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少女ネルと夕暮れの聖女  作者: 佐倉アヤキ
2章 9番
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第二章です。全9話、毎日0時投稿になります。

 爽やかなそよ風の吹く森の中で、ネルはいつものように切り株に座って泣いていた。人目につきたくないとき、ネルはいつも村の裏手にあるこの森に逃げこむ。ここはネルの秘密基地みたいなものだった。

 ぐすぐすと鼻をすすっていると、正面に誰かがしゃがみこんだ。彼はべそをかくネルに優しく言った。

「またデクレとケンカしたの?」

「…だって、デクレ、神都の学校に行きたいって言うんだもん。わたしも行きたいって言ったら、ばかなネルにはむりだって」


 デクレと同じ小麦色の髪の少年は、しょうがないなあと笑った。ネルの頭をぐりぐり撫でる手はまだ小さいのに、父親みたいに慈しむような手つきだった。

「デクレはネルが神都みたいな大きな街であぶない目にあわないか心配なんだよ。でも、あいつひねくれ者だから。デクレの言い方もへたくそだって言ってやりなよ」

「うん…」

「でも、ネルもデクレの本を隠しちゃだめだよ」

 デクレがいつも抱えている難しい本は、宿のカウンタの中に隠してある。一生懸命勉強しているデクレが困っている姿を想像して、ネルの胸がじくじく痛んだ。ネルはうつむいたまま切り株から立ち上がった。

「わたし、デクレに本、返しにいく」

「うん、僕も一緒に行くよ」


 そうしてどちらともなく手をつないで、ふたりは歩きだした。ネルは少年の琥珀色の瞳を見つめて、口の中をモゴモゴさせた。

「クレッセ、あのね…」

「なに?」

「…なんでもない」


 ありがとうと、素直に言うのはなんだか恥ずかしくて、その時のネルはなにもクレッセに返せなかった。

 今は遠い、甘くもほろ苦い過去の記憶だ。



 転移でやってきたレクセの街は、しんと静まり返っていた。

 整然と石畳で舗装された道には、小さな煉瓦造りの家が所狭しと立ち並んでいる。家と家の外壁がぴったりくっつきそうなほど近い。庭の代わりに花壇や植木鉢が入り口や窓際にちょこんと置かれていた。

 ラトメも家々が密集した街だったが、レクセはもっと色彩鮮やかでおもちゃ箱みたいだ。ネルはぽかんと口を開けてあたりを見回した。

「すごいね、家がいっぱい…こんなに小さい家じゃ、家族みんなで住むの大変だね」

 ネルと母とデクレの三人くらいならなんとかなりそうだが、兄弟の多い家はあふれかえってしまいそうだ。しかし、メルセナは平然としていた。

「そう?こんなもんでしょ。シェイルの集合住宅もこんな感じよ」

「しゅーごーじゅうたく…?それ、畑はどこに作るの?」

畑もなければ家畜がいる様子もない。レクセやシェイルに暮らす人たちはものを食べなくてもだいじょうぶなのかな…首をひねっていると、トレイズが引率よろしくパンパン手を叩いた。


「さて、とりあえず俺の知り合いのところに行くぞ。お前ら、はぐれずについてこいよ」

「こんな大所帯で押しかけて大丈夫かな」

 ルナセオが振り返って人数を数えた。5人くらいのお客さんなどインテレディアの我が家なら簡単に迎え入れられるが、この小ぢんまりとした家では破裂してしまいそうだ。

 トレイズは困ったように頭を掻いた。

「まあ、いざとなれば俺とエルディは宿を取ってもいいだろ。とにかくお前ら巫子を匿ってもらわなきゃな」

率先して歩きだしたトレイズに、後ろにいたエルディから「トレイズさん、恐らく目的地は右手の道です」とフォローが入った。


 ひとりで歩いたらネルだって迷子になってしまいそうだ。はぐれないようにルナセオのマントをつまんで大人しく皆の歩みについて行くと、当のルナセオは道順からは脇に逸れる暗い路地をぼうっと見つめていた。その小道には、申し訳程度の明かりがついいるくらいで、なにがいるわけでもない。だが、彼の眼差しは闇の向こうに何かを見いだすようにギラリとしていた。ネルはラトメで見た、クレッセの危うげな視線を思い出してぞっとした。

「ねえ」

 ネルは反射的にルナセオのマントを引いた。「えーと…ルナセオって呼んでいい?」

ルナセオははっとした様子でこちらを見た。その顔はラトメで話したときと同じ、柔らかい表情だった。

「セオでいいよ。なに?」

特に話題があるわけではなかったのでネルは口ごもったが、ぱっと思いついた話題を振ってみた。

「セオはこの街の学生なんでしょ?なんの専攻なの?」

ネルの質問に、ルナセオは面食らった様子で目を瞬いた。

「俺はまだ四年生だから。専攻が決まるのは五年からなんだ。でも、よく専攻なんて知ってたね」

「あのね、うちのお姉ちゃん、レクセの学校に通ってるから。今はかがい…じゅぎょう?っていうので、クライディアの遺跡を調べてるんだって」


 ネルの3つ上の姉は、家族に黙ってレクセの学校の「受験」(聞くところによると、学校に入るにはどれだけ頭がよいかテストされるものらしい)を希望する手紙を出して、颯爽と13歳で村を出て行った。母は「アンタのそういうとこ、本当にお父さん似だわ」と笑っていたが、ネルは姉がいなくなってしまうのが悲しくて旅立ちの前日はずっと泣いていたものだ。

「へえ!ネルのお姉さん、考古学専攻なんだな。じゃあ父さんに会ったことあるかも。うちの父さん、考古学者なんだ」

 ルナセオはそう言ってニコリと笑った。その姿からは先ほどの恐ろしげな空気は感じなくて、ネルはようやくほっと息を吐いた。

「そうだったらおもしろいね」

 ネルが赤の巫子になったなんて知ったら、ふしぎなものが大好きな姉は嬉々として赤くなった髪の毛を調べたがりそうだ。ひょっとしてルナセオの父もそういうタイプなのだろうか。


 ネルとルナセオだけで会話していたのがつまらなかったのか、ぐいとルナセオをおしのけてメルセナがふたりの前に出た。

「私のことはセーナでいいわよ。あ、もしくはセーナ姉さんと呼びなさい」

「セーナ姉さん、きみ、いくつになったの?」

ルナセオがからかうようにたずねた。メルセナの見た目は10歳くらいで、身長もネルとは頭ひとつ分以上低い。でも、ネルよりずっと頭がよさそうだ…そんなことを考えていると、メルセナは真っ赤になって語気を荒げた。

「失礼ね!私は20歳よ!アンタ達より年上!」

「えーッ!?」

ネルもルナセオと一緒になって叫んだ。エルフは歳を取るのが遅いというのは、もちろん、母を見ていて知っていたけれど、漠然と大人になったら成長が止まるようなものだと思っていた。メルセナのこの見た目でネルより年上ということは、ひょっとして母は…考え出したところで、脳裏に浮かぶ母が恐ろしい顔で睨んできたので、ぶるぶると涙目でかぶりを振った。


 前を行くトレイズが振り返った。

「お前らなあ、エルフって種族は人間の倍以上の寿命があるから、成長も遅いんだ。俺と同世代でようやく人間でいう20歳そこそこの見た目になるんだぜ?」

そう言うトレイズはだいたい40代半ばくらいに見える。若く見積もって母の見た目が20代後半くらいとすると、うちの母のほうがトレイズより、少なくともひと回りは年上ということになる。いままでかたくなに自分の歳を明かそうとしなかった母の真実を知ってしまって、ネルは頭を抱えた。

「ま、お前の年頃でそんなに口が達者なエルフなんてほかに見たことないけどな」

「そりゃそうよ。私、人間の街で育ったんだもの。旅に出てびっくりしちゃったわ、エルフの同世代たちってホントに子供よ、なーんにも知らないの」

 メルセナはケロっとしているが、ネルの暮らしていた小さな村だってエルフである母が受け入れられるには時間がかかったらしい。宿に来るお客さんだって、店主がエルフだと知って横柄な態度に出る人だっていた。メルセナが街中で暮らしていくのにはきっとたくさんの苦労があったことだろう。


 ネルは母以外のエルフに会うのは初めてだったので、ちゃんとお話をしてみたいと思ったが、その前に隣を行くルナセオが何かに気づいたように「あれ?」と声を上げた。彼は、他よりもひとまわり大きな家を見上げていた。トレイズの向かう先を見るに、どうやらあの家が目的地らしい。

「あのさ、トレイズ。俺ちょっと気づいちゃったんだけど…」

「あーッ!お前、お前ー!」

ルナセオが最後まで言い切る前に、その家の二階にいた人影が窓から身を乗り出して叫んだ。こちらがびっくりしている間に、彼は家の中へ引っ込んだと思うと、すぐさま一階の玄関口を開け放ってこちらに駆け寄ってきた。


「セオ!」

「グレーシャ…」

 その少年は、まっすぐにルナセオへ突進すると、彼の両肩を引っつかんで勢いよく揺さぶった。

「どこ行ってたんだよ!うちから帰ってそのまま行方不明になりやがって!どんだけ心配したと思ってんだこのばかセオ!」

 こちらが心配になるくらい首を前後に揺らされてルナセオが目を回した。ネルとはもちろん初対面だったが、その顔はラトメで会ったラファの面影を色濃く写していた。ただ、ブラウンの髪は後ろを刈り上げていたし、瞳の色は瑠璃色ではなく小麦色だ。耳にも首にもジャラジャラとアクセサリーがついている。さすがのネルも、彼が誰なのかすぐにピンときた。

 こちらの視線に気づいたのか、グレーシャと呼ばれた少年はネルたちをぐるりと見回すと、怪訝そうに眉をひそめた。

「お前ら誰?」

言いよどんでいると、開けっ放しの玄関から女性の声が飛んできた。

「グレーシャ、アンタ、ドアを開けっぱなしにするんじゃないわよ。何してるの?」

「お袋!セオが帰ってきた!」


 顔を出したのは、デクレやクレッセと同じ小麦色の髪の女性だ。彼女はまず、ルナセオを見てぎょっと目を見開いた。

「セオくん!それに…」

 ああ、なぜここにデクレも一緒に来られなかったのだろう。女性と目が合って、反射的にネルは身をすくめた。彼女はハッとした様子でこちらに駆け寄り、その腕でネルを抱きしめた。赤く染まった髪を撫でられる心地に、ネルは泣きそうになった。

「ネル!よくここまで来られたわね。あなたのお母さんから手紙をもらったのよ。あなたとデクレがラトメに連れて行かれたって」

「マユキおばさん…」


 彼女はデクレとクレッセの伯母だ。たまに甥っ子の様子を見にインテレディアに訪れていたから、ネルも何度か会ったことがある。笑顔の素敵なカラッとした性格で、来るたびに綺麗な色をした飴玉を持ってきてくれる彼女がネルは大好きだった。

 クレッセたちがいなくなった当初、デクレは彼女に引き取られる話もあったけれど、結果的に母が申し出たことと、デクレ自身も村に残ることを希望したから、その話は立ち消えになったのだ。それでも、マユキは何くれとデクレを気づかい、村に来られない間もたびたび母と文通していた。旅立ってから、母が手紙にネルたちのことを書いたのだろう。


 ネルたちは、マユキの家のダイニングに通された。ちょうど夕食後だったのか、まだ片付けられていない食器がテーブルに載っている。それを客たちの目につかないように素早く持ち上げると、マユキは息子を振り返った。

「グレーシャ、適当な部屋から椅子を持ってきて」

それからマユキ本人は「お茶を淹れるからゆっくりしてて」と台所へ引っ込んでいく。

 素直に着席して所在なさげに室内を見回していると、正面に座ったグレーシャが頬杖をついてこちらを眺めていた。

「変わった髪だな」

「う、うん」

ネルはぱっと髪の赤くなったところを手で覆い隠した。そういえば、なにも気にせずにマントのフードを外したままだ。今、自分の頭がどのような状態かは鏡を見ないとわからないけれど、真っ赤な髪などさぞ奇異に映るだろう。


 グレーシャの抜け目ない視線にそわそわしていると、見かねたルナセオが苦笑した。

「グレーシャ、女の子にそれはないだろ」

「それどころじゃねーよ!」

どんとテーブルに拳をぶつけてグレーシャはルナセオに向き直った。

「お前、どこ行ってたんだよ?すげえ騒ぎになったんだからな、あれから学校にも出てこなくてさ!」

「う、そ、そうだよな」

藪をつついてしまったルナセオは視線をさまよわせた。グレーシャはご立腹の様子で唇を尖らせた。

「風紀委員のラゼ、いるじゃん?知ってるかわかんねえけど、あいつも同じ日に行方不明になってさ。まさか駆け落ちか?って噂になったんだけど、それから何日かして、モール川からあいつの死体が揚がったんだ。お前もどっかで死んでんじゃないかって、学校で大騒ぎになってたんだぜ」

「…ちょっと待って、ラゼの死体が?どこで揚がったって?」


 なんの話か分からないが、ルナセオはグレーシャの発言に食いついた。その目がやけに深刻な色を帯びるのでネルはドキリとした…あの路地を睨んでいたまなざしだ。

「南の森にあるモール川だよ!もーびっくりしたっての。よく知らないけど不審死だかなんだかで?なんかの事件に巻き込まれたんじゃないかって役所の連中が血眼になって探したけど結局なにも分かんないし、同じ日にいなくなったお前はどこにもいないし。

 でも、その様子じゃラゼと一緒だったわけじゃないんだな。そりゃそうだよな、お前らあんま接点なかったし」

「うん…そうだな…」

そうは言いつつも、ルナセオの顔色は悪かった。どうしたの、声をかけようとしたところで、マユキがトレーに茶器を乗せて戻ってきた。


「グレーシャ、アンタは引っ込んでなさい。二階に行ってて」

「なんでだよ!俺も聞くよ!」

グレーシャは文句を言ったが、冷ややかな母の視線にたじろいだ。すかさずルナセオが立ち上がってとりなすように言った。

「じゃあ俺も一緒に二階に行くよ。こっちでのことも聞きたいし」

 グレーシャと連れ立って階段をのぼっていくルナセオは元どおりの優しげな少年に戻っていたけれど、ネルはなんとなく胸騒ぎを感じた。彼も、クレッセのような危うい一面を隠し持っているような気がしてならなかった。

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