peace
これは、私の恩師が酒の席で語った、ある先輩記者の話である。
恩師がまだ記者の若造で、某新聞社に入りたてのペーペーだった頃・・・
当時は入社してすぐ地方支局に行き、先輩に付いて色々学んだんだそうだ。
恩師が付いたのは、大阪のベテラン記者だった。
とても口が上手かったので、色々と講演なども行っており、助手として同行することも多かった。
中でも、ある話が強烈に印象に残っているという。
先輩記者(仮にYとする)が、学校の体育館を借りて、婦人会の講演で語った話だ。
「まだ、私が駆け出しの頃の話です。」
壇上のY氏は流暢に語りだした。
「8月、耐え難い・・・茹だる様な猛暑の、とある日、私は局長から呼び出されました。」
とても暑そうに、衿に手をやりネクタイを緩める。
「Y、なんやら広島のほうでエライもんがあるらしい。お前、取材に行ってこい!」
Y氏は、物真似風に口調を変えて言う。
それが似ているのかどうかは、私にも、恐らく会場の誰一人として分からない。
だが、なんとなく局長の、・・・昭和の時代、戦時中に現役バリバリだった昔気質風の・・・雰囲気は伝わった。
「私は局長のいうままに、一も二もなく車を走らせました。」
すぅ~っと手をかざして、真っ直ぐに移動するようなゼスチャー。
「だが、どうもおかしい。」
一瞬、間を置いて怪訝そうな表情を浮かべる。
「広島に入ってから人っ子一人いない。」
静かな会場に、静かに語るY氏の声が響く。
「犬も鳥も、蝉の鳴く声もない。」
そして、抑揚のあるY氏の語り口は、会場に当時の情景を作り上げていった。
辺りは、台風にあったかのごとく倒壊していました。
市街地に近づくと、まるで火事と地震がいっぺんに遭ったかのように瓦礫の山。
最初はぽつぽつと、やがて夥しい数の人が倒れていました。
…死体でした。
外傷もなく服を着た死体、裸の死体、赤黒く焼けた死体、燻ぶった死体。
死屍累々、死体の山です。
最初は、「こんなところで可哀想に…」と埋めてやっていましたが、何しろ数が多い。
せめて目についたところだけでも、と、出来る限り弔いながら、私は車を走らせました。
だが、倒壊した建物の合間を縫い、埋葬しながらの道中は、中々先へ進まない。
蒸し暑い夜が明け、再び8月の太陽が照り付けると、辺りは凄まじい臭気が漂いました。
それはとてつもない悪臭、腐臭、死臭…
ただ居るだけでも耐え難い。目は慣れても、匂いで体が拒絶する。
私は気休めにと煙草を燻らせました。一心不乱に煙草を吸って、色々と込み上げてくるものを煙で誤魔化し、抑えました。
出発してから約3日くらいでしょうか、市街地中心にたどり着くと、想像を絶する光景を目の当たりにしました。
空襲の焼け野原は幾度となく見て来ましたが、其処はそれらとは比べ物にならない程・・・焼き尽くされていました。
動くものはない。人だった影が瓦礫に、地面に焼付き、こびりついている。
私は茫然しました。どれくらいだったでしょうか?
何も考えられず、ただ立ち尽くしました。
やがてチリチリと、喉なのか胸なのか、その奥のほうが焼け付くような感覚に襲われ、私は仕事もそこそこに、その地を後にしました。
帰ってからずっと、なんだか体調がよくなくて遂に医者に行きました。
そこで医者は「残念ながら…」と前置きをして、恐ろしいことを言ったんです。
「Yさん、貴方もう子供作れないよ」
広島のアレは、アメリカが落とした爆弾のせいだという。
『原爆』というらしい。
「でも、私が訪れたのは、落ちてから3日も4日も経った後ですよ?」
「放射能といってね、落ちてからもずっと残るんです。むしろ、そっちのほうが深刻だ。
燃えカス、灰、土、建物、空気…あの辺り一帯が汚染されちまうんですわ。
特に影響が出るんが、生物の髪と、睾丸の生殖機能・・・つまり、タマですな。
あの場所に何日も居たことで、貴方の子種は、もう・・・」
「そんな・・・」
当時、私は結婚したばかり。田舎の親は、孫の顔を何より楽しみにしていました。
目の前が真っ暗になったようでした。
Y氏は、頭を抱えるゼスチャーをした。
それからはもう、とにかく頑張った。
それこそ血の滲むような思いで、色々励んだ。
まあ、本当に血が滲んだんですけどね。・・・アソコに。
Y氏が悪戯っぽくウィンクをすると、会場からくすりと笑いが零れる。
色々試しました。立ってみたり、座ってみたり。
横になったり縦になったり、屈んでみたり、四つん這いになったり。
這いつくばってでも跨って、這いつくばらせて跨らせて、突っ伏して突っ伏されて、上になって下になって、取っ組み合って組んず解れつ・・・そりゃもう色々です。
会場、ドッとウケる。
しかし一転、Y氏は深刻そうな顔で声のトーンを落とす。
でも・・・それでも、駄目でした。
Y氏につられて、会場も静まり返る。
双子と女の子・・・
後は、・・・嫁が嫌がりましてね。
「犬猫じゃないんだから!もう、沢山」って。
Y氏はウンザリといったゼスチャーをした。
会場爆笑。
…5人は欲しかったんですけどね。まだまだ頑張れたのに。
Y氏は、自らの股間を見つめてシュンとする。
婦人達は手をたたいて笑う。
でも、私はそのとき思いました。
人間、ヤればデキるんだなぁと。
みな、腹を抱えて笑い転げる。
それで子供を授かった後、例の医者のところに行ったんです。
そしたら、何て言ったと思います?
「タマげたなぁ…」だって。タマだけに。
会場はすっかり大盛上がりだ。
こうも言いました。
「あんた、大したタマだよ」って。
どんなタマなんでしょう。…え?キンタマ?
会場は更にヒートアップしていく。
ただね、そのとき医者は、・・・こう、私を見て、深刻な顔で言ったんですよ。
「ああ、でも、あんたのソレは後遺症だね」って。
突然のY氏の深刻な表情に、今までの盛上がっていた会場は、一瞬で静まり返った。
そうなんです。…あったんですよ、後遺症。
そしてソレは今でも続いています。私を蝕んでいます。
ザワつく会場。
冷たい表情で会場を見回したY氏は、おもむろに懐に手を突っ込んだ。
そして煙草を出して、プカ~と吸い始めたのだ。
私の後遺症はね・・・
そういって、Y氏は火のついた煙草を掲げる。
コレ。煙草中毒。(※今でいうニコチン中毒のこと)
ポカンとする会場。
あれから、辞められんのですわ。コレが。
溜息と一緒に煙も吐く。
再びザワつく会場。
当然だ。男性の8割が喫煙者だった当時においても、講演中に一服するなど前代未聞である。
私はね、1日に40本は吸います。
そりゃもう、朝起きて夜寝るまで、ずっとプカプカと。
落ち着くんです。・・・あの時見た光景を、誤魔化したときのように。
悲しそうな目で、火のついた煙草を見つめるY氏。
私は、戦争は嫌いです。
原爆も嫌いです。
そして、手に持った煙草の箱を見、ニヤリとする。
私は戦争よりも、コレがいい。
そういってY氏は薄緑の箱を見せる。
そこには鳩のマークに「Peace」と書いてあった。
医者から言われても、後遺症だとしても・・・これだけは、辞めたくないですな。
一瞬の間の後、会場は盛大な拍手に包まれた。
煙草を吹かして声援に応えるY氏。
その大喝采をよそに、助手だった恩師はスタッフに言われて、慌てて壇上に灰皿を届けたそうだ。
恩師も戦争経験者だ。
空襲や疎開の経験もあるといっていた。
酒の席でこの話をしたとき、恩師は遠い眼で、懐かしいような悲しいような、何とも言えない表情で語った。
特にY氏については、薄っすらと目を潤ませ、楽しそうに話していたのが強く印象に残っている。
Y氏の講演は、今だったら不謹慎と怒られそうな内容である。
だが同時に、当事者が語る「ジョーク」に、粋なセンスを感じずにはいられないのであった。