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町の隙間、日の照る場所で。

 端から端へと川に架かる、都市の隙間に雲が覗く。照り付ける太陽に嫌みたらしい薄雲に、端と端には人が立つ。


 大きな欠伸を挙げたのは、向かいで傘を持つ男だ。程よい陽気に眠気が襲うのは日常茶飯事で、彼の呑気な欠伸は橋を通る人に営業する手間を忘れさせた。


「いやぁ、しみるねぇ」


「あっちぃからきっと稼げるぜ」


 暇そうに伸びをする男に向けて言うと、男は背伸びをやめて手元の傘を弄んだ。

 開閉可能な傘は男側には少なく、こちら側には多い。高い鐘の音が正午を告げると、今度はあちらに傘が行く。俺達は橋の端と端から、傘を運ばせる仕事をしているのだ。


 人々は、俺達の事を傘貸家と呼ぶ。非常に分かりやすくてよろしい。


「君、一つ貸してくれ」


「あ、はい、畏まりました」


 俺はカイゼル髭の男に傘を貸す。男であろうと女であろうと、首周りには派手なカールがあり、その男はキュロットから太い太腿を白タイツで隠していた。

 要するに金持ちと言うわけだ。この男は向かいの男に傘を返すと、足早に川縁の道を進む。先程まで忙しく傘を差した右手は手持ち無沙汰にぶらつきながら、宮殿の方へと消えて行った。


「今のは貴族さまだ、幸先がいいぞ」


「まぁだ会議の時間には早い。ははぁ……訳ありだなぁ?」


 向かいの男は顎を摩りながら不気味な笑みを浮かべる。不格好な背虫が老婆のようで、俺はつい吹き出した。


「邪推もほどほどに。ほら、客来たぞ」


 向かいから来たのは良い匂いのお嬢さん、マドモアゼルに傘をさす時、背むし男は途端に真摯に早変わりだ。俺はと言えば、子煩そうな女には上の空で傘を貸し、近づいてくるお嬢さんの手をさり気なく握る算段を練っていた。

 お嬢さんはすっと近づき、俺の手が触れないようにわざわざ柄の部分を俺に差し向ける。俺は一瞬その目を見て、渋々柄から受け取った。


「……触れた?」


 暫く沈黙した後、二人は顔を見合わせた。


「死にたい」


「そりゃないぜぇ、お嬢さん!」


 向かいの男は気障に頭を抱えて見せる。やれやれと声が聞こえてきそうな、大仰な仕草で、そいつは先ほどのチップを大事そうにポケットの中に仕舞った。


 次に近づいてきたのは立派な衣装だが忙しなく貧乏ゆすりをする男で、向かいの男よりも幾らか酷い背虫を背負っていた。


「……貸せ」


「あいよ」と短く言って傘を差し出すと、男はそれを鷲掴みにして奪い取り、差して地面を踏み固めるように凄い勢いで橋を進む。向かいの男に傘を渡すと、今度は路地裏を速足でかけていった。


 それから数人、大した事のない人々に傘を貸したり返されたりしながら、流れる雲をぼんやりと眺めていた。


「なぁなぁ、リーブル銀貨が政府に高く買い取られるんだってよ」


「……あぁ、金貨と交換の奴?」


 俺がぼんやりと白い雲を目で追いかけながら答えると、男は期待に胸を膨らませてにたりと笑う。


「俺、両替商のとこ行こうかと思っててよ」


 俺は首と手を同時に横に振った。


「よせよせ、どうせ銀貨を鍛造しなおして、溜め込んだ金がパーだ」


 俺の言葉に、男は不服そうに眉を顰める。俺はぼんやりと眺めた雲の形に既視感を覚え、男そっちのけでそれを思い出していた。


「じゃあなにかい?俺達の小銭はどうにも両替できないってぇのかい?」


「そりゃあおまえさん、傘20本では生きていけねぇでしょうよ」


 俺は適当に答えながら、更に三人組の男女に傘を貸した。向かいの男は格好をつけて前髪をかきあげながら、小さく溜息を吐いて三人組から傘を受け取る。


「すでに俺達は橋の端に立つだけで30人に傘を貸している事を忘れたとは言わせねぇ……」


「……っは!まさか!」


 乗ってやろうじゃないか、小僧。顔に仮面を嵌めるように男は指を一杯に広げて顔を覆う。中指と薬指から覗く口がきゅっと吊り上がった。


「そうとも、俺達は今日、もう一杯エールを飲むことが出来る!」


「ぐあぁぁあ!女房にはばらさないでくれぇ!」


 俺は手をつき出し、眩く輝く男の顔を遮る。向かいの男は急に平常心に戻り、真顔で老婆に傘を貸した。


 橋を渡り終えるまでに、老婆は噛みしめるようにしながらじっくりと地面を擦る。船が橋の下を山積通り過ぎてやっと、俺は傘を返してもらうことが出来た。


 ふと傘立てに目をやると、俺の方にあった傘が随分と減っていた。俺は向かいの男のもとに駆け寄り、傘を数本くすねる。男はぼんやりとしながら、増えすぎた傘を片腕に二本ずつ、計四本かけて立っている。


「しっかしいい天気だなぁ」


 男はぽつりとつぶやく。


「あぁ、エールが飲みたいぜ……」


 空にかかった雲の形、俺はやっとそれを思い出して、満足げに息を吐いた。


「そうだ、あれはジョッキだな」


「いやいや、お兄さん。あんな泡だらけではうまくないでしょう?」


 男の言葉に、つい吹き出した。


「違いない」


 狭い外壁が迫るその隙間に、ほんの少しだけ、太陽の照りつける場所がある。そこが俺たちの職場であり、俺達はそうしていつも、日中にエールを飲んでさぼる夢を見る。

 お天道様の恵みに感謝をしながら、嬉しそうな傘をもう一本貸した。その時の別嬪さんの手は、シルクのように滑らかだった。


 今日も、いい酒が飲めそうだ。

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