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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
2章 9番
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一部残酷な描写が含まれます。

 グレーシャの先導でやってきたのは、2階の書斎らしき部屋だった。扉は蝶番が片方外れて半開きになっている。本棚にはぎっしりと本が詰まっていて、収まりきらない分が床にまで積み上げられていた。読書の苦手なネルには見るだけでクラクラしてくる光景だ。


 しかし、その部屋に足を踏み入れたとき、ネルはどこかでこの場所を見たことがあるような、あるいはずっと昔にここに来たことがあったような、奇妙な既視感を覚えた。

「どうしたの?」急に足を止めたネルに、メルセナがきょとんとした。

「う、ううん、なんでもない」

当然、この屋敷どころかレクセに来るのも初めてなのだから、気のせいなのだろう。あたりを見まわすと、本だけでなく紙も散乱していることに気づいた。この部屋の主人はずいぶん勉強熱心だったんだな、しゃがみこんで紙を取り上げると、長い年月放置されていた紙はパリパリになっていた。


 手にしたのはどうやら楽譜のようだった。当然、ネルには読めないが、昔、宿に来た吟遊詩人のお客さんに見せてもらったことがある。何本か引かれた線にオタマジャクシのような黒い粒が並んでいる。ところどころかすれているが、一番上に表題らしきものが走り書きされていた。

(いと、しの…クレ、イ、リス…クレイリス?)

どこかで聞いたことのある名前だが、どこで聞いたのだったか。記憶を探っていると、背後でグレーシャが声を上げた。

「ああ、これこれ」

振り返ると、彼は青い装丁の鍵つきの本を棚から取り出してルナセオに渡すところだった。

「これだけ他の本よりちょっと新しくて気になっててさ。針金で開けてやろうと思ったんだけど、魔法がかかってるみたいでうまくいかなかったんだよな」


 楽譜を床に戻して近づくと、ルナセオはポケットから鍵を取り出して、本の鍵穴に差し込んだ。みんなで緊張して見守る中、鍵がくるりと回って、カチャンと音が鳴った。

「開いたぜ!」

「読んでみましょ!」

ルナセオが表紙を開くのをみんなで覗きこむと、最初のページには一言だけ、几帳面そうな綺麗な文字でつづられていた。


「『決して、忘れるな』…」


 実際に日記がはじまっているのは次のページからのようだ。ネルはその文字をひと文字も漏らすまいと、身を乗り出して目で追った。



『今日、ようやく高等祭司として陛下に認めていただいた!

 僕が得た左手の印は、赤の巫子の証らしい。おとぎ話だと思っていたけれど、本当に存在するとは驚いた。僕の持つ9番の印は世界を滅ぼせるほど強大だから、無為に使ってはいけないと、世界王陛下は強くおっしゃられた。

 だけど、この力があれば、僕はもう一度、レナに会うことができるかもしれない』


『世界を滅ぼせる力なら、望むかたちに世界を再構築することも可能だと思う。陛下はあまり言いたがらなかったけれど、無理だとはおっしゃらなかった。

 恐ろしい力だって、使い方を誤らなければ、高等祭司としてより世界王陛下を助けることもできるかもしれない。

 レナ、どうか見ていて。そしていつかきっと、君のいる風景を取り戻すから』


 チルタの言う「世界を再構築する」という意味はわからないけれど、教えられていたとおり、彼の望みはレナを生き返らせることだったのだろう。

 しばらくは新米高等祭司としての他愛ない日常が続いていた。あれだけだれかを傷つけずにはいられないと言われていた9番になったにしては、チルタは誰にでも親切なようだ。日記にはさまざまな人物の名前が登場した。今日は誰それ伯爵に頼まれたとか、部下の何某と一緒に子猫の引き取り先を探したとか、広く頼られる立場だったらしい。その合間に、レナを生き返らせるための方法を考えているらしく、あちこちに小難しい単語や計算式が書かれていた。どうやらチルタはとても頭がいいようだ。


 しかし、ある日の日記で、充実した日常に陰りが見えてきた。


『世界大会議にあのトレイズ・グランセルドがいた。何故あの人殺しが、“神の子”の警護に就いているんだ?奴は僕のことには気付いていないみたいだ。

 レナを、そして彼女の家族たちを殺したあいつは、何食わぬ顔で笑っていた。まるで自分には、なんの罪もないみたいに』


『グランセルドの悪行を訴えても、奴らを刑に処すことはできないという。あの一族は世界政府の高官からも依頼を請ける腕利きの暗殺者だからと。なにが腕利きだ。どんなに言い繕ったところで、あいつらは戦闘狂いの殺人鬼に過ぎないというのに』


 そこからは、仕事を楽しむ若者の姿はなりをひそめて、トレイズと、グランセルドという暗殺者たちの怒りや憎しみが書き殴られていた。だんだん字が乱れていって、ついには文字とも言いがたいぐちゃぐちゃしなページが何ページにも渡っている。ネルはぞっとした。

 あのクレッセと同じだ。文面を見ただけで感じる、真っ黒な空気に飲み込まれてしまいそう。ただ前にするだけで恐怖に胸を鷲掴みにされているみたいな感覚だ。

 しかし、それは不意に落ち着いた。次にめくられたページで、夢から覚めるように元通りの綺麗な文字に戻っていたのだ。


『なんだか、長い間悪い夢でも見ていたみたいだ。僕はどうしてしまったんだろう?

 今日、ルナが神都にやってきた。僕が9番になったと聞いて、心配して神官の試験を受けてくれたらしい。一緒に働けて、すごく嬉しい。

 昔はヒーローみたいにかっこよかったけど、久しぶりに会うルナはびっくりするくらい綺麗になっていた。レナも生きていたらあんな風になっていたんだろうか』


『ルナが僕のために、神殿の中の特殊工作員に志願したらしい。あそこは命令だったらどんな汚れ仕事も請け負うこの国の暗部だ。とても心配だけど、ルナはあの部署に入って、僕を打ち倒すかもしれない巫子を止めると言って聞かない。

 ルナはいつもこうと決めたら頑固だ。怪我をしないように僕が見ていてあげないと』


『今日、ルナが同僚の男に言い寄られているのを見つけてしまった。ずいぶん下品なことを言われていて、思わず9番の力を使って殺してしまうところだった。危ない。

 レナと比べればルナはしっかり者だけど、時々すっごく抜けているから目を離せない。ルナはもうちょっと自分の見た目を自覚したほうがいいと思う』


「こんなの、もう好きじゃないの!」

 メルセナが頭を抱えた。確かに、我に返ってからの話題はルナのことばかりだ。ただ同時に、文面を追っていると、以前のチルタとは明らかに違うところもあった。

「でも、チルタさん、王様に止められてたのに、9番の力を使おうとしたんだよね?」

手を伸ばして次のページをぺらりとめくると、やはり危険な目に遭うルナを心配すると同時に、彼女のためならだれかを傷つけることも厭わない記述が目立った。

「それってなんだか…」


 たぶん、チルタはまともに見えるだけで、「元通り」ではないのだとうかがえた。一見すると優しくて親切な性格に思えるけれど、暴力的なことを語るのに躊躇がなくなっていた。ルナを傷つけるやつを、トレイズを、レナを生き返らせるのを阻むやつを、陰口を言っていたやつを、読みたかった本を先に借りていったやつを…チルタの恨みはどこまでも尽きず、ほんのささいなことで殺意が芽生えているように見えた。


 そして、とうとう彼は行動を起こした。


『今日、グランセルドの根城を潰した。現存する35人、全員を討ち果たした』


『トレイズ・グランセルドは僕をずいぶん憎んでいるみたいだった。勝手な話だ。世界の膿を僕が綺麗にしてやったのに』


 ふたたび、文字が乱れてきた。だれかを殺めたことを契機に、チルタはまたしても狂気の渦に飲み込まれていった。


『ルナが巫子になった。6番だ。あの子を巻き込むわけにはいかない。知恵を借りたくてインテレディアの名前もない小さな村に住む医者一族を訪ねたが、うるさいことを言うから親のほうを殺してやった。僕より年下の兄妹がいたが、エルフの娘に連れ出されて逃げられた』


『久しぶりにラファ君に会ったけれど、僕のことは覚えていないみたいだった』


『最近、毎晩同じ夢を見る。誰かが僕に聖女を殺せと言う。誰だ。誰が聖女なんだ』


『聖女を探さなきゃ』


『レクセで会った女は聖女じゃなかった』


『あの医者の家の子供、妹のほうは聖女じゃなかった』


『ゼルシャの村に匿われている女。聖女じゃなかった。それどころかあの忌まわしい金の瞳だ。殺し損ねた』


『ルナが巫子たちにとられた』


『聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女、聖女…』


 まともな文字が読めたのはそこまでだった。見開きいっぱいの聖女の文字が書かれたページをめくれば、その次は文字ですらなく、クレヨンで描かれたぐちゃぐちゃの絵や図柄が続いていた。ネルははっとした。一部の絵には、ネルも見覚えがあったのだ。

 赤い花畑、円卓の周りを取り囲む首吊り死体、右手に剣を、左手に花を持つ白い服の少女。印を手に入れたとき、夢の世界で見たものばかりだ。

 チルタもあれを見たのだろうか。そして9番は、聖女さまを殺そうとしている?


 絵が描かれたページが終わると、何ページか白紙が続いた。裏表紙の手前のページで、また几帳面な字が並んでいた。どうやら後から書き足されたもののようで、ほかのページよりもインクがはっきりしていた。


『9番の印が外れたからといって、僕の罪がなくなるわけではない。ギルビス君に僕を殺してくれと願ったが、一発殴られたあとで、父親になる奴がくだらないことを言うなと怒られた。一生を苦しんで生きろと。

 ルナのお腹には僕の子がいる。ルナとその子を見捨てて僕が死ぬわけにはいかない。

 いずれ僕と同じように、9番に選ばれる者が現れる。その時の巫子たちの指針となれるよう、僕はこの日記を残すことにする。


 次の巫子たちへ、9番を救いたいなら、決してその人物を生かしてはならない。』


 日記はそこで終わっていた。大人たちが9番を恐ろしい存在だと言っていた意味が分かった気がした。誰かを傷つけずにはいられないという、その真意も。

 チルタはルナのお陰で戻ってこられたけれど、本来はあのまま狂気に染まったまま、世界を滅ぼそうとするのだろう。大人たちはみんな、クレッセがそうなると思っているのだ。


 メルセナが余韻に浸るようにほうと息をついた。

「セオのパパは、自分が罪を償うことより、セオのママとお腹の子供を幸せにすることを選んだのね」

事実、チルタはまだ生きている。彼自身が生きることを決めたのと同じように、ほかの巫子たちも、チルタを生かすことを決めたのだと思った。

「レインさんは、私が、巫子が決めていいんだって言ってた」

ネルはルナセオの膝から日記を取り上げた。気になる記述を探そうとぱらぱらページをめくる。

「世界を滅ぼすのも、9番の命を助けるのも、巫子が選んでいいって、それが許されるって。マユキおばさんたちは、セオのお父さんを殺さないで、これからも生きていくことを許したんだね」

「でも、少なくともセオの父さんは、次の巫子はそうなっちゃダメだって考えてるんだろ?」

グレーシャが反論した。

「俺も同意見だね。悪者が改心してハッピーエンドなんて創作の中だけだ」

「アンタは巫子じゃないでしょ」


 だけど、今のところクレッセは()()悪者ではない。どこまでおかしくなっているかは分からないが、ラファが9番を抑え込んでいる限りは、クレッセは決定的に悪事を働いたりはしないのではないか。

「だから、父さんは“9番が誰かを傷つけるまで”って言ったのかな」

ルナセオがつぶやいた。チルタはきっと、9番がちゃんと罪を償えるようにそう言ったのだろう。9番ではなくなったとき、彼は自分のしたことをひどく後悔しているようだった。


 グレーシャが首を傾げた。

「それより、聖女ってあれだろ。神都を作って、この世界をひとつの国にまとめたっていう。なんで9番はもういない聖女様を殺そうとしてるんだ?」

ネルは9番が聖女を探し始めたあたりの記述を読み返しながら考えこんだ。クレッセも彼同様、おかしくなれば聖女を求めはじめるのだろうか。

 聖女。ネルは思わず胸を押さえた。だって、聖女はたぶん、()()()()()のだ。ネルがラトメの封印を解いて、レフィルの企みが潰えるように5番の印ごと持ち出した。


 クレッセが聖女を殺そうとするなら、その矛先はきっと、

「ネル?」

ルナセオに顔を覗きこまれて、ネルはぱっと思考を中断した。

「な、なに?」

「いや、具合が悪そうだったから」

「…ううん、なんでもない」

ネルは日記を閉じた。とにかく、9番というのがどういう存在なのか、なんとなく分かった気がする。あとはクレッセを狂気から引き戻すために何ができるのかを考えなければならない。

 メルセナが腰に手を当てた。

「とにかく、私たちがすべきは敵を知ることよ。9番はふとしたきっかけで不安定になって、そのうち聖女を探し始めたら危険信号ってことよね。でも、今の9番の目的も、9番を止める方法も、ましてや私たち巫子の力を使いこなせてもいないわ。

 私たち、情報も力も足りてないのよ。シェイルにはギルビスがいるし、神都には世界王がいる。いろんな人に会って知恵を絞らないと」

ギルビスというのは、シェイルディアの騎士団長で、ネルとデクレを助けるようにメルセナたちに指示していた人だ。そういえば、なぜその人がネルたちのことを知っていたのかもわからないままだ。

 ルナセオも頷いた。

「何はともあれ、まずはシェイルか。それでシェイルの王様に協力してもらって、ロビ殿下って人に会う。それから世界王に繋ぎをとってもらう。運が良ければクレッセとラファさんにも会いたいな。クレッセの目的が分かるかも」

「やらなきゃならないこと、いっぱいだね」


 メルセナは意気ごんで鼻を鳴らした。

「ま、一歩一歩やっていくしかないわ。私たちの巫子の旅はこれからなんだから。頑張っていくわよ、おー!」

彼女に合わせて拳を振り上げると、ちゃっかりとグレーシャも混ざっていた。メルセナは呆れ顔でため息をついた。

「…だから、アンタは巫子じゃないでしょ」

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