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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
3章 強欲なやさしい王様
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 リズセムは「タダ飯喰らいに用はない」というだけあって、自身もたいへん働き者だった。自ら率先して火を焚き、水を汲み、適当な獣を狩って捌くのもお手のもの。メルセナとルナセオは鳥の首を落とす段になって逃げ出してしまったが。

「なんで!?なんで王様が鳥を絞められんの?」

木の裏側に隠れながらルナセオが叫ぶと、リズセムはケタケタ笑った。

「そりゃ、旅先で食料がなくなればそのくらいやるだろう?森の中に切り身の肉が歩いているわけでもなし」


 驚くべきことに、レクセやシェイルでは食料は育てるものではなく買うもので、お肉は最初から部位ごとに解体された状態で売っているらしい(と言ったら、メルセナは「解体なんて言わないで!生々しい!」と非難轟々だった)。ネルにとってはお肉を食べるならそれを絞めるのは当たり前の話なので、リズセムと一緒に手早く羽をむしる。なんだかようやくみんなの役に立てている気がしてネルはやる気を見出していた。


 ネルたちはネイーダの村を出発して、シェイルディア首都クレイスフィーに向かう森に入っていた。「枯れ森」と呼ばれるそこは黒っぽい木々が立ち並ぶ大きな森で、時折魔物は出るが、穏やかで静かな場所だった。この森を越えればシェイルディア首都クレイスフィーにたどり着くらしい。

 鶏肉が切り身になったところでようやく戻ってきたメルセナと一緒にスープを作りながら、ネルは打ち込み稽古に励むルナセオを眺めた。今日も今日とてルナセオは鬼教官のしごきに悲鳴を上げている。


「あのガキンチョは人に指導するのに向かないねえ。紅雨の、君が教えてやればいいのに」

「俺はこの腕ですから、ルナセオにいらない癖がついたらいけないでしょう」

トレイズは空っぽの袖を右手でつまんだ。リズセムは焚き火に注ぎ足す小枝を振った。

「別に軍人になろうっていうんじゃないんだから気にするこたないと思うけどね。シェイルに着いたら誰か紹介してやるか」

「リズセムさまは戦えるの?」


 旅をともにして数日、彼はまさに万能だ。魔物が現れた時こそ、エルディやトレイズに討伐を任せているが、後ろから的確に指示していて、リズセムがなんの戦力にもならないところを見たことがない。小枝を火の中に放ったリズセムは、ネルの質問にケラケラ笑った。

「まあ、ひとりで旅に出られるくらいにはね。でも紅雨のに勝てる気はしないね、彼ってば全盛期は鬼みたいに強いって噂になってたし」

「いや、あの、それは昔の話で、噂がひとり歩きした結果っていうか」

トレイズは恐縮しきって頭を掻いたが、リズセムは聞いちゃいなかった。

「彼の通る場所には血の雨がふるっていうんで、『紅雨のトレイズ』ってさ。僕はあのガキンチョをシェイルに引き抜いた時に会ったくらいだから、人づてに聞いたくらいの話しか知らないけど」

「あー、あー、あの時は本当に、大変な失礼を…」


 トレイズの頭は下がり続けて、もはや地面に付きそうな勢いだ。隣で鍋をかき回していたメルセナが「なるほど、ケツの毛むしられたのは実体験だったのね」と訳知り顔で頷いた。

 過去に恐ろしい暗殺者だったことはチルタの日記にも書かれていたが、レクセで青年が「善人」と評した通り、トレイズが悪い人物ではないのはこの旅の中でよく分かっていた。メルセナとは反りが合わないようだが、心配性でおせっかいなトレイズのことが、ネルは嫌いではなかった。父親がいたらこんな感じかもしれない。


 そう、父親…結局、あれからリズセムに、彼の「詫び」について詳しく聞く機会は訪れていなかった。ぬくぬくとあたたかいマントはありがたくもらってしまったが、リズセムの方もその話題を蒸し返すことはついぞなかった。

 シェイルに父がいたとして、ネルはどうしたらいいのか分からない。父がいないのはネルにとって長らく「当たり前」のことだった。会いたいと思ったのは遠い昔の話で、名前も顔も覚えていないひとに突然父と言われたって困るだけだ。そもそも、会ったところでそれが父だと、果たしてネルに分かるだろうか。


 クレイスフィーが近づくにつれてネルは緊張していたが、メルセナやルナセオは楽しみなようだ。彼女は鼻歌まじりにシェイルのことをよく語った。

「シェイル騎士団の一等騎士といえばウチの街の花形で、今はパパを含めて5人しかいないのよ!特に騎士団長のギルビスがかっこいいの!こう…白いマントをばさーって翻してね…」

「ああ、俺も会ったよ。やっぱ騎士団長ともなると器がでっかいよなー。トレイズにもあのくらいの大人の余裕があればなあ」

「聞こえてんだよ!」

 ルナセオとメルセナの贔屓の騎士は騎士団長の「ギルビス」なる人物らしい。確かネルとデクレを保護するようにメルセナたちに指示したという人だ。もしかしたら、その人もネルの父となんらかの繋がりがあるのかもしれない。



 そんな気の休まらない旅程を経て、ようやくネルたちはシェイルディアにたどり着いた。枯れ森を抜けた先に広がる、堅牢な石造りの大門を見上げる。ところどころに見張り塔がつき、外壁の周りをぐるりと深い堀が囲んでいる。

「ラトメの白い壁と違うね」

「ラトメの外壁は自然から街を守るためのものだからな。シェイルの石壁はいわゆる『攻めにくい』城塞ってやつだ。ま、戦争用の街づくりだな」

 トレイズの解説に、ネルはビックリして彼のひげ面を見上げた。

「戦争?戦争するの?」

「もちろんそんな予定はないけど、備えあれば憂いなしってヤツさ。枯れ森から魔物が押しかけてきたときとかね」

リズセムはケラケラ笑った。


 堀から門にかけては跳ね橋がかかっていて、門前には見張りの兵士がふたり立っていた。ぶ厚い甲冑に身を包んで顔も見えない。最初、微動だにしないそれらを、ネルは置物か何かだと思ったが、近づくと、甲冑の片方が手にした槍を落とした。かなりけたたましい音がした。

「う、ウオオオオオオオオ、セーナ!セーナじゃないか!!」

「なにィ!?セーナだと!」

「あっ、久しぶり!」

野太い男の声でわめく甲冑の半分くらいしか背丈のないメルセナは気軽に片手を上げた。


 槍を落としたほうの甲冑が頭を抱えて、天をあおぎながらその場に崩れ落ちた。

「ああッ、無事だったか!お前が枯れ森に入っていったと聞いて、生きた心地がしなかったぞ!」

「伝令、伝令ー!城に伝えろ!俺たちのセーナが帰ってきたぞー!」

もう一方の甲冑はガションガションと音を立てながら、門の中に向けて大声で叫んだ。中からも「セーナが帰ってきたって?」「なんだと!?」と騒ぐ声が聞こえてくる。

「なんていうか、シェイル兵士ってだいたいこんな感じで暑苦しいのよね」

メルセナは肩をすくめた。エルディがこめかみに手をあげながら一歩前に出た。

「お前たち、娘の無事を喜ぶのは光栄だが…」

「ヒッ、エルディ様!」

甲冑たちが数センチ飛び上がったところで、エルディは苦い顔のまま目を伏せて、トップハットの少年を指し示した。

「…殿下の御前だ」


 甲冑たちは、重そうな鎧を身につけてどこからそんな力が湧くのやら、機敏な動きで門の両脇に直立した。彼らは槍の石突(いしつき)をガンと地面に当て鳴らして、ぴったりと声を揃えて叫んだ。

「王殿下、お帰りなさいませ!」

「ええ、もう終わり?もうちょっと大騒ぎする皆の衆が見たかったなあ」

リズセムはいかにもがっかりした声音を作ったが、目は笑っていた。


 門の中の街に向かう通路にも、整然と甲冑が並んでいた。ネルたちが横を通るとガツンと槍をつくので、ネルは大きな音にビクビクして手近なトレイズの背中に隠れた。ルナセオが苦笑しながら「襲われたりしないよ」と励ましてくれたが、こんなたくさんの甲冑姿の人など、田舎ではとんとお目にかからないのだ。怖いものは怖い。

 しかし、門を超えた先の街並みを見て、ネルは思わずマントから手を離していた。


 都会というのはこういうところだと、田舎娘のネルでも一瞬で理解できる街だった。舗装された道をガラガラと馬車が通っていき、広場のまわりにはひしめきあうように旅芸人や露店が客引きをしている。丘のようになだらかな坂道には床の高い石造りの家々が並んでおり、その向こうにひときわ大きなお城がそびえ立っていた。道ゆく人々はみんな身に付ける服装もおしゃれで、歩く足捌きすらどこか洗練して見える。どの人もみんな明るく楽しそうだ。

 ぽかんと間抜けに口を開きながら眺めていると、いつの間にか隣に立っていたリズセムが満足げに頷いた。

「美しい街だろう?寒さの厳しい土地だが、皆が図太く生き抜く良いところだ。我が城からの景色もなかなか見応えがあるからぜひ後で覗いてみるといい」


 リズセムの喜びを体現する街がまさにこのクレイスフィーなんだと、ネルはすぐに分かった。彼はトップハットを軽く持ち上げると、ひらりと両腕を広げた。

「さて!どこに行きたい?城に出向く前に好きな場所を観光と行こうじゃないか」

「殿下、お願いですから速やかに城へお戻りください」

エルディがキッパリ言った。

「娘たちを城に迎え入れる準備をしなければ」

「まったく融通の利かない子だね。まあいいさ。諸君、夕食の時間までにはお城へおいで。我が城自慢のシェフの味を堪能させてあげよう」

そしてリズセムはひょいとネルの魔法のスカーフを取り上げた。

「この街じゃこんな野暮なものは要らないよ。我が街は姿を隠していては楽しめないからね」


 エルディは懐から財布を取り出すと娘に渡した。

「しばらくクレイスフィー城に部屋を用意していただくことになっている。私は殿下をお送りしがてら準備を依頼しておくから、少し時間を空けて来なさい」

「分かったわ、パパ。お昼を食べてから行くわね」

メルセナが慣れた様子で財布を受け取ると、エルディはひとつ頷いて、それからトレイズに深々と頭を下げた。

「トレイズさん、しばらく子供たちを頼みます」

「おう、そっちもよろしくな」


 連れ立って城のほうへと歩いていくエルディとリズセムを見送りながら、ネルはぺたりと自分の頭を触った。

「わたしのスカーフ、さらわれちゃった」

「まあ確かに、この街じゃいらないかもね。たぶん誰も気にしないもの」

「オイオイ、巫子狩りがいたらどうすんだ」

トレイズは渋面でネルにフードを被らせたそうにしていたが、メルセナはその手をはたいた。

「その時はアンタが守ってくれるんでしょ?」

「まあ、そりゃそうだが…」

「せっかくだから満喫しましょ!私が街を案内してあげる。どこに行きたい?」

 どこと言われても、初めての土地ではネルもなにがあるのかわからない。ルナセオと顔を見合わせたところで、メルセナはあっと声を上げた。

「ごめん、まずは私の家に寄らせて。家の中にある食料、ダメになっちゃってるだろうからなんとかしないと」



 メルセナの家は城からほど近い住宅街の中にあるらしい。メインストリートを抜けて、人通りの落ち着いた家々の並ぶ通りに出ると、ネルは息を吐いた。

「はあ…目が回っちゃった…」

「大通りはずいぶんな人出だけど、いつもこうなの?」

人ごみに寄ってしまったネルの背中をさすりながらルナセオがたずねると、メルセナは「そお?」と首を傾げた。

「冬はもっと静かだけど、それ以外の季節はだいたいこんなもんよ。いつもよそからの行商とか興行とかが来てるし」

 世の中にはこんなせわしない街があったのだなあ、ネルはかぶりを振りながらしみじみ思った。しかし、この街の人々は本当にネルの一部分だけ赤い髪などぜんぜん気にしていないみたいだった。もしかすると旅芸人か何かだと思われているのかもしれない。


「あら!セーナじゃない」

 その時、ちょうどそばの家から出てきた女性がこちらを見て目を丸くした。たくさんの野菜をかごに入れて抱えている。彼女はキビキビとこちらに寄ってきた。

「ずいぶん長く留守にしてたじゃない。目の保養がいなくなってみんな寂しがってたわよ」

「ちょっと、寂しがるのはパパに対してだけなの?」

どうやらメルセナの友達らしい。ふくれっつらのメルセナはさらりと無視して、女性はネルたちを見た。「こちらは?」

「友達!旅先で会ったの」

「ふうん」

女性はマジマジとネルの髪を見て、「イカした髪型ね。私も真似しようかしら」と自分のセミロングをつまんだ。


「そういえば、セーナ、家に帰らないほうがいいわよ。アンタたち親子がいなくなってから、家の前をウロチョロしてる怪しいヤツらがいるのよ」

「怪しいヤツら?」

 おうむ返しに問いかけるメルセナの後ろで、ネルたちも顔を見合わせた。女性は頬に手を当てながら空を仰いだ。

「なんだか黒いマントを着た妙な連中よ。一応お城には通報しておいたんだけど。なんだか黒い筒みたいなのを持ってて…」

 そこまで聞いたところで、いきなり背後からフードをかぶせられた。振り返ると、ネルの髪を隠させたトレイズは、そのまま通りの先に向けて走り出したところだった。

「トレイズ!?」

「お前らはそこにいろ!」

返事も聞かないまま、トレイズはあっという間に小さくなっていった。メルセナが地団駄を踏んだ。

「そこにいろって、アイツ、私の家がどこか知らないじゃない!」

「薄汚いけどなかなかダンディな人ね。セーナ、ギルビス様から乗り換えたの?」

女性の呑気な質問に、メルセナはいきり立った。

「誰に乗り換えるとしても、あの方向音痴だけはありえないわ!行くわよ、ネル、セオ!」

トレイズの背中を追って、メルセナに続いてネルとルナセオも駆け出した。


 トレイズはそこまで遠くには行っていなかった。彼の消えた曲がり角に差し掛かると、トレイズは家の影に隠れて、その向こうの様子を伺っていた。彼は追ってきたネルたちを睨んだが、すぐに口元に人差し指を立てて、無言のまま自分の後ろに隠れるように身振り手振りで指示してきた。

「なに…」

をしてるの?と問いかける前に、両側から口を塞がれた。トレイズの後ろから通りの奥を見ると、黒いマントを身に纏った小柄な人物がふたり立っているのが見えた。

「巫子狩りだ。まだ子供みたいだが」

 ネルはぞっとした。トレイズの言う通り、フードを被っていない彼らは、ネルとそう変わらない年頃に見えた。

 ふと、ネルの口をふさいだままのルナセオの手が震えているのに気がついた。彼は愕然と目を見開いていて、引きつった唇をわななかせながら震え声でつぶやいた。

「…あいつは!」

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