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しかし、子供たちがいかにクレッセを助けたいと思ったところで、子供の意志というのは簡単に大人たちに否定されてしまうものだ。
クレッセを倒すのではなく、まずは助けるための手段を探したい。その一方で巫子はちゃんと探す。まずは10番である世界王に会うために、その息子のロビに繋ぎをとりたい…という話を口々に説明したところ、トレイズは苦い顔で頭を掻いた。なお、チルタとルナに会ったというのは内緒にしておいたほうがいいというのがマユキの意見だ。チルタとトレイズはお互いに仇の犬猿の仲のため、出くわせば流血沙汰では済まないらしい。
「確かに今のところ居所が分かってる巫子なんて10番くらいだけどな、ロビの奴が素直に繋ぎを取ってくれるもんかな…アイツ、人の願いは叩き折るのが趣味みたいな男だぜ?」
トレイズとロビは友人らしいが、友達に対してひどいことを言うものだとネルは思った。
すると、エルディが手を挙げた。クレッセを助けたいと言ったとき、苦虫を100匹くらい噛みつぶしたような顔になったトレイズと比べると、エルディは理解ある様子で頷いていた。
「それなら、シェイルの王殿下にご助力を願うのはどうだろう。いくらロビ殿下といえど、王殿下の頼みであればむげにはできないはずだ」
「世界王の繋ぎを取ってもらう人のさらに繋ぎを取ってもらうのか。なんか回り道だなあ」
ルナセオがぼやいた。シェイルディアといえば、メルセナとエルディの暮らしていた街だ。
メルセナたちにとっては帰郷になるし、世界王に会うことがどれだけ難しいのか分かっていないネルに否やはない。驚くほどすんなりと、じゃあ次の行き先はシェイルにしようと決まった。
しかし、問題はここからだった。
「だが、9番を助けるっていうのには反対だ。そんな悠長なことを言ってて、いざ被害が起きたらどうするんだ?」
トレイズの言葉に、ネルはむっとした。
「でも、クレッセは何もしていないんだよ?それなのに倒すなんておかしいよ」
このふた回り以上も年上の、いかにも粗野な男性に言い返すのは勇気がいったが、ここで引いてしまうわけにはいかない。トレイズはネルが言い返したのが意外だったのか片眉を上げたが、すぐに理路整然と返した。
「なにかがあってからじゃ遅いんだよ。酷なことを言うようだが、ことが起きたときに、お前たちは犠牲になった人に顔向けができるのか?」
「それは…でも、トレイズたちだって、とう…9番を倒さなかったんだろ?じゃあ、わざわざ9番の命を奪わなくたってさ」
ルナセオも加勢してくれたが、トレイズは厳しい表情を緩めなかった。
「43人だ」
なんの数字か分からなくて、子供たちはいっせいに首を傾げた。
「なにが?」
「チルタ…俺たちの代の9番が殺した人数だ」
一拍の間を置いて、ネルはぞっと背中に冷たい感覚が落ちるような心地がした。
「アイツが殺したのが、全部善良に生きてきた無辜の民ってわけじゃない。それでも、結局アイツは、9番であることを放棄したばかりに、その罪を裁かれないまま今までのうのうと生きている」
あの優しげなおじさんが、そんな怖いひとだとは到底思えなかった。思えなかっただけに、トレイズの言葉に戦慄した。彼の目を見れば冗談ではないのは明らかだ。
つまり、9番はそれだけ恐ろしいのだと言いたいのだ。チルタも言っていたではないか。「9番は誰かを傷つけずにはいられない」のだと。
だけど、でも。否定の言葉をなんとか捻りだそうとぐるぐるする頭を抱えていると、その混乱を断ち切るように、隣のメルセナがばしんとテーブルを叩いた。
「さっきから聞いてれば、あれやこれや勝手なことばっかり!」
「おい、セーナ…」
エルディがため息をつきながら娘に手を伸ばしたが、彼女はすげなく父親のその手を振り払った。
「『被害が起きたら』『ことが起きたときに』、ぜんぶ、ぜーんぶ、想像の域じゃない!これまでそうだったからって、9番が確実に人殺しになる証拠でもあるわけ?それにアンタ、仮にそうだったとして、大切な人が世界を滅ぼします、だからその人を殺してくださいって言われて、ハイそうですかって頷けると思うの?」
「だけど、そいつが9番の印を持っている以上…」
「アンタの思いやりがないって言ってんのよ!こちとら動物の屠殺すらやったことないのよ。アンタも大人なら、自分都合の事情ばっかり押し付けないで人の顔色くらい伺ってみたらどう?」
「なんだと…」
だんだんトレイズの顔が苛々と不機嫌になってきてネルはハラハラしたが、メルセナは気にしないばかりか、椅子の上に立ち上がってトレイズを見下ろすと、フンと鼻を鳴らした。
「前の9番が43人殺した?だからなんだっていうのよ。私は9番を救うって決めたら、そいつが誰かを殺すのを止めに行くし、何かが起こって世界中から責められることも覚悟の上よ。どっちにしろ人殺しになるっていうんなら、私はいくらだって足掻いてやるわ!」
「セーナ…」
ぽろりと涙がひとつぶこぼれた。クレッセにいちばん近いところにいたはずのネルですらこんなにぐちゃぐちゃの思考なのに、彼とは縁もゆかりもないはずのメルセナのほうがずっと前を見据えていた。
彼女はついとこちらを見下ろした。
「いい?ネルにセオ。私たちが9番を助けるのは、そいつが誰かを傷つけるその時まで。そして誰かが傷つくとしたら、それは私たちみんなの罪よ。その時は私たち、9番を倒すのをためらっちゃいけないわ」
そう言うメルセナは、たぶん手放しにクレッセを助けたいわけじゃない。それでもネルのためにトレイズに反論してくれたことが嬉しかった。
すると、台所からふふと押し殺すような笑い声が聞こえた。ネルたちが話し込んでいる間に、息子を学校に追い出して、お茶を準備していたマユキだ。
「頼もしい巫子様じゃない。いいでしょうトレイズ。この子たちの好きにさせてやりなさいよ」
「だけどこいつらの言い分は、少なくとも一人は犠牲を出す前提だ!」
トレイズは噛みつくように怒鳴ったが、マユキは茶器を並べながら冷ややかにトレイズを見返した。
「そもそもあなたの言い分も、クレッセが犠牲を出す前提の話でしょ。何のためにうちの旦那が9番を保護したと思ってるのよ。あのままラトメに置いておいたらあの子、巫子が揃う前にまずラトメを滅ぼしていたわよ」
トレイズは口ごもった。マユキはいまだ椅子の上に仁王立ちしているメルセナにほほえみかけた。
「ありがとう、うちの甥っ子を救おうとしてくれて。あの子はすごく優しくて、いつもデクレとネルを引っ張ってあげてて…」
不意に、穏やかだったマユキの表情が歪んだ。彼女はくるりとネルたちに背中を向けると、顔に手を当てて「ごめんなさい」とつぶやいた。その声がマユキの気持ちをありありと表現していて、ネルは目尻が熱くなるのを感じた。なんだか猛烈に恥ずかしかった。
デクレが売られてしまって、クレッセはラトメに連れて行かれて9番になった。それなのに、これまでのマユキの態度はいつも平然としていた。なんで甥っ子が危ない目に遭っているのにそんなに平気でいられるのか分からなかったし、非情なことを言う人だと思ったくらいだ。
平気でいられるはずがない。彼女の弟のユールはまだラトメに囚われているし、クレッセに至っては巫子たちに倒されてしまうかもしれない。ただ、マユキは9番がどういうものか知っているから、ネルのように役目を果たしたくないとごねたりしないだけで。
「悪かったよ…」
トレイズも勢いを失って、ばつが悪そうに視線をそらした。場をとりなすように、ルナセオが明るく口を挟んだ。
「それより、トレイズは大丈夫なの?本当はラトメに巫子たちを連れて行くのが仕事なんだろ」
ネルはレフィルの顔を思い出してドキリとしたが、トレイズはため息をつきながらも首を横に振った。
「こんなところでお前たちを放っておくわけないだろ。レフィルには、暴動が起こって危険だから、しばらくラトメには戻らないと手紙を飛ばしておいた。あいつの目的もよくわからないしな」
つまり、ネルのことは黙ってくれているらしい。あの青年も、トレイズやエルディは善人だと言っていた。ネルはほっとしたが、メルセナは椅子から降りながら不満顔で唇を尖らせた。
「こっちは別にアンタなんていなくていいんだけど」
「いーや、お前らだけじゃどんな無茶するか分かったもんじゃねえからな。俺も当分は付き合わせてもらうぜ」
すっかり仲が悪くなってしまったらしい。睨みあうふたりの間にはさまれてネルは縮こまった。同じく不機嫌なふたりを見て肩身の狭そうなエルディはやれやれと首を振ったが、彼は早くも諦めたのかお茶のカップを手に取った。
「シェイル王殿下に拝謁が叶うよう、ギルビス様には連絡しておく。シェイルまでは徒歩になるから、みんな体を休めておきなさい」
◆
体を休めるよう言われても、明朝出発することになったネルたちには時間がなかった。レクセを出る前に、チルタの日記を読まなければならない。
夕食後にトレイズとエルディが宿に帰っていってから、ネルたちは顔を突き合わせて相談した。行くとしたら今夜しかないが、マユキは夜のうちにどうしても外せない仕事があるらしい。子供たちだけで外出することに難色を示した。
「街はずれの廃墟って、あの幽霊屋敷だろ?それなら俺、行ったことあるから案内できるぜ!セオ、あそこの入り方知らないだろ?」
しかも息子のグレーシャまでがそう言うので、マユキはきゅっと眉を寄せた。
「あのねえ、今日はルナに会ってるのよ?巫子狩りがいつ襲ってくるか分からないのに、アンタまでついて行ったら危険でしょう」
「いや、ねーだろ。あの女、あんな意気消沈して帰っていったし」
グレーシャはにべもなく言った。
「それに、急いでるんならなおさら俺も一緒に行くべきだろ。俺、あそこには何度も行ったことあるし」
その幽霊屋敷というのは、この学生街のはずれにある廃墟で、たまに学生たちの肝試しに使われるらしい。あいにくルナセオは行ったことがないらしいが、街の学生の間では有名なのだそうだ。
結局グレーシャは母親を言いくるめてネルたちの案内に嬉々として同行してきた。率先して前を行くグレーシャに、メルセナが「アイツ、遠足かなんかと勘違いしてるんじゃないの?」と毒を吐いた。
たどり着いてみると、ぐるりと背の高い柵で囲われた、ずいぶん古びた屋敷だった。赤い屋根は色が剥げてボロボロ、外壁もあちこちすり減っている。窓ガラスは割れていた。夜だからだろうか、いかにもなにか出てきそうなおどろおどろしさを感じる。ネルは震えあがった。昔から怖い話は苦手だ。
「ほら、こっちだ」
グレーシャが生垣に首を突っ込んでなにやら見つけたらしく、ネルたちを手招きした。見ると、一部の柵が歪んで、人ひとりくらいなら通り抜けられる穴が空いていた。
メルセナが目を細めて自慢げなグレーシャを見た。
「わざわざついて来なくても、アンタがこの穴の場所を私たちに教えてくれればよかったんじゃないの?」
「おっと、この屋敷の注意点はこれだけじゃないぜ。部屋の配置、床の抜けそうな場所、外から光を当てられた場合の死角まで。俺以上にこの屋敷に詳しい奴はいない」
「なんだってそんなに詳しいんだよ」
ルナセオが柵をくぐりながらたずねると、グレーシャは胸を張った。
「ここ、普段は人気が少ないからいいサボり場所になるんだよな。倫理の授業時間とかによく来てるんだ」
「なるほど、どおりで倫理観がすっぽ抜けた奴だと思ったわ」
辛辣なメルセナの台詞もまったく意に介していないのか、グレーシャは「褒め言葉として受け取っとく」と鷹揚に頷いた。
みんなで柵をくぐると、ゴウゴウと耳障りな音が聞こえてネルは飛び上がった。思わずルナセオのマントを握りしめると、彼は苦笑した。
「大丈夫だよ、幽霊なんて迷信だし」
「う、うん…」
そうは言っても幽霊屋敷なんて名前がつくくらいだから、なにか怖いものが出てくるのではないか…こんなときにデクレがいたら「幽霊なんて非現実的なもの信じるほうがおかしい」などとスッパリ言ってくれるのだろうが。
ブルブル震えるネルに、グレーシャとメルセナがこんな時だけ示し合わせたようにニヤリとした。
「わっかんねーぞ?おとぎ話だと思ってた巫子が実在したんだ。幽霊くらいいたっておかしくねえよ」
「実際、死んだと思ってたレナがゾンビみたいになって生きてたわけだし」
「あのなあ…」
ルナセオは呆れ顔だったが、もはやネルは回れ右して帰りたくなってきた。どうか3人で日記を探してきてはくれないか、そんな他力本願なことを考え出したが、窓から屋敷に侵入したルナセオはランタンに火を灯すと、くるりとこちらを振り返った。
「ほら、ネルもおいでよ」
「な、な、な、なにも出ない?怖いものいない?」
「なにもいないよ」
「油断しちゃダメだよ、前にデクレが読んでた本では、扉から入ろうとした瞬間に、ばーん!ってゾンビが飛び出してたんだから!」
「会ったことないのが惜しまれるな、そいつとは趣味が合いそうだ」
ニヤニヤしているグレーシャの頭を、ルナセオは軽く小突いた。ええいままよと思いきって窓枠を乗り越えると、床がミシリと音を立てた。
当然だが、誰もいない屋敷の中は暗くて、ところどころ月明かりが差し込む先で埃が舞っていた。小さな家ばかりの他の家と違ってここは部屋数も多いらしい。こんな恐ろしいところで一冊の日記をしらみつぶしに探さなくてはならないのか、ネルが絶望したところで、迷いなく廊下を進みながらグレーシャが言った。
「俺、多分知ってるぜ、セオの父さんの日記のありか」