11 花火大会
少し甘い
今日は花火大会の日だ。私は今、佳代の家にいる。そして佳代に浴衣を着付けている。もちろん私も浴衣を着ていたりする。私は家から自分で着てきたのだ。
早いもので今日は8月14日だ。毎年行われるこの花火大会も、大学に通うため地元から離れていたから見るのは4年ぶりだ。私も何となくウキウキしている。
このあとは深見君が佳代のマンションまで迎えに来てくれて、深見君のマンションに向かうことになっている。そこで男性陣にも浴衣を着つける約束をしていた。
あの日から今日まで、なんの変わりのない日々を過ごした。
月曜日。この日から遅番で家を出るのも帰るのも遅い私と普通の時間の佳代では、時間が合わないから一緒に帰れないと思っていた。だけど、片付けを終えて入り口に向かったら、そこに佳代がいた。驚いた顔をしたら佳代が笑って近づいてきた。
「倉庫の備品整理の集計に時間がかかっちゃって。この時間なら少し待てば水月も終わるかと思って待っていたの」
そうか、残業だったんだ。総務って備品管理もしてたのね。
駅前まで移動してパスタの店に入って夕食を食べた。佳代から備品管理について話を聞きながらだった。 そのあとはバスで話をしながら帰った。
火曜日は会社を出たところで深見君と寺田君に声を掛けられた。明日営業1課と2課の合同会議があるそうで、資料作りにこの時間までかかったそうだ。せっかくだからと一緒に夕飯を食べた。お酒もおいていたけど誰も飲まなかった。和食の店で、お刺身が美味しかった。彼らとは駅前で別れた。バスに乗るのを見送ってくれたので、なんか悪いなと思った。
水曜日。円花が一緒にご飯が食べたいと駄々をこねるので、仕事が終わったら翔琉に迎えに来てもらって、円花の家でご飯を食べた。ご飯を食べたら翔琉が家まで送ってくれた。
というか、翔琉。しっかり円花のパシリになっている気がするのは気のせいか。
家に着くまでに翌日は自分に付きあえと言ってきた。なんか激辛の店を見つけたそうで、1人で行ってもつまらないそうだ。円花は辛いものが苦手だから妥当な判断かな。
なので、木曜。翔琉のお迎えで激辛店へ。四川料理の店だった。麻婆豆腐の辛さを指定できるそうだ。翔琉は一番上の辛さに挑戦して、見事完食した。私は2番目の辛さにしたけど、もう一つ上でもいけたなと思った。
金曜日。佳代たちと居酒屋に行った。みんなも仕事に慣れてきたそうで、いろいろと仕事を振られるようになり定時上りが少なくなっていると聞いた。
翌週は普通番で佳代と行き帰りは一緒のバスだった。約束通り一緒に浴衣を見て回った。一週間かけて佳代は白地に朝顔の柄の浴衣を選んだ。下駄や小物も嬉しそうに選んでいた。
そして次の週。早番の週が終わり、約束の花火大会の日になったのだ。
佳代は私が助言したのを聞いて着物用の下着を購入していた。よく浴衣の下に何も着けない、もしくは普通の下着をつける人がいるけど、それはやめた方がいいと思う。ワイヤー入りのブラジャーをつけると紐を締める時にワイヤーが邪魔をする。そうじゃなくてもブラジャーの形次第では紐を締めにくかったりするのだ。逆に下着を何も着けないと、汗が直に浴衣に伝わって見苦しいことになったりする。着物用の下着をつけない時には襟ぐりの広いタンクトップがいいと思う。キャミソールは肩をカバーしないし肩紐のゴムが浴衣を透けて見えたらみっともないと思う。
私が着ているのは紺の生地に竜田川という、江戸時代に流行った模様の復刻版だ。古典柄で川の流れの中に紅葉が散っている。帯は黄土色に臙脂の縞が入っているものを一文字結びにしている。
佳代には藍色の帯を文庫結びにした。背の低い佳代にはもう少し小さめの花の柄の方が似合うけど、帯の色でしまった感じにしたからいいだろう。
着替えが終わった私達は迎えに来てくれた深見君の車で彼の部屋に行った。
そうしたら・・・中島さんもいた。浴衣を持って。話しを聞いたら、着付けを頼んだおばさんがぎっくり腰になってしまい着せてもらえなくなったそうだ。なので急きょ彼女にも着せることになった。彼女の浴衣は最近流行の花の色がカラフルな浴衣だった。帯はピンクと赤のリバーシブルの単衣帯だった。せっかくなので裏の色も見えるように折ってみた。飾りとして持ってきていたトンボ玉の帯飾りを絞める。
せっかく浴衣を着たのに髪はポニーテールだ。髪のアレンジは任せてと佳代が言うので、私はリビングに移動して、男性の着付けに入る。
実は女性より男性の方が着付けは楽だ。女性のように襟を抜く必要はないし、おはしょりがないから。左右のバランスと背の位置が真ん中ならおかしくはならない。彼らにはVネックの袖なしのシャツを着てもらっている。下着を着ないなら着付けをしないといっておいたからだ。
寺田君の浴衣は黒の破れ格子柄。帯は赤紫色の角帯だったので定番の貝の口にした。
宮本君の浴衣は紺色の矢羽の柄。帯は紺色の兵児帯だった。片リボンの形にした。
深見君の浴衣は黒の縞模様。帯は白っぽいグレーの角帯。彼には片ばさみにしてみた。
男性に着せ終わったら、佳代と中島さんが出てきた。うまい具合に首もとで纏めてある。でも飾りが寂しいので持っていた組みひもと彼女が髪につけていた花の造花のゴムをうまく組み合わせて即席の髪飾りを作った。落ちないようにピンで固定したらとても華やかな感じになった。
支度が出来たから、マンションを出た。バスに乗って一度駅前に行く。乗り換えて花火大会の会場のある港の方に向かう。この花火は海神様を祀る神社のお祭りのフィナーレだったりする。なので、最寄りのバス停を降りると神社から会場まで屋台が並んでいる。
私達はまず先に神社にお参りに行った。みんなと話しながら歩いていたけど、お参りを終えて気がつくと2人ずつに分かれていた。寺田君と中島さんは付き合っているわけだし、宮本君も佳代のことが好きなわけで・・・。そうなると必然的に深見君と歩くことになった。
あれから深見君は特に何も言ってこない。本当に言葉通りに私がその気になるまで待ってくれる気のようだ。自然に接してくれるので気を使わなくてよくて楽だった。
だけどふとした時の気遣いにドキリとさせられる。さっきも人ごみに流されそうになったのを、肩を抱いて引き寄せられた。今ははぐれないようにと手を繋いでいる。
射的をしたり水風船を釣ったり、お祭りの定番のたこ焼きやお好み焼き、焼きそばなどを買い込んで移動をした。気がつくとみんなとはぐれて2人きりになっていた。
少し脇の方によけて深見君が寺田君と宮本君と連絡を取った。2人もそれぞれ中島さんと佳代と2人きりらしい。この人込みでは探しながら移動するより、目的地を決めて移動をした方がいいだろうということで、花火を見る予定の高台で待ち合わせることになった。
深見君と高台についた。ここは穴場として有名になりつつあるけど、まだ人はまばらだった。空いていたベンチに座り買ってきたものを食べることにした。一パックずつ買ったので半分ずつ分け合って食べた。
ここで困ったことが起きた。つい好きなイカ焼きを買ってしまったけど、これは流石に分けあって食べることができない。
「食べないの。イカ焼き」
「これって、食べにくいかなと思って」
「でも、持ち帰るには匂いが、ね」
確かにそうだ。帰りのバスの中でイカの匂いがしたら・・・。
「好きなんだろう。全部食べていいから」
「えっ、いいの」
「どうぞ」
言葉に甘えてイカをパックから出し一口かじる。
う~ん。なんで屋台のイカ焼きはおいしいんだろう。
そのまま半分くらい食べたところでジッと深見君に見られていることに気がついた。
「なに?」
「いや。すごくうまそうに食べるなと思って」
「・・・えーと、食べる?」
「いや、いいよ。大谷が全部食べなよ」
「う、うん」
また、イカにかじりついて残りを全部食べてしまった。さすがにイカを全部食べたらお腹がいっぱいになってきた。
まだ、深見君に顔を見られている。
と、深見君が微笑んだ。
「ついてるよ」
「えっ?」
あー、イカのたれがついたかー。
ティッシュを取り出そうと和柄のバックを開けようとしたとき。
「取ってやるよ」
と、耳元で声がしたと思ったら、深見君の手が伸びてきて顎に触れた。そして唇に何かが触れたと思ったら唇の右の端から頬までを舐められた。
「イカ焼きはこんな味だったんだ」
シレッとそんなことを言われて、私は固まったまま何も言えなかった。そんな私の様子を見ながら、深見君は空いたパックを私の手から取って片付けてしまった。
「そう言えば言いそびれてたな。浴衣似合ってる。それと着せてくれてありがとう」
「あー・・・」
もう、どうしろというんだ。この状況。怒ればいいのか、照れればいいのか。
もう、顔に熱が集まってくるのがわかる。
というか、あの決意はどうした、私。
少し俯いて固まっていると、深見君が頭に手を乗せてきた。
「大谷、あまりかわいい顔するなよ。我慢が出来なくなるだろ」
そう言って前髪に手をかけて毛先を遊ぶように触っている。その指先を見ていたら深見君と目が合った。 深見君が真剣な目をして私を見てきた。手が動いて頬に移動した。そのまま頬をなぞって顎に降りていく。私は魅入られたように彼の目を見ていた。
「ここにいたのか、遼」
寺田君の声が聞こえた。見ると4人がそばのベンチに座る所だった。いや、佳代の様子がおかしい。宮本君に支えられて座るところだ。私は急いで立ち上がると佳代のそばに行った。
佳代は新しい下駄で、親指と人差し指の付け根がすれて、痛々しい状態になっていた。一応履く前に軽くほぐしておいたけど、慣れてない上に高台までの階段で負担が大きかったようだ。
「大丈夫、佳代」
「うーん。下駄がこんなに痛いとは思わなかったよ。昔の人はすごいね」
「昔の人は履きなれていたからね。見せて」
下駄を脱がすと皮が剥けていた。一応もってきていた救急セットを取り出した。消毒をしてガーゼを当てる。紙テープで固定して私の下駄と佳代の下駄と履き替えて佳代に履かせる。
「水月、いいよ。自分ので」
「いいから。私のは何度か履いて柔らかくなっているから、それほど痛くないはずよ」
「でも、水月が痛くなっちゃうじゃない」
「佳代よりは履きなれているから大丈夫だってば」
そう言って手当てのために出したものを片付けていく。中島さんがそばに寄ってきた。
「大きなバックだから何が入っているかと思ってたらそんなものまで入れてきてたんですね」
「一応ね。中島さんは大丈夫」
「はい。この下駄は去年も履いたので大丈夫です」
「そう」
私が佳代の手当てをしている間に男3人で話し合っていた。手当てが終わったら彼らが来て言った。
「せっかく上ったけど降りようか」
「えー、なんで」
「ここは街灯がないから、花火が終わったら真っ暗になる。それに階段だしな。暗い中を降りるのは危ないだろう」
佳代が申し訳なさそうな顔をした。
「私のせいだね」
「違う。下調べが悪い俺たちのせいだ」
寺田君がきっぱりと言った。責任の有無はおいておくとして、私も明るいうちに降りるのは賛成だ。
「佳代、下でも花火は見れるんだからさ。下りよう」
私に言われたら佳代は唇をかんで俯いた。
「わかった。みんなごめんね」
階段はそんなに急ではないけど、かなりの長さがある。それをゆっくりと6人で降りていく。宮本君が佳代に腕を貸して支えながらだから、自然とゆっくりになる。下りる間に何組かのカップルとすれ違った。
いつの間にか宮本君と佳代の距離が近づいていたようだ。
階段を下りながら皆は食事をどうしたか訊いてみた。それぞれ場所を見つけて食べたそうだ。だけど、私達みたいに高台で景色を見ながら食べればよかったと言われた。
景色は良かったけど日影がないから、夕方とはいえ太陽が暑かったと言ったら、深見君も同意したので、4人はやはり下で食べて正解だったといった。
結局花火はその階段を下りたところで見た。ここならまだ少し高い位置にあって周りに遮るものがないので、花火が良く見えたのだ。
花火の間、寺田君は中島さんの肩に手を回していたし、宮本君はずっと佳代を支えるようにしていた。4人より少し後ろめに立っていたのでみんなの様子がよく見えた。
私は深見君にずっと手を握られていた。
最後の花火が上がる時深見君が私にキスをした。そのあと耳元で囁いた。
「邪魔された、さっきの続き」
そうして何事もなかったように、みんなでバスに乗って帰ったのだった。