6 新しい職場
新しい職場であるお食事処。これは支社の1階にある。私の仕事は調理だ。
大学に通っていた時、調理師学校の夜学にも通って調理師免許は取っていた。面接のときにそれを言ったら驚かれたのは記憶に新しい。もちろん、調理師免許を取った後バイトをして少し腕はみがいている。
私の仕事は、まずは調理補助。それから皿洗い。忙しい時には接客もする。中々ハードだ。
お食事処は支社の社員だけでなく一般に開放されている。というより、社員には社員食堂がある。こちらで食べた方がもちろん安上がりだ。私の研修にはこの社員食堂も含まれていた。他の4人は行かなかったそうだが、社員食堂の研修も楽しかった。献立はA、B定食と特別定食。カレーと麺類。大体一日300食ぐらいでていた。
お食事処の値段は一般に比べたらリーズナブルだと思う。形としては定食形式で、ご飯とお味噌汁お新香は必ずついた。それにメインと小鉢が二つ。かなりのボリュームがあると思う。
注文の仕方はまずメインを選んでもらう。次に小鉢を二つ選んでもらうのだけど、うれしいことにこの中にミニデザートも入っていた。もちろんミニデザートは別に頼んでも構わない。その分値段に加算されるけどね。そしてご飯を普通、少なめ、多めから選ぶか、パンにするかを決める。汁物も同じ。お味噌汁かスープかを選べるのだ。これで定食の注文は完了。
他にも単品で頼めるものもあるので、料理名を覚えるのは大変だ。ハンディカムの端末がなければスムーズな接客は出来なかっただろう。
お食事処は朝の8時からやっている。これは独り身の人などからの要望ではじまった。朝の定食は料理はご飯とお味噌汁とお新香は決まっていて、あとは好きな物を選ぶ形式だ。焼き鮭、生卵、茹で卵、出し巻き卵、納豆、海苔、大根おろしなどの中から選ぶことになっている。
それから洋食の方で、フレンチトーストとベーコンエッグがある。これにはミニサラダとドリンク付き。
他にも単品でトーストやバターロール、クロワッサンなどのパンも充実している。このパンはもちろん工場で作っていて、朝に焼き立てが届くのだ。お持ち帰りように販売もあるのも、お客さんにはうれしいことらしい。
モーニングは朝の11時まで。11時から昼の時間。そして、夕方7時まで営業している。前は5時で終わりだったそうだが、やはり要望があり時間が伸びたそうだ。
でも、別の夜メニューはないしお酒もおいていない。本当にお食事のための店だ。もう少し遅くまでという要望があったそうだが、オフィス街のお店なので、ここまでとの本社判断で却下になったらしい。
あと、営業日も支社と同じ月曜から金曜までだったりする。他のお食事処は決まった休日はお正月の三が日だけだったりするので、ここになれてラッキーと思っていたりした。
それからここは早番と普通番と遅番がある。私は慣れるまではしばらく普通番でいいということだった。
先週までと違い立ちっぱなしの仕事は足に来た。仕事が終わって着替えた時には足が少しガクガクいっていた。もう少し鍛えた方がいいかなと思った。
佳代と待ち合わせをしていたので、入り口に向かう。そうそう、結局佳代からは土曜日にメールが来ただけだった。その代り今日仕事が終わったら話がしたいと言われた。
佳代が家で食事をしようというので、佳代の家のそばの停留所で降りてスーパーに寄って食材を買って佳代のマンションに行った。
簡単にパスタにした。スパゲティを茹でて、茹で上がったら玉ねぎ、シメジ、水菜とツナと炒めて和風パスタを作ったら、尊敬のまなざしを向けられた。ついでにコンソメでスープを作った。
パスタを食べ終わるまで、たわいない話をした。
食器を片付けて、お茶を出してくれて向かい合って座る。
とたんに、佳代がダレた。ローテーブルに突っ伏したのだ。
「ねえ、水月~。どうしたらいいのかな~」
「その前に宮本君になんて言われたの」
佳代が顔だけこちらに向けてきた。
「・・・付き合ってくださいって・・・」
「それだけ?」
「水月~、全部言わせる気?」
「そんなわけないけど、少し長く話してたから」
「う~~~~~」
佳代が呻いている。今まで告白されたことがないわけじゃないだろうに、煮え切らない態度に違和感を感じる。
「私の推測なんだけど、今まで佳代は告白されたことあったんでしょう。でも、下心かな。それが見えて敬遠していたんじゃない。それが宮本君に真剣に交際したいと言われて困惑しているとか」
「なんで、わかるわけ。水月ってばすご~い」
「まあ、見てればね。それで、どうするの」
「う~~~。考えたことないもん」
「じゃあ、真剣に考えてみたら」
「他人事だとおもって~~~」
「他人事だもん」
佳代が撃沈した。テーブルに顔をくっつけてまた、呻いている。仕方がないなあ~。
「宮本君は浮気とかしなさそうよね」
「うー」
「たぶん私を知るためにも付き合ってくださいとか、言ったんじゃないの」
「なんでそれを」
「だって知るほど会話してないでしょ」
「うー」
「唸ってないで前向きに検討しよう」
お道化たようにいったら、佳代がジト目で見てきた。
「そういう水月は。深見君とはどうなのよ」
「どうって、何もないわよ」
「でも、深見君落ち込んでたじゃない」
告白された後なのによく見てたなー。仕方がないから本当のことを言ってやる。
「告白される前に断っただけよ」
私がそう言ったら佳代の目がまん丸になった。
本当、佳代は表情が豊かでうらやましいなと思ったのだった。
佳代は体を起こしてちゃんと座りなおした。
「えーーー。なにそれー。深見君かわいそう」
って、言うことはそれかい。
「かわいそうって、佳代はどっちの味方なの」
「だって、金曜日の深見君かっこよかったじゃん」
「いや、そうかもしれないけど、カラオケでのあれはないでしょう」
「あっ!そうだった。・・・でもさ、何か見た目ほど遊んでなさそうじゃない」
「う~ん。そんな感じかな」
「でしょ。水月も深見君をよく知ったら、付き合ってもいいと思うかもよ」
佳代のセリフにおもわず顔をしかめた。佳代が言う通りいい奴なのかもしれないけど・・・。
「それとも、深見君を避けたい理由が水月にはあるの」
佳代は鋭い。かわして誤魔化してもいいけど、それはしたくないと思った。私にとっては4人目の素の自分を晒せる相手だから。
「深見君とは中1の時一緒のクラスだったって言ったでしょ。だから彼とは面識があったんだけど、中3の時にね~。彼は香月たちと同じ小学校でこの間会った和泉君と仲が良かったの。今でも付き合いがあるようだったし」
「あー、駅であった人だね。あれ、もしかして誤解して水月に何か言ってきたの」
「当たり。嫌がらせはされなかったけど、しつこかったのよ。和泉には瀬名がいるから近づくな。って」
「それって・・・。その頃から水月のことが好きだったとか?」
「それはないでしょ。中学の頃の私って髪を伸ばして三つ編みにして、フレームの大きめの眼鏡と、少し長めの前髪をしてたから。それに私は活動的な香月と違って本を読んでる方が好きだったしね。印象に残るようなことをした覚えはないのだけど」
「だから、瀬名さんが陰気な女って言ったんだ」
よく覚えてるなぁ~。佳代も私と同じで周りをよく見ていたんだ。
「でもさあ、深見君はお買い得な気がするんだけどな」
「そうかもしれないけど、私いまは恋愛する気がないんだよね」
「えっ、なんで」
「私ね。深見君たちにも言ったけど、ある目標があるの。ううん。目的の方が正しいかな。そのために大学在学中に夜学の調理師学校に通って調理師免許取ったし。この会社を選んだのも、食品のことをもっと知りたかったからなの。入社出来たらお食事処というレストラン部門に入りたかったのよ。ちゃんと今日から配属されることになったけどね。あとはノウハウを知ったり、食材の仕入れのことなどを学びたいと思っているわ」
私の告白に佳代は目を丸くした。そして確認するように言ってきた。
「それって、いつかは自分のお店を持ちたいってこと?」
私は佳代の目をみたまま頷いた。
「そう。もちろん一人じゃないよ。何人かの友人と約束してるの。とりあえず5年、それぞれ自分が決めたところで修行したり学んだりすることにしたのよ。それから仲間の気持ちを確認して、お店をやりたい人だけで始めるの。まだ、喫茶店形式にするのか、レストラン寄りにするかまでは決めてないけどね」
佳代は黙って私を見つめてきた。
「素敵だね」
「そう? まだ夢への第一歩を踏み出したばかりなんだけど」
「・・・夢があって、その夢に向かって歩き出したんだよね」
「そうだといいんだけどね」
「どこでお店を開くとか決めてるの」
「それはまだよ」
佳代は盛大に溜め息を吐いた。
「なんか自分の悩みがちっぽけに見えてきた」
「そんなことないわよ。世の女性は恋愛こそ最大の悩みだったりするじゃない」
「プッ、なに、それ」
「あら、恋愛小説を読んでみなさいよ。四六時中彼の事ばっかり考えているわよ」
「クスクス。もう、やだ~。私そんな恋愛脳してないわよ」
「フフッ、そうね。佳代はそんな子じゃないもんね」
2人してしばらく笑い転げた。笑いの波が収まると佳代が真剣な顔をして言ってきた。
「ねえ、水月。私ね、宮本君にまずは知るために友達として付き合ってくださいって言われたの。すぐに頷けなかったんだけど、友達として始めて見ようかなって今は思うんだ」
「うん。いいんじゃない」
「でね、友達と言ったらグループ交際よね。もちろん水月も付き合ってくれるわよね」
そう言ってニッコリと佳代が笑った。
「はあ~?」
「ねっ、水月!」
佳代の笑みが深くなった。
「う、うん。わかった。協力する」
「ワ~イ。だ~い好き」
佳代がローテーブル越しに抱きついてきた。
佳代の笑顔に押されてつい了承してしまったけど早まったかしら。
「でね、次の日曜に出かけようって誘われているんだけど、水月の都合はどうかな」
「あっ、ごめん。7月16日が過ぎるまで出かけられないや」
「ええ~、なんで~」
って、出かけるのを楽しみにしてたんかい。
「こっちにも都合があるんだってば」
時計を見ると9時を過ぎていた。
「そろそろ帰るね」
「従弟さんを呼ぶの」
「うん。バスもまだあるからいいのに呼ばないとうるさくて」
そう言って携帯を取り出し電話をかける。3回のコール音の後に従弟の田所翔琉が出た。
「あっ、翔琉。今日もお迎え頼んでいい?・・・そう。佳代のところに居るの。・・・ほんとう?・・・わかった。よろしくね」
佳代に10分くらいで来ることを言って、トイレを借りた。出てくると、バックを持って玄関に向かう。佳代も鍵を持ってついてきた。
マンションの入り口で佳代と迎えが来るまで話をした。
「従弟さんって、円花さんの彼氏さんでしたっけ」
「そうよ。もう、過保護なくらいに円花に接するんだから」
「水月にもだよね」
「そうなの。困るよね」
私の言葉に佳代はうっとりとした表情を浮かべた。もしかして彼氏のお迎えというものに夢でもみているのか?
「でも、呼べば迎えに来てくれるなんていいじゃないの。何をしてる人なの」
「えーと、小説家、だったかな」
「小説家?作家なの」
「だと、思うんだけど。どうだっけ?」
「もう、なんで覚えてないのよ」
いや、だってさあ。
「前に会った時、株の取引で儲けた話をしてたから、わからなくなった」
「作者名は?何て名前で活動しているの」
「それが3つの名前を使い分けてるとか言ってて・・・。ごめん。よく覚えていないや」
私が覚えている翔琉はいつもパソコンの前にいた。ああ、違った。パソコンの前にいるのが7割、筋トレしてるのが3割。そんな感じだった。前に筋トレしてる時に会った時に訊いてみたら、家の中にいるばかりだといざという時に動けないからって言っていた。
迎えに来た翔琉の車に乗り、佳代に手を振って別れた。
車を走らせる方向が途中でうちの方向じゃなくなった。
「母さんが話があるから連れて来いってさ」
「私も叔母さんと話したかったから丁度いいわ」
しばらく車内に沈黙が落ちた。
唐突にまた翔琉が話し出した。
「安西佳代とか言ったっけ。なんかいい子みたいだな」
「そう見える」
「円花が懐いたんだろう。それだけでもすごいことだろう」
「そうね。・・・でも、自分の彼女の評価が酷くない」
「それはあいつが悪いだろう。もう少し他人と関係を持てばいいものを、水月がいるからって周りを切り捨ててるからな」
「猫被るのは得意なんだけどね。だから、周りは円花が人見知りだって気がつかないし。翔琉も過保護にするのやめたら。円花のためになってないよね」
「そうはいうけどな、あれをほっといたら周りの被害が甚大だ」
「そうかな。円花が傷ついたとしても自業自得でしょ」
「あいつはお前ほど強くないからな」
「だから、それが駄目でしょうが。挫折しても自分で立ち上がるのを見守らないと」
翔琉が溜め息を吐いた。
「善処するよ」
「そうして。今までは学生気分でそばにいられたけど、これからはそうもいかないでしょ」
「ああ」
私はこっそり溜め息を吐いた。ほんとこの2人はいいやつなんだけど、似た者同士過ぎるのが難点だと思っている。まだ、翔琉の方がましだけど・・・。
と、メールのことを思いだしたから言っておくか。
「光陽からメールがきて翔琉の取材受けるって言ってたよ」
「ほんとか。サンキュー。水月も付き合うか」
「行けるわけないでしょ。そのために今から叔母さんに会いに行くんだから」
「そうだったな。店やる話はどうなってる?」
「最後の1人がやっと修行先を見つけたよ」
「資金に困ったら言えよ。スポンサーになってやる」
「見返りはネタ提供でいい」
「それこそお釣りがくるな」
そんなことを言いながら車を走らせて、私達は田所家に着いたのだった。