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close  作者: 桜田桜華
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 家賃4.9万で敷金無し。

 リビング9畳・洋室6畳の1LDK。

 駐輪場・ベランダ有り。

 何より、元ゲーマー引きニートの俺には最適としか言い様の無い木造建築。

 これが、ここ『裏野ハイツ』に越してきた理由だ。

 建物自体はかなり古く、俺がこのハイツに入居した時には既に五つの部屋に住人がいた。空き部屋は一つ。

 表札はかかっていないが、確かに人の気配がある。数少ない荷物を部屋に運び込んだ日も、50代前後くらいの人当たりの良さそうな男性がハイツから出ていくのを見た。

 そして今日。

 やっと全ての荷物や手続きを終え、晴れて念願の独り暮らしをスタートさせられる。管理人から事前に受け取った鍵を差し込み、扉を開こうとする。

「おや、君はこの間の……」

 突然、真横から声をかけられる。

 見るとそこには見知った人物。

 ……と言っても、一度顔を合わせて挨拶をしただけだが、落ち着いた声色に皺一つ無いスーツ。おまけに好意的な笑顔。俺がこのハイツで初めて出会った、あの50代前後の男性だ。

「あ、おはようございます。今日からここに越してきた……」

「へぇ、あの時から随分日付がたったと思っていたけど、ここに住むことに決めたんだ。やっぱり決めては家賃かい?」

「えっと、そうですね。俺の収入では、あまり良い所を借りることができなくて。あの、お兄さんの名前は?俺はさかき 幸宏ゆきひろです」

 俺が名乗ろうとした矢先に話を進めてくるだなんて、案外マイペースな人なのかもしれない。

 一瞬だけ驚いた様な顔をすると、すぐに申し訳なさそうに「すまないね」笑う男性。

「私の名前はシュンスケだよ。俊足の"俊"に土佐の"佐"で俊佐」

 丁寧に漢字まで教えてくれた俊佐さんは、「もう50後半だから、お兄さんって歳では無いかな。何かあったら気軽に声をかけてよ」と言い、おそらく仕事で使っているであろう名刺を俺に渡した。ただ、普通の物と違ったのは、名字の部分だけ必要に塗り潰されており、コンピューターで打ち込まれた"俊佐"と言う無機質な文字が目立ってしまっていた事だ。

 裏にはボールペンで書き込まれた直筆のメールアドレスと携帯番号。うっすらと2本、平行に書かれた線から俊佐さんがかなり几帳面な性格をしているとわかった。

 丸め込まないよう丁寧に鞄に名刺をしまい、これから住む部屋に、一歩を踏み出した。

「一人で住むには申し分無い広さだが……」

 開けた瞬間襲い掛かるカビ臭さ。

 何処から入ったのか、足元には蛾や子蝿の死骸。

 極め付きは壁中に広がる斑点模様の染み。

 流石は格安物件と言うか、部屋の中は酷い有り様だ。

 とにかく始めにやらなくてはいけないことは部屋の掃除だと言うことを悟らせられた。

 前の家主は修繕もする事無く転居してしまったのだろうか。

 それとも、出来ない理由(......)があったのか……。

 なんにせよ、どれだけ俺が前の住人に文句を言ったところで掃除をする手間は変わらない。

 荷物をすべて玄関に置き、手始めに窓を全開にし、箒で埃を部屋の外に追い出す。

 茶色と言うか、灰色と言うか……なんとも言えない色をした埃達が箒の毛先で床を軽く撫でただけで宙を舞う。マスクも手袋も装備していない、無防備な俺にそいつ等はまとわりつく。

「うっわぁ…………流石に今日一日では無理がある……」

「せやで!こんなけったいな汚れ、自分一人でなんとかなる訳ないやろ!もっと周りの人間使いぃ!」

「っーーーーー?!」

 バシンッ!と誰かに背中を叩かれる。

 シャツに張り付いていた埃が一気に顔の近くに広がり、盛大にむせる。

 振り替えれば、マスク越しにでもわかるほど豪快に笑うお婆ちゃん。

 手にはバケツと雑巾、頭には清潔なバンダナを付け、完全にパートのおばちゃんスタイルで立っている。

 俊佐さんとはまた種類の違う人懐っこい笑顔を浮かべ、手際よく掃除を始める。勿論、聞かれるまでもなく俺の部屋の、だ。

「って、ちょっと待てっ!お婆ちゃんどっから入ってきたの?!」

 そう、今気になったのはそこだ。

 俺は部屋の掃除をするために全ての荷物を玄関に置いていた。そう、玄関扉は外から内側に開く。今開けようとすれば、無造作に置かれた俺の荷物に阻まれ、人っ子一人通ることすら出来ないはずだ。

「んん?あぁ、うちなぁ、最初は自分に文句言うつもりやったんや。あんな窓パーパーに開けおって、風に乗ってここの埃がうちの部屋に来おったんでなぁ……。せやけど、良く良く考えれば昨日まではここ、空き部屋だったはずやなぁ……思て、そんで、ベランダ伝いに覗いてみたら初めて見る顔だったんや。せやから、『あっ、新入りさんが入ったんやなぁ』思て、こうして手伝いに来たっちゅうわけ」

 あ、後、回覧板回しに来たんや。

 と言い、トイレから出てくるお婆ちゃん。

 どうやら俺が唖然としている間に、奥の洋室と物入れ、トイレの掃除まで終えてしまったらしい。先程とは見違えるほど綺麗になった部屋は、何故かくうきも軽くなったような気がした。

 汗で額がテラテラと光っているお婆ちゃんに、買い置きをしようと箱買いした麦茶を出す。流石にペットボトルのまま渡すのはどうかと思い、ガラスコップに移し、しんぴんのタオルと共に渡すと「おおきに」と言いゆっくりと飲み始める。

「あの、掃除、手伝ってもらってどうもありがとうございました。俺、今日からここに越してきた榊 幸宏です」

「ーーー!!」

 名前を言い終わった所で、お婆ちゃんは気管にお茶が入ったのか、苦しそうに咳き込み始める。咄嗟に背中を擦ると、ガラスコップを持っていない方の手で制される。

「だっ?!大丈夫ですか?!!」

「ゲッホ……ゲホゲホ……おおきに、心配することあらへん。ちっと気管に……グッ……入っただけや……。えっと、なんやったかな?………………せや、うちの名前やったなぁ。うちは夢見ゆめみ言うんや。70過ぎのばばぁに夢見なんて名前似合わんかも知れんが、うちは結構気に入っとるんやで」

 ようやく落ち着きを取り戻した夢見お婆ちゃん。

 とても70歳を過ぎているようには見えないパワフルさを持つ彼女は、どうやら2階の201号室の住人だそうだ。俺の部屋は100号室。自身の部屋からとなりの(恐らく俊佐さんのだと思われる)部屋のベランダに飛び降り、そこからこの部屋にやって来たそうだ。

 勿論、そんな危険な事を二度としない事、と約束をし、玄関から帰ってもらった。


▼▼▼▼


 部屋の片付けが終わった頃には既に午後6時を過ぎており、窓からはオレンジ色の光が漏れている。

 そろそろ朝方あった二人以外の住人にも挨拶をしなくてはと、引っ越し蕎麦ならぬ"引っ越し冷や麦"を持ち、部屋を出た。

「あ、俊佐さん」

 すると、丁度仕事から帰ったのか、朝より若干(やつ)れた俊佐さんが自室のドアを開けようとしていた。

「やぁ、幸宏君」

「お帰りなさい、俊佐さん。これ、引っ越し蕎麦ならぬ引っ越し冷や麦です。やっぱり夏は蕎麦より冷や麦がいいかなぁと思いまして」

「そんな、気にしなくてもいいのに。……でも、ありがたく貰うね。いや、ちょうどこれから近くのコンビニで弁当でも買おうと思っていたんだ。手間が省けるよ」

「それはよかったです。では、俺は他にも回らないといけないので」

「あ、じゃあちょっと待ってて」

 慌てたように中に入ると、30秒もしない内に戻ってきた。

 手には何故かメモ用紙とシャープペン。

「あの……これは……」

「きっと、他の住人の中にはまだ帰宅していない人もいると思ってね。そう言うとき、必要だろ?あ、あと、203号室は空室だからね」

「俊佐さん……ありがとうございます!」

 なんて優しい俊佐さん。

 かなり疲れているのか弱々しく手を振る彼に深く会釈をして、そのばを離れた。

 2階から順番に降りてこようと考え、早速上の住人の部屋に突撃したものの、夢見ゆめみお婆ちゃん以外の人は皆留守だった為、無地のメモ用紙に

『今日、こちらの100号室に越してきたさかき 幸宏ゆきひろと言います。本来ならキチンとお顔を合わせてご挨拶しなくてはいけないのですが、いらっしゃらなかったようなのでこのような形にさせて頂きました。

 これからよろしくお願いいたします。

           100号室 榊 幸宏』

とだけ書き残し、ドアノブにかけておいた。

 残すは一回の102号室と103号室だが、後者の方は、明らかに明かりも物音も無かったので、2階の住人と同じようにした。

 そして最後の102号室。

 ツル植物がビッチリと生えたインターホンを押す。

「あのー!今日100号室に越してきた榊 幸宏です!引っ越し蕎麦ならぬ……!!」

 ここまで言ったとき、突然扉が開き、腕を捕まれた俺はそのまま部屋の中に引きずり込まれた。

 そこは夕方なのに真っ暗で、薄暗いとか、そう言う次元のものではなかった。

「っーてぇーー……」

「いっいいい……いってぇじゃ無いっスよ!あんた、何考えてるんスか?!」

 やっと暗闇に目がなれて来ると、目の前にいるのはメタボリック体型の男。脂汗が顔中に流れ、何かに怯えるように震えている。

「なんだよ!いきなり!!人様に時分の名前を名乗るのは常識だろ?!」

「は?!名乗る必要が無いからここのハイツに来るんスよ!」

 まさか、何も知らずにここに来たのかとでも言いたげな顔をする男。

 興奮して、真っ赤になっていた顔が、一瞬にして真っ青になった。


「な……なんだよ、名乗る必用が無いっ

て……」

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