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「えーちゃん! 草太! 久しぶり!!」
彼女を下ろした一両編成の電車は、また次の駅に向かって走っていく。
20歳の夏の終わり、由香はこのクソ田舎に帰ってきた。
何も変わらない、あのあどけない表情を浮かべながら。
少し変わった事といえば、彼女らしくないピンヒールなんかを履いていた事だろうか。
トキメキ仕分けのち、部屋の片づけをしっかり終わらせた私の隣の草太。
草太は、ただじいっと由香の事を上から下まで見つめていた。
「えーちゃん、また美人になって!! 白のワンピース! 似合う! 良い感じ!!」
「そんなそんな……それより由香が元気そうで良かった」
「お前は、二十歳になっても色気ないな」
草太が、そんな言葉を口にする。
由香は「草太、お前は二十歳になってもウザいな!!!」と言い返した。
草太は、その言葉に何も返す事なく「車取ってくる」と言って鍵をくるりと指で回した。
私は、由香の持ってきたやけに多い荷物に苦笑しながら、隣に立つ由香の姿を見た。
「……えーちゃん」
「ん?」
「……草太って、あんな顔してた?」
彼女は、結構真剣な顔でそう言った。
あんな顔、とはどういう事なんだろう?と私の顔はしっかり語っていたらしい。
彼女は少しばつの悪そうな顔をした後に、ゆっくり口を開いた。
「あんな、すっきりしてたっけ?」
「んー……? 私は毎日会ってるからなぁ……由香は久々だから、尚更そう感じるのかも」
由香の表情が、少し曇った気がした。
それでもすぐに「かもね!」なんて言って、由香はぱぁっと明るい笑顔を見せた。
駅前のロータリーなんていう大層なものではない、ロータリーっぽい何かに、草太はワゴンを止めていた。
由香は地面の石の多さに苦戦しながらも、キャリーケースをゴロゴロと引っ張っていく。
私は、由香の手伝いをしながら草太の車の横に立つ。
すると、草太は内側からがーっと車の窓を開けた。
「由香、お前は後ろ。絵里子は助手席」
普段、草太は軽トラを運転する。
それでも、今日は荷物の多い由香を迎えにくるからこんな大層なワゴンできたのだろう。ただ、こんな車を運転できるようになったとアピールしているだけのような気もするけど。
由香と、由香の荷物を後部座席に乗せた後、助手席に腰を落とす。
何故か草太はルームミラーを気にしている。
「草太、カーナビ入れておこうか」
「えーちゃん。変なボケやめて」
そう言って、草太は笑った。
当たり前だ。草太は毎日ここまで私を送ってきているのだから、今さら案内などいらないのだ。
草太は、父親のワゴンのカーナビをぴぴといじる。すると流れるのは、由香の好きなバンドの音楽。彼は思ったより用意周到だった。
「おい由香ー」
「なにー」
「このまま飯行くけど、何がいいー?」
草太は、また車内のミラーを気にしながらそう言う。
由香は「ここら辺、何もないでしょ」なんて小さく笑った。
それに、最近ファミレスができた。と返せば由香は驚く。……っていうか草太、聞いたけど行き先はほぼ一択だよね?なんて思いながら私は少しため息をついた。
由香は、車内で東京の話を沢山した。
私は、どうして草太が由香を助手席に乗せなかったのかこの時ようやく分かった。
由香の話を聞く、草太の顔はとても優し気だった。
由香の事が好き。とダイレクトに語っているその顔を見て、私はまた胸がぎゅっと痛くなる。
田舎のファミリーレストランは、無法地帯。
ソファーに横になって寝ている近所のおじさんに、デートらしきものをしている近所の中学生。
頼んだ食事を持ってきてくれたのは、知り合いの男の子で「えーちゃん」なんて言いながら手をぐっぱとさせる。私が勤務時間中なのに、と軽く咎めれば彼は軽く笑った。
「えーちゃん、人気者だねぇ」
「人気者? いやいやそんな事ないよ……」
彼の背中を見ながら、そう言う由香。
私の隣に座る草太は、黙ってハンバーグを食べている。
はじめ、席についた時。どうして草太は由香の隣ではなく私の隣を選んだのかと思ったが。向かい合う方が、由香の顔をしっかり見れるという事に気が付き流石、片思い歴が長いと違うな。なんて胸を痛めながら心の中で笑った。
「絵里子は、誰かさんと違って男からも人気あるなー」
「草太、二十歳なんだからもう……」
いい加減、ちゃんと素直にならなきゃ。なんて口にしようとしていた自分が怖い。
私は、それ以上何も言えずに、ただかちゃと音を立てて、ナイフを手にとった。
「あ、ちょっとトイレ行ってくる!」
そんな時、由香はそう言って、立ち上がった。
高校時代と同じように、トイレに向かう背中をじっと見つめる。ぱたん、とトイレの扉が閉まれば草太は大きくため息をついた。
「えーちゃん」
「はい」
「無理」
「……何が?」
「緊張して」
「うん」
「喋れない」
「……ばかなの?」
そう言えば、草太は「ばかです」と言った。
一年間、ずっと由香に会う日を楽しみにしていたのに。由香に次に会えば、告白するなんて言っていたのに。
自分の気持ちがよく分からなくなってきた。
私は、一体彼にどうなってほしいんだろう?
それでも、彼は久々に会った由香の姿にテンションが上がったのかすこしヘラヘラとしていた。まぁ勿論、由香がトイレから帰ってきたらそんな間抜け面を見せる訳がないんだけど。
由香がトイレから帰ってきた後も、私たちの話は続いた。
それでも何故か、話はイマイチ盛り上がらない。
どうしてなんだろう?私たちは、産まれたときからずっと一緒に育った幼馴染だというのに。
「由香、本当に久々だね。可愛くなった」
「えーちゃんに言われてもー」
「そんな事ないよだって、」
ここから先、私は一体何を言おうとしていたんだろう?
おそらく、綺麗な言葉ではなかったはずだ。
由香は、少し困ったような表情で私を見る。草太は、先ほどドリンクバーで入れてきたコーヒーを黙って飲んでいる。
久々に由香に会うと、調子が狂う。
私は、これ以上話を続けると言わなくて良い事まで言ってしまいそうになったので「トイレ」と言って席を後にした。
トイレから帰ってくると、先ほどまで座っていた席に草太と由香の姿は無かった。
ダイナミック食い逃げの予感に冷や汗。テーブルの前に立つ私を見て、店員さんがそうっと申し訳なさそうに私に声を掛ける。
「あのう、お連れ様が……」
「あ、ハイ。どこに……」
「なにか喧嘩をなさっていたようで。女の方が飛び出していったのを、男の方が追いかけていったのですが……」
私がトイレに行っている間に一体何が。
私はとりあえず、店員さんに自分のカバンを人質(?)として押し付け「すぐ帰ってきます!」と言って、ファミレスの外に飛び出した。
ぴかぴかと、田舎には似合わない光を放つファミレスの看板の光。
草太と由香はどこへ行ってしまったのだろう?なんて思いつつ、駐車場に目をやれば、そこにはつかつか歩く由香の姿と、その手首を今まさにぐっと掴んだ草太の姿があった。
「離して!!」
「おい、由香!! いきなり何を……」
私は、なんとなくその場に躍り出る気にもなれなくて、ただ二人からは見えないであろう場所でじっと二人の事を見ていた。
そう言えば、昔からずっとずっと、この二人の喧嘩の仲裁に入るのは私だったな。なんて考えながら。
「あたし、こんな田舎、帰ってこなきゃ良かった!!!!」
由香らしくない、怒鳴り声が駐車場に響く。田舎だから、誰も咎めたりはしないけれど。
草太は勿論その言葉にひるんでいて、「由香……」なんてぽつりと彼女の名前を呟いた。
「えーちゃんも、草太も大っっキライ!!! もう会いたくない!!!!」
その言葉の後に、ひぐ、ひぐという由香の嗚咽が耳に付いた。
私がトイレに行っている間に、一体何があったというのだろう?
由香はどうしてこんな事を言っているのだろう?
「あたし、えーちゃんと草太と一緒に居るのが嫌で、東京に行ったの!!」
胸が、焼けるように痛い。
嘘でしょ。と思った。
どうか、草太に由香の言葉が聞こえていないようにと祈る事しかできない。
「えーちゃんは、あたしと違って美人で、頭もよくって……草太は、いっつもいっつもえーちゃん事ばっかり褒めてた」
「由香、俺は……」
「あたし、ずっと、ずっと、えーちゃんになりたかった……」
由香が、ぽつりとそう呟いた。
由香の声が震える。私は、草太の涙を見たあの日を思い出していた。
草太は、未だに何も言えずにいる。
草太が、私の気持ちに気づかなかったように。
由香が、草太の気持ちに気がつかなかったように。
私も、由香の気持ちに気がついていなかったのだ。
「もう帰ってこないから、えーちゃんと仲良くしてれば!!!!」
「由香、お前バカか……」
絞り出したように、草太がそう言った。
「バカだよ!!! あたし、もう二人の邪魔にならないように東京に引っこんどくから。離して、もう帰る!!」
「由香」
草太はどんな顔をしていたのだろう。
私には分かる訳もないことだが、由香は、草太の顔を見てぐっと黙った。
「俺は、お前に絵里子の事が好き、って言った事あったか」
「……ない……」
「絵里子が、お前に『草太の事が好き』って言った事あったか」
草太がそう言う。
由香はまた「ない」と小さく呟いた。
「お前が居なくなって一年間。……もし絵里子が俺を好きならどう考えても大チャンス。でも、絵里子と俺は今でも幼馴染なまま。なぁ、由香。絵里子はいつもいつもお前の心配ばっかりしてた」
「……草太」
「俺が『由香の事を好き』って絵里子に言ったのは、高校一年の時。そこから、ずっとずっとずっと、絵里子は俺の応援をしてくれてた」
由香の、嗚咽が酷くなる。
「確かに、俺はバカで。お前の気を引きたいから、いっつも絵里子とお前を比較するような事を言ってた。それで由香を傷つけてたのは、悪かった。謝る」
「でもな、由香。お前の勝手な勘違いで、絵里子を悪者扱いするな」
草太がそう呟く。
今まで生きてきた中で一番、心が痛んだ。
違うよ、草太。と叫びたくなった。
生まれた事を後悔した。
そうだ。どう考えても、この一年間は草太のいう通り大チャンスだった。
でも、私は告白をしなかった。
草太の幼馴染でいられなくなるのが嫌で。
もし本当に私が草太の事を好きなら、ちゃんと告白できたはずだ。
でも、私は、そんな綺麗な人間じゃなかった。
草太の恋がいつか終わらないかと、いつか私を見てくれないかと期待するだけ。
草太の恋が、ダメになるのを待つだけ。
いつも傍に寄り添って、一緒に時を過ごして。
本当は、草太に私を見てほしいなんていう下心満載だったくせに。
きっと、私は「草太を慰めているうちに、草太が私を好きになった」なんていう展開に持っていきたかったのだ。
私は、なんて汚い人間なんだろう。
そこから先、二人の間に言葉はなくなった。
当たり前か。二人は唇を重ねていたのだから。
少し冷え込む、夏の終わり。
由香の長かった片思いは終わった。
草太の長かった片思いは終わった。
私の長かった片思いも、終わった。