四話:病弱な母親
その手は子供にしてはちょっとかさかさで固くてささくれ立っていた。
「母さんは病弱で、もうずっと熱が続いてて…」
「そ、そうなの…」
ナースカはものすごく必死だった。握られた手が結構痛い。
そういえば早く帰らなきゃとか薬草を取りに来たとかいってたけど、全部お母さんのためだったのか。嘘をついてるようにも見えないし。
ていうかこの子用事ほっぽって俺の事助けてくれたのか?
「お願いだよ、その魔法で母さんを元気にして。」
すこし潤んだ瞳が俺を見上げた。
…ひとまず自分の状況を鑑みてみる。
起きたらこんなところに一人、さらに体が変化していた。慣れない土地に分からない事だらけの今、一番にしなくてはならないのは今夜の安全な寝床の確保と食糧問題の解決だ。恩を売ると言うと聞こえが悪いが、助けてもらうためにもこちらが力になれそうなことには協力的でいいだろう。
「あ、あの…私が役に立つかはわからないけど、でも、助けてもらったし恩返しはしたい、かな?」
「ほんとっ!?」
ナースカがぱっと顔を明るくする。役に立つかわからないっていってるのにそんなきらきらした目でみるないでほしい、良心がいたい。
「ありがとうリリナ!そしたら早く村にいこう。かあさんが待ってるんだ!」
早く服着て、とせっつかれる。まだ若干生乾きな気がするんだけど、うきうきで水をかけて焚火を消されてしまったの着替えるしかない。幼女が履くようなかぼちゃパンツの下着、そしてかぼちゃのようにふくらんだショートパンツを履き、シャツを着る。もちろんブラなんてものはなかった。
ナースカは俺のロッドで焚火の後始末をし…それで魔法つかったの見てなかったの?大切なものだから雑に扱わないでくれ。
「さ、行こう。」
(俺のロッドを使ったから汚れてないはずだが)手をぱんぱんとはたいてこちらへ差し伸べてきた。
「うん、お願いね。」
ロッドを取り返して軽くシェイクハンド。が、ナースカは変な顔をして
「…はぐれたら危ないからちゃんと捕まって。」
手をしっかり握り直した。ああなるほど、手をつないでいこうってことだったのか。
子供の感覚ってわかりづらいな、俺も子供だった時期があるはずなのに。
「しっかりついてきてね。」
誰かとこんなふうに手を握ったのなんて何十年ぶりだろう。
ナースカの手はやっぱり少し固くてささくれ立っていて、でも暖かかった。
「ナースカ!!遅いから心配したんだぞ!」
森からでてきた俺たちを迎えたのは日に焼けたいかつい男だった。ナースカの姿をみつけるとすぐにこちらへ走ってきた。
「ごめんなさいトニおじさん、迷子がいたんだ。」
「迷子…?」
トニおじさんとよばれた男ははた、と俺の方をみる。初めて会った時のナースカと同じように上から下までじろじろと見つめて
「旅芸人か?一座からはぐれたのかいお嬢ちゃん。」
またそれか!どうやらこの格好はこの辺りでは奇抜な格好らしい。髪色はつっこまれないから銀髪は珍しくないのかもしれない。いやまてよ、もしかして髪色も含めて奇抜ってことか?
ナースカに伴われてやってきたここライガ村は、集会場のような家が一軒あるほかは小さな納屋と小さな家が点在するのどかな村だった。農地は離れたところに少しあるだけで、あとはきこりや狩人のような姿の村民が多いように見える。全員質素な服装で茶髪か金髪が大多数を占めていた。大人から子供まで、ナースカを含めてほぼ全員白人的な容姿だ。
トニおじさんはかなり身長が高くて体格がよかった。担いだ大きな斧で何かの作業をしていたらしく、手拭いで額にたれる汗を拭く。
「ナースカ、さっき森の方から獣の声がしたけど大丈夫だったか?女の子も傷だらけだが…」
「草原の主が森に入り込んでいたけど、松明を持っていたから大丈夫だったよ。」
「そうかそうか、言いつけを守っていてよかったな。」
トニおじさんはうんうんと頷いて、ナースカの頭をそのグローブみたいな手でガシガシと撫でる。ナースカは得意げにへへっと笑った。
この人たちあの大蛇をそうかそうかで済ませるのか…。
「早く帰ってやれ。ラーラが心配してたぞ。」
「うん!さあリリナ、ぼくの家はこっちだよ。またねトニおじさん!」
「おう、そこの嬢ちゃんも手当てしてもらいな。」
おじさんにバイバイと手を振って、ナースカは俺の手を引いたまま走り出した。慌てて俺も走る。
村の中を走っているといろんな人とすれ違った。多くはナースカに挨拶をして、ついでに俺の姿を珍しいものでもみたかのようにまじまじと観察していた。
たどり着いたのは村の中央から少し外れた家だった。
「かあさーんただいまー!」
家の中は雑然としていたが綺麗に掃除はされているようで汚くはなかった。家財道具は木製のものが多く、現代日本とはやはりいろいろと違うな~とのんきに考える。
ナースカの声に応じて奥の方から一人女の人が出てくる。痩せて肌が青白く、ゆるく髪をまとめた女性だ。
ぱ、とナースカが俺の手を離し彼女に駆け寄ると、女の人はナースカをしっかりと抱きしめた。
「ああよかった、遅いから怪我でもしたんじゃないかと心配したのよ…」
「ごめんね母さん、迷子の子がいたんだ。母さんこそ大丈夫?熱は?」
「大丈夫、ナースカのおかげよ。…その子が迷子?あら、怪我を…」
ナースカのお母さん、ラーラはこちらを見て…上から下までゆっくり見て、
「旅芸人なのかしら?」
はい、もうそれでいいです。
結構こだわって作った外見なのに何度も芸人呼ばわりされるとかなり傷つく。文化とかいろいろあるかもしれないけどさあ。
いや、悪魔の手先とか魔女とか言われて殺されるよりはマシだったとか?しかしどちらにしろこの格好がここでは日常にはそぐわないっていうのは分かった。十二分に。
「いえ…初めまして、リリナっていいます。大蛇に襲われていたところをナースカくんに助けてもらいました。本当にありがとうございます。」
「まあ…!」
言った途端にラーラは今にも倒れそうなほど青くなった。慌てたナースカにリリナ、と軽くたしなめられる。
「大丈夫だよ母さん、ちゃんと言いつけ通り松明を持って行ったから全然大丈夫だったよ。」
「そう、そうね。」
「でね!母さん、リリナはすごいんだよ!」
きた。
ナースカは大げさな身振り手振りで「リリナは癒しの力を使える」と説明している。ラーラはときおり「あらまあ」とか言いながら聞いているがあまり信じてはいないようだ。
子供で魔法が使える事が信じられないなのか、旅芸人が魔法を使えるのが信じられないのか、いやどちらもか?ナースカの様子からするとこの世界には魔法が存在していると思うんだけど。
「だからね、リリナが母さんを治してくれるって!」
「そうなの…?じゃあ元気になるおまじないやってもらおうかしら。」
治すとはいっていない、ハードルを上げないでくれ。
ラーラはなんだか幸薄そうにふふっと微笑んでいた。これは多分信じていないな。
「でもその前にあなたの怪我の手当からしなきゃ。」
そういって俺の手を取る。促されて椅子にすわると、戸棚から布と軟膏をとりだしててきぱきと傷の手当てをはじめた。ナースカがなにか言いたそうにするたびに「後でね」といなしている。
手当はあっという間に終わった。傷は多かったが全て綺麗に洗っていたし、ラーラが手際よく処置したためである。
「はい、おわり。えらいわ、泣かなかったのね。」
処置が終わると優しく頭を撫でられた。細くて折れそうだなと思ったのに、今の俺はその手で顔をすっぽり覆ってしまえそうなサイズだった。
「ねえ母さん、リリナは…」
「ええ二人ともいい子よ。お夕飯作るからちょっと待ってね。」
ナースカの抵抗も虚しく、ラーラは炊事場へと行ってしまった。
トントンコトコトと調理の音がしてしばらく、いい匂いとともに運ばれてきたのは三人分の食事だった。木皿に干し肉と野菜が入ったスープが湯気を立てている。
「お代わりもあるから遠慮しないでね。」
そういってにこにこと笑うラーラ。断るわけにもいかず…もとよりお腹がすき始めていた頃だったので素直に夕飯をごちそうになることにした。
一口、二口と飲むスープはすきっぱらに暖かく染みこんでいく。塩っ気のある肉のうまみがしみだしていて薄味だが物足りなくは感じない。ナースカも俺も自覚している以上に空腹だったらしくぺろりと平らげてそれぞれお代わりをした。
「おいしかったー!」
揃って元気よくそういった俺たちをラーラは嬉しそうに見つめてこういった。
「ふふ…ところであなた、お家はどこ?今日はもう遅いから泊まっていって。明日送ってあげるわ。」
「あ…」
なんていうか、考えてなかった。
ナースカもラーラも、思いは別だが「今日は泊まっていけ」というオーラを出している。
もちろんそれに甘えたい。ちらっと窓の外を見たらもう日はあの森の向こうに落ちかけていて、外に街頭なんかないからかどんどん暗くなっていっている。幸いそんなに寒い季節ではないようだが、野宿はごめんこうむりたい。
だが、何と言えばいいのだろう。正直に事情を説明するべきなんだろうか。
本当はいい年した男なんですが今はなんでか幼女なのでこの家に泊めてください?とか?
…だめだ、あまり良くない気がする。
ここはなるべく、嘘はつかないけど今この状況でそんなに突っ込まれにくい形にしたい。
「あの、私ここがどこかわからないんです。だから…」
「わからない?おうちはどこなの?」
「東京です。」
「トウキョウ…?聞いたことないわね、ナースカは知ってる?」
「知らないよそんなの。」
当然といえばそうかもしれないが二人とも東京を知らなかった。
「トウキョウはどこの近くなの?」
「埼玉とか神奈川とかです。」
「サイ…知らないわねえ。」
「あの、ここはどこの国ですか?」
「フィングレーズの外れよ。」
逆に質問するが聞いたこともない名前が返ってきた。お互い不思議そうに顔を見合わせる。
「あらまあ…どこか遠いところからやってきたのかしらね。どうしましょう、そしたら簡単には送れないわ。」
手を頬にあて困ったわ、というポーズのラーラ。俺も困っているがとりあえずしばらくここに居させてもらえれば…お手伝いとか何でもするからここに置いてほしい。耳を澄ませばどこか遠くで鳥か何かの獣がギャッギャとなく声が聞こえた。
(…今外に行くのは危険だ。)
精一杯かわいげのある表情をつくってみる。ラーラと目が合うとにこりと笑ってくれた。
ナースカとも目があった。こいつにも愛嬌を振りまいておかねば。
にっこり笑いかけると大きな目をかっと見開いて赤面し、目を逸らされた。…全裸よりこっちの方が恥ずかしいのか、子供ってよくわからない。
「そうねえ…大きな街ならトウキョウについて知ってる人がいるかもしれないわ。明日誰かが大きな街に行かないか聞いてみましょうね。」
だからね、とラーラは続けて
「とりあえず街に行く人について行かせてもらえるまで、ここに泊まるといいわ。」
にっこり、緩やかに目を細めて笑う。
ああ女神だ…女神にしか見えない。ありがとうございますラーラ様!
いや、最初からいいって言ってたけどこんな怪しいやつを泊めてくれてありがとう。
真面目に考えると、やはり女で子供だというのが大きな要因だろう。元の姿だったらよくて納屋を貸してくれるくらいだったと思う。
その後ナースカは何度も「魔法が!」といっていたが、ラーラは「もうそろそろ寝る時間よ」と俺たちをナースカの部屋へとおいやった。ラーラ、意外と元気なんじゃないか?いや、もしかしたら気丈にふるまっているだけなのかもしれないけど。
「これ、ナースカのだけど。」
そういって子供が着るのにちょうど良さそうな服と靴を手渡される。染色などされていないシンプルな一式だ。
「その格好も素敵だけど、動きにくそうだから。」
気を使われたようだ。確かにこの格好はそこまで動きやすい服装ではない。服だけでなく、木靴やなめしただけの革靴をはく村人と比べて黒くピカピカしてしっかりした革靴もちょっと悪目立っていた。
ありがたく着替えて服は机の上においておいた。
「ナースカと一緒がいやだったら私と一緒に寝ようか?」
ラーラはそんなふうにいってくれたが、個人的にそれはやってはいけない一線な気がする。ナースカの方がいいというとおやすみの挨拶をして自分の部屋に入っていった。
ナースカのベッドは木組で厚い布をしいたようなのが一つだ。その下にロッドを置いて、既にふて寝をしていたナースカのとなりに潜り込む。
「なんでこっちに。」
「…ダメ?」
「いやそうじゃないけど…」
今度は顏を赤くしたりしなかった。どうやら一人寝でないのに違和感があるらしい。ていうか恥ずかしがる基準がおかしくない?
顔をじっと見つめていると「いいよ別に」とそっぽを向いてしまった。
今日は助けてくれてありがとうナースカ、でもこの狭いベッドに入らせてくれナースカ。俺は疲れたからスプリングマットじゃないにしても多少やわらかいところで寝たいんだ。
狭苦しいベッドの上、規則的に呼吸をするナースカの小さな背中に感謝と謝罪の念を送る。
(『フィングレーズ』かあ…)
聞いたことも見たこともない異国の名前をかみしめる。色々、考えなければならないことがたくさんある。だがもう眠い。明日、明日には…
心地よい睡魔にとらわれて、俺は眠りについた。