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戦闘描写があります。
メルセナたちに、ルナから聞いた話を伝えると、彼女は目を輝かせた。
「素敵!要するにセオのパパは、セオのママとの真実の愛に気づいて世界を滅ぼすのをやめたってことね!ハッピーエンドだわ!」
「うーん、まあ、そうとも言うわね」
マユキは納得がいかなそうな顔だったが、確かに言われてみれば、世界を滅ぼそうとする9番がルナを好きになって改心するなんて、童話みたいな結末だ。
とはいえ、それはレナが死んでいるという前提での話だ。彼女が生きていたということはすなわち、
「お袋たちの苦労は完全に無駄だった可能性ありってことだな」
グレーシャが腕を組んで頷いた。友人が巫子になった事実を知ったにしては彼は冷静だった。「初恋の女の子が実は生きててハッピーエンド、って隠しルートがあったってわけか」
結果的にルナセオの父は生きているし、世界が滅びたわけでもないのだからいいものの、それで本当に世界が滅びていたら洒落にならない話だ。チラリとルナセオを見ると、もやもやと難しい顔をしている。
「ううん!でもそれはハッピーエンドじゃないわ!だってアイツ、悪いやつだもの!」
メルセナは床を叩いた。
「シェイルで多発してた行方不明事件の犯人なの…まあ、多分だけど。街の近くにある枯れ森ってトコで会ったんだけど、あいつ、なにか怪しげな儀式をしていた。それで足元に、何人も死体が転がってたの。あれ、きっと行方不明になった人たちだわ」
「あぶない儀式のいけにえにしてたってこと?」
たずねると、メルセナは神妙な面持ちで「たぶんね」と頷いた。グレーシャも寒気がしたとばかりに両腕をさすった。
「確かにあの女、とても正気とは思えなかったな。ずっとニタニタ笑ってて、俺たち遊ばれてるみたいに魔法をバカスカ打たれてさ」
「でしょ!それで、私の印はもともとアイツが持ってたの。私、レナに巫子の力で殺されそうになったんだけど、その時なぜか、印が私に移っちゃったってわけ」
ぺろりと袖をめくると、メルセナの細い手首をぐるりと囲むように赤い帯が浮き出ていた。昨日も見せてもらった6番の印だ。
「そのひと、悪いことして、それを見たセーナも襲ってきたってこと?」
「そうよ。こっちの話を聞かないでよく分かんないことばっかり言ってたわ。童話に出てくる魔女みたいに不気味な感じ。近くにいるだけでぞっとしたわ」
最終的にメルセナに印が移ったとはいえ、巫子に選ばれるのはいい人ばかりではないのか…ネルは不安になりながら床に視線を落とした。
「それで…その人が今、この家に来てるってこと?」
みんなも真下を見た。階下はしんと静まり返っていて、なにが起きているのかわからない。だが、ルナひとりで対峙するには危険な相手ではないのだろうか。
その直後、階下からがしゃんと食器かなにかが割れる音がして、ルナセオがすっくと立ち上がった。腰についた物騒な刃のついたチャクラムに手を添えたところで、マユキが彼を制すようにマントの裾を引いた。
「うかつに出て行かないほうがいいわ。大人しく待っていなさい」
「でも、そのレナってやつ、悪いやつなんだろ」
ルナセオに引く気はないようだ。グレーシャも反対側からマントをぐいぐい引いて難色を示した。
「いやいやお前、そんなキャラじゃなかったじゃん?お前が出て行ってなんの助けになるっていうんだよ?」
その時、ルナセオの黄土色の瞳が猫の目のように鋭く光った。昨日の晩、路地を見つめていたときと同じようなまなざしだ。ネルはドキリとした。
「少なくとも、ここで学生やってたときよりはマシだよ」
ルナセオの赤く染まった左耳が、髪の隙間からちらりとのぞいた。そうだ、巫子には強大な力があるのだから、そのレナとかいう悪いひとを撃退するのも可能かもしれない。
メルセナも自身の手首を見下ろして残念そうに言った。
「私も力になりたいけど、ここで私の力を使っちゃうと家が壊れちゃうわ」
赤く染まった髪を梳きながら、ネルは考えこんだ。歌うことで願いを叶える力。まだ一度も使ったことはないけれど、ネルの力であれば危険な目に遭わずにルナを助けにいけるのではないか?
「セオ」
ネルは意を決してルナセオを見上げた。
「わたし、手伝えるかもしれない」
◆
青年から聞いたばかりの5番の能力をみんなにも説明すると、メルセナはキラキラと目を輝かせた。
「えっ、それ、強くない?歌えばなんでもできるってことでしょ?」
「うーん」
果たしてどこまで万能な能力なのかは分からないし、そもネルに使いこなせるものかいまいち自信がなかった。歌うのは好きだけれど、せいぜい即興の鼻歌レベルで許されるものなのだろうか。
「まだ使ったことないの。あと、私あんまり歌が上手じゃないみたいで、デクレにはしょっちゅうへたくそって言われてたし…効果なかったらごめんね」
「じゃあ、とりあえずネルには子守唄を歌ってもらうとして、レナを眠らせた隙にセオのママを助けるってわけね。セオ、アンタの印はどういうやつなの?」
「トレイズは身体強化の魔法って言ってた」
腰のチャクラムを外してくるりと回しながらルナセオが言った。
「要は運動神経がよくなったり、力が強くなるみたいだ。ラトメで神護隊のでっかい奴を蹴り飛ばしたら道の反対まで吹っ飛んでたし」
ルナセオは机からふた組の耳栓を取り出すと、片方をネルに差し出した。ネルの力が未知数なので、下手に子守唄を歌って自分たちまでもが眠ってしまったら本末転倒だからだ。耳栓はこれしかないので、メルセナたち残りの面々はこの部屋で待機してもらう。
「準備はいい?」
「うん」
ルナセオとともに、ネルは音を立てないように階段を降りた。奥の方で、ドタンバタンとなにやら争う音が聞こえる。緊張で手が汗ばんできた。
リビングの扉が少し開いている。様子を伺うと、ルナによく似た顔立ちの黒髪の女性が、L字の筒のような武器をルナに向けていた。ルナのほうは床に手をついてゲホゲホと咳き込んでいる。
女性はニコリと優しげに微笑んで、優しすぎてぞっとするような口調で言った。
「ごきげんようお姉さま。よい夢を」
だめだ!耳栓をつけて、ネルはぎゅっと両手を組んで子守唄を歌った。たぶん頓珍漢な音程だし、歌詞もところどころ間違っているけれど構っていられない。お願い、眠って!髪の毛が燃え上がるように熱を持った。
ネルの祈りが届いたのか、ルナもレナもぐらりとよろけた。リビングの扉にぶつかるように部屋に飛び込んだルナセオは、足を高く蹴り上げてレナの手から武器を吹っ飛ばすとともに、その勢いのままぐるんと腕を振るって、チャクラムの切っ先を容赦なくレナの顔面に滑らせた。思わず目を覆って悲鳴を上げそうになったが、すんでのところでこらえて歌を続ける。
ルナセオは朦朧とした様子のルナの耳を塞ぎながらこちらに連れてこようとしたが、レナは片手で顔を覆いながら、もう片方の手で探るように取り落とした武器を探している。やっぱりネルの歌の効果が薄いのか。ネルは絶望した。
ルナセオもレナの様子に気づいたのか、ぎょっとして武器を奪おうと駆け寄ったが、それよりもレナのほうが早かった。ぶわり、竜巻のように彼女を起点として暴風が巻き起こり、ネルは尻餅をついた。耳栓もスカーフも風の勢いで吹っ飛んで、はっとその行方を追おうとして歌を止めてしまったことに気がついた。
レナはゆっくりと立ち上がった。乱れた黒髪がゆらゆらうねって、恐ろしい魔女みたいだ。しかも、ルナセオが切りつけた顔からは血ではなく、泥のような得体の知れない液体がボタボタ落ちて、リビングの床を汚していた。
「せっかくあの人がくれた、私の身体…傷つけるひとたち、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない…」
「な、なんかやばいかんじ?」
呪詛のようなレナの声に、先ほどまでは勇敢だったルナセオも引け腰だ。床には水たまりのように黒っぽい粘ついた液体が溜まっている。どう見てもまともな生き物とは思えなかった。ネルはひくりと喉を鳴らしながらつぶやいた。
「このひと、人間じゃない…」
「あの人を取り戻さなきゃいけないのに、そのために必要なものが、たくさんあるのに…どうしてみんな邪魔をするの、どうして、どうして…!」
ギラギラと目を血走らせ、レナはこちらを恐ろしい形相で睨めつけた。
「あの人を取り戻さなきゃいけないのに、そのために必要なものが、たくさんあるのに…どうしてみんな邪魔をするの、どうして、どうして…!」
ネルはこんな緊迫した状況なのに、目の前のレナがひどく悲しんでいるように思えてならなかった。この暴力的で、身勝手で、だけど切ない慟哭。妙に既視感がある。昨日も似たような声を聞いた。
そうだ、あの夢の中で、首を吊る人びとを恨んでいた聖女さまにそっくり。
呆然とレナを見つめて立ち尽くすと、彼女は片手を挙げて叫んだ。
「みんな嫌い、みんな嫌いよ、消えてよ!」
「申し訳ないが、それは勘弁してもらえないかな?」
ぽんと背後から肩に手を置かれて、ネルはぎょっと飛び上がった。その男性はネルをやさしく避けるようにしてリビングに足を踏み入れると、少し埃っぽい黄土色の髪の毛をかき上げて、まっすぐにルナの元へと歩み寄った。鬼のような形相のレナなんて見えていないみたいに。
「怪我はないかい?ノックしても君が出てこないから心配したよ」
「あ、あなた」
ルナは動揺もあらわにその男性を見上げた。顔についた小さな傷をさすりながら、彼は柔和にほほえんだ。ルナセオの優しげな顔立ちはきっと彼譲りなのだ、ネルはすぐに、この人物がルナセオの父だとわかった。
「いやー、もう参っちゃったよ。道中次々と鳥が手紙を運んできてさあ、はやく帰りたいのに返事を書くまでつつき回されてしまった。奥さんが帰りを待ってるのにひどいとは思わないかい?」
「いや、いやいやいや、父さん」
ルナセオがぱくぱく口を開閉しながら当惑した様子で口を挟んだが、男性はマイペースに顔を輝かせて息子を見ると、ガバリとハグした。
「おーっ、セオ、久しぶりだねえ。また背が伸びたんじゃないか?」
しかも彼はニコニコとネルを見ながら嬉しそうにうんうん頷いた。
「セオの彼女?よく来たねえ。ちょっと散らかってるけどゆっくりしていってね」
「伸びてないし、彼女でもないし、それどころじゃないよ!」
ルナセオは父親を突き飛ばして、勢いよくレナを指差した。
「あいつが俺たちを襲ってたんだよ、それなのになんだよその呑気さは!」
「だって、僕はお客さんより家族との団らんのほうが大事だし」
もはやネルにはついていけなくなってきた。彼は昔の9番で、この襲ってきた女性は初恋のひとのはずで。しかもこんなに緊迫した場面で、ここまで悠々としていられるものなのだろうか。
それでも、ようやく招かれざる客に向き合う気になったのか、彼はレナに親しげにほほえみかけた。驚くべきことに、顔から垂れているタール状の液体には意に介した様子もない。
「やあ、久しぶりだね、レナ」
むしろ相対するレナのほうが、彼を見て困惑しているように見えた。彼女は挙げかけた手をそのままに、何度も首を横に振っていた。
「チルタ、なの?でも、だけど…」
「思ったより老けててびっくりした?」
チルタは肩をすくめて苦笑した。確かに、少女のように若々しいルナとはずいぶん歳の差があるように見えた。身にまとうマントがくたびれているせいか余計に老けこんで見える。
「君と別れてからもう30年は経つんだねえ、僕も年を食ったものだ。君も元気そうで何より。でも、いくらうちのかわいい奥さんの妹だからって、他人の家をこんなに荒らしてはいけないよ」
口調は優しかったけれど、突き放すような言い回しだった。レナはそれでも彼は自分の味方だと信じ込んでいるのか、すがるようにチルタに手を伸ばして、甘やかな猫なで声を出した。
「チルタ、お姉さまが私にいじわるを言うの。みんな私にひどいことするのよ。あなたなら助けてくれるでしょう?ねえ、チルタ」
チルタはニコリと笑って首を傾げた。
「うん?ていうか君って死んだんじゃなかったっけ?はやくお墓にお帰り、なんなら僕が手伝ってあげようか」
レナは魂が抜けたみたいに呆然としていた。なんだか見ていてかわいそうになってきたが、何か声をかける前に、彼女はフラフラよろめきながら出て行ってしまった。哀愁漂う背中を見送っていると、チルタは「遠慮しなくていいのに」とつぶやきながら床に落ちて割れてしまった花瓶の破片を拾い始めた。
レナが慌てて夫に詰め寄った。
「あなた、い、いいの?」
「なにが?」
「だから!レナが生きていたのよ、追いかけなくていいの?」
ネルには、なぜルナがそんなことを言い出したのかまるでわからなかった。あんなにはっきりとルナを優先していたチルタが、レナを追いかける理由などどこにもないように思えた。
すると、チルタは眉尻を下げて困ったように苦笑した。
「確かに、それを望んだ時もあったよ。まったく若かった、あの頃はね。叶いもしない野望を掲げて、いい気になっていた。
でもね、あれから何十年も経った。今の僕には可愛い奥さんがいて、元気に育った息子たちがいて、ありがたいことに職にも飯にも困らず生きていけて、それがとても幸せなんだ。
そういう未来もあることを、君が教えてくれたから、僕はその世界を見てみたいと思ったんだ」
ネルはぎゅっと胸のあたりを押さえた。まだ16年しか生きていないネルには、チルタの言うような何十年も先の未来のことなど到底想像もつかなかった。
クレッセにもそんなありふれた大人になる未来があるだろうか。9番の資格を手放して、いつか大きくなって、奥さんや子供ができるような可能性があったとして。
そんな未来があることを、ネルも教えてあげられるだろうか。




