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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
3章 強欲なやさしい王様
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「な、な、な、な、なんで!?」


 ネルは仰天して、座ったままリズセムと距離を取った。トップハットの少年は、その様子をケタケタ手を叩いて笑っている。

「君のことは聞いてる。聖女の封印を解いて自ら巫子になった奇特なお嬢さんがシェイルに向かっているから保護してほしいとね。まったく面倒…いやいや、アイツには借りがあるからね、快く引き受けさせてもらったよ」

アイツ、ネルはぽかんとしながら繰り返した。脳裏にうつくしい顔をしたみかん色の瞳の青年の姿がよぎった。


 リズセムは小石を拾い上げると、湖の水面に向けて横なぎに投げた。小石はポンポンと水面を跳ねながら飛んでいく。

「僕は人より少し鼻が効くたちでね、君たちを出迎えるためにシェイルに帰る途中、馴染みのある匂いがして立ち寄ってみたらここに君がいたというわけさ」

「はあ…におい…」

思わず袖口をすんすん嗅いでしまった。野宿続きだったとはいえ、一応身体を拭くくらいのことはしていたのだが。


 そんなネルの動きにおかしそうにクスクス笑って、リズセムは大仰に両手を広げてみせた。

「そしたらなんだか悲しげに湖に寄っていくじゃないか!ダメダメ、この都市に存在するあまねく人民は笑顔でないとね。暗い顔はこのうつくしい湖には似合わないよ」

「あ…ごめんなさい」

頬をぐにぐにこねながら反射的に謝って、ネルは首をかしげた。どうしてわたし、このひとに謝ってるんだろう?


 少年は立ち上がって、ネルを見下ろした。なんだか、ひとつひとつの動きがとても洗練されていて優雅だ。彼は座ったままのネルに手を伸ばした。ルナセオの手も綺麗だったけれど、リズセムの細い指はそれとも少し違っていた。剣だこも手荒れも一切ないのはもちろん、爪の先まできちんと気を遣って手入れされている。

 少年の顔を見上げると、明かりのない夜を閉じとめたような静謐な黒い瞳を三日月型に細めて、テノールのやわらかい声で言った。

「おいで」



「どこへ行くの?」

「散歩!気分が晴れないときはジッとしていたっていつまでもじめじめ悩むだけさ。さあ、共にこの村の良いところを見つけに行こうじゃないか」


 リズセムはそう言うなり、ネルを連れて村を練り歩いた。まずは井戸端会議をしている奥さまがたのもとへまっすぐ突き進むと、まったく臆すことなく話しかけた。

「やあご婦人がた!この村でなにか甘いものを食せる場所はないかい?」

ネルは焦った。慣れ親しんだ村でだって、井戸のまわりで噂に興じている女のひとたちに話しかけるなど勇気がいるものだ。当然、女性たちは、突然現れた奇妙ないでたちの少年をジロジロ眺めまわした。

 ネルはドキドキしたが、彼女らは意外にもなんてことはなさそうに教えてくれた。

「甘いものならニキットおばあさんのところの揚げドーナツがいいんじゃないかしら。そこの角を右よ」

「お茶するなら東のよろず屋でもいいんじゃない?ひら、あそこのお嬢さんが最近紅茶に凝ってるって」

「宿の食堂のプリンはもう食べたかしら?あそこのご主人も甘党だからなかなかこだわってるみたいよ」

口々に言い合って、あらそれ知らなかったわ、と盛り上がりだした女性陣に、リズセムはうんうん頷いた。

「なるほど、なかなか甘味に充実しているようだ。宿のプリンは夕食の楽しみにとっておくとしようか。さあ行こう」

それからふと思い出したように足を止めて、

「おっと、ご婦人。そのイヤリングはご主人からの贈り物かい?瞳の色によく合ったいい石だ。夫君に良き趣味だと伝えておくれ」


 あらお上手ねとクスクス笑う奥さまがたの声を背中に受けながら、ネルは胸をなでおろした。

「びっくりした。そっけないこと言われたらどうしようって思っちゃった」

「この村は旅人の中継点だからね、民たちもよそ者には慣れている。むやみにあちらから声をかけてこないだけさ」


 それからもずっとリズセムの独壇場だった。偏屈そうな駄菓子屋のおばあさんとは「この揚げドーナツはどこの小麦を使っているんだい?」とネルにはわからない突っ込んだ小麦談義を繰り広げたり、こぢんまりとした空き地でボール遊びしている子供たちに混ざって巧みなボール回しを見せたり。酒瓶を片手に持った、なにやらガラの悪そうな大柄の男の人たちに向かっていったときはネルはハラハラしてしかたなかったが、いつの間にか赤ら顔の男の人と肩を組んで歌などうたいはじめてしまった。

 どうやらリズセムと話すと、みんな楽しくてしかたなくなってしまうようだった。彼は常に陽気で、知識が豊富で、相手が興味を持つ話題を振るのに長けていた。宿屋の娘としては少し悔しいところだが、いつしかネルも村人たちと一緒になって声を上げて笑っていた。


 家に帰るという男性たちに手を振って別れたところで、デクレのことをすっかり忘れて楽しんでしまっていたことに気付いてネルははっとした。表情の曇ったネルに気づいて、リズセムが顔をのぞきこんできた。

「おや、どうしたんだい?」

「…わたし、ふつうに楽しんじゃってた」

 デクレはいま、辛い思いをしているかもしれないのに。ぶわりと罪悪感がこみあげてきてうつむくと、リズセムはそんなネルを笑い飛ばした。

「はは!いいじゃないか。なんで楽しんではいけないんだい?」

「だって、デクレ…えっと、幼なじみが、つらい思いをしてるかもしれなくて、それに、クレッセも、9番のことも、なんとかしなきゃいけないのに…」

「誰かが君に、ずーっとうつむいていろと強要しているのかい?」


 ネルはびっくりしてリズセムを見た。彼はとんとんとネルの前を跳ねるように、数歩先にとびだした。そう変わらない身長なのに、リズセムのほうはすっと背筋が伸びていて、自信にみなぎっているように見えた。

 ネルはマントの胸のあたりをつかみながら、勢いよく首を横に振った。

「だ、誰もそんなこと、言わない」

「だろう?なら、君がそう思うのは何故だい?君が自身に喜楽を制限する意図は?幼馴染の辛苦に順ずるためかい?」

「…よく、わかんない」

ただ自分が辛いのか、デクレが辛い思いをしているときに自分だけ楽しい思いをするのが申し訳ないのか。そのどちらもであるような気もした。ネルの幸福はいつだってデクレの隣にあったから、デクレがいないと、ネルの気持ちは迷子になってしまう。


 しかし、リズセムはネルの悩みなどまるでちっぽけであるかのように、トップハットの角度を気にしながら言った。

「こいつは僕の持論なんだけどね」

彼はくるりと振り返って、ネルに向けてにんまり笑った。

「愛しの君の隣ではずっと笑っていたいものさ。だから僕は怒りを感じたとき、苦しいとき、辛いときこそ、喜びを探して練り歩くんだ。彼女の隣に帰るときは、ただの呑気な男に戻るためにね」

「喜びを探す…」

「そ。だからこの都市に君のような苦しむ者がいては困るのさ。僕の喜びに瑕がついたら、あの子の元に帰れなくなってしまう」


 そこでようやく、ネルは目の前にいる少年が何者なのかわかった。よく考えれば、こんな身綺麗な人物がただの平民のはずはなかった。

「あ、あの、あの」

ネルはまたうつむきそうになったが、なんとか踏みとどまってリズセムを見た。

「わたし、なんにもできなくて、巫子の力もうまく使えてなくて…それでもわたし、笑ってても、いいのかな?」

 リズセムはポケットに手を突っ込んで、なんでもない風に肩をすくめた。

「笑ってちゃならない理由がないね。少なくとも我がシェイルディアの領内では、全ての人民、笑顔であることが最大の美徳さ」


 少年の姿をしたシェイルディアの王様は、ひょいとネルのスカーフを頭から取り払って、先導するように歩きだした。

「さて、じゃあ君の幸福の第一歩だ。まず衣食住が揃っていないと人は病むからね。その薄っぺらいマントをぬくぬくとしたウチ特産のシェイル織に替えてやろうじゃないか」



 リズセムに連れられてやってきたのは小さな仕立て屋だった。入り口にガラス張りのショーウィンドウがついていて、小花柄の布で縁取りがされたかわいらしいワンピースがトルソーに飾られている。あんなお洋服を着てデクレとどこかへ出かけられたら素敵だな、ぼんやりと見上げていると、リズセムは颯爽と店の中へと入っていった。

 中で針仕事をしていた恰幅のいい女性は、リズセムをチラリと見て不機嫌そうに「いらっしゃい」と言った。

「悪いけど新しい仕立てはやってないよ。布が足りてないんでね」

「既製品でいいんだが、彼女のためのマントを見繕ってくれはしないかな?」


 女性にジロリと見られて、ネルはドキリとしたが、彼女はネルの赤い髪を対して気に留めた様子もなく立ち上がった。奥から3枚のマントを持ってきて、女性はため息をついた。

「今あるのはこれで全部だね」

「十分だ。それにしても布がないとは。行商が滞っているのかい?食糧が不足しているようには見えなかったけど」

「食糧は南からの行商が持ってくるからさ。シェイル織の布は北西の町から買ってるんだが、このあいだ落石があって道が塞がっちまったみたいでねえ。冬の間に作りためてた服しかないのさ」

「へえ」

リズセムはシンプルなベージュのマントをネルの体にあてがいながらも、顔は女性のほうを向いていた。

「でもこの村なら首都からの商人も来るだろう?」

「それが、枯れ森で行方不明になってた連中の死体が見つかったとかで、首都からの行商もビビっちまったのかぱったり。まったく、誉れあるシェイルの男ならもうちょっと度胸を持てないモンかねえ」


 ネルは並べられたマントのうちのひとつを手に取った。落ち着いた裏葉色に小花柄の布で縁取りがついている。ショーウィンドウに飾ってあったワンピースとお揃いのデザインだ。

「それが気に入ったかい?」

リズセムの言葉に頷きかけたネルだったが、はっとしてぱたぱたとポケットを探った。かわいらしいデザインだが、あいにく今は持ち合わせがない。

「あの、わたしお財布を宿に置いてきちゃって」

「なに。気にすることはない、女性と買い物に出て懐の心配をさせるような甲斐性無しではないつもりだ」

リズセムはさっとマントを広げて、ネルと見比べた。

「少し丈が長いかな?」

「裾上げ一枚300イェノムだよ、兄さん。今夜中には仕上げとくよ」

「じゃあお願いするとしよう。試着しておいで」

ネルは試着室に追いやられながら、女性の「いい彼氏じゃないか」という台詞に、ネルはあいまいに笑った。彼氏ではないばかりか彼とは今日会ったばかりだが、じゃあリズセムとの関係はなんなのだと聞かれても、答えようがなかったので。


 マントは明日の出立前に引き取ることになって、ふたりは仕立て屋を後にした。いつの間にか日が暮れ始めている。リズセムは空を見上げながらトップハットのつばを上げた。

「うん、まあこんなもんかな。なかなか有意義な時間だった」

「あの、マントのこと、本当にもらっちゃっていいの?」

「うんいいよ、君には個人的な借りもある。詫びだと思って受け取っておくれ」


 借り?首を傾げると、リズセムは宿に向けて歩き出しながらさらりと言った。

「君のご尊父をずっと借りっぱなしだったからね。まあ、マント一枚ぽっきりではなんの償いにもならないが、僕からの歓迎の印だとでも思ってくれたまえ」

「……えっ?」

理解するのに時間がかかってしまった。聞き返そうとしても、すでにリズセムは「さーて、あの見た目だけはキラキラしいガキンチョに会いに行くとしようか!」などと言いながら、ずんずんと先に行ってしまった。取り残されたネルは、もう一度リズセムの言葉を咀嚼して、口元に手を当てた。

「え…えっ?」

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