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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
4章 神都への旅路
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 ネルたちは、来たときとは別の門からクレイスフィーを出た。枯れ森の広がっていた南側の門とは異なり、こちらはゆるやかな上り坂のむこうに険しそうな山々が見えた。

「さて、神都へは船で行くんですが、港に着くまでにいくつか野暮用を済ませなきゃなりません」

「野暮用?まっすぐ神都に向かうんじゃないの?」


 表情を曇らせたネルに、ローシスは肩をすくめた。

「港へ向かうには、この東門から出た先の山道を抜けていく必要があるんですが、落石があって道がふさがっているんですよ。まずはその道をなんとかしないとならねえ」

「あ…」

そういえば、ネイーダの村で仕立て屋のおかみさんがそんなことを言っていた。落石があって布の仕入れができないのだと。


「ほかの方法はないの?セオはもう神都に連れていかれちゃったんだよね?」

「巫子狩りは転移で各所を移動しているらしいです。ただ、神都には世界王が強力な結界を張っているので、あそこへの転移は限られた者しかできません。他都市の人間じゃとても許可はおりないんですよ」

「そんな…」

 こうしている間にもルナセオがどんな目に遭っているかわからない。気持ちは急いているのに、すぐに神都に行ける手段がないなんて。


 すっかりうつむいてしまったネルに、ローシスはしばらくあごひげをなでて思案したが、やがて大柄な身をかがめると、ネルの顔をのぞきこんで言った。

「これ言うと俺が殿下に怒られるので、あくまで俺の推察だと思って聞いて欲しいんですが」

「…なに?」

ローシスはにやりと悪どい笑みを浮かべた。

「俺たちの殿下にはねえ、絶対隠し事はできないんですよ。王への二心から城下町の宿の今夜の晩飯まで」

「う、うん」

ふたごころ、とやらの意味はわからないが、言わんとすることはネルにも理解できた。リズセムは本当に、なんでも知っている。

「クレイスフィー城なんて殿下のお膝元ですよ?ルナセオ坊ちゃんが思いつめて出ていったのだとして、あの殿下がそれを黙って見逃すとはとても思えないんだよなあ」

「リズセム様はセオが出ていくこと、わかってたってこと?」

「うーん、というか」

ローシスは身を起こして天を仰いだ。

「ルナセオ坊ちゃんは殿下から命じられて、自ら巫子狩りに捕まりにいったんじゃないんですかねえ」

「えええっ」


 思わず叫ぶと、ローシスは人差し指を口元に当てた。あわてて周囲を見回すが、門前から少し歩いたこの場所にはほかに人気もなかった。

 とはいえ、すぐそこの草むらからリズセムが飛び出すかもしれないので、ネルは声を落とした。

「ど、どうして?」

ローシスは目をぱちくりした。それからにっこり笑って、肩をすくめてみせた。

「…さあ?こいつはあくまで俺の予想ですから」


 しらじらしい態度だ。たぶんローシスは、なぜリズセムがルナセオにそんなことを命じたのかも分かっているに違いない。けれど彼はそれ以上説明する気はないようで、ネルをうながすように歩きだした。

「そんなわけで、あんまり急いで行くとルナセオ坊ちゃんの仕事が終わってないかもしれません。俺たちはのんびり後を追うとしましょうや」

「…それも、ローシスさんの予想?」

たずねると、先を行くローシスは振り返った。太陽の逆光を浴びて表情はよく見えなかったが、彼がふと笑う声が落ちてきた。


 ローシスはネルの質問には返さずに言った。

「ローシスでいいですよ。団長のことは呼び捨てでしょ?」

「……あの、わたしも、敬語とか、いらないです」

聞かれたくないということらしい。それは察しの悪いネルにも理解できた。



 ローシスは道中決してネルを退屈させまいと決めているのか、絶えず口が回り続けていた。話題も日頃の騎士団での話や、メルセナの話、息子が最近文字を覚えて、「パパがんばってね」と手紙を贈ってくれたというノロケ話…などなど、とりとめもないものばかりで、ネルの気持ちはずいぶん軽くなった。

 旅立った時はまだ中天にも届いていなかった陽が落ち始める頃には、ネルとローシスもだいぶ気安く会話できるようになっていた。

「ローシスはいつから騎士になったの?」

「いまの一等騎士の中じゃあ、だいぶ古株だな。騎士団に入ったのは30年近く前…まだギルビス様がいらっしゃるよりずいぶん昔のことだ」


 焚き火に使う枝を探していたネルは、ローシスの言葉にぱっと顔を上げた。彼は重そうな大斧を軽々持ち上げて、野営の邪魔になりそうな小枝を落としながら続けた。

「当時、俺はまだネル嬢と同じくらいの歳でなあ。一等騎士なんて夢のまた夢、三等騎士になったはいいものの、訓練がきつすぎてゲロ吐きながらもうやめてやるって思ってた」

「セオがエルディさんの訓練受けて、いつも文句言ってたよ。騎士団の訓練は拷問なんじゃないかって」

「ルナセオ坊ちゃんとは話が合いそうだなあ」

ローシスはゲラゲラ笑って、ネルの拾った枝を取り上げて並べた。


「騎士になって5年くらいの頃だ。その日も血反吐を吐きながら走り込みをしていたわけだが、城の窓からいやに視線を感じてね。見上げてみたら、とある坊ちゃんがこちらをじーっと見つめてるんだ。そう、その日は赤の巫子様がたが城にいらっしゃっていてね。あの坊ちゃんもそのクチだと思った。

 俺はすっかり不貞腐れていた。見世物じゃねえと思いながら無視していたわけだが、いやにその視線が気になる。

 どうしても我慢できなくて、俺はとうとう尋ねたんだ。『そんなに見ていて面白いかい』って」


 少年は言ったそうだ。「うん、とても」と。


「だがなあ、その表情ときたら真顔もいいとこ。へえ、なにが面白いんだかって、俺は馬鹿にしてやったさ。ま、あの頃の俺は腐ってたからな。そしたら坊ちゃんときたら、大真面目な顔してさ。

『そんな苦しい思いをして、報われなかったらどうするんだろう。興味深くて眺めてる』ってな」


 ローシスはなにがおかしいのかクツクツ笑いながら、火種を手際良く枝に移して焚き火を燃え上がらせた。ネルはその前に座りこんで、すっかり彼の話に聞き入っていた。

「俺はふざけんなって思ってね。三等騎士の底辺で燻ってたくせに、偉そうにその坊ちゃんに説教してやった。いいか、男たるもの望みがないからって辞めちまうもんじゃねえ、俺は一等騎士になるまで絶対諦めねえ!とこの通り」

「立派だね」

ネルのコメントに、ローシスは「さあねえ」と口端を上げた。

「でも俺は単純だったからな、勝手に自分の言葉で奮起しちまってなあ。初心を思い出した俺は、そこから努力し続けて、ようやく一等騎士にまで上りつめたんだ。そしたら同じ頃に騎士団長が代替わりしてね。新しい団長──ギルビス様のことだが──俺を見るなりビックリした顔でこう言うんだ。『本当に諦めなかったんだね』って」


 しばし沈黙が落ちて、焚き火のパチパチと小さく爆ぜる音だけが響いた。いつのまにかすっかりあたりは暗くなっていた。

 ローシスは布袋からパンとチーズ、それからソーセージを取り出して温めながら言った。

「それからはそれなりにギルビス様とは仲良くやっててね。感慨深いもんだ。あの小生意気だった坊ちゃんが、嬢ちゃんのことで右往左往してるなんてなあ」

「…ギルビスはすごくスマートだと思う。セーナはいっつもギルビスがかっこいいんだって話してたもの」

「ははは、ギルビス様は外面がいいからな。お嬢さん方にはいい格好を見せたいのさ。今日ネル嬢に渡してた贈り物だってねえ、あの方があんまり頭を抱えて悩むもんだから、しばらく城下町で話題にのぼったもんだ」


 ネルは、鞄の中に入っているピンブローチのことを思い出した。かわいくてオシャレだけれど、ネルのいまの姿も、好みも、なにも知らずに選んだことがわかるプレゼント。あれとおなじようなものがいくつも彼の机に眠っているのだとすれば…


 でも、きっとギルビスは一生懸命考えたのだと思う。ローシスの親しみのこもった口調に、ネルは素直に思った。なにせ母はギルビスからの手紙は一切合切燃やしてしまっていたから、ネルや姉の成長のことなどなにひとつ伝わらなかったに違いない。


 ネルは黒よりも明るい色のほうが好きだ。靴だって、エナメルのかっちりしたものなんて故郷の村じゃ手に入らないし、布づくりで、ぺたんこのほうがいい。お上品で背伸びしたデザインよりも、素朴なかわいらしさのあるものを選ぶ。

「あのね、あのプレゼント…」ネルは苦笑した。「…あんまりわたしの趣味には合わなかったの」

「ああ、そいつはご愁傷様だな、団長」

ローシスはわがことのように悲壮な顔になった。

「うーん、でもね」


 ローシスはきっとわかっているんだろうな、今さらながらネルは思った。彼はネルの知らないギルビスのことを知っていて、ふたりの間を取り持とうとしているのだろう。

 離れていた時間が長すぎて、ネルにとってギルビスはまだほとんど他人だ。手紙を燃やしていた母の背中を思うと、まだ素直に仲良くする気持ちにもなれずにいる。


 それでも、やさしくて親切なギルビスのことを、嫌いだとは思わなかった。


「でもね、ギルビスからのはじめてのプレゼントだし、しょうがないから許してあげようと思う」


 熱せられてぱつぱつになったソーセージの皮がパチンと音を立てた。ローシスは少し焦げた食べ物を串から外しながら破顔した。

「そいつはいい」


 ◆


 次の日、舗装された道は途切れて、ごつごつした足場の悪い山道を登っていくと、問題の落石地帯にたどり着いた。

 崖が崩れたのか、大きな岩がいくつも積み上がって、細い道がふさがっている。岩の隙間からかろうじて道の先は見えるものの、積み上がった岩も今にも崩れそうで不安定だ。行商人の荷馬車などとても通れないだろう。


「お、騎士さんかい?」

 落石の向こう側で、ちょうど何人か立ち往生していたようだ。岩のすきまからひょっこりと男の顔がのぞいた。

「いやあ、参ったよ。雪解けの時期に地盤が緩んだみたいでね。クレイスフィーに救援を頼もうにも肝心の道がふさがっちまってるから八方塞がりよ」

「撤去は進んでるのか?」

向こう側の男たちはやれやれとばかりに首を横に振った。

「小さいのはある程度どかしたけど、この大岩はどうにもなんねえなあ。『あなぐら』の連中に撤去を頼もうとしたんだが…」

そこまで言って、男たちは言葉を濁して顔を見合わせた。言いづらそうにくちびるをもにょもにょさせている。

「なにか問題が?」

「それがよォ、『あなぐら』の奴らを呼びに行くって、行商の坊主が岩の隙間を通って行ったんだが、いっこうに帰ってこねえのよ」

「どっかでのたれ死んでなきゃいいんだがなあ…」


 どうやら助けを求めに行った人がそれきり戻ってこないようだ。男たちは口々に声を上げている。

「荷物はウチの村に置いて行ったから、逃げたわけじゃあねえと思うがな」

「珍妙な坊主でよお、馬のねえ荷馬車に乗って来たのよ」

「道に迷ったんじゃないかねえ、ちょっと方向音痴っぽかったし」


 収集がつかなくなったとみてか、ローシスは両手を挙げて話を遮った。

「オーケー、オーケー。要するに急を要する状況ってわけだ」

そしてローシスはそのままネルを見下ろした。

「ネル嬢、ひとつ野暮用が増えちまったが、構わねえよな?」

「うん」

ルナセオのことは気がかりだが、すぐそこで困っている人を見捨てられるほどネルは非情ではなかった。

「行商のひとを助けに行くんでしょ?」

「それとこの大岩をどかせるやつを探しに、だな」

ローシスはそれからにやりと笑った。

「ま、俺の大斧がありゃ、こんな岩は叩き割れるが…二次災害で俺たちが埋まっちまうかもしれないしな」

ぱちんとウインクするローシスに、男たちは冗談だと思ったようでケタケタ笑ったが、ネルの脳裏にはルナセオの「シェイル騎士ってみんなこんな化け物なの!?」という訓練中の叫びがよぎった。

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