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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
2章 9番
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 トレイズさんがかつての巫子で、その時の9番がセオのお父さん?


 ルナセオも父が9番だったなど初耳のようで、フォークとナイフを取り落として「なんだって?」と声を上げた。つまり彼は、元9番の息子?どういうこと?

 ネルとルナセオの驚愕っぷりに対して、ルナはふわふわ笑いながら「そうよお」とのたまった。

「9番が父さんで、ほかの巫子が当時の“神の子”からはじまって、席順にラファ、ギルビス、ラゼ、マユキ、母さん、トレイズ、世界王子殿下と世界王陛下。懐かしいわねえ、もうあれから20年以上経つのね」

「懐かしんでるところ悪いけど、端折って説明してあげて」

マユキが時計を気にしながら割りこんだ。「うちの悪ガキが起き出してきちゃうわ」


「あの頃の父さんったら見てられなかったわ。日に日にやつれて怖い顔になっていって、でも世界を壊してやるって気持ちばっかりふくれて、いつもギラギラしてた」

「でも…でも、セオのお父さんは助かったんだよね?」

ネルは混乱しながらもカトラリーを置いて、身を乗り出した。

「セオのお父さんは今も生きてるんでしょ?世界も滅んだりしないで、9番も倒さなくていい方法があるってことだよね?」


 ルナセオの両親が巫子だったのが20年以上前だというなら、ネルやルナセオが生まれるよりも前の話だ。特に世界は滅んでいないし、何か恐ろしい天変地異があったとも聞いたことがない。けれど、ルナセオの父が生きているなら、当時の9番は巫子に倒されたわけでもないということなのか。

「巫子の印には意思があるの。資格がある宿主を印が選ぶ。チルタは…セオくんのお父様は、その資格を失ったから9番ではなくなった」

マユキの言葉に、ネルははっとした。レインも同じようなことを言っていたし、実際にネルはあの花畑の夢で聖女に会った。レフィルだって、ネルやデクレに巫子たる資格があると思ったから、インテレディアの村に現れたのだ。


 ネルは立ち上がってルナに懇願した。9番の資格を失えば、クレッセを倒さなくても済むのかもしれない。一縷の希望がネルの胸に宿った。

「ルナさん、教えて!どうやってセオのお父さんは9番じゃなくなったの?クレッセも同じように助けてあげられる?」

「お嬢さん、今回の9番と仲良しだったのね。それは苦しいことねえ」

ルナはネルに共感するように、悲しげな微笑をたたえてうんうん頷いた。

「うちの父さんはね、かつてトレイズ・グランセルドが殺した、初恋の子…私の妹、レナを生き返らせるために、9番の力を手に入れたのよ。この世のことわりを打ち壊すため、すなわちこの世界を滅ぼして、レナのいる世界を取り戻すためにね」

「は、初恋の子?」

ルナセオがすっとんきょうな声を上げた。「そ、そんな…そんなことで?」


 そんなこと、なのだろうか。ネルにはよく分からなかった。ネルだって、デクレが死んでしまったら、悲しくて悲しくて、こんな世界滅んでしまえと願ってしまうかもしれない。

 それより、トレイズがかつて誰かを殺したということの方がピンとこない。あの青年にも善人と言わしめる、世話好きそうな男性が、なんの恨みがあってルナの妹を?

 ルナはくすくすと乾いた笑みで続けた。

「“そんなこと”よねえ、本当に。それで滅ぼされちゃう人たちはたまったものじゃないわよね。

 だからねえ、母さん、父さんを籠絡したの。色仕掛けで」

「ろうらく」

知らない単語に、ネルの脳の許容量が限界を超えた。マユキがげんなりしながら、「まあ、ルナに夢中にさせたって感じよ」と解説した。


「い、いろじかけ?色仕掛けで世界を救ったの?母さんが?」

 ルナセオは赤くなるやら青くなるやら、奇妙な顔色であわあわ当惑していた。色仕掛けの意味はなんとなく分かる。つまり夜這いか何かをしたのだろう。ネルの住んでいた小さな村では色恋沙汰があればすぐに噂が回ってしまう。夜に近所の誰それが三軒先の何某の家に行くのを見たとか、そんな感じの話はよく聞いた。もっとも、夜に人目を忍んでなにをしているのか聞いてもデクレは教えてくれなかったけど。

「理にかなってるでしょ?」

 ルナは優雅に紅茶を飲みながら言った。

「9番の資格である『世界を滅ぼしたい』理由がなくなれば、9番は印から解放されるわ。そのクレッセ君も9番に選ばれた以上、その資格を得るに足る理由があるはずよ」

「クレッセが、世界を滅ぼしたい理由」


 それは父を傷つけられたことなのか、ラトメに無理矢理連れて行かれたことか、はたまたネルたちが彼を助けに行かなかったことか。もしくは、そのすべてか。理由はいくらでも思いつくけれど、クレッセの内心はネルにもよくわからなかった。なにせ5年も離れていたのだ。別れてからこれまで、彼がどんな生活を強いられていたのかも知らない。

「わかんない」

 すっかり勢いを失って、ネルはソファに座り込んだ。

「クレッセはずっと前にラトメに連れて行かれちゃって、その間なにがあったのかも、わたし、知らない。なんで9番になっちゃったのか、なにをしたいのか、よくわかんないよ」

「そうねえ…」


 ルナはなにかを思いついたように、おもむろに立ち上がって部屋の戸棚に歩み寄った。

「9番のことについて知りたいなら、お父さんの隠した日記に手がかりがあるかも」

「日記?」

彼女は引き出しから鍵を取り出して息子に渡した。小さな錠を開けるようなものだ。古いものなのか、ところどころ金メッキがはがれている。

「ほら、うちの父さん筆まめでしょ?9番になっておかしくなっても、なぜか日記は毎日つけていたのよね。でもさすがにあの頃の日記をそばに置いておきたくなかったみたい。街はずれの廃墟に隠したって言ってたわ」

ルナセオの父であり、昔の9番の日記。ネルはドキドキしながら鍵を見つめた。それを読めば9番の気持ちが分かるのだろうか。クレッセを助けるためのヒントも。


 ルナセオもしばらくじっと鍵を見ていたが、ふと我に返るようにマユキを見て、そそくさとポケットにしまいこんだ。

「行ってみるよ。でも、そろそろマユキさんの家に戻らなきゃ」

確かに、マユキは一刻も早く帰りたいとばかりに時計と窓ばかり見ていた。メルセナもさすがに起きて、ネルたちの不在に心配しているかもしれない。ネルはルナセオとともに立ち上がった。


「まだしばらくはレクセにいるの?」

「うーん、わかんないや。これからのことは今日話し合うことになってるから」

「これからはちゃんと手紙くらい送ってね」

 ルナとルナセオ親子の会話を聞きながら、ネルは故郷の母のことを思った。残してきた母の気持ちなんてこれまで考えもしなかったけれど、マユキに手紙を送るくらいだから、ひょっとしたら母もネルの身を案じているのかもしれない。とはいえ、あのいつもガミガミうるさい母が、しおらしくネルを心配している姿など想像もつかない。


 なんとなく落ち着かなくてそわそわしていると、マユキが首をかしげた。

「どうしたの?」

「うちのお母さん…心配してるかな」

ネルの考えていることにぴんときたのか、マユキは小さくたため息をついた。

「そりゃ、してるわよ。ソラはいつだってあなたを心配してたわ。あんなにポヤポヤしてて将来大丈夫かしらって」

「そんなにぽやぽやしてないもん」

「そうねえ」

マユキは少し笑って、ネルの頭を撫でた。

「あなただってもう16だもの。自分の人生くらい自分で決められるわよね。でも、それでも親っていうのはつい子供扱いしちゃう生き物なのよ」

「ふうん…」

近所にはもう結婚している子もいたし、ひとりで行商に行く子だっていた。対してネルは、母には散々あれはダメだこれはどうだと叱られてばかりだった。あれが心配の裏返しなのだとしても、やっぱり少し過保護だった。

 ラトメであったことを話したら、それ見たことかとばかりに怒られるような気がして、ネルはぶるりと震えた。母に手紙を出す勇気は当面持てなさそうだ。


 ルナセオが片手を挙げて「じゃあ…」と別れの挨拶をしようとしたところで、ドンドンと背後の玄関扉が叩かれた。外から焦ったような少年の声がする。

「おばさん!おばさん、いる?」

「あら、うちの悪ガキじゃない」

マユキが怪訝そうに眉をひそめた。ルナが扉を開くと、外からグレーシャと、そしてメルセナが転げるように飛びこんできた。

「グレーシャ、セーナ、どうしたんだよ」

「はあ、はあ…起きたらこの…ちんくしゃ以外誰もいなくて…セオんちに行ったのかと…はあ…思って…」

「ちょっとぉ、ちんくしゃって言うんじゃ、ないわよお!」

走ってきたのだろうか、ふたりはゼイゼイしながら切れ切れに言った。疲れ果てた様子なのにお互いを肘で小突きあっている。いつのまに仲良くなったのだろう。


「私たち、アンタたちの後を追おうと思ったんだけど、途中で、あの高等祭司に会って…」

 メルセナは額の汗をぬぐいながら顔を上げた。そしてなぜか、正面にいたルナの顔を見るなり飛び上がってグレーシャの背後に隠れた。

「ぎゃあ!なになにっ、こっちにもレナが!」

「…レナ?」

つい先ほどそんな名前を聞いた気がする。ルナを見ると、彼女の温和な表情がみるみる強張っていった。メルセナはぶんぶん首を振りながら怯えるように叫んだ。

「だから、高等祭司のレナ・シエルテミナ!私の印、あいつから奪ったの、それで今、あいつに追われてるの!」


 こん、こん。


 ノッカーが叩かれる音がして、皆が一斉にそちらを見た。玄関越しに、想像もつかない恐ろしいものがあるかのように、扉に隙間なんてないのにどこからか冷たい風が入りこんでくる。ぞわぞわと背筋が粟立つのを感じた。

 こん、こん。こん、こん。扉は規則的に叩かれて、そこはかとなく不気味だった。

「セオ」

静かな家の中ではルナのささやき声ですらよく響いた。

「セオ、みなさんを連れて、二階に上がっていなさい」

「だけど、母さん」

「いいから」

 ルナの真っ白な顔はさらに色を失くしていた。くちびるを震わせてじっと扉を見つめる視線が氷みたいに冷たくて、ネルはどきりとした。背後のマユキが背を押してきた。

「行きましょう」



 二階のルナセオの部屋は、きちんと整頓されたシンプルな内装だった。本棚には難しそうな本がいくつか並んでいるかたわら、ボードゲームの箱が積んである。

「どういうこと?レナってさっき聞いた母さんの妹だよね?高等祭司って?」

部屋の内鍵を閉めるなり、ルナセオはメルセナを質問責めにしたが、彼女は彼女で混乱した様子で地団駄を踏んだ。

「私だってよく知らないわよ!あいつ、シェイルの街のひとを生贄かなんかにして、怪しげな儀式をしてたの。私、そのときにあいつから印を奪っちゃって、なんだかすっごく恨まれてるの!」

ルナの妹であるレナはトレイズに殺されて、だからルナセオの父は彼女を生き返らせるために9番になったはずで、だけどルナが「ろうらく」したことでその望みは諦めたはずで…?なんだかよく分からなくなってきた。うんうん頭を抱えて唸っていると、マユキが呆然とつぶやいた。

「レナ・シエルテミナが、実は生きていた?」

「でも、そのレナさんが死んじゃったから、セオのお父さんは9番になったんだよね」

トレイズがレナを殺して、だからルナセオの父は彼女を生き返らせようとして、でもそもそもレナは死んでいなくて、だとすれば…だとすれば、どうなるんだろう。

「何それ、どういうこと?」

場にいなかったメルセナとグレーシャは揃って首をかしげた。一同が沈黙したところで、メルセナは両手を挙げて仕切り直した。

「オーケー、オーケー。とりあえず、話をまとめたほうがよさそうね。まずはお互いの状況を話すべきだと思わない?」

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