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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
4章 神都への旅路
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「よーしよし。ま、コイツ丈夫だし、毒さえ抜けりゃすぐ元気になるでしょ。それにしても君、歌ヘッタクソだね」


 意識を失ったローシスの顔色に赤味が戻ったのを見て、男はうんうん頷いた。ネルは改めて男を見上げた。彼は彼で、目をすがめてネルのことを眺め回している。

「へー、君がねえ。あの姉さん以外の女を塵芥としか思ってない兄さんが珍しく親身になってる女の子がいるって聞いて、僕、手紙読んで爆笑しちゃったよ」

「えーと…じゃあ、あなたが?」


 今までにさんざん噂は聞いていたし、レインの手紙から、さすがに彼が何者なのか、鈍いネルでも気がついた。

 トレイズの友達で、王子さまで、マユキたちの昔の仲間。皆が言う彼の性格から、なんとなく怖いひとなのかと思っていたが、ネルを見る興味津々なまなざしはいたって温和で、人畜無害そうに見えた。…彼の肩越しに見える、串刺しになったままのレフィルを見なければ、だが。


「王子さまの、ロビでんか」

「いーよいーよ、殿下なんて。僕、絶賛隠居中だし。えーと、君の名前はなんだっけ。ネネ?」

「…ネル」


「キャー!なにをなさっているのですか、ロビ様!」


 そうそうネイ、と名前を覚える気のなさそうなロビがぽんと両手を叩いたところで、森の方から悲鳴が上がった。見ると、淡い金髪をふたつにくくったエルフの女性が、果物の入ったカゴを取り落としたところだった。

「あ、ナエ。見てよこれ。あの性根の腐ってたローシス坊やが立派になって会いに来たよ」

「えっ?いえいえ、そんなことより、なんですか、あれは!」


 エルフの女性はあおむけになって倒れているレフィルを指差した。

「私、あれだけ言ったのに!この森で流血沙汰は駄目ですよって!」

「えー、ギリギリ森の外だから許容範囲でしょ」

「ダメです!はやく捨ててきてください!」


 あんまりな物言いに、ネルは何も言えずに口をつぐむしかなかった。ロビは頭を掻きながらレフィルに歩み寄ると、「ごめんね、ここに置き去りにするのはダメだって」と言うなり槍を引き抜いた。ぐったりしたレフィルを、船着き場に向けてズルズルと引きずっていく。血の道筋ができて、ネルの背筋が粟立った。

「えっと…ロビ、さま?レフィルのこと、どうするの?」

「ああ、コイツのこと始末したいよね?でもごめんね。ここで死者が出るのはまずいんだ。海に流せばしばらくは追っかけてこないよ」

「あの、そうじゃなくて…」

 むしろ、もうすでに死んでいるのでは。ネルは思ったが、明らかに首の骨が折れたのに平然としていたのだ。しかも、なんとまだレフィルの胸はかすかに上下していて、息があることがうかがえる。

「あの…あんまりひどいことしないで」


 レフィルはきっと恐ろしいことを企んでいるし、ローシスを傷つけたけれど、だからといって彼の死を望んでいるわけではない。もやもやした気持ちを表現できずにうつむくと、ロビはしばらく黙ったあとであっけらかんと言った。

「ふうん。まあいいけどさ」


 ロビは一応はネルの思いを尊重してくれる気になったのか、船着き場にあった小舟からオールを抜いて、レフィルを横たえると、そのまま沖に向けて蹴り出した。オールのない小舟は、波に乗ってふわふわと流されていく。


「君が優しくする相手が、いつも君や世界に優しいわけじゃない。それがわかんないでやる人助けは、親切とは言わないよ。自己満足ってやつさ」


 耳が痛い言葉だった。ネルが二の句も継げずにいると、エルフの女性がぷりぷり怒りながら声を上げた。

「ロビ様、初対面の方に言いすぎです。それよりローシス様を運ぶのを手伝ってください」

「コイツは森に入れていいの?」

 まさかローシスまで海に落とすつもりだろうか。思わずひしとその大柄な体躯にしがみつくと、エルフの女性が苦笑した。

「さすがに昔の同胞を見捨てたりなんかしませんよ。私たちの家へ運んで手当てしましょう」

「やだなあ、重そうじゃん、コイツ。僕たちだけで運べるの?」


 確かにロビは折れそうなほど細身で、エルフの女性は小柄だった。ふたりとローシスを見比べて、ネルは控えめに手を挙げた。

「あの、わたしが運ぶから」



 とはいえ、さすがにローシスはネルひとりで運ぶには重かった。ローシスの腕を両肩にかついで背負い、ネルが立ち上がったところで、「すげー、力持ち!」とロビが拍手したが、ネルの脚がプルプルしていたのを見かねたのか、エルフの女性とロビが両側から支えてくれた。


 ロビたちの住まいは、森に少し入ったところにあった。木々に囲まれた、花畑の中にあるかわいらしいログハウスだ。屋根の上でチュンチュン小鳥が鳴いている。まるで絵本に出てきそうなお家だった。

 客間らしき部屋のベッドにローシスをうつぶせに寝かせると、エルフの女性はてきぱきと薬草やらすり鉢やら包帯やらを持ってきて作業をはじめた。手際のよさに所在なく立ち尽くしていると、ロビが手招きしてきた。


「ナエは薬師だから、あの子に任せておけば心配ないよ」

 客間の扉を閉めて、ロビはキッチンに案内してくれた。棚にある茶葉の缶を眺めながら、「えーと、これでいいんだっけか」と首を傾げている。

「あの、わたしやります」

 やかんを火にかける手つきですら危なっかしい。彼のすくった茶葉が明らかに多すぎるのを見て、ネルは反射的に申し出ていた。


 王子さまという人種は自分ではお茶は淹れないらしい。ネルの淹れたお茶を飲んでいるロビをうかがうと、彼はニコニコしながら言った。

「君、歌はヘタだけどお茶淹れんのは上手だね」

「お母さんが厳しかったから…」

そろそろ音痴を引き合いに出すのはやめてほしいなあ、ネルは思ったが、口には出せなかった。


 お茶を飲んで一息つくと、ネルは落ち着いて屋内を見回すことができた。あのエルフの女性の趣味なのだろうか、壁や窓際に、キルトや花が飾られている。だが、あの豪奢なクレイスフィー城を思い出すと、王子さまが住む家にしては非常に質素だ。


「兄さんから大まかな事情は聞いたけどさ、君たちなかなか無茶な橋を渡ろうとしてるよね」


 ロビは棚から手紙を出してくると、ネルの前に放った。おなじみのレインの筆跡だ。ネルたちの経緯、ルナセオが神殿に囚われていること、それから「リズ兄さんにこき使われるのも気の毒だから助けてやれ」という文言が書かれている。

 手紙から顔を上げて、ネルは気になっていたことをたずねた。

「ロビさまは、レインさんと兄弟なの?」

「レイン?」

ロビはキョトンとしたが、すぐに合点がいったとばかりにパチンと指を鳴らした。

「ああ、レイニーさんね。はいはい。いや、僕と兄さんは従兄弟。まあこれ秘密だからさ、ナイショにしてね」

「いとこ」

 なんとなくあの旅人さんと雰囲気が似ているのはそのためだろうか。ロビは飄々と明るい口調だが、どこかかの人に通じる、容易に自分のテリトリーに踏み込むことを許さない硬質な壁を感じる。


「いや、そんなことより。僕は今この隠居生活が気に入ってて、神殿には…ていうか、あのお高く止まったいけすかないクソ親父とは、できるかぎり関わり合いになりたくないワケ。一応、兄さんの手紙をガン無視するのもあとが怖いから今回は助けてあげたけどさ、神都潜入とお仲間救出はそっちで勝手にやってよ」

「えっ」


 にべもない口調だ。これまで、トレイズとエルディにはじまり、マユキも、チルタやルナも、リズセムも、それにギルビスたち騎士団の面々も、みんなネルたちに親身になってくれたから、けんもほろろに断られるとは思っておらず、ネルは焦った。

「で、でも、わたし、どうすればセオを助けられるのか、わからなくて」

「知らなァい。そんなのそっちの都合でしょ。僕にはなんの関係もないし。君たちを助けて、僕になにかメリットある?」

 言われてみればその通りで、ネルはなにも言えなかった。ルナセオやメルセナならもっと上手に切り抜けるのだろうが、口下手なネルにはどうすればこの人物が攻略できるのか、見当もつかなかった。


「メリットは…ないかもしれないけど…」

「でしょ?ま、別に部屋は空いてるから好きなだけいてくれていいけどさ。とりあえずあのでかいのが復活するまではゆっくりしていきなよ」


 この話は終わりだとばかりにボリボリ茶菓子をかじり出したロビは、頬杖をつきながらなぜかじっとネルを見た。

「なんか見覚えあるんだよなあ、君。どっかで会ったことあったっけ?」

こんな変わった髪色の人には会ったことはないはずだが。心当たりがなくてネルが首をかしげていると、血に濡れたローシスの上衣を抱えてエルフの女性が戻ってきた。

「ひとまず処置はしましたから、大丈夫ですよ。毒の兆候もなさそうです」


 そして彼女は、食卓の上に置かれたカップを目に留めると、びっくりした様子でロビを見た。

「まさか、ロビ様がお茶を?」

「なにそれ。僕だってたまにはお茶くらい淹れるよ。これはメルが淹れてくれたやつだけど」

「…ネルです」


 エルフの女性は奥に──おそらく洗面所かなにかだろう──ローシスの服を置いてきて、ロビの隣に着席しながら深々と頭を下げた。

「お客様にお手間をかけさせてしまって申し訳ありませんでした。申し遅れましたが、私はナエ。ロビ様のお世話をしております」

「え?ロビ様の、奥さんじゃないの?」

てっきり夫婦だと思っていたので目を瞬いて問うと、ナエはぱっと頬を赤らめた。

「ほらあ、分かる人には分かるんだって。隠す必要なんてないじゃん」

ロビがニヤニヤしながら言うと、ナエは恥じ入るようにうつむいた。

「あの…籍は入れていないのです。神殿は、誉れある世界王子殿下の妻に、他種族の女など認めてくれませんから」

「へえ」

王子さまって大変なんだな、ネルはピンとこないまま首をかしげた。


「ネル様は神殿にご用事があるのでしょう?ロビ様、ご案内してさしあげたら?」

「え、やだよ面倒くさい。僕、神殿には近づきたくないし」

 さらりと言うロビに、ナエは呆れた様子でため息をついた。

「巫子狩りに遭われてはかわいそうではありませんか。助けてさしあげればいいのに」

「僕は僕の得にならないことはなんにもやりたくない」

「まったくもう」

ナエは困った様子でネルの顔をうかがった。

「申し訳ありません、ネル様。お力になれなくて」

「あの、いえ。ごめんなさい、わたしのほうが無理を言ったんだし」


 ネルは首を横に振ったが、ナエはなおもすまなそうに頭を下げた。

「神都での宿もお決まりではないでしょう?どうかゆっくりしていってください。ロビ様、ネル様をしばらくお泊めするくらいはいいでしょう?」

「それは別に構わないよ。あ、僕そろそろ薪を割ってこなきゃ。ナエ、ネージュのこともてなしておいて」

「…ネルです」


 ロビはマイペースに鼻歌を歌いながら、斧を片手に家を出て行った。その背を見送ってから、ナエはもう一度ため息をついた。

「本当に申し訳ありません。ロビ様はああいう方なので、気が向かないことには何も動いてくださらないんですよ」

「ううん…こっちこそ、ごめんなさい。突然押しかけちゃって」


 当たり前のことだ。ロビ達の巫子の冒険はもう終わっていて、ネルたちのことは彼らには関わりのないことだ。ロビだけではない。ローシスだって、レインだって、本当はネルのことを助ける義理なんてどこにもない。助けてもらって当然のように思っては勝手が過ぎるのだと、ネルはようやく気がついた。


 ネルはお茶を飲み干すと立ち上がった。胸がしくしく痛むけれど、きっと、ネルが傷つくべきところではないのだ。

「あの、ナエさん。ローシスの顔を見てきてもいいですか?」

ナエは快く頷いた。「今は眠っておられますが、じきにお目覚めになりますよ」


 日当たりのよい客間の窓は開け放たれ、風がやさしくカーテンを揺らしていた。シェイルよりもこちらは暖かくて、厚手のコートを着込んでいては汗ばむくらいだ。そういえば帽子も脱いでいなかった。ネルは自分のコートと帽子は脇机に置いて、室内の椅子をベッドに寄せた。

 ローシスのたくましい上半身に包帯が巻かれていた。眠っているのは本当のようで、かすかにすーすーと寝息が聞こえる。ネルのつたない歌は本当に効いたのだろうか。ローシスの顔色は悪くはなかったが、ネルにはよくわからない。


 ロビが薪を割っているのだろう。外から、カコンカコンと聞こえてきた。キッチンではナエが夕飯の準備を始めたのか、規則正しい包丁の音がする。窓の外から見える穏やかな春の森からは、やわらかい草と花の香りが漂っていた。慣れ親しんだインテレディアの草原のそれとは違うのに、どこか懐かしい心地がして、ネルの鼻の奥がつんとした。


 ああ、わたしって本当にだめだな。ローシスの大きな手を握りながらネルは思った。


 デクレを守ってあげるなんて大きなことを言ったくせに、彼とは遠く離れたところに来てしまったし、クレッセを救う手立ても見つけられない。いつも励ましてくれるルナセオを助けに行きたいのに、レフィルからひとりで身を守るすべもなくて、ローシスを危険な目に遭わせてしまった。


 旅に出てから、ネルは自分の無力さを噛みしめてばかりだ。村で安穏と生きていた頃は、自分がこんなに何もできないだなんて思ってもみなかった。


(ローシスは、武器を振るうだけが戦いじゃないって言ってたけど…やっぱりわたしも、強くなりたい)


 誰かを傷つけたいわけじゃないけれど、ロビの巧みな槍さばきは、ネルには鮮烈に映った。あんなふうに颯爽と動けるようになりたかった。レフィルと対峙したとき、ネルはほとんど震えていただけだ。


 「…【はやくよくなってね】、ローシス」

 ネルは祈るように口にした。ローシスが目覚めたら、まずは彼に頼りきりになっていたことを謝ろう、そう心に決めて。

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