3.鬱陶《うっと》
平たく言えば、言わなくても解ると思うが、あれは火事の現場だった。
出火の原因は大越が電気の代わりに使っていたあの蝋燭だったそうだ。
俺があいつの部谷から飛び出した後、過呼吸が酷くなった大越は蝋燭の置いてあった机の上に額を付けて暴れまわったらしい。顔を左右に揺らし、転がるような感じで。
当然、その振動で机は揺れるし上にあるものも一緒に揺れる。立てられた蝋燭は振動に耐えきれずに、床に転がった。
更に不運だったのは、あの部屋には一面新聞紙が張り付けられていた事だそうだ。いくらラップで覆われていようと、関係ない。床には目貼り途中の新聞紙が足の踏み場も無いほど広がっていたから、きっとそこから火が広がったのだろう。まさに、一面火の海だ。
「それよりも、物凄いタイミングですよねぇ」
「……何で不得手がここにいる」
「いやぁ、先輩のハイツで火事が起きたと小耳に挟んだので……。先輩の生存確認と新しい部屋を見に来ただけですよ。あ、これそこのコンビニで買ったチキンなんですけど、一口どうです?見たところ、かなり顔色が悪いようですので、食事、取られてないんでしょう?」
目の前で質素に肉を平らげているのは、大学時代に小説サークルで知り合った後輩、不得手 雨期。
そのサークル活動がきっかけで本物の作家になった俺に、何故か付きまとってくるやつ。
俺がファンタジー等の小説(こいつ曰く、ホイホイ小説らしい)を書いているのに対し、不得手は読むだけで気分が悪くなるような後味の悪いホラー小説を専門としている。
「つい数秒前まで話していた相手が目の前で死んだんだぞ?悠長に飯なんで食ってられるか」
「そうですか。
あぁ!そうそう、私は先輩に聞きたいことがあったんですよ」
鉄仮面の様な無機質な表情。それは例え笑顔を浮かべていても変わることはない。
そんな表情を浮かべながら、不得手はメモとペンを持って二人の間にある卓袱台から身を乗り出してきた。
それはもう興味津々ですと言ったような瞳をしながら。
「幽霊、見たんですよね?」
「え……なんでお前、その事知って……」
「おやぁ?ここに私が来たとき、先輩『お前が好きそうな事に遭遇した……』とか何とかぼやいてましたよね?それってつまり、ホラー小説を書いている私が好きそうなこと。すなわち、幽霊話ってことですよね?」
まさか、自分でさえ覚えていないような古語とを目敏く覚えているだなんて。流石としか言いようがない。
この場合、人が一人死んでいるのにも関わらず、そんな事を口にしてしまった俺にも非がある。
と言うか、本当にそんなことを言ったのだろうか……。
「あ……あぁ。まぁ、そんなもんだな」
「で、一体先輩はこの部屋で何を見たと言うんですか?」
「人だよ。正しくは、人の形をした何か。月明かりに照らされた人影が、この洋室にある物入れに入っていったんだ。すぐに襖を開けたんだが、中には人一人入る余裕もないクローゼットが有るだけ」
「ふむふむ……それで、ビビって尻尾巻いてあの亡くなった男性の部屋に行こうと思ったところ、部屋は既に燃えていた……と」
流れるようにペンを走らせる。
サラサラと言う音と俺の呼吸音しか聞こえない部屋は、不気味と言うよりも若干安心できた。小憎たらしいが、親しみなれた後輩がいるからだろうか。
「それなら……」
ふと顔を上げ、俺の顔を見る不得手。
「その幽霊に呼ばれたんですねぇ、その男性」
突如、どこか遠くを見るような顔つきで、そんなことをいい始める不得手。
呼ばれたって何に?
大越が?
あの幽霊に?
俺はホラー小説を書かないが、ホラー映画なら良く好んで見ている。
俺の中でのホラーは、
『連載する呪い』
『深い怨恨』
『情報源となる人物の死亡』
と、この3つで成り立っている。
確かに、大越はこのハイツについてかなり重要な事を俺に話した。だからと言って、それが幽霊に呼ばれる理由になるのか?
「気になりますねぇ、気になって因るも眠れませんよねぇ。と言う訳で、先輩。私の次回作の為にも、一緒にネタ探ししません?いや、するべきですよ」
そんな強引な不得手に押され、裏野ハイツを飛び足した。
向かう先はハウツの管理者の元だ。
▼▼▼▼▼
「部屋を通り抜ける幽霊
赤い斑点のシミが増え続ける壁
子供の鳴き声
床を何かが擦る音……
これが、あのハイツで確認された心霊現象だと言われています」
淡々と落ち着いた……と言うよりは、冷たい声色で話すのはハイツの管理人。想像していたよりも若い人物だった。
何も感じていない様な口振りは、俺達に『自分は無関係だ』と告げているようだ。
「何故、あなたはその事を住人に前もって伝えなかったんですか?以前、私の知り合いがこのような仕事に就いていたので知っているのですが、貸し出す部屋に異常があった場合、事前に相手に伝えるのが鉄則なのでは?」
「……君、幸宏さんはもう知っていると思いますが……、このハイツにやって来るのは決まって何かしら隠したい事がある人間。隠れたい人間。ですから、私は何も語らず、何も言わず、彼等に部屋を貸すのですよ」
貴方も、そう言った口なのでしょう?
そう目で語りかけてくる。
相手が話さないなら自分も話さない。
情報の提示はギブアンドテイク。
それ相応の対価が無いなら、こちらの知ったことではない。
遠回しに言われた内容はそんなものだったらしい。『らしい』と曖昧なのは、不得手のメモに書かれたものを読んだからで、実際の所は管理人の話の意図が全く読めなかった。
やけにオブラートに包む言い方と言うか、悪く言えば話し方が下手な相手だった。
自分の事は勿論の事、これ以上は何も聞いても黙りを決め込む様なので、俺達は次の所に行くことにした。
おっと、忘れてはいけないことがあった。
不得手からポールペンをむしりとり、こいつ同様にメモをとる。
『ギブアンドテイク』