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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
4章 神都への旅路
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「もー、ロビ様ったら勝手なんだから!」


 ナエはハタキをパタパタやりながらむくれていた。手持ち無沙汰なネルは掃除を手伝いながら、あいまいに笑った。

「う、うーん、まあ、助けてくれるのはありがたいし」

「そりゃあ私だって助けて差し上げたらとは言いましたけど!結局ご自分が楽しければいいんですよ、あの方は。起き出してきたらまた興が乗らなくなって『やっぱりやめた』とか言いだすかもしれませんよ」


 それは困る。ロビはひとしきり語って満足したのか「寝る!」と宣言して寝室に引っこんでいった。彼が起き出してきたら出発だ。

 ローシスは武器の手入れをしながら難しい顔をした。

「俺としては、ロビ様が心変わりしてくれるって言うんなら、願ったり叶ったりだけどな」

「そういえば、ローシスとロビ様たちって知り合いなんだね」

会ったときにロビが「ローシス坊や」と言っていたし、彼らは古い知り合いなのかもしれない。例によって、見た目はロビのほうが若々しいが。


 ローシスは「聞いてなかったのか」とポリポリ頬を掻いた。

「ロビ様は前任のシェイル騎士団長…要するに、ギルビス様はあの方の後釜ってわけだ」

「へえ、騎士さまだったんだ」

ギルビスたちのような騎士像とはずいぶんイメージが違う。意外に思っていると、なにやらローシスは青い顔で胃のあたりをさすっていた。

「ロビ様ときたら、あのとおり凡人の気持ちがわかんねえ人でなしだからな…リズセム殿下と並ぶと、あの人外コンビ、どんな無理難題を言われるか分からなくてヒヤヒヤしたもんだ。それに引き換え、ギルビス様が着任されてからというもの、俺たちの騎士団はオアシスと化した。いい上司に恵まれて俺は超絶ハッピー。ネル嬢には悪いがな」


 メルセナといいルナセオといい、シェイルまでの道中で散々ギルビス騎士団長の格好良さは説かれてきたが、部下からしてもギルビスはよい上司らしい。ふーん、他人事のように相槌を打っていると、ロビがあくびをしながら寝室から出てきた。

「おはよー。準備できてる?」

「げ。もう起きたんですか。まだ身支度も済んでませんよ」

「ええ?相変わらずダメダメだね、君。騎士たるものいついかなる時にも準備を万全に整えておくモンじゃないの?」

「そりゃここが戦場ならそうしますけどね」

ローシスはチラリとネルを見て、ほらな、と肩をすくめてみせた。


 幸いにして(ローシスからすれば不幸なことに)、ロビの意向は仮眠を取っても変わらないらしかった。ゆったりしたタートルネックの服に細身のズボンを合わせ、薄手のカーディガンを羽織ったロビは、「ちょっとその辺を散歩してきます」と言わんばかりの軽装だった。ローシスは顔をしかめた。

「神殿に出向くのにそんな服装でいいんですか?」

「いいもなにも、あそこは僕の実家だし」

と、身なりに頓着した様子のないロビは、今は寝起きでボサボサの頭をナエに丁寧に梳かされていた。


「夕食までには帰っていらっしゃいますよね?」

 ナエはナエで、朝からネルと一緒に仕込んでいたシチューが余らないか気になるらしく、チラチラと視線がキッチンに飛んでいた。

「ローシス様が食べられると思って、たくさん作ってしまったんですよ」

「こんなヤツ、野菜の切れっ端でも食わせておけばいいのに」

「ロビ様、俺に何か恨みでもあるんですか?」


 ネルは髪を結い、コートを羽織って帽子をかぶると、いつものように肩下げをななめがけして準備万端だ。不要な荷物はこの家に置いていってよいということで、ローシスのほうはずいぶんと身軽になっていた。ロビに至っては、通行証をポケットに突っ込んだだけであとは手ぶらだった。


「じゃ、行ってくるね」

「早く帰ってきてくださいね」


 ロビとナエがあまりにも自然にお互いの頬にキスするのを見て、ネルはちょっとドキドキした。我が家では見るべくもない光景なので、こういう当たり前の夫婦の姿はちょっとだけ憧れる。


「で、君の計画じゃ、どうやって神殿に乗り込むはずだったの?なんか考えくらいはあったんでしょ」

「そうですねえ」

 ローシスは思案するように宙を仰ぎ見た。

「適当なことでっち上げて、牢に案内させるつもりでした。シェイルから逃げた指名手配の少年を追ってるとか。あちらさんだって外交問題はゴメンだろうし、ルナセオ坊ちゃんに会えさえすりゃあとはどうとでもなるでしょ」

「ハッ、浅知恵」

ロビは長細い脚で丸太を乗り越えながらあざ笑った。

「ほらね、ネム。この男について行ったところでこんな行き当たりばったりの計画だったってワケ。そのルナトン某がどっか別の場所に囚われてたり、君たちに会わせないように隠されていたりしたら途端に頓挫してるトコだよ」

「…ネルです。あと、ルナセオ」


 計画を全否定されたローシスは苦々しい顔でロビを睨んだ。

「そりゃ、あなたはどこだって顔パスでしょうけど」

「まっさかあ。僕が正体をさらして神殿に行ったら、引き止められて夕飯までに帰れなくなるじゃん。当然変装していくし、本名なんか出さないよ」

ロビはポケットから通行証を出してひらひら振った。名前はロイ、生まれ年は22年前で、出身はシェイルディアになっている。

「偽造旅券なんて、どうやって作ったんですか?旅券って偽造防止のために結構面倒な魔法がかかってるって聞いたことありますけど」

「何事にも抜け道はあるのさ。生まれ年に齟齬がないように、定期的に作り直さなきゃいけないのが難点だけど」

「変装はどうするの?」


 尋ねると、ロビはパチンと指を鳴らした。途端に彼のモスグリーンの髪は亜麻色に変わり、前髪が伸びてどこか陰気っぽい雰囲気になった。

「兄さんみたいに体格や年齢までは変えられないけど、僕もそれなりに変身術は使えるんだよね。ひとまずローシスの案に乗ってあげるから、まずはコレで神殿前まで行くよ。君たちの服じゃ、裏道を通って行くには目立ちすぎる」


 かくして、ネルたちはようやくファナティライストの南門にたどり着いた。門兵はネルたちの姿を見ると、慇懃に手を出した。

「通行証を」

各々が旅券を取り出して門兵に渡すと、彼はなにやら手のひらサイズのライトのようなものを取り出して、旅券に刻まれた情報を照らすと、ネルたちの姿と見比べていった。ロビの番になって、ネルはハラハラしながら様子を見守っていたが、門兵は特に反応せずに、顔を上げてローシスを見た。

「滞在目的は?」

「我がシェイルディアのリズセム殿下の命で、神都に逃げ込んだという手配犯の行方を追っている。何か聞いていないか?黄土色の髪をした十代後半の少年なんだが」

ローシスはよどみなく嘘をついた。門兵は腰から提げている紙の束をパラパラめくったが、「いや」と首を横に振った。

「こちらで報告は受けていないな。任務ご苦労。この者は?」


 門兵がチラリとロビを見たので、ネルはどきりとした。ロビは背筋を曲げて、なにやらオドオドした風を装っていた。何も知らなければ、気の小さそうな男だと思ったことだろう。

 ローシスはああ、とほがらかに笑った。

「神都の地理は明るくなくてね。案内を頼んだんだ。この辺に住んでるって聞いてな。そうだろ?」

「へ、へい。おっしゃる通りで」

ロビ改めロイは、ヘコヘコと頭を下げた。か細く掠れた声は弱々しくて、まさかこの人物が、迷いなく人を串刺しにするとは誰も思うまい。

「ふむ」

門兵も疑問に思わなかったようだ。手元の紙に何事か書きつけると、彼はネルたちに道を譲った。

「通ってよろしい。問題を起こさぬように」

「どうも」


 門をくぐり抜けて、こちらの声が門兵に届くなったあたりで、ネルは止めていた息を吐いた。

「き、緊張した」

「せめて設定くらい共有してください。肝が冷えましたよ」

「大丈夫、大丈夫。あの門兵、仕事できないから。僕、あの門は何度も通ってるのに、未だに顔を覚えないんだよね。問題はここから」

そうしてロビは道の向こうを指し示した。


 門を越えた先は、巨大な石橋が続いており、その先の上り坂に沿うように街並みが広がっていた。

「あの橋の向こうが平民街、その先に貴族街があって、ファナティライスト神殿は一番奥にある。貴族街に入る時にまたひとつ門を越えなきゃならない。さすがにそのあたりからは警備も厳しくなるよ」

「教えてくれた抜け道は?」

 ネルは橋の外を見下ろした。橋の下には密集する家々が立ち並んでいる。おそらくこちらがロビの言っていた貧民街なのだろう。


「さっき、あの門兵がなにか書きつけていただろう?ローシスが神殿に行くって言ったからね、中の警備に伝達したんだと思う。下手に身を隠すよりは、このままの設定で神殿までは正面から向かったほうがいい」

「神殿の中に入ったらどうするおつもりです?」

 怪訝そうにローシスがたずねると、ロビはニヤリと笑った。王子さまとは思えない実に悪どい顔だ。

「ま、入ってしまえばこっちのものさ。なんせあそこは僕の実家だからね」



 ロビの言う通り、貴族街の門前にいた兵士は、すでにネルたちが来ることを分かっていたような様子だった。なにやら書きつけられた紙とネルたちの容姿を見比べている。

 ローシスがでっちあげた「神都に逃げこんだ指名手配」のことも事細かに聞かれたので、ネルはいちいちドギマギしてしまった。ローシスは問われるがままその指名手配犯の悪事を語るので、いつの間にかルナセオはシェイルで15人の町人を殺し、森に遺棄した大悪党になっていた。


 長い検閲を経て、ようやく兵士も納得したらしい。

「よろしい、通りたまえ」

しかし、ほっとして門を越えようとすると、兵士はネルたちに割りこむように、ロビの前に立ちはだかった。

「お前はダメだ。この先は平民風情に立ち入りが許される場所ではない」

「ええっ」

ネルは思わず声を上げたが、ローシスのほうは「言わんこっちゃない」とでも言いたげにロビを半眼で見やった。

「どうしてもダメか?彼には案内を頼んでるんだが」

「もとよりこの先は貴き身分の方々が住まう土地だ。平民に案内が務まる場所ではあるまい」

兵士に睨まれて、ロビは「ヒッ」とか細い悲鳴をあげてネルの後ろに隠れた。なんでわたしのうしろに!?オロオロしていると、軽く背中を小突かれてささやかれた。

「僕のあとに続けて」

「えっ」


 ネルはもじもじしながら兵士の顔を伺った。

「あ、あの…この方のこと、知らないんですか?」

「はあ?」

兵士は眉を寄せた。「知らないもなにも、いち平民など我々の預かり知るところではない」

「あの、でも…本当に?」

ここでじっとソイツを見つめろ、と指示されて、兵士の顔を上目遣いにのぞきこむと、彼は少しひるんだ様子だった。視線をさまよわせた挙句、なにやら帳簿をバラバラめくって、恐れおののくようにロビを見た。

「ま、まさか…その髪の色…マルメリー侯爵家の…?」


 誰それ。当惑してロビを振り返ると、兵士は慌てた様子で声を張り上げた。

「た、た、た、ただいま確認して参りますので、お待ちを!」

「ええ?まだ待つのか?」

すかさずローシスが不満げに言った。

「もう十分待ったぜ。これ以上待たせちまうと、俺たちあの方に殺されちまうよ」

「し、しかし…」

兵士はダラダラ冷や汗を流しながらしばらく悩んでいたが、やがて諦めた様子でうなだれた。



「よかったのかなあ」


 背後を伺うと、意気消沈した兵士が力なく帳簿をめくっていた。ロビはケタケタ笑った。

「いいのいいの。ネレの不安そうな顔が逆に信憑性を帯びてたよね。貴族ってのはだいたいお忍び用の身分証を持ってるもんなんだ。裏で兵士たちにちゃーんと情報は伝達されてるんだけどさ。ま、僕のは独自入手だからあの帳簿には載ってないだろうけど」

「ネルです」

「実際王子な訳だから、あなたを通す兵士の判断は間違っちゃいませんけどね」


 貴族街はしんとしていた。街道はとても広々としていて、道の向こうに、ようやく白亜の神殿の頭が見えていた。道の左右には背の高い柵がどこまでも伸びているが、いったいどこまでが一軒のお屋敷の敷地なのだろう。柵からは美しい庭が覗き見える。

「貴族のおうちって大きいんだね」

「掃除が大変そうだし、僕はあんまり好みじゃないけどね。さて、あと一息だ。神殿の中に入ってしまえばあとはこっちのものさ。さくっとルカチオくんを助けて、君の能力についてクソ親父に聞きに行こう」

「…ルナセオです」


 そうしてやってきたファナティライスト神殿は、白い柱が立ち並ぶ大きな建物だった。神都の横幅をめいっぱい使っているのではないか、ネルは端が見えないくらい長く伸びている壁面を見ながら思った。


 入り口にはやはり警備の兵がネルたちを待ち構えていた。これが神官兵というものなのか、シェイルにいたような甲冑兵とは違い、顔の半分を布で覆うような不思議な装備を身につけている。二人組の見張りはずいぶんと背丈の差があった。奇妙な既視感を覚えてネルは首を傾げたが、彼らは表情の読めない目でネルたちをじろりと見ると、こちらに手を差し出してきた。

「旅券を」

今度は一体なにを言われるんだろう。緊張しながら旅券を渡すと、しかし彼らはさっと中身を確認しただけで、すぐに丁寧に頭を下げた。

「お通りください。ようこそ、我らがファナティライスト神殿へ」


 なんだか拍子抜けなくらいあっさり通されてしまった。困惑してローシスとロビを見ると、彼らもなんだか怪訝そうに顔を見合わせてきた。

 すると、兵士の片方が言った。

「祭司様が中でお待ちです。ご案内いたします」

「祭司様?」

思わず聞き返してしまったが、兵士たちはなにも答えなかった。ネルたちはただ彼らについていくしかできなさそうだ。


 神殿内部もやはり広々としていた。大理石の床にシャンデリアの光が反射し、奥の方にはステンドグラスが並んでいる。どこかラトメの神宿塔と似たような雰囲気だ。

 二人組は廊下を進んでいくと、ある一室の前で立ち止まった。ノックをすると、中から男の声がする。

「入れ」

兵士は扉を開くと、中の人物にむけて深々とお辞儀をした。

「お客様をお連れしました」

「ありがとな。もう戻ってくれていいから」


 兵士たちはもう一度一礼すると、扉を開いたまま立ち去っていった。中を見ると、奥の執務机で書類仕事をしていたブラウンの髪の少年が顔を上げた。あの宝石のような瑠璃色の瞳は、今はどこか疲れを帯びているように見える。

「あ、悪いな。ちょっとこの書類仕上げなきゃいけないから、そこに座って待っててくれ」


 そこ、とペン先で示された先を追って、ネルははっとした。


 ベルベットの応接ソファにはすでに先客が腰かけていた。彼は飲みかけていたお茶のカップをテーブルに置いて、思わずといった風に立ち上がった。黄土色の髪がはらりと揺れた。

「ネル!」

「…セオ!」

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