5 配属先
6月の2週目の月曜日。支社長室で配属先の辞令を言い渡された。
深見君は営業1課、寺田君は営業2課、宮本君はマーケティング課、安西さんは総務課、そして私は経理課だった。
皆は辞令を素直に受けていたけど、私は納得できなくて人事課長に詰め寄った。
「何故私が経理課なんですか。希望の部署に配属されるとお聞きしていましたけど」
「大谷さんの希望は解っている。だが、経理の方の人手が足りなくなってしまって、君に入ってもらうことになったのだ」
「それは・・・。でも、納得できません」
「大谷さん。これは一時的なものだ。怪我と病気をした経理のものが復帰したら、君の希望のところに移れるようにするから、今は経理に入ってくれないか」
「本当ですね。それでしたら経理に行きます」
「もちろんだとも。我が社のモットーは「明るく楽しい環境を社員のために整える」だ。だから、研修の間に何度も希望の部署の確認をするじゃないか」
確かに研修中に何度も希望する部署を聞かれた。適性もあるのだろうけど、希望を叶えてくれようとするこの会社の姿勢には好感がもてている。
まあ、一時的というのなら仕方がないかと思うことにした。
私達はそれぞれの課長に連れられて、自分の所属部署に向かった。男性陣は何か言いたそうにしていたけど、課長に連れられて離れて行った。これからの1カ月はそれぞれの所属部署での研修だ。
朝、支社に着いて彼らと会った時、挨拶だけをして私は彼らから離れた。というより、佳代が彼らと私の間に立って、話しかけてきた彼らをシャットダウンしていたのだった。
佳代とは土曜日に佳代の家から帰る時に、月曜の朝に会社から200メートルほど離れたコンビニで待ち合わせをすることを約束させられた。私が頼んだこととはいえ律儀に実行してくれる佳代には感謝してもしたりないと思った。
帰りも佳代と一緒に帰った。明日は同じ時間のバスに乗ることを約束して佳代は自分の家のそばの停留所で降りていった。
翌日、約束通り佳代は同じバスに乗ってきた。それから毎日同じバスで会社まで一緒に通うようになった。
経理課での仕事は順調だと思う。職場に行くと各課から回ってくる書類の計算をし、ミスがなければ上に通し、ミスがあればその課に戻す。その繰り返しだった。
あとは、パソコン入力。これは手書きの文字をパソコンに入力するもの。たまに悪筆で読めないものがある。それがあまりひどいと課長が持ってきた人と喧嘩をしているのをよく見かける。前に数字が読みづらくて間違えた数字で発注をかけてしまい、大変なことになったことがあるそうだ。
そうして、大したトラブルもなく6月が終わった金曜日。
支社で歓迎会が開かれた。
毎年恒例ということで新人は何か芸をやれと言われていた。私は佳代と2人でホストコントをやった。イケメンホストに扮した私と、新人ホストの佳代。何故かお姉さま方に受けて、キスマークを頬にいっぱいいただくことになった。
男性新人の彼らは寺田君がボールのリフティングをしたけど、室内でするなと怒られていた。宮本君は意外なことにマジックをした。深見君はテーブルクロス引きを成功させた。
そのあと彼らは女性に囲まれてしまったのだった。
2次会でも私と佳代はお姉さま方に囲まれてカラオケをした。私達はお姉さま方に囲まれて安心していた。そう、ちょっと油断をしていたのかもしれない。
3次会にも私と佳代は参加する羽目になった。あるお姉様に気に入られて帰るに帰れない状態となってしまっていた。私達は諦めムードでちょっとシックなバーにいた。
そこで困ったことが起きた。私が一人でお手洗いから出てきたところで経理課の男性の先輩から2人で抜け出そうと言われたのだ。この先輩は一応私の教育係で、今までも食事に誘われたり飲みに誘われたりしていた。それをずっと先約があると断ってきた。
酒に酔って下心丸出しの誘いに乗るわけないのに、断ってもしつこく食い下がってくる。いいかげん嫌になったので振り切って逃げようとしたら、腕を強くつかまれてバランスを崩した。酔っているとは思えない動きで私を引き寄せたので転ばずに済んだが、その男の腕に抱かれる形になった。
そのままキスをして来ようとしたので、腕を振りほどいて殴るか、股間を蹴り上げようかと思ったところを、横から出てきた手がその男の顔を殴った。見ると深見君だった。
「先輩、こいつはもらっていきますんで」
そう言うと私の手を引いて店の出口に向かった。店の外には私の荷物を持った佳代と寺田君と宮本君が待っていた。
そのまま私達は近くのカラオケ店に入った。部屋に落ち着き飲み物を頼み、飲み物がくるまで誰も話をしなかった。店員が飲み物を置いて出て行くと、佳代がホッと息を吐き出した。
「よかったよ。あのまま水月が連れて行かれるかと思った」
「あー、心配かけてごめんね」
私が佳代にそう言ったら深見君が噛みついてきた。
「心配かけてじゃないだろう。あの状態でどうするつもりだったんだ」
私はムッとしたので言い返すことにした。
「自分でなんとかしたわよ」
「へえー、動けないように見えたけど」
深見君の眉間にしわが寄っていた。。
私は深見君の言葉に声を大きくして言い返した。
「だから、殴るなり蹴り上げるなりしたわよ」
「出来もしないこというなよ」
「出来るわよ」
「そうか、じゃあやってみろ」
そう言って隣に座っていた深見君に腕を引っ張られて抱きしめられた。
腕を動かそうにも動けないし座っているから蹴り上げるのも無理だ。何とか拘束から抜け出そうともがいたけど、深見君の腕はビクともしなかった。
「おい、遼。何をやっているんだ。やめろ」
「深見君、水月を離して」
「深見。やめてあげてください。大谷さんは泣いてますよ」
寺田君と佳代は深見君から私を離そうと手をかけてきた。それでも深見君は私を離そうとしなかった。
けど、私は宮本君の言葉にエッとなっていた。私が泣いている?
宮本君の言葉に私の顔を見た深見君が拘束を解いた。
「悪い」
深見君は一言そう言ってそっぽを向いた。
佳代がハンカチを渡してくれた。私はハンカチを受け取るときに自分の手が震えていることに気がついた。そのことに気がついたら、あとからあとから涙が溢れてきた。ハンカチを握りしめて嗚咽をこらえていたら、佳代がそっと私を抱きしめてくれた。
しばらく泣いて気がついたら、さっきからハードなロック系の曲ばかりかかっていたことに気がついた。だけど誰も歌おうとはしなかった。私に気を使ってくれていたのがわかり申し訳なさでいっぱいになった。
佳代にお手洗いに連れ出された。洗面所で顔を洗ったら少しスッキリとした。化粧ポーチからファンデーションを出し軽く化粧を直す。チークも少しつけ口紅を引いたら何とか、見られる顔になった。
「水月はマスカラつけないんだね」
「面倒くさいから。佳代もつけてないじゃん」
「私はつけるのが下手で鳥の足跡をつけちゃうから」
想像してプッと吹き出した。それに安心したような佳代の声が聞こえた。
「よかった。笑えるなら大丈夫ね」
「ありがとう、佳代」
「お礼なら深見君に言ってよ。あの人に掴まっている水月を見て、自分が助けるから水月の荷物を持って店から出ろって言ってくれたの」
「そっかぁ~。悪いことしちゃったかな」
ふと、佳代が黙った。佳代の方を見たら、ニヤリという感じに笑った。
「ねえ、このままバックレる?」
思わず目が点になる。いや、流石にそれはまずいでしょ。
「ううん。そんな失礼なこと出来ないよ。助けてもらったのに」
「じゃあ、戻ろっか」
部屋に戻ると3人にホッとされた。
席に座り改めて皆に頭を下げた。
「先輩から助けてくれてありがとう」
私がお礼を言ったら、3人とも慌てたように首を振って言った。
「いや、いいって。頭をあげてよ」
「そうです。私は何もしてませんから」
「俺の方こそ泣かせて悪かった」
「でも、このまま朝までつき合わされそうだったのを抜け出せたのは皆のおかげだし」
「た、たしかに・・・」
何となく皆で顔を見合わせて、それから笑い出した。
場が和んだところで深見君が私に頭を下げた。
「この間は言い掛かりをつけて悪かった」
「ふうーん。言い掛かりだったって認めるんだ」
深見君の言葉に佳代が私を守るようにして言った。部屋に戻った時、佳代は私と深見君の間に座ってくれたのだった。
「ああ、なんか事情があったんだろう」
「まあ、そうなんだけど・・・」
私は言葉を濁した。この場所では言いたくない。
「無理に聞き出す気はないから安心してくれ」
「いや、知られて困る内容じゃないけど、ここでは話したくないだけで・・・」
つい、深見君の言葉に反応して言葉を返してしまった。
「じゃあ、うち来るか」
深見君の言葉に私と佳代は彼から体を離した。
「いや、違うから。何もする気ないから」
「そうそう。そういう意味じゃないから。遼は1人暮らしのマンション住まいだから気にせず家にいられるってだけだから」
寺田君の言葉に尚更軽蔑したような視線を向けてみる。
「俺には彼女がいるからそんな人間の屑を見るような目で見ないでくれ!」
寺田君が悲鳴のような声で言った。あら、それじゃあ、宮本君に協力してたんだ。
佳代と目を見合わせると、佳代も同じことを思ったようだ。
一つ頷くと私達は寺田君で遊ぶのを開始した。
「えー、彼女がいるんだ~。ねえねえ、どんな人なの。いつ知り合ったの。年下、年上。それとも同い年とか。もしかして遠恋中とか?」
佳代がたたみ掛けるように訊いている。よっぽど新幹線でのあれで、うっ憤が溜まったのだろう。あの後も、たまにグチグチ言っていたからね。
「待って、佳代。そんなにいっぺんに訊いても答えられないでしょう。まずは一つずつじっくり訊いていかないと」
寺田君は佳代の勢いに腰を浮かせて逃げようとしたけど、私の言葉に一瞬ホッとして、続いた言葉に顔を引きつらせていた。
「で、彼女とはどこで知り合ったのかしら」
「それは・・・高校の後輩で・・・」
「へえ~、後輩なんだ~」
笑顔で佳代と共に寺田君に迫ったら寺田君に土下座された。
「すんません。俺が悪かったです。許してください」
佳代と顔を見合わせると、佳代は満足したような顔をしていたので、遊ぶのをやめることにした。
「さてと、気も済んだし、そろそろ帰ろうか、水月」
佳代がそう言って席を立とうとする。宮本君が慌てたようにワタワタしてるけど、言葉は出てこない。
そういえば、あれから皆と会話をしたことがなかったな。このひと月顔を合わせても挨拶しかしてなかったし。
一応さっき助けてもらった恩もあるし。よし。
「ねえ、佳代。帰る前にせっかくだから一曲歌わない。2次会ではお姉さま方がはっちゃけていたから歌えなかったし」
「え~。でも、水月の言う通りかな。じゃあ、何歌う」
「あっ、これ、どうぞ」
宮本君が検索用の端末を渡してくれた。受け取った佳代は早速曲を選び始めた。彼らを見ると宮本君が感謝してるという表情をしていた。2人もなんかホッとしたような顔をしていた。
「ねえ、水月はこれ歌える?」
「どれ。ああ、歌詞を見ながらなら歌えると思う」
「じゃあ、一緒に歌わない」
「いいよ」
まずは佳代とドラマの主題歌で話題の曲をデュエットした。
それから2時間皆で歌いまくった。
意外にも宮本君がロック系が好きとか、寺田君がバラードをしっとりと歌い上げるとか、深見君のチョイスが演歌からアニメの主題歌まで多岐にわたっていたとか、佳代が男性アイドルの曲を歌うとか、いろいろ知ることができた。
店を出てタクシーが止まっているところまで歩く間に、宮本君が佳代を呼び止めた。
近くにある公園に二人で入っていった。さすがに夜中の3時近くだと公園に人はいなかった。
私と深見君と寺田君は公園の入り口から少し離れたところで待っていた。
寺田君も不安なのか声を出してきた。
「上手くいくかな」
「大丈夫じゃないか」
深見君の答えに疑問を持ったので私は訊くことにした。
「それってどっち」
「どっちって?」
「告白がちゃんと出来るかか、2人が付きあうようになれるのか、どっちを心配してるのかよ」
私の言葉に公園の入り口を見つめたまま深見君が言った。
「もちろん告白できるかだよ」
「もう一ついい。宮本君が告白しようと決めたのはいつ」
深見君が私の顔を見つめてきた。
「二人で席を外した時。あの時はあのまま帰られても仕方がないって思ってた」
「なによ、それ。そんな失礼な事しないわよ」
「だよな。大谷ならそんなことしないよな」
「宜和が言ったんだよ。戻ってきてくれて一緒に店をでたら、2人にさせてほしいってさ」
「ふう~ん」
そっか、そこまで本気だったんだ。私の事情に佳代を巻き込んだせいで話をする機会がなかったものね。悪いことをしたかな。でも、自分から行動したんだから、佳代もそれを汲んでいい結果になるといいな。
公園の入り口の方を見ていたら、深見君が私をまだ見つめているのに気がついた。
「大谷は付き合ってる奴っているのか」
おや、直球できたわね。
「いないけど」
「じゃあ、好きな奴は」
「それもいないわよ」
「じゃあ」
「悪いんだけど、私いまは恋愛する気がないから」
深見君に何か言われる前に言ってやる。
「なんで?」
寺田君が訊いてきた。
「私はいま、やりたいことがあるの。それが形になるまで・・・とは言わないけど、1年はそういうことを考えたくないのよね」
「目標があるのか」
「そう。そのためにもこの1年で基盤を作りたいと思っているの」
ちょっと偉そうな言い方になったけど、やりたいことがあるのは本当だ。
「そっか。なんかわかんないけど頑張れよ」
「ありがとう」
寺田君に微笑んでおく。深見君は何も言わずに私を見ていた。
「それよりも今更だけど大谷さん、月曜日に会社行ってやりにくくない」
寺田君に聞かれた。
「それなら大丈夫よ」
「でもさ、嫌がらせとかされたらさ」
「だから、月曜から経理には行かないから」
「えっ?」
「経理の怪我をした人と病気療養中だった人が、今週から復帰したのよ。だから来週からは希望のところに行けるってわけ」
寺田君は私の答えにホッとしたような、納得したような表情をしていた。
「大谷はどこに行くんだ」
「支社の1階」
「受付か?」
「んなわけないじゃん」
「じゃあどこだよ」
「お食事処」
「はっ?」
「あれ、似合わない」
「いや・・・というか何で?」
何でとは失礼な。
「さっき言ったじゃん。やりたいことがあるって」
「お食事処で?」
「経理に呼ばれるくらいなのに?」
「だから何。やりたいことがお食事処じゃ変なの?」
私がそう言ったら、深見君と2人してがっくりと肩を落としている。本当に失礼だよね。
そうこうしてたら佳代と宮本君が戻ってきた。佳代は黙って私の隣に来た。
彼らとはタクシーに乗る所で別れた。私と佳代がタクシーに乗るのを見送ってくれた。
佳代は何も言わなかった。佳代のマンションで彼女を下ろした時「明日」と呟いたので、明日・・・いや、昼過ぎくらいに連絡がくるのだろう。私は運転手に住んでいる町名を言って家に向かったのだった。
家についたらメールがきた。メールを見て、口元に笑みが浮かぶ。
「そっか。決まったんだ」
部屋に戻り他の仲間に一斉メールで彼女の近況を書き、自分も月曜から目的の部署に移れると送った。
軽くシャワーを浴びて出てきたら、早速返信が来ていた。
彼らの近況も読み、ますます笑みが深くなる。
「まずは第1歩かな」
そう呟いてベッドの中に入ったのだった。