三話:夢か現か
ピンチはチャンスというが、ピンチにピンチが重なるとなんというのだろう。
ダブルチャンス?
大蛇に追いかけられて、張り出した木の根っこに足を取られて転ぶことが、ダブルチャンス?
断じて違う。絶対に違う。
派手にすっころんで胸や肘や膝や掌や、とにかくあちこち思いきりすりむいてしまった。根っこが恨めしくて思わず舌打ちをする。体重が軽いおかげか体が柔らかいのか今のところ大きな怪我はないようだが…
そんなことをしている間も大蛇はするするとこちらへ近づいてくる。
何とか起き上がって前方へ放り投げてしまったロッドへ手を伸ばそうとした。
「…あっつ!」
突如足首に走る激痛でびくっと体が硬直した。
まずい、ひねっている。痛いなんて言ってられない状況だが思わず涙が出るくらい痛い。これは重大な怪我だ。ああ、ヒーラーなんだからまずヒールができるか試すべきだった。
いやまて、夢なのになんで痛いんだ?いくらなんでもこんなに痛いものか?
シャッ!と背後で蛇が威嚇する音が聞こえてさっと現実に引き戻された。
なんとか意地で這いつくばってロッドを手にし呪文を唱える。立て直すまで時間を稼がなければ。
「『ウィンドカッター』!『ウィンドカッター』ウィ、『ウィンドカッター』…ウィ…ド…はあっはあっ…くそっ…」
「シャアアアアアアアッ!!!!」
三発、全て頭にクリーンヒットした。大蛇は絶叫してのけぞったが、あまり効いた様子はない。分厚い鱗が致命的な衝撃を防いでいるようだ。
それよりこっちの被害が甚大だ。呪文を唱えようとすると、できなくはないのだが心臓を絞られるような痛みが襲う。
もしかして…MP切れ?
大蛇がゆっくりとまた鎌首をもたげてこちらをにらんだ。シューと空気がもれるようなあの独特の音が近づいてくる。こちらも息を整えながらずりずりと後ずさって距離を取る。
…が、唐突にそれもかなわなくなった。大木に背を取られて動けない。
しかも、回りこもうにもいつのまにか下手に動けば飛びかかってくるだろう距離にまで詰められていたのだ。
「あ…ひ…」
大蛇の口からのぞく大きな牙が唾液でぬらりと光る。全身を硬い鱗で覆われた巨体をするすると器用に動かして着実に前進している。
大蛇その質感はあまりに、あまりに死の実感に満ちすぎていた。
これはリアルな夢なんかじゃない。紛れもない現実、やられたらおしまいだ。
どんどんどんどん距離は狭まっていく。もう2Mもない、いつ喰われてもおかしくないだろう。
もう終わりだ…俺はぎゅっと目をつぶった。次に目を開ける時は自室のベッドの上であることをひたすらに祈って。
…ふと、焦げくさいにおいが鼻をついた。そして
「こっちだ!」
突然、俺から見てななめ前…蛇のななめ後ろの茂みががさがさと大きな音を立て、するどく叫ぶ声が響き渡る。
目前にまで迫っていた大蛇はその音に振り返り、そしてシャッ!と短く威嚇音を吐いた。
そこにいたのは小学校低学年ぐらいの男の子だった。髪の毛は短くこげ茶色、ちょっと汚れたサイズのあってないシャツを着ている。さきほど呼び出そう(?)としていたギルメンの誰でもなかった。いかにも中世ファンタジーで出てくる一般人な感じだ。
少年は険しい表情で、手にした燃え盛る松明を大蛇に向かって突きだしていた。蛇は松明を向けられると威嚇をするが、かなりひるんだ。
焦げくさいのは松明だったのか。
「森に入ってくるな!」
大蛇は少年に噛み付こうとするが、その度に少年は松明をぶんぶん振り回す。大蛇に比べれば小さな火だが大蛇は火が近づくのを極端に嫌がって後ずさりする。どんどん少年はじりじりと距離をつめ、また大蛇が後ずさる。
「去れ、森から出ていけ、早く!」
仕上げと言わんばかりに鼻さきぎりぎりに松明をかすめさせると、大蛇はひときわ大きくシュアアッとうなって、静かに頭をおろした。
数秒間、両者の間に激しいにらみ合いの火花が散っていた。…が、やがて大蛇はゆっくりと来た道を戻っていった。
…たす、かった?
「はあ…大丈夫?」
「う、うん。ありがとう…」
完全に大蛇の姿が見えなくなったところで少年がその場にへたり込んだ。俺の方をみて、上から下までじろじろと舐めまわして変なものを見るような顔をした。
「…旅芸人か何かなの?」
「えっ?あ、いや別に。」
「変なかっこだし、変な棒持ってるし、変なの。」
緊張がとけたせいか、少年は先ほどまでのしっかりした口調がくだけて急に子供っぽくなった。
しかし初対面で泥だらけ傷だらけのかわいそうな美少女に変なのなんていったらだめだ、最悪一生彼女ができない。
よし、命の恩人に一つ恩返しをせねば。
「…ぐすっ」
「え」
ロッドを抱きしめ、ほどよく髪の毛で顏が暗くなるようにうつむく。なるべく悲しそうに、なるべく顔をくずさず目元を潤ませる。
「こ、怖かった…大きな蛇が…ぐすっ…食べられちゃうかと…ふえぇ…」
「あ、おい、泣くなって!もういないから!」
「服…お気に入りだったのに…泥で台無し…ふえ…」
「うっ…」
俺渾身の嘘泣き演技は抜群に効いたようだ。頭をかいたり目を泳がせたりとだいぶ焦っている…これは面白、いや彼のいい女性経験になるはずだ。
「泣くなっ、服洗ってやるからついてこい!」
急にぐいっと腕を引っ張られて俺は慌てて立ち上った。
「っいた!」
「おいどうした、怪我してんのか?」
みりゃわかるだろあちこち擦り傷だらけなんだから!痛いのは捻挫だけど。
「足、ひねっちゃったから…」
「ったくどんくせえなあ…早く帰らないといけないのに。」
少年、美少女には素直に力を貸すべきだぞ。
「…ふぇ」
「あー泣くな!もうしかたないな、おんぶしてやる!」
と、少年はこちらに背中を向け膝をついた。しかし…
「あ、いやでも、ちょっと小さ…」
「うるせえ、女一人くらい全然楽勝チョーヨユーで持てるよ。」
立ちあがったときに分かったのだが、少年はひよ子より10センチくらい小さかった。もっと大きくなれば筋力もあって男の方が小さくてもそれこそ女の一人くらい持てるだろうが、第二次性徴も迎えていない子供では持てても転んでしまうんじゃないのか?
「大丈夫、けんけんできるから。肩かして?」
「…」
あからさまに不満顔である。
これ以上負傷者が増えたらどうするつもりだ。俺は巻き添えでまた怪我するのはいやだぞ。
「わがまま女め…」
少年はちっ、と舌打ちをし
「ん」
口をへの字にして肩をすくめた。掴まってもいいということだろう。
「…ありがとう」
よくやった、美少女からの好感度1UPだ。この調子で励めばいい嫁さんを捕まえられるんじゃないか、多分。
しかしよっぽど気恥ずかしかったのか、肩を組んだら少年はそっぽを向いてしまった。よくみたら耳まで真っ赤だ。
「…っ、ナースカ」
「え?」
「俺、ナースカ。お前は」
「あー…」
名前。さすがにひよ子ではちょっと恥ずかしい…それらしいのを答えておくか。
「リリナ。」
「ふうん。」
会話はあっけなく終わった。
けんけんをしていたから、口を閉じていないと舌を噛みそうだったということもあるが。
ともかく、危機一髪スリル満点の小さな冒険が一つ終わった。
…何かほかに大事なことを忘れている気がするが。
10数分後、俺たちは無事近くにあった川につくことができた。
美少女ストリップでナースカが顔を真っ赤にするかと思ったら特にそんなことはなく、自分も一緒にすっぽんぽんになって川で体を洗っていた。
お互いに子供だし、まあそんなもんか。
服は念入りに洗ってナースカが手際よく着けた焚火の近くに干す。ずっと裸だと風邪を引くからとナースカは自分のシャツを貸してくれた。優しい子だ。
でも俺のロッドを火かき代わりにするのはやめてほしい。リボンに引火しそうでハラハラする。
「なんでナースカは私を助けてくれたの?」
「森の薬草取りに来たら、『死にたくなーーーい!』って叫び声が聞こえたんだ。だから」
「探したの?叫んだ人を?」
「うん。」
「なんで?」
「母さんが困ってる人に手を貸しなさいっていってるから。」
ナースカはなんでもないようにすらすらと応えた。もしかしなくても勇気のあるやつかもしれない。
そういえばあの大蛇と対峙していた時もかなりしっかりしてたな。
まだ髪がちょっと濡れたままの横顔をみるが、年相応のあどけない表情だった。全然楽勝チョーヨユーってことはなかったと思うんだが。
「怖くなかったの?」
「このへんの蛇は火が大嫌いだって分かってたし、俺はちゃんと松明もって森にはいったしな。」
「へえ。」
「リリナ、うちどこ?ライゴ村じゃないよな。それにこのへんでこんな変てこな服みたことないし…やっぱ旅芸人?」
「…違う、俺は」
「俺?」
「あ、いや…うん…」
なんとなく考えないようにしていたことを思い出す。
そうだ、この世界は夢なんかではない。でも、俺がいた現実世界とも遠くかけ離れている。魔法なんてものが使えるし、おまけに男だったはずの俺はいつの間にかネトゲでつかっていたキャラそっくりの美少女になっている。先ほど川面に映った顔は『ひよ子』にそっくりだった。
なにも答えない俺を怪しく思ったのか、ナースカは茶色いくりくりの目ん玉を怪訝そうに細めた。
「なんだよ、言えないのか?」
「うーんそうじゃないんだけど…あっ、ちょっとロッド返して。『ヒール』!」
体力もだいぶ回復したようなので、とりあえず確認をかねて「ヒール」をじくじく痛む足の捻挫に向けて唱えた。
また指先から何かが引っ張られるような感覚があって、今度は柔らかい金色の光が現れて幹部をじゅわーっとつつみこんだ。ぴりぴりするようなちくちくするようなくすぐったさがしばらく続いた後、光が霧散すると痛々しく紫に腫れ上がっていた足首は元通り(多分)に戻っていた。
「あ、できたできた。」
試しに足首をうごかしてみるが痛みはまったくない。どうやらゲームと同じようなヒールをこの世界で使うことができるようだ。
「な、なにこれ…」
ナースカはくりくりの目玉をさらに真ん丸にして恐る恐る足に触れた。もう腫れてすらいないのを確認してはっと息をのむ。
「リリナッ!」
「へっ?」
そして真剣な表情で突然ぎゅ!と俺の手をにぎった。
「お願い、俺のかあさんを治して!」
「はい!?」
…のちに、俺は自分の迂闊な行為を後悔することとなる。
だが今はナースカの気迫に押されて頷くことしかできなかった。