一日だけの共犯者
友達未満恋愛未満。
ーそうだ、海に行こう。
シフトを間違えて出勤してしまい、上司と同僚に苦笑いされながら帰路につこうとした時にふと思いついた。
普段は家族の介護や家事で手一杯になってしまい、どこかに遊びに出かける事もほとんどなくなっていた。元々、そんなに器用ではないし、家族に対する思いも人よりちょっと強いせいか、今の家庭状況を考えれば、家族を置いて遊びに行くなど考えもしなかった。
遠くに住んでいる兄からは、たまには両親を置いてどこか旅行でも行けと言われるが、変な責任感が働いて、心配して言ってくれている兄と口論になっていた。
そのよくわからない責任感で自分や家族を縛っていた事にストレスを感じていたのかもしれない。
ーとにかく、海に行こう。
昼食は作ってきたし、夕飯の下準備も出来ている。
海までは高速道路で一時間程度だし、連絡があれば直ぐに帰ればいい。罪悪感は、帰ってくるまでは忘れようと決意して。
高速道路を降り、コーヒーショップのドライブスルーでクリームたっぷりの甘いコーヒーを買って、海へと車を走らせる。前に来た時より、道が綺麗になっているなぁと思っていると、道が開けて海が見えた。
「あおーい!」
残念ながら、天気は曇りだが海は青い。当たり前の事だが、久しぶりに見た海に気分が高揚してついつい独り言が出てしまう。砂浜の目の前の駐車場に車を止め、車を降りて伸びをするとポキポキと関節が鳴る音がする。
夏休みが終わったのと、朝早いせいか人がまばらな浜辺を日傘を差してぶらぶらと歩いて、波打ち際に素足を浸してみたり、防波堤の陰に寝そべる猫に遊んでもらったり、一通り満喫して車に戻ると、コーヒーが温くなっていた。
「うわ、あっま」
車外に素足を出したまま、生クリームが溶けて温くなったコーヒーを飲みながらバックの中から文庫本を取り出し、波の音を聞きながら読書をすることにした。
そこから三十分程度で耐えられなくなった。曇りとはいえ、暑い。いや、夏だから当たり前なのだが、日差しもきつい。これは早々に退却が必要だと、足についた砂を払い靴を履いていると、影が落ちてきた。
「やっぱり、ほのかちゃんだ」
名前を呼ばれて、驚いて顔を上げると見知った顔が日傘を差しかけてくれていた。
「お、おう……。日傘男子」
「ん?まさか名前忘れてるとか?」
ワイシャツにスラックスで日傘を差している雰囲気イケメンは、隣家の息子で確か年は一つ下だったはず。小学校までは一緒に通学したり、お互いの家を行き来していたが、それ以降は会えば挨拶くらいの幼馴染みと呼んでいいのか微妙なご近所さんだ。
「あー、藤芝しゅんくん」
多分。漢字を書けと言われたら、表札見に行かないと分からないけど。
「そうそう、合ってる。朝、挨拶したから朝ぶり?」
気まずい。朝、会った。そしていってらっしゃい、いってきますと挨拶した。県を跨いでいるし、自宅から高速で小一時間も離れた場所で、ご近所さんに見つかるとか気まずい上に口止めも必要だ。
「うん、朝ぶり。あのさ、しゅんくん。ここに私がいたってことは、秘密に、しておいてくれないかな」
「うん、俺は有休。仕事だって出てきてるから黙っててね」
何となく同じかなーと思って声かけたんだ、と言われ気が抜けて倒れたままの車のシートに寄りかかる。
「はは、すっごい緊張してた。真面目だなー」
「うっさい!あーびっくりしたぁ」
まともに話したのは十数年ぶりだけど、気が抜けているせいか気安く話してしまう。向こうは営業職だからか当たりも柔らかく、ご近所さんであることもあってかフランクに話している。
「ま、俺は甥っ子の面倒見んの疲れちゃったからリフレッシュ休暇?的な?」
そういえば数年前から隣家に彼の姉夫婦が同居するようになり、子供の声がよく聞こえてきた。田舎なので基本、春先から秋口まで窓が全開になっているのでお互いの家の声はまる聞こえなため、あちらの事情もこちらの事情も筒抜けである。彼の甥っ子はまだ幼稚園入園前で、仕事柄平日休みが多い叔父に懐いており、休みの度にどこかに連れて行っているみたいと、母が言っていた。
「……わたしも。ちょっと、気分転換」
「だよなー。うちの母さん、ほのかちゃん息抜き出来てるかって心配してたから、ちょっと安心した」
筒抜け怖い、声の大きさ気をつけよう。
「なあ、ちょっと早いけど飯食いにいこーよ。職場の先輩に美味しい回る寿司屋教えてもらったんだ」
地元から離れたところで、ご近所さんに会った気安さからか、それとも社交辞令か昼食に誘ってくれたようだ。社交辞令だったとしても、美味しい回るお寿司は魅力的すぎて食い気味に返事をしてしまう。
「ありがとう!行く!そうだ、口止め料で奢る。回る寿司なら大丈夫」
「割り勘。事情はお互い様だろ?」
彼のSUVの後ろを付いていくこと二十分ほどで、漁港近くの回転寿司屋に着いた。
そこで、たらふく近海魚の寿司を食べ、子供の頃の話や現在の話をしていたら、2時間ほど経っていた。共通の話題は少ないから、そんなに話は盛り上がらないだろうと思っていたが、ある種共犯のような親近感もあり、お互いによく喋った。
「ありがとう、凄くいい気分転換になった。…うん、頑張れそう」
「うん、俺も。来週は甥っ子連れてくる、頑張る、俺」
可愛いんだけど、元気過ぎて体力ついてかないと、テーブルに項垂れている彼を見ていたら、いい大人なのに子供の頃とあんまり変わってないなと、ちょっと笑ってしまった。
「お互い、変わったようで変わってないね」
「だね」
ひとしきり笑い合ってからチャットアプリのIDを交換し、きっちり割り勘で支払いをすませ店を出た。
日傘をさした彼は、漁港の近くの浜辺でもうちょっと遊んでくから、とこちらを見送ってくれた。熱中症と通報されないようにと注意すると、ちょっとむくれていた。
「ほのかちゃんだって、同じくらいの年なんだから、通報されないように!」
ごもっとも。
寄り道をし、いつもの帰宅時間より三十分ほど早く家に着き、手洗いうがいのあと手指消毒をしてから、縁側の1人用ソファに座る父と、その近くのベッドに座っている母の元へと行く。
「ただいまー、お昼食べれた?」
読んでいた本を閉じて、眼鏡を外した母は少し驚いたようだが、両親とも早い帰宅については深く追求せず、ふふっと笑っていた。
「おかえり。ちょっと残しちゃったけど、美味しかったわ」
夕飯の支度を始める時間まで余裕があるのと、気持ちにゆとりがあるせいか、両親と他愛のない会話を久しぶりにできたような気がする。朝、感じていた罪悪感は消えていた。
多分、お隣にもうちの笑い声が聞こえているはず。
後で、しゅんくんにもう一度、お礼を伝えよう。
あと、名前の漢字も尋ねて、明日はちゃんと名前を呼んで挨拶しよう。
ほぼ初めての小説投稿です。生温い目で見てやってください。
日常に疲れた人にちょっと逃げ道があるといいなぁと思い、勢いで書いてみました。
お読みいただき、ありがとうございました。