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「結局、俺イマイチ話掴めずに、えーちゃんに教えて貰ったよな」


 草太がブックカバーについた埃を手で払った後に、小さくそう呟いた。



「由香も話をイマイチ掴めてなかったから、本当に笑えるよね」


 そう言えば、草太は「これ返すかー」なんて言いながら、その小説をトキメクボックスでもなく、トキメカナイボックスでもなく、床の上に置いた。


 時計を見れば、少しずつ由香の帰ってくる時間が近づいてきている。

 本当にそれまでに草太の部屋は片付くのだろうか。なんて考えながら私は草太の部屋をぐるりと見渡した。



 そんな時、草太の机の上に目がいった。

 卓上カレンダーの横には、卒業式の日に三人で撮った写真が。


 バカみたいに笑う由香。少し不機嫌そうな草太。そしてその横に居る私。

 その写真を見て、私の胸はまたぎりり、と痛んだ。








 高校三年の思い出は、今でも私と草太に切なさとやるせなさをもたらす。

 あの時ああしていれば。なんて、私と草太はもう何回考えたのだろう。





「お前は、短大か……。お前の成績なら県外の大学、行ってもいいと思うけどなぁ」


 私の進路調査票を見ながら、先生はそう言った。

 校舎の外で、野球をする生徒の声が、私の先生の鼓膜を揺らす。

 じりじりと暑くなってくるそんな時期。私は、先ほど付けた制汗剤の異常なまでにひりひりとする感覚に苛まれながらも、口を開いた。



「保育士になりたいんです。子どもが好きなので。短大の方が、早く就職できますし」

「おー、お前が決めてるのなら、それでいいけど。……まぁ、ここなら、家から通えるな。……ちょっと遠いけど」

「電車で一時間半なら、近いでしょう」


 こんな田舎なのだから。と付け足せば、先生はメガネをくいっと上げた後に「まぁ、お前に任せる」なんて笑った。


 田舎の高校の、進路指導の適当さよ。

 それでも、草太をはじめとする多くの人は、進学をせずに就職をする。それか、私のように少し遠くにある短期大学に通う。


 先生たちが手を焼くのは、県外の大学に進学する子たちばかりだ。


 そんな時、窓の外から「おーい」なんて言って、草太が顔を出した。

 草太は部活中らしく、顔を雑にタオルで拭きながら「俺の進路指導まだ?」なんて言う。



「おい、お前急に顔出すな」

「先生、もう私はいいですよね」


 私の次の個人面談は、草太だった。

 個人情報もクソもないが、しょうがないか。なんて言いながら先生に礼を言った後に教室を後にした。






 進路指導の個人面談があった日の帰り道、勿論私たちの話題は今後についてだった。



「俺は、家もあるしそのまま就職ー」

「だろうね」


 もう幼い頃から分かりきっていた事。

 夜も七時半を回れば急に暗さが増してくる。ぱぁっと勝手についた自転車のランプに照らされるいまいち舗装されきっていない道を見ながら、私は口を開いた。



「私は、保育士になる為に短大に行こうと思って。まぁここから通える所だけど」

「へー、えーちゃんにピッタリ」


 草太は、近所に唯一ある小さな保育園の話をぐだぐだと続けていた。

 私の横に居る由香は、自転車のカゴの中にあるエナメルバックをただぼんやりと見つめていた。由香のらしくない行動に、「どうしたの?」なんて聞いてみれば、由香は真っ直ぐ前を見た後に、口を開く。



「あたしは、東京にいく」


 私は、とても混乱した。

 私ですらこうなのである。草太の驚きと混乱は、言うまでもない。



「ま、待って由香。いきなり何を……」

「前からずーっと考えてた! 一回都会に出てみたくてさー」


 にへら、と由香は笑った。

 私は、草太の顔を見る事が出来なかった。



「由香、それ、冗談じゃなくって……」

「もう、親にも先生にも言ってるし、受ける大学も決まってる! 二人にはサプラーイズ!」


 こんなにも、胸の痛むサプライズなんかあってたまるか。

 由香は、どこの大学を受けるだの、どこら辺に住むだの。どうでも良い事をにこにこしながらペラペラ話している。

 私が聞きたいのはそんな事ではなくて、と言おうとした時、隣の草太はようやく口を開いた。



「ふーん。ま、たまには帰って来いよ」


 これが草太の、由香が東京に行く事に関する事への最初で最後のコメントだった。


 草太はどうしてこんなにも落ち着いているのか。

 どうして、私だけがこんなにもバカみたいに混乱しているのか。


 その帰り道は、私だけが変な汗をかきまくっていて、キャミソールがびちゃびちゃになっていた。暗いし、まぁいいか。なんて思いながらいつも通り由香の背中を見送る。


 草太は、本当にいつも通りだった。

 あんなにも、由香を好いていた貴方はどこへ行ってしまったの?と聞きたくなるくらいに。



 いつも通りの、二人の帰り道。

 安っぽい外の電灯には、多くの虫が集まっていてバチバチなんて音を立てている。



「絵里子」


 名前を呼ばれた。

 私が草太。と名前を呼び返そうとした時、彼は私より先に口を開いた。



「俺は今まで、ずっと由香の事が好きで」

「……うん」


 でも、由香じゃなくて絵里子の事が好きなんだって気づいた。なんて草太が言ったらどうしよう。なんて私の乙女思考な脳みそは勝手に妄想を膨らませる。

 そうやって、期待をするから余計に傷つくんだと、いい加減私は学ぶべきであるのに。



「俺は、なんていうか、色々上手く言えなくて」

「……うん」

「由香に、全然、気持ち伝えられなくて」

「……そうだね」

「でも、でもいつか自分の気持ちをちゃんと伝えよう、って思ってた」


 もうやめてくれ、と思った。

 草太の涙を見るのは初めてではない。

 それでも、由香を想っての涙を見るのは、初めてだった。


 草太の声が震える。

 私の心は、痛みに震える。



「由香がもし俺の事を好きなら、東京なんか行く訳ない」


 由香が俺を好きなら東京に行くわけがない。なんて短絡的にも程がある考え。

 でもそうだよね。

 現に、草太を好いている私はこのクソ田舎から出れずにいるのだから。



「草太……」

「えーちゃん、今まで、ずっと応援して貰ってたのに、ごめん」


 謝らなくていい。

 こんな私に、謝らなくなんていい。


 言葉に詰まる。

 近くの家から、カレーの匂いがする。



「バカみたいにウジウジしてる暇があったら、ちゃんと『好き』って伝えとけばよかった」





 次の日から、草太は由香に関する恋愛話を一切しなくなった。

 地獄のような、五分間は終わりを告げたのだ。






 由香が東京に向かう列車に乗り込んでも、結局、草太は自分の気持ちを告白しなかった。


 草太は、どうして由香に告白をしなかったのか。

 もう脈がないと分かったから?それとも、東京行きを決めた由香の足を引っ張りたくなかったから?それとも、もう由香のことを諦めたから?



 ただ、彼はきっと色々考えて、由香に告白をしない事を選んだのだ。

 他人である私がどうこう言えるものではない。



 それでも、自分の都合のいいように考えたいのが乙女心である。

 どうか、草太が由香の事を諦めたからでありますように、と汚い私はこっそり心の中で祈っていた。






 由香の乗った電車を見ながら、白い息を吐く。

 由香の弟は、未だに「由香ちゃんは、またすぐに帰ってくる」なんて思っているようで、しんみりとしたこの田舎のホームで、ひとり、場違いなほど明るく「えーちゃん、そーちゃん、帰ったらあそぼー」なんて話している。



 まだ、じゃりっとした雪の残るホーム。

 草太は、私の隣で、ただただ黙って俯いていた。



「そーちゃん、えーちゃん、見送りありがとう。ワゴン、乗ってく?」


 由香のお母さんの声がする。

 その声に返事をした後に草太を見た時、私はようやく気がついた。



 草太の、足元にぽつりぽつりと涙の跡ができている。

 じゃりっとした雪を丸く溶かす、草太の涙。


 嗚咽も殺し、ただただ、彼は黙って泣いていた。



 草太は、由香の事が好きなのだ。そう、改めて突き付けられたような気がした。



 私と草太の気持ちを知る由もない、彼女の弟は「そーちゃん泣いてるー」なんて、草太の事をバカにしている。

 何かを察したらしい大人たち、そして私は何も言えずにいたというのに。



 草太の、あつい涙がもう薄くしか積もらなくなった雪をぽつぽつと溶かしていく。

 由香のいない、初めての春がやってこようとしていた。

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