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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
3章 強欲なやさしい王様
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 みんなが一斉にネルを見た。注目を浴びたネルは、フォークを握ったままうろたえて固まった。

「あの、でも、リズセムさまは全部知ってるんじゃあ…?」

「もちろん報告は受けているとも。ただ、僕が聞きたいのは、君自身にしか説明できない、実際に君がなにを見て、なにを感じたのかというところだ。その印の意志は、他の者は誰も触れないものだからね」


 ネルはゆっくりとフォークを置いた。あの夜のことは、まだ鮮烈に思い出すことができる。

「あの、ラトメの暴動の日…わたし、神護隊長のレインさんに連れられて、神宿塔に行ったの」

なんとなく秘密にしておくべきだと思って、メルセナにも、ルナセオにも言わずにいたことだ。ネルはふたりが真剣な表情でこちらを見ているのが気まずくて、視線を皿に落とした。

「神宿塔に封印されている巫子の印を手に入れてラトメから逃げろって、レインさんが言ったの。世界の滅びも、クレッセの命も、好きに選んでいいって」

「あいつがそんなことを?」

トレイズが愕然と言うのに、ネルは頷いた。その時は、クレッセを救うのがそんなにむずかしいことだとは思っていなかったし、ただ何もできない自分が嫌で、レインの言うがままに力を手に入れたかった。


「それで君は神宿塔にある、あの聖女の封印を解いたわけだ」

「聖女の封印?封印されてたのは巫子の封印じゃないの?」

メルセナが怪訝そうに口を挟んだ。

「ステンドグラスにね、聖女さまの姿が描かれてたの。わたし、封印を解いたとき、気づいたら赤い花畑の中にいて、聖女さまに会ったの。聖女さま、すごく喜んでた。やっとここへ来てくれる人が現れたって」

 今思い返せば、なんだかうすら寒い体験だった。あの聖女さまは優しげに見えたけれど、無邪気で、傲慢で、自分にはなんでも許されると自信満々だった。


「聖女さまはわたしを助けてくれるって言ったの。そしたら今度はぜんぜん違う場所…大きな机のある部屋にいて、わたし、聖女さまの中に入ったの。今度は聖女さま、すごく怒ってた。みんな自分の思い通りにならないって。それで…」

 ネルは口をつぐんで、うかがうようにリズセムを見た。

「あの…ごはん食べるときに話すことじゃないんだけど」

「気にするこたないよ。一緒に鳥の羽をむしった仲だろう?」

壁際からダラーの凶悪な視線が飛んできた気がする。ネルは観念して続きを話した。

「えっとね、聖女さまは仲間たちをみんな殺しちゃったみたいだった。1番から10番まで。5番と9番以外のひとたちみんな、首を吊って死んでたの」

メルセナとルナセオがふたりともはっと息をのんで、それぞれ自分の印に手を触れた。

「聖女さまは、5番を…レフィルを倒すのに失敗したみたいだった。レフィルは、聖女さまとふたりで、5番の印を分けあうんだって言って…」

そこで夢が終わった。そして、目が覚めたら、ネルは5番の印を継承したのだ。


「ちょっと待って、ネルを狙ってるレフィルってやつ、一体何歳?聖女さまの時代なんてもう何百年も前の話じゃん」

 ルナセオが身を乗り出したが、ラディがくすりと笑った。

「そういう者は比較的いらっしゃいますよ。例えばここにいる僕の両親とか」

「あ、うん、まあ…そっか」

ルナセオは納得顔になった。この旅で、見た目と実際の年齢がそぐわない人物などいくらでも見てきている。


「ま、不老不死なんて巫子だけの専売特許でもないしね」

 そう言って、リズセムは椅子の背もたれに背中を預けた。

「で、君が目覚めたあと、ステンドグラスはどうなっていた?」

「それが…聖女さまが消えてたの。花畑の絵だけになってて」

「じゃあやっぱり、聖女は『そこ』にいるわけだ。聖女由来の5番の意志と一緒に」

そこ、と言ってリズセムはフォークの先をネルの胸に向けた。そっと自分の胸に手を当てても、今はざわめきは落ち着いている。


「しかし、なぜこんな小娘に、聖女の封印が破れたのです?偉大なる魔術で封じ込めたものだと殿下はおっしゃっていたではないですか!」

 それまで大人しく話を聞いていた宰相が、疑わしげにネルを睨みながら言いつのった。まるでネルが悪党かなにかだと言わんばかりの目つきだ。

「封印を守るべき“神の子”が牢屋の中だからねえ。とはいえ、彼女自身に聖女の資質があったってことじゃないかな。事実、神護隊長くんだってそう思ったから彼女を神宿塔に連れて行ったわけだし」

「あの封印って、そんなに有名だったの?」

すると、ナシャがくすりと笑った。

「聖女様の魂をあの場に封じたのは、わたくしとこちらのリズセム殿下です。当時の9番の要請をお受けして、いく人かの仲間たち、そして世界王陛下と“神の子”と協力いたしました」

「そんな話、聞いたこともない!」

勢いこんで立ち上がったトレイズは顔を真っ赤にして怒った。

「長らく“神の子”に仕えていたが、俺はあの方から9番と結託したなんて話…まして世界王と一緒にことをなしたなんて!」

「そりゃ言わないだろうさ。親愛なる聖女様を封じた、それも宿敵の世界王とともに、だなんて。露見したらラトメじゃ間違いなく極刑だ」

トレイズはぐぬと口をつぐんだ。メルセナが控えめに手を挙げた。


「ねえ、でも、聖女様って、世界中の戦争を終わらせてこの世界を平和にした英雄でしょ?なんで封印しなきゃならなかったの?」

「彼女の話を聞けば、聖女の人となりは予想できると思うけど」

リズセムは肩をすくめた。

「傲慢不遜で、我こそが頂点だと思い上がった甘えたな娘さ。実際にその時代を見たわけではないけれど、あの様子では聖女が世界を統一したというのも怪しいね。実際に戦争を終結させたのは周囲の仲間で、聖女はお飾りだったと考えるのが自然だ」

 ネルの夢の中に出てきたあの少女は、けっして清らかな聖女さまではなかった。きれいな花を踏みつけにするのも厭わないところが、ちょっと怖いくらいだった。


「細かい経緯はともかく、まず最初に9番の印が作られた。聖女を打ち倒すためにね。それに対抗するために聖女は残り9つの印を作った。材料はもちろん、仲間たちの命だ。

 しかし聖女はしくじった。レフィルを殺し損なって、5番の印は不完全。そればかりか自分自身を印の材料にされてしまった…ってワケさ」

 あの首吊り死体が、赤い印の材料だったというのか。ネルはぞわりとして自分の髪をつまんだ。あのときの聖女さまは誰もかれもを恨んでいるように思えた。今自分の中にいる聖女さまは、いったいなにを思っているんだろう?


「僕たちは聖女さえ封じてしまえば、金輪際巫子は現れなくなると思った。聖女を倒すのが最終的な9番の目的だし、聖女の意志がなければほかの印も現れなくなるだろうと踏んだのさ。だけど、聖女を封じたあとも巫子は現れ続けた。封じているはずの5番も含めて10人とも」

「…夢の中で、レフィルは『ふたりで5番の印を分けあうんだ』って言ってた」

「それだ」

リズセムは、ずっと探していた謎の答えが見つかったとばかりににんまりと笑った。

「たぶん、5番の印は二種類ある。君の宿す聖女由来のものと、本来作られるはずだったレフィル由来のもの。おそらく聖女だけを封じても意味がなかったんだ。もうひとり、5番の意志を操れる、レフィルも倒さなければ」

「そのレフィルって奴を倒せば、もう巫子は現れなくなるってこと?」

「僕の仮説が正しければね」

リズセムが答えても、質問したルナセオのほうは難しい顔をしていた。なんだか納得がいっていなさそうだ。


 それでも、チルタや、未来のクレッセのように、9番の意志に狂わされてしまう人がもう生まれなくなるのなら、それは望ましいことだとネルは思った。リズセムの言うことは壮大で、理解力にとぼしいネルではすべてを咀嚼しきれていないけれど、彼の原動力が「シェイルのみんなの笑顔のため」なのは十分に分かっていた。

 しかし、ある一点だけ、ネルが尻込みする理由があった。

「レフィルを殺せ、ってこと?」

「命を取るかは向こう次第だね。なに、実行するとしたらここにいる騎士の誰かになる。君たちには、レフィルの尻尾をつかむ手伝いをしてほしいってだけさ」

それは、実際に手をかけないだけで、レフィルの命を奪う手助けをしろということじゃないのか。ネルはグラスを満たした薄黄色のジュースを見つめながら思った。クレッセを殺したくなくて頑張ろうとしているのに、ほかの誰かを殺してしまったら意味はないんじゃないか。

 リズセムは身を乗り出した。

「むしろ聖女の魂が君の中にある以上、今や()()()()()()といって過言ではない。レフィルのことより、君は自分のことを心配したほうがいいんじゃないかな」

「殿下」

咎めるようにギルビスが声を上げたが、リズセムのほうはどこ吹く風だ。ネルは汗ばんだ手を握った。


 リズセムは、ネルが聖女さまみたいに、自分勝手に他人を傷つけるようなひとになるのを懸念しているに違いない。そして、ネル自身もその不安は感じていた。チルタの日記を読んだその時から。

 チルタのような優しいひとでさえ、9番の印を宿せばおかしくなって、世界と聖女の滅びを求めて狂ってしまう。心の中の聖女さまがネルを支配しようとしたら、なんの特別なところのない自分はすぐに負けてしまうんじゃないだろうか。そうなったら、ネル自身だって倒されてしまうんだぞと、リズセムはそう言いたいのだ。


 恐怖に身を震わせていると、両肩に同時に重たくなった。ちょうど両側から、ルナセオとメルセナが手を置いていた。

「おかまいなく!」

「そうならないように、私たちが守ればいいんでしょ?」

「セオ、セーナ…」

思わずホロリとしそうになっていると、これまで張り詰めた空気を緩ませるように、リズセムがにこやかに両手を打った。

「そーいうこと!いやー、頼もしい巫子たちでなにより。せいぜい聖女くんが得た力を無駄にしないように守ってやりたまえ」


 壁際で一部の騎士たちが小声で「性格が悪い」「腹黒」「弱い者イジメ」などと毒づいたが、宰相のひと睨みでさっと視線をそらした。リズセムはすべての文句をまるごと無視して呼び鈴を鳴らした。今度は魚料理を持った給仕たちがぞろぞろ入ってきた。

「真面目な話はおしまい!さあ、ここからは我が都市の料理を堪能するといい」



 満腹の腹を抱えて、ネルはとぼとぼ広い廊下を歩いていた。部屋の中にいても落ち着かなくて、部屋着らしいコットン地の柔らかなワンピース(こんな服でベッドに入るなんてお金持ちは贅沢だ)のまま部屋を出ると、日もすっかり落ちた城内は静かだった。たまに巡回している甲冑兵を避けながら歩いていくと、大きなバルコニーに行き当たった。

 空も大地もキラキラと素敵な景色だった。満点の星空の下に、シェイルの街は夜でも建物の明かりが点々と輝いていた。催し物でもあるのか、遠くに小さく見えるテントからはひときわ明るい光がいくつも打ちあがっていた。


「ネル?」

 突然背後から声をかけられて飛び上がった。振り返ると、手にした書類をめくりかけたギルビスが、目を丸くしてこちらを見ていた。

「こんなところまで散歩かい?よく見張りたちを抜けてきたね」

ギルビスはマントを外すと、ネルの肩にかけた。肩幅も身長も違うギルビスのマントは大きくて、ネルの足首まですっぽりと隠れてしまった。

「そんなかわいらしい姿で出歩いていたら、悪い男に捕まってしまうよ」

「ギルビスみたいな?」

ネルの切り返しに、ギルビスは一瞬だけきょとんとしてから吹き出した。

「そうだよ。こんな悪い大人がフラフラしているところを薄着で歩くもんじゃない」


 そしてギルビスも口を閉じて、ネルの隣に並んでバルコニーからの景色を眺めた。インテレディアの草原の香りがするそのひとは、近くにいるとなんだか気まずいような、それでいて落ち着くような、不思議な心地になった。

「ギルビスは」

濃紺の瞳がこちらをついと見たのが落ち着かなくて、ネルは彼から顔をそむけた。「ギルビスは、後悔したことある?団長さんになって」

「難しいことを聞くね」

彼の声音にはどこか困ったような色がにじんでいた。

「後悔していると言っても、していないと言っても君には失礼になるだろうが…そうだね、後悔は散々したよ。来るんじゃなかったと思った日もあるし、できればはやく職務を終えて帰りたいと思うこともある」


 でもね、と続けて、ギルビスは言葉を探すようにいったん間をあけた。

「私は今の仕事に誇りを持っているし、この街が故郷と同じように好きだよ。この地位があったから君を迎えることもできたしね」

「どうしてわたしとデクレがラトメに行ったって知ってたの?」

メルセナとエルディに、ネルたちを保護するように指示したのは彼だ。そのあとも巫子をこの城に迎え入れるために、ギルビスは力を尽くしてくれたのだと思う。

「ソラ…君のお母さんから手紙をもらってね。その要らない権力でもなんでも使ってどうにかしろと発破をかけられてしまった。10年手紙の返事を待っていたが、さすがにあれは予想外だったな」

「お母さん、あなたからの手紙はすぐに燃やしてたから」

開封して読んでいたかも怪しいところだ。ギルビスも予想していたのか、「ソラらしい」と肩を震わせた。


「…君は、聖女の封印を解いたことを後悔しているのかい?」

 ひとしきり笑ったところで、ギルビスが気を取り直したように問うてきた。


 後悔…しているのだろうか?ネルは首をひねった。クレッセをあの日助けられなかったことも、デクレを置いてラトメを出てきてしまったことも、過去に戻れるならやり直したいと思うことならいくらでもある。それでも、どんな道を歩んだところで、暴動の日に聖女さまの封印を解くことだけは、絶対に変わらないような気がした。

「後悔は、これからするかもしれないけど…」

ネルはクレイスフィーの街並みを見下ろしながらほほえんだ。

「わたしも、そのおかげでこの街に来れたならよかったと思う。リズセムさまにも、あなたにも会えたし、この力があればデクレとクレッセも助けられるかもしれないから」

 そこまで言って、ようやくネルは傍らに立つギルビスの顔をまともに見上げることができた。まだ複雑な気持ちは消えないけれど、隣にいるひとがネルを思ってくれているのなら、やっぱり彼に会えたのは嬉しいことだと思った。


 この街に来られてよかった。いつまでもうつむいて、うじうじしてばかりだった自分に踏ん切りがついたから。


「わたしね、あなたに肩車してもらって見る景色が好きだったの」

「……なんならするかい?肩車」

「うーん、いいや。だってあなた、悪い大人なんでしょ?」


 その言葉を聞いたギルビスが破顔するのを見て、ネルもまたにっこりした。その笑顔がそっくりだということは、たぶん、満天の星空だけが知っていた。

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