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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
4章 神都への旅路
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だいぶ長らく間が空いてしまいましたが、4章開始します。全11話です。よろしくお願いします。

 その朝、ネルは扉を叩くけたたましい音に飛び起きた。

 ふかふかの質のよい布団は寝心地がよくて、ついうっかり寝過ごしてしまったらしい。ふだん鶏の鳴く時間には目が覚めるところを、窓の外を見ればもう日が完全にのぼっていた。


 あわてて布団を蹴っとばして扉に飛びつくと、やってきた人物は、勢いよく開いた扉の角をしたたかにぶつけて悶絶した。

「わ、トレイズさん!ごめんなさい!」

額を押さえてしゃがみこんだトレイズは、おなじみの旅装姿だった。ただ、綺麗に洗濯されたのか、いつもよりこざっぱりして見える。

「いや、悪い、起こして」

トレイズはうめくように言うと、ネルの姿を一目見て、なにやら気まずそうに視線を泳がせた。


「アー…ルナセオ見てないか?」

「セオ?」

ネルは素直に首を横に振った。彼とは昨夜食堂で別れて以来会っていない。

「セオがどうかしたの?」

「それが…」


「トレイズ、門兵に聞いたら、ゆうべ城を出た少年がひとりいたらしい…おい、何やってるんだよ」

 廊下の向こうからやってきたギルビスは、うずくまったままのトレイズと、寝起き姿のネルを交互に見た。

「レディの部屋の前でしゃがみこむなよ、捕まりたいのか?」

「不可抗力だよ!」

「おはよう、ネル」

ギルビスはトレイズの反論を無視してネルに向けてほほえんだ。

「だが、その姿は朝から少し刺激的すぎるから、着替えておいで」

「あ」


 ネルはようやくトレイズが苦い顔だった理由が分かった。自分の服装を見下ろすと、昨夜ギルビスに忠告を受けたにもかかわらず、ガウンも羽織らずに寝巻き姿のままだった。



 ルナセオがいなくなった。その知らせを聞いたとき、ネルは昨日の彼の様子を思い出した。あの巫子狩りの少年を見据えていた姿は、全身から怒りが立ちのぼっていて少し怖かった。ああいうのをたぶん殺気というのだと思う。

「あの巫子狩りたちを追いかけていったんじゃないの」

とは、寝ぼけ眼をさすっていたメルセナの言だ。

「あいつ、昨日暴走してたじゃない」

「でも、お昼を食べたあとは落ち着いてたのに…」

ネルはうつむいた。

「誰にも相談せずにひとりで行っちゃったのかな」


 だとしたら少し悲しい。ルナセオはいつもネルのことを気遣ってくれるから、彼が悩んでいるときはネルだって助けになりたかった。仲間なのだから、ひとりで行ってしまう必要はないはずだ。

 

 だが、気の重い朝食を終えて、連れられて行った謁見の間では、リズセムがにこやかに言った。

「ああ、少年?昨日来ていた巫子狩りに捕まったみたいだね」

「つ、捕まった?」

トレイズがすっとんきょうな声を上げた。


 宝石で上品に彩られた重厚な玉座に腰掛けたリズセムは、肘置きの彫刻を指先でなぞりながらうなずいた。

「巫子狩りたちは神都へ帰還したようだ。まあ、巫子である以上は死にようがないんだから、命は無事なんじゃないかな」

なんだか冷たい言い方に、ネルはドキリとした。それじゃあまるで、命があるだけでそのほかの無事は保証されてないみたいだ。

「助けに行かなきゃ!」

気が急いて一歩前に出ながら言うと、リズセムの隣に座っていたラディが、気遣わしげにネルを見た。リズセムはしばらく思案するように虚空を見上げていたが、やがて「ま、いいか」とつぶやいた。


「殿下!巫子たちの好きにさせるとは、ためになりませんぞ!」

 宰相が声を張り上げたが、リズセムはケタケタ笑った。

「そもそも巫子の行動は誰にも制限できやしないよ。それに、さすがに丸腰のお嬢さんをひとりで行かせやしないさ」

彼はついと端にいるギルビスに視線をうつした。今日はほかの騎士たちは呼ばれていないらしい。

「騎士団長、誰か有能なやつを彼女につけておやりよ。どうせ君のことだから彼女のぶんの旅券は準備してるんだろ?」

「仰せのままに」

ギルビスは胸に手を当ててうやうやしくこうべを垂れた。


「ちょっと待って!なんでネルだけ神都へ行くって話になってるの?私たちも行くわよ!」

 メルセナが叫んだ。宰相がまた顔をしかめたが、何事か文句を言う前にリズセムが片手をあげて制した。

「悪いが、君と紅雨のには別の仕事を頼みたい」

「仕事ォ?」

メルセナもトレイズも胡乱げなまなざしだ。

「いやいや、ちょっと待ってください。俺は別にあなたの部下じゃないんだ、あなたの命令を聞くいわれは…」

トレイズの勢いは、リズセムと目が合った途端にみるみるしぼんでいった。「…ない、はずでは?」

「そりゃそうだけど、君のやりたい仕事なんじゃない?」


 リズセムはトレイズの反論など意に介した様子もなく、あげたままの片手をはたはた振った。

「頼みたい仕事ってのは、そこにいるラディの護衛でね。ゼルシャの村に書簡を届けてもらいたい。交渉ごとはラディがやるけど、こちらの身内にもエルフがいたほうがことが進みやすい」

ゼルシャ?おうむ返しにつぶやくと、ギルビスが「枯れ森の中にあるエルフの隠れ里」と小声で解説してくれた。

「君もゼルシャに用事があるだろう?護衛がてら行っておいでよ」

リズセムは確信している様子だったが、もちろんネルには心当たりがなかった。トレイズの顔を見上げると、彼の顔色はどこか青ざめていた。


「いや、しかし俺は」

 トレイズの声は少し震えていた。リズセムはにんまり笑いながら、それにさ、と付け加えた。

「君と聖女くんが一緒に神都なんか行ってごらんよ。絵面が怪しすぎて門前払いされるのがオチさ。聖女くんには我が騎士団の一員という体で出向いてもらう。そっちのほうが確実だろう?」

「それは…そうですが…」

トレイズの返事は歯切れが悪かった。できることならそのゼルシャとかいう村には行きたくない、そんな感じだ。


「トレイズ」

 静かになりゆきを見守っていたギルビスが、見かねた様子で声をあげた。

「ネルとルナセオのことは、私の信頼する騎士に任せろ。だから」

 ギルビスは、トレイズの事情をわかっているんだろうな、ネルは思った。年長者ふたりは、似たような憂鬱な表情だったから。

「だから、お前はゼルシャに行くべきだ。ラディ殿下とセーナをお守りしてくれ」


 トレイズはまだ苦悩していたが、やがてゆっくりとうなずいた。


 ◆


 王殿下はたいへんお忙しいのです、不機嫌な宰相に追い払われたネルたちは、そのあとギルビスの案内でシェイル騎士の詰め所にやってきた。ネルは騎士という職業に詳しくないが、剣を持って戦う彼らもこんな書類仕事をするんだな、と感心した。もっとも、その紙の束はとある一席にのみうずたかく集中していたが。


「ああ、お前たち」

 紙の山の合間から、げっそり顔のエルディが顔を出した。美しいかんばせがなんだか萎れた様相だ。

「パパ、寝てないの?」

迷いなく応接用らしいソファに座りながらメルセナが問うと、彼は頷いたんだか船を漕いだんだか、いずれにしても質問の答えはその姿を見れば明らかだった。

「寝てたよ、書類に複写魔法をかけてる時だけ」

ゾンビみたいになってしまった青年のかわりに、近くの机で朝からクッキーをつまんでいたヒーラが返事をした。「1、2分くらい」

「私に言えたセリフじゃないけど、他の人が助けてあげられなかったのかしら。こんな弱ったパパ、刺激が強すぎてメイドのお嬢さんたちが気の毒だわ」

「そりゃ自業自得だ」

別の机でペンを走らせていたローシスが苦笑した。

「『いつ何時も自分にしか分からない仕事は作るな』というギルビス様の信条を無視して、引き継ぎのメモを一切作ってなかったんだからな」


 そうは言いつつ、ローシスはエルディの机から書類をひと束取り上げた。どうやらしかばねと化したエルディの仕事をみんなで手伝っているらしく、各々書類の山を取り崩していた。

「エルディ殿も大概だが、ダラー殿も明日は我が身だ。なあ?副団長殿が行方不明になったら俺たちの執務が爆発しちまう」

「私は仕事を無責任に放棄して行方不明になどならない」

書類から顔も上げずに、ダラーはきっぱりと言い切った。「あと、私はギルビス様のご指示には従っている。私の業務の引き継ぎ書は三番目の棚の上から二番目の引き出しの中だ」

三番目の棚ってどれだろう、ネルは部屋の中を見回したが、壁際にはずらりと棚が並んでいて、どれが何番目に相当するのかよく分からなかった。


「そもそもエルディもダラーも、いつも仕事を抱えすぎだ。同僚や部下に上手に頼るのも上に立つものの技能だよ」

 詰め所に来るなり奥の部屋に引っ込んでいたギルビスは、お茶を淹れていたらしい、茶器の乗った大きなトレーを持って戻ってきた。ヒーラが「お茶なら僕が淹れたのに」とぼやいた。

「ヒーラ、常識的な砂糖の分量を覚えるまで君のお茶出しはなしだ…さあ、ネルも座って。おい、いつまで凹んでるんだ、いい加減復活しろよ」

メルセナのいる応接用のテーブルにトレーを置きながら、ギルビスは暗い顔で棒立ちになったままのトレイズの向こう脛に軽く蹴りを入れた。


 ギルビスは手早くお茶を淹れてテーブルに並べた。メルセナの隣に着席して、上品な白いカップに入った紅茶を見下ろす…まさか、この人の淹れたお茶を飲む日が来るとは思わなかった。恐る恐る口をつけると、香り高くて、薄すぎず渋すぎず、絶妙の蒸らし加減だ。宿屋の娘として、なんだかちょっぴり悔しい。


「さて、殿下の要請だけれど、今ローシスが言ったとおり、そこの生ける屍と引き継ぎ書の位置があいまいな副団長は残念ながらここを空けられない。これ以上この部屋に書類の山を作るわけにもいかないからね。なので、ネルにはローシスを、セーナにはヒーラをつけようと思う。ローシス、今、急ぎの仕事はないかな?」

「そりゃありませんけど、なんの話です?」

「ファナティライストにルナセオが捕まったから、ちょっと行って救い出してきてほしい」

「はァ!?」


 叫んだのはローシス…ではなく、エルディだ。今までのぐったり力尽きた様子はどこへやら、目をかっ開いて立ち上がった。

「なぜそんなことに!」

「さあ?とにかく、殿下はせっかくの神都へ乗り込む口実を逃したくはないらしい。というわけで、ローシス。ネルと一緒にしばらく神都へ出張してくれ」

「ああ、なるほど。仔細承知しました。このひと山を捌いたらいつでも出られますよ」

ローシスはギルビスの言葉ですべて理解したとばかりに頷いた。そんな話だったっけ?ネルはひとり首を傾げた。


「それで、セーナはラディ殿下とともにゼルシャへの使いに行くことになった。トレイズがいれば危険はないだろうが、いかんせん彼に守れる人数は腕一本ぶん少ないからね。一応ヒーラをつける」

「セーナの護衛!やったー!」

 ヒーラが諸手をあげて、椅子の上で飛び上がった。旅の途中、メルセナの話はだいたいギルビスのことに終始していたが、彼の名前も聞いたことがある。「好きな子がいるらしいんだけど、ぜんぜん振り向いてもらえてないらしいのよね」とのことだ。

 ネルはそういう色恋沙汰には疎いし、このヒーラとはまともに話したことがないけれど、今の挙動ひとつで彼の好意の行き先がどこなのか分かった気がした。


「一等騎士をふたりも割く必要がありますか?」

 ダラーは難色を示した。「世界会議前のこんな忙しい時期に」

「文句は殿下に言うんだね、言えるものなら」

ギルビスは優雅にカップの中身を飲み干すと、エルディの机から人一倍多くの書類を取り上げて窓際の机に向かった。

「あの究極の仕事中毒にお仕えするには、私たちも馬車馬のように働けということさ」

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