驟雨のかかる道
薄曇りの空からは陽気さは感じられない。隙間風が冷たく吹きすさび、向かいの男は身を震わせた。
「おい、昨日の陽気はどうした……?」
「あの一杯を無かったことにしなけりゃならんかもなぁ」
俺は形も判然としない平たく伸びた雲を見上げ、ぽつりと呟いた。向かいの男は即座に振り向いて、非難の目と暇つぶしの期待感を抱いた表情で俺を見る。
「吐けと言うか、貴様」
「残念、お前のそれには1リーブルの価値もない」
「俺のは聖水だから100リーブルはするね」
向かいの男はニヤニヤと笑いながら反論する。やる気らしい。いいだろう、受けてたとう。
「つまりお前の腹で発酵させればパンは25倍の価値になるんだな」
男はたいそう嬉しそうに頷く。
曇り空の下で橋を通り過ぎるのは多くが馬車か中産階級以下の共同住宅に住むような輩なので、傘貸しの仕事は一気に暇になる。当然、金持ちでなければ傘を借りる者などいないのだ。
「そうとも!俺のそれは聖水だからな」
手持ち無沙汰な傘たちの束は先程から三回ほど往復したが、それっきり誰の手にも渡っていなかった。
「つまりお前は傘貸しを辞めてもいいわけだ」
「いやちょっとまってそれは困る」
凄まじい早口でそう答える。俺は口の橋で笑ってみせた。向かいの男はギョッとして、急にしおらしくなる。
橋の下にある川に波紋が広がる。次の瞬間に、俺もつむじに冷たさを感じた。
灰色の分厚い雲から、雨が白い線となって降り注ぐ。息を飲む。
「うげ、降ってきやがったな」
俺たちは同時に傘をさした。傘をさして棒立ちする姿はなんとも滑稽に映っただろう、雨に降られて肩を濡らされた男が嘲笑しながら俺たちを通り過ぎていった。
「まぁ、馬車は持ってねぇからなぁ」
向かいの男はぽつりと呟いた。この男にしては珍しいと思ったが、雨垂れに反射する暗い雲を見ると、同じように陰惨な思いがこみ上げてきた。
「帰ったら女房がなぁ……」
同時に呟き、顔を見合わせると、向かいの男は笑っていた。いたずらな笑みに、俺も吹き出す。
「お前は俺の心が読めるのか?」
「何、神様が教えてくれました」
彼は神に祈りを捧げる仕草をする。点を仰ぎ見ると自然と傘から雨水が溢れ、顔に当たって顔をしかめた。
「やや、そう言うことか。神様は女房の悪口を言うから雨を降らしたに違いないぞ」
「女房は神の試練ときたか!あぁこれが愛の試練!直ぐに告解にでなければ!」
向かいの男は両手を広げ、雨を一身に受ける。鐘が鳴ると自然と身をしぼませ、いそいそと傘を広げ直した。
「……最近告解行ったか?」
ふと思いついて尋ねると、男は難しそうに顎をさする。深く考えた末、そのまま首を振った。
「結婚の決まりで行って以来いかねぇな」
「やはり結婚は試練だった……?」
「俺たちの愛が試されている……!?直ぐに酒盛りの準備だ、ミスター……!」
向かいの男は鬼気迫る表情で振り向く。俺は真剣な眼差しを向け、こくりと頷いた。
「愛について語るならば気持ちを高めなければなるまい。よし、風呂屋に行こう。あそこなら果物もある」
「あぁ、懐かしき愛の日々!私にも愛する女房がいたのだ!」
「一つ貸してください」
「あ、ハイ。畏まりました」
顔を向けると、聖職者らしい人物が柔和な笑みで手を差し出していた。俺は慌てて傘を渡す。短く礼を言った神父は、橋の半ばあたりまでスタスタと歩くと、突然立ち止まった。
「明日にでも告解に来なさい。美味しい果物はありませんが、愛についての知見ならば与えられましょう」
語る背中はとてつもなく高圧的で、有無を言わさない迫力があった。
向かいの男はあっけにとられながら対価を受け取る。
「今日は早く帰るか……」
「風呂屋は中止だ、ミスター」
ジメジメとした空気は、教会の隅よりもキノコの生えそうな濃い白色をしていた。