついてないよ。クレッセは病気だ」

「だとしたらその病原菌は間違いなくお前とエルと、あとはラトメの塔の中で頭ばっかこねくり回してる屑どもだろうな。やっぱりユールが連れていかれた時に滅ぼしておくんだった」


 何故だかわからないけれど、とにかくラファはすこぶる怒っているようだった。さっきまでの無邪気な少年の姿が嘘のようで、彼が本当にネルたちよりもずっと長く生きているのだと納得した。


 しばらくラファとレフィルは無言で見つめあっていたが、やがてラファは飽きたとばかりに「まあいいや」とぼやいた。たちどころに漂っていた威圧感が消えて、ネルもデクレも詰めていた息を吐いた。

「クレッセのことは会えば分かるし。俺、クレッセを治すために神都から来たんだよね。どうせなら一緒に行こうぜ。レフィルに任せてるとお前らを厄介ごとに巻き込みそうだし」


 ネルとデクレは顔を見合わせた。最初はあんなに愛想よく声をかけてきたのに、どうやらラファはレフィルのことをあまりよく思ってはいないらしい。デクレは散々レフィルのことを怪しいと言っていたから、このラファという人は、味方…なのだろうか?

 デクレはうろんげにラファを見た。

「おまえ、医者かなにかなの?」

「いや、祭司」

「神都の…祭司……高等祭司…!?」

デクレが唖然としていた。つまり、かつてデクレが憧れていた職に就いているエリート中のエリートだということだ。デクレの顔には「なんでこいつが」という感情がありありと現れていた。ラファはヘラヘラ笑いながら首にかけたストールを振った。

「高等祭司なんて有事のとき以外はただの雑用みたいなモンだよ。お前の父さんのほうがよっぽどすごい仕事してたさ…ホラ、立ち話もなんだし宿に行こうぜ。砂漠の行軍なんて疲れるからな、明日俺が転移魔法で首都まで送ってやるよ」


 そしてラファは、くるりと振り返って、ずっと口を閉ざしたまま鋭い眼差しを向けているレフィルに居丈高にほほえんだ。

「いいよな?」



「あのラファって人は信用してもいいの?」

その夜、こっそり宿を抜け出したネルとデクレは、宿の裏手に並んでしゃがみこんでいた。

 夜になると寒々と冷えこんで、冷たい乾いた風が吹きつける。デクレは部屋から持ち出した毛布の片側をネルの肩にかけた。二人で一枚の毛布にくるまって寄り添うと、デクレの体温がいつもよりあたたかく感じた。

「分からない…けど、レフィルのやつの言動に怒ってたのは間違いない。僕たちに害をなすつもりはない、と思う」

デクレは煮えきらない言い方をした。「だけど、僕たちを助けてくれるかどうかも、分からない」


「オイオイ、俺が甥っ子たちを見捨てるような薄情な奴に見えるのかよ?悲しいわあ」

 突然話に割り込まれて、ネルとデクレは飛び上がった。ラファがマグカップを器用に3つ持って、にやにや笑いながら歩み寄ってくる。

「作戦会議?仲良いね」

ふたつのマグカップを差し出しながら、残りの一つは自分で飲んでいる。お茶のよい香りが漂っていた。手に取ると指先からじんわりと温まっていく。


 デクレはマグカップの中を疑わしげに睨みつけていたけれど、ネルはお茶をちびちび飲みながらラファに尋ねた。

「ラファさんは、いい人?」

「うわ、それを本人に聞くのかよ。言っとくけど、自分で自分をいい人なんて言うヤツなんか信用しちゃ駄目だぜ」

ラファはくすくす笑いながら、二人の正面に同じようにしゃがみこんだ。

「それに、多分俺はどちらかというと悪い人。これからラトメの首都に行って、悪いことをするつもりでいるからな」

「悪いことって?」

「おっと、それは秘密。巻き込まれたくなけりゃな」


 それからラファは言葉を止めて、まじまじとネルとデクレを眺めると、二人の頭にぽんと手を置いた。浮かべたほほえみがなんだかいつくしむみたいに優しくて、ネルははっとした。

「ホントに大きくなったなあ、二人とも」

感慨深そうにラファは言った。

「ラトメの奴らが余計なことさえしなけりゃ、クレッセも同じように育ってただろうなあ」

「…ねえ、クレッセは、病気なんかじゃないんだろ」

いまだマグカップの中の水面を見下ろしながら、デクレが尋ねた。

「最初にあいつの話を聞いてから、僕も義母さんも疑ってた。気鬱って言ってたけど、多分あいつは何か隠してるって」

あ、デクレ、今「義母さん」って言った。ネルは思わず声に出そうとしたが慌てて口をつぐんだ。

「本当に父さんもクレッセも、ラトメにいるのか?いや…本当にふたりとも生きてるのか?」

カタカタとマグカップが揺れて、ネルはその手に自分の手を添えた。デクレの小麦色の瞳が不安げに揺れながらネルを見た。

 デクレはネルなんかよりずっとずっと色んなことを考えているから、ちょっとだけ心配性なのだ。人の言葉をまず疑ってかかるから、ネルと足して二で割ったらちょうどいいわね、なんてよく言われたものだ。


 ラファはもう一口お茶を飲んで、ゆっくりと言い聞かせるように語った。

「少なくとも、ユールもクレッセも生きてるよ。俺も状況はずっと追ってたから、それは安心していい」

だけど、そう前置きしてから、ラファは一拍間を置いた。

「…多分俺がここで全てを話すより、実際にクレッセに会ったほうがいい。レフィルの言う通り、病気というならそうなのかもしれない。

 ただ俺は、あれを病とは呼ばない。あれは呪いだ。すべてを壊すまで終わらない、世界のすべてに絶望する呪い」

そう言うラファの目は、ここではないどこか遠くの場所を見ているようだった。月明かりに瑠璃色の瞳が輝いてまるで星空みたいだ。

「俺はそれを止めたくて神都からここまで来たんだよ」

「…ラファさん。ラファさんは、クレッセの味方?」

彼は少し首を傾けて、考えたみたいだった。それから苦く笑って、もう一度二人の頭を撫でた。

「そうなれたらいいな」


 言いながら立ち上がって、ラファはこちらに背を向けて宿の入り口に向けて歩き出した。

「俺のことは信用しなくてもいい。でも、レフィルのことも信用するなよ。今のラトメは魔窟だ。あそこで生きてる奴らは誰一人信頼できない、そういう場所だ」


 そう言い残して立ち去ろうとしたところで、デクレが口を開いた。

「ラファさん」

「ん?」

「…ありがとう」

ボソリと小さな声で言いながらお茶に口をつけるデクレに、ラファは優しく目を細めた。

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