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わたし

作者: 小桜はる


 はたして、わたしに居場所はあるのだろうか。

 わたしはこの存在が許された六畳の空間でさえ、居るべき場所ではない、とどこからか声が聞こえてくるようでした。

 仲が良いと思っている友人は、実はわたしの勝手な思い込みです。なぜなら、わたしの優先順位など取るに足らないものであり、わたしから声をかけない限り、声がかかることはないのです。あまつさえ、一晩暗きを共にした友でさえその有様でありました。ですから、わたしはいつの間にかひとりになっています。決して望んでいるわけではありません。

 何がいけないのだろうと考えると、わたしはほとんどの物事において興味索然な人間ですから、ヒトを好きになれるはずがございません。ヒトに対して深く興味がないので、相手の気持ちを読むことが困難であれば、自分の欲を優先させてしまうヒトなのでした。しかし、上っ面だけはどうも良くあり、初対面であれば必ずわたしへ好感を持たせることができるのでした。それを見破ったひとりの友人は、わたしのことを「アスぺ」だと言って、消え去りました。わたしは他人の愚痴を言う機会がないので、「アスぺ」などという造語を知る余地もありません。調べてみると、『知的障害を伴わないものの、興味・コミュニケーションについて特異性が認められるヒトの発達における障害』などと書かれておりました。なるほど、これはわたしではないか。わたしをこれほど上手く当てはめる言葉があることに驚きを隠せるはずがございません。これを別の友人に話すと、きみはそんなヒトではない、という。そうでないと言われれば、そうでない気がするが、そうであると言われれば、そうであるように思う。わたしは自分とはどんな存在かと不思議になりました。自分というものは自分以外の人間が作るものなのだろうか。わたしは自分というものを物の見事に見失ってしまっているのです。

 翌る日、アルバイトへ行く足が止まりました。今まで止まっことなどないので、しばらく考えました。そうだ、あの深海魚のような店長のおかげだと気づきました。あの深海魚は、わたしの給料を勝手に減らしたのです。その上に自分は悪くないと平然この上ない顔で言い張る。そのような態度で店長が務まるものなのかと至極感心したものだ。このころのわたしは社会という掘り下げれば掘り下げるほど腐った沼が広がっている構図を理解していませんでした。なので、本日付で辞めさせていただきますと言うと、深海魚の顔が赤く膨れ上がった。わたしはその瞬間、この場所だけ気圧が低くなってしまったのだろうかと呑気なことを考えていたので、突然の罵詈雑言には面をくらいました。しかし、わたしは情けない人間で、まるでわたしが悪態をついてしまったような気分になったのです。その後、深海魚は元の顔に戻りヘラヘラと接客をしていましたが、わたしはその姿を見て本当に恐ろしくてたまりませんでした。上層社会人というのは二重人格適合者の集まりです。二重人格を扱えないものほど排除されていきます。わたしはそんな人になりたくありません。自らの子が出来たとき、わたしは化け物である、などと伝えるのはまっぴらご免こうむります。

 なので、わたしは旅へ出ました。自分が如何程にいいヒトなのかを世に知らしめようと思ったのです。わたしはまったくの異郷であるジャーマニーという場所へ行きました。ここであるならば、すべての事柄がリセットされるような気がしたのです。しかし、お笑いごともいいことにフード店の門をくぐることすらためらうほどの臆病者だったのです。結局お腹が空けば日本から持ってきたお菓子で腹ごしらえしました。そんなことを四日間続けていると、ホテルのロビーから出られなくなっていました。残りの三日間をどう過ごすか考えていると、知らないアジア人女性が声をかけてくれました。わたしをお食事に誘ってくれると言うのです。もちろんついて行きました。そうしてついにジャーマニーフードへあり付けることができたのです。話を聞くとそのアジア人女性は韓国人で、わたしが一日中ロビーに居るものだから心配になって声をかけたというのです。なんと言うことだ。わたしは祖国の敵であると思っていた国民に助けられるとは予期できませんでした。向こうさんもわたしが日本人だと知るや否や一瞬だけ顔が曇ったが、それでも優しく手助けし続け、心から心配してくれているのがいくら鈍感なわたしでもわかります。わたしは自分がどうしようもなくちっぽけな人間であると思い知ったのです。

 そうして帰国するとちょうど学校が始まったのです。わたしは恋人ができました。まずはヒトを愛さなければ単なるシステムや機械になってしまう気がしたのです。上手く付き合っていました。わたしは単に好奇心で恋人を作ったわけではなく、本当に愛していたのです。ですから、三ヶ月目にして別れを切り出されたときには、どこか別の世界にいました。恋人にとってわたしはたいそう重いようで、それが怖いという理由でした。作りかけの自分を真っ向から否定されたわたしは、恋人を随分無理やりな言いくるめをしてお付き合いを継続させましたが、そこには痛みと悲しみしかありません。傷つけに傷ついた挙句、わたしと恋人は別れ悲しみに明け暮れました。その行為が恋人へ罪を被せていることに気付くはずもございません。つまり、わたしは愛というものすら理解していなかったのです。(今でもこの定義は不可解なものです。)

 こうなってくると自分とは何者なのかさっぱりわかりません。ヒトへ愛情を捧げヒトと上手く付き合っていき、なお働くという至極普通の人間にすらなれていないのです。つまり、意味もなくギャアギャア騒ぎ散らかしている者共より立派に下のヒトであることがわかりました。わたしはヒトの存在価値がいかほどに尊いものなのかをやっと理解した気がします。こんなわたしも変われるのなら、もし変われるのなら、誰か教えておくれよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 現実味があって面白かったです。自分とは何かという疑問を抱え世の中を生きる主人公に共感できました。
[一言] 人格とは多面的である。
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