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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
3章 強欲なやさしい王様
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 その黒マントの中身は、それぞれ女の子と男の子。ふたりとも、下手をするとネルより年下に見えた。男の子のほうが半泣きで女の子に訴えた。

「ねえローア、もう帰ろうよ。いい加減先生に怒られちゃうよぉ」

「ダメよ!まだひとりも巫子を見つけられてないじゃない」

気の強そうな女の子は仁王立ちして、ねじり上げてバレッタで留められた小麦色の髪のおくれ毛を払った。

「悪しき巫子を捕まえたら、勝手に転移陣を使ったことなんてチャラよ、チャラ!それどころか評価も上がるわ。パパの役にも立てるもの」

「僕、もうやだよ。巫子って本当に怖いんだから。ローアは会ったことないから分かんないんだよ」

茶色いふわふわの髪の小柄な少年は、自分のマントを握りしめてうつむいた。「先輩たちもみんな死んじゃった…」

「だ、か、ら!私たちで仇を討ってやろうって言ってんじゃない!」

少女は少年のやわらかそうなほっぺたをつまんで引っ張った。少年は「あいたたた、痛い、痛いよ、ローア!」と叫んだ。


 少年をいじめて満足した様子の少女は、かわいそうな自分の頰を撫でる少年に勢いよく指を突きつけた。

「そうと決まったら今日も巡回よ!絶対に今日こそ巫子の尻尾を捕まえてやるわ。行くわよ、トック!」

「なんだかなあ…」

息巻いて駆け出す少女に対して、少年のほうはうなだれながらトボトボ後を追って行った。その場を離れようとする彼らを追うように、ルナセオが一歩前に出た。ネルは慌ててそのマントの裾を掴んだ。


 ルナセオは、この旅の間ずっと使っていた木刀ではなく、腰につけたチャクラムのほうに手をかけていた。浅い息をつきながら、狼のような目つきで黒マントたちの背中を睨みつけている。いつもの温和なルナセオではない。研ぎ澄まされた鋭い殺意に反応しているのか、髪の下の赤い耳が光っていた。

「ルナセオ」

低い声で、トレイズがルナセオを呼んだ。

「ルナセオ、落ち着け」

「俺は落ち着いてるよ」

どう考えたってそうは見えなかった。彼はマントを離した瞬間、今にも飛び出していきそうだった。メルセナもひしとルナセオの背中にはりついた。

「なに?どういうこと?」

「あいつは…」

トレイズが言いよどんで、視線をさまよわせた。ルナセオは遠ざかっていく黒いマントのふたり組を見据えたまま、冷たい声で唸った。

「あいつだ。あの小さい巫子狩り。あいつがラゼを殺したんだ」



 レクセで聞いた。ルナセオの前の4番は、巫子狩りとかいう人に殺されたのだと。トレイズは多くを語らなかったし、ネルだって根掘り葉掘り聞きたいような話でもないから、それがどういう人物なのかは聞いていなかった。


 とにかく、三人がかりでルナセオをなだめて、近くの食堂に引きずっていくと、水を飲ませて落ち着かせた。ルナセオは不満げに「だから落ち着いてるってば」と文句を言ったが、その頃にはあの凶悪な気配がなりを潜めていたので、ネルは心底安心した。

「あんな子供が危ない武器持って巫子狩りやってるなんて」

メルセナはほかほかのハンバーグに恨みをこめるようにフォークを突き刺した。

「神都ってやつはそんなに人手不足なの?男の子のほうなんて私とそう身長が変わらなかったわ」

「見た目は子供でも、奴らは特殊な訓練を受けた殺しの専門家だ。甘く見ると痛い目見るぞ」

「あの子たち、『悪しき巫子』って言ってたね」


 これまで、いつだって巫子は正義の味方で、9番は世界を滅ぼす悪だと言われてきた。おとぎ話だって同じ構図だったし、巫子が「悪しき」などと言われるのは初めてだ。巫子狩りなんて言うくらいだから、なにか巫子を目の敵にする理由があるのだろうか。

 すると、パスタを巻ききったにも関わらず、くるくるフォークを回し続けていたルナセオが肩をすくめた。

「巫子がなんで悪者扱いなのかはともかく、あっちは俺を恨んでるだろうな。レクセで襲われたとき、あいつ以外の奴を全滅させちゃったし」

あまりにも平然としているので、最初、ルナセオがなんと言ったのかネルにはわからなかった。顔を上げると、ルナセオはふてくされた様子でようやくパスタを口に突っ込んだ。

「少なくともあの巫子狩りからすれば、俺は凶悪な人殺しだと思うよ。まあ俺からしてもあいつは悪党だからお互いさまだけど」

食事しながら話すことじゃないでしょ、小声でつぶやきながらメルセナがフォークを置いたが、ルナセオには聞こえなかったようだった。小首を傾げながら真っ赤なトマトソースパスタをモリモリ食べている。ネルもなんだか食欲がなくなってきた。


「恨みを捨てろとは言わないが」

 少しの沈黙のあと、トレイズが口火を切った。

「仇討ちなんて汚れ仕事は、お前がすることじゃない。そんなことをしてもラゼが戻ってくるわけでもないしな」

「なんだよ、トレイズだって…仇のこと憎んでるんだろ」

「俺だから言えることもあるんだよ」

そう言うトレイズはルナセオの頭をポンポン叩いた。彼の穏やかな顔を見ると、やはり目の前のこの人は、ネルたちよりもずっと経験を経た大人なのだとわかった。

「俺は白黒はっきり付けなきゃ気が済まないたちだからな。いつもそれで間違える。ガキの頃は自分が正義だと疑ってなかったし、今だってその考え方を簡単には覆せない。でも、お前らはまだいくらでもやり直せるだろ。そんな子供のうちから、人生棒に振ることはねえよ」


 ルナセオはまだ納得が行っていないみたいだったが、メルセナはちょっと感動した様子で小さく手を叩いた。

「私、アンタのこといけすかない奴だと思ってるけど、今はじめてアンタも無駄に歳食ってるだけじゃないんだなって思ったわ」

「オイ、褒めてねえだろ」

 正義とか、悪とか、そういう難しいぼやぼやしたものはネルにはよく分からなかった。それでも、落ち込んでいたネルを励ましてくれた優しいルナセオに、あんな怖い表情は似合わない。ネルはそっとフォークを握るルナセオの手を握った。最近、マメがつぶれて固くなってきた、男の子らしい指先だ。


「ね、ネル?」

「セオにこれまでどれだけ大変なことがあったのか、わたし、わかんないけど…」

あの少年の巫女狩りの仲間をみんな倒してしまったとして、ルナセオがそれで傷つかないような無感動な人間ではないことはよく分かっている。ネルは言葉を選んで唸った。

「あのね、リズセムさまに言われたの。辛いときこそ、楽しいことを探すんだって。セオにはあんな怖い顔じゃなくて、いつも笑っててほしいよ。わたしも手伝うから、だから…セオ?」

あまりにも目の前の少年が無反応なので顔を上げると、なぜだかルナセオは固まっていた。ぽかんと口を半開きにしていて、目尻のあたりが真っ赤だ。


 メルセナがため息をつきながらフォークを取った。

「なんていうか、ネルって小悪魔よね」

「ええっ、なんで?」

「あーやだやだ、愛しのデクレくんに会えたら告げ口しちゃおっと」

「ど、どうして?セーナだって一緒だよ?セオは巫子の仲間だし、お兄ちゃんみたいだし…」

するとなぜかルナセオがテーブルに突っ伏した。トレイズが苦笑しながらその背をさすっている。みんな分かったような顔をして、ネルだけひとり除け者だ。ネルは頬をふくらませた。

「もう、みんな知らない!」



 それでいったんはうやむやになったが、残念ながら話はそこで終わらなかった。ともかくメルセナの家は危険なので、お腹が満たされたところで、ネルたちは城に向かうことになった。

「街中で巫子狩りとドンパチするわけにはいかないからな。王城ならそう下手なことはできねえだろ」

「俺たち、前に来たときにお城で巫子狩りに襲われなかったっけ?」

「…何かあったら騎士に助けてもらおうぜ」

メルセナがニヤニヤしながら「他力本願っていうのよ、そういうの!」と突っ込んだ。いつもトレイズの言うことなすことにプリプリしていた時と比べると、この昼食を経て少しだけ好感度が上がったようだ。


 坂道をのぼってクレイスフィー城が近づいてくるにつれ、ネルはまたも間抜けにその様相を見上げた。

 この建物ひとつで、ネルの村がまるまる収まってしまうんじゃないかというくらい大きなお城だ。石造りの城はどっしりと存在感があって威厳に満ちあふれている。

「中は綺麗だったよ。絨毯がフカフカで、でっかいシャンデリアがあってさ」

「フン、そんなの序の口よ」

ルナセオの感想を鼻で笑って、メルセナは胸を張った。なぜだかとても自慢げだ。

「なにせ世界創設戦争のときの姿を残している歴史あるお城だもの。中はもっとすごいわよ。単純に綺麗なのは当たり前、悪い奴が入ってこないようにすごく複雑な作りになってて、目印になる柱の彫刻は世界有数の芸術品よ。ま、私もせいぜい騎士団の詰め所までしか行けないから、それより奥がどうなってるかは知らないけど」

「へー、迷っちゃいそう…」

話に聞くだけで圧倒されてしまう。デクレが聞いたら羨ましがるだろうなあ、すっかりおのぼり気分でメルセナのあとに続くと、その先に見えた人影に立ち止まった。


 ルナセオが動く前に、即座にネルが右腕を、メルセナが左腕を、トレイズが頭を引っつかんだところで、本人からは「…俺、珍獣かなにか?」という文句が上がった。

 王城の前には、先ほども見た小柄な黒マントのふたり組が立っていた。なにやら見張りの甲冑兵と問答しているようで、兵士のほうは持っている槍で彼らの行く手をふさいでいる。


 ローアと呼ばれていた女の子の巫女狩りが憤慨していた。

「なんで入っちゃダメなの?玄関受付は誰でも入れる決まりでしょ!?」

「ズケズケと我らの王城に踏み入った挙句、騒ぎを起こして出禁になったのはお前たちの自業自得だろう、帰れ帰れ!」

「しょうがないでしょ!悪しき巫子を捕まえようとしたんだから感謝してほしいくらいよ!」


「ああ、やばい」

話を聞きながら、眉を寄せたルナセオがトレイズを振り仰いだ。

「前に来たときに俺が巫子狩りに追われたせいで、なんか迷惑かかっちゃってない?」

「不可抗力だったろ」

そうは言いつつトレイズもおなじみの苦い顔だ。


 甲冑姿でも、兵士がこのふたり組を迷惑がっているのは明らかだった。子供たちを追い払うようにしっしと手を振ると、ローアは真っ赤になって激昂した。

「なによ!アンタみたいなヤツ、パパに言って処罰してやるんだから!」

「ちょ、ちょっと、ローア!」

不穏な空気になってきた。トックと呼ばれていた少年のほうの巫子狩りの制止にも、少女の口は止まらない。

「だいたい、五大都市は神都の属領なんだから、私たちの命令には従ってしかるべきでしょ!シェイルは繁栄めざましいっていうけど、それだって神都が自治を認めてるおかげなんだから…」

「シェイルが、なんだい?お嬢さん」


 涼やかな声が響いた。うんざりした様子だった見張りが、ぱっと直立した。メルセナが、いつもより高いトーンであっと声を上げた。

 城から出てきたのは、濃紺の髪と瞳の温和そうな青年だった。黒いコートに白いマント、腰には剣を佩いている。彼は見張り兵をねぎらうように片手を挙げたが、視線は招かれざる黒マントの客人に固定していた。

「我らがシェイルの繁栄が神都の功績だと、そう言ったかい?なるほど、君は少し偏った歴史の授業を受けたようだ」

「な…なによ、本当のことでしょ?」


 青年は優しげな声音でくすりと笑ったが、どう考えても好意的な態度ではないことはネルにも分かった。彼はおもむろに自分の剣の柄が気になった様子で指先で弄びはじめた。

「世界を取りまとめるべき神都で、そのような自都市賛美の教育が謳われているとは嘆かわしい限りだ。そちらの神官学校ではもう少しマシな教師を雇うよう、世界大会議で奏上いただけないか殿下にお願い申し上げておくとしよう」

「生意気ね!アンタたちなんか神都が認めなきゃ存続もできないんだから、黙って私たちの言うことを聞いてればいいのよ!」

 トックがひぇ、と一歩後ずさった。メルセナもルナセオもトレイズも、一斉に「あーあ」と言わんばかりの憐みのまなざしで首を横に振った。


 濃紺の髪の青年は、軽やかな動きで剣を鞘から抜き出すと、くるりと空中で一回転させた。慣れた動きは大道芸みたいに美しかったが、それだけに背筋がぞわりとした。

「お嬢さんはよほど、我ら誉れ高きシェイルディアの力をお試しになりたいらしい。それが神都の総意ならば、仕方ないね。神都は我がシェイルとの盟約を守る意志なしと、私から敬愛なるリズセム王にお伝えしておく」

「わ、わ、わ、私を脅そうったって、そうはいかないんだからねっ!」

そうは言ってもローアの声はひっくり返っていた。青年は小首をかしげて目を細めた。

「さて?最初に我が兵を脅したのは君だと思っていたけれど。まさか栄えある神都ファナティライストの仕え人ともあろう者が、自らの行動の責任がとれない訳ではないだろう?」


 とうとうローアが言葉に詰まった。その隙を見逃さずに、青年はビュンと風を切って剣を振った。ローアの綺麗に手入れされた小麦色の髪が、はらはらと数本散った。

 青年はニコリと愛想よく笑って言った。

「おっと、失礼。虫が止まっていたようだ」


 ローアは「おおお、覚えてなさいっ!」と震え声で叫んで走り去っていった。ネルたちのすぐ横を通っていったが、涙目になっていてこちらには気付いていないようだった。トックのほうだけがチラリとこちらを見て、ヒッと息を呑んだが、躊躇しながらもローアを追いかけていった。


「ギルビス!」

 メルセナが一目散に飛び出して、青年のもとに駆け寄った。青年は優雅な動きで剣を収めると、今度は真実優しい笑みを浮かべて彼女の頭を撫でた。

「やあセーナ、久しぶり。無事でなによりだ」

「お前、ガキ相手なんだから少しは手加減してやれよ」

トレイズは呆れた様子で言ったが、青年は飄々と肩をすくめてみせた。

「都市の名を背負って来た者に子供も大人もないよ。それより」

それから青年はルナセオを見た。

「君たちをラトメに送ってすぐ暴動が起こったと聞いて心配していた。間が悪かったね」

「あ、いえ、俺は特に何事もなく…ネルは大変だったみたいだけど」


 ルナセオがチラリとこちらを見るのに合わせて、青年と目が合った。ネルはその場から一歩も動けないままに、その人を見上げた。

 ネルより背が高くて肩幅も広かったけれど、彼はわずかな記憶に残るほど大きくなかった。それでも、ネルの目前まで歩み寄ってくるその人からは、慣れ親しんだ草原のにおいがした。

「あ、あの、あの」

 ネルは口をぱくぱくさせて、ようやく声を絞り出した。緊張で喉がカラカラだった。

「あの…わたし、あなたのこと、なんて呼べばいい?」


 わたし、なにを言ってるんだろう。ネルは恥ずかしくてスカートを握りしめた。地面を見つめていると、不意に青年が目の前に膝をついた。彼はネルの右手をそっと取ると、穏やかにほほえんで、その指先にくちづけた。

「どうぞ、ギルビスと。シェイルディア騎士団の長、ギルビス・L・ソリティエ。君を歓迎するよ、ネル」


 その人は誰に言われずとも、ネルの名前を知っていた。ネルはぎゅっと唇を引きむすんで、胸を押しつぶす激流をなんとか押しとどめた。喜びたいのか、怒りたいのか、よくわからなかった。

 それでも、この人の肩越しに見た遠い景色の稜線が好きだったことだけは、確かな記憶としてよみがえってきた。

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