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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第1章「封術師編」
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第8話「魔剣」

★☆★☆★



 マナスの門を潜って現層世界へと復帰した秋弥が最初に見たものは、巨大な隣神の後ろ姿だった。

 現層世界でどのくらいの時間が進んでいて、何が理由でこのような状況に陥っているのだろうか。

 隣神の体躯に隠れてしまって反対側の状況を窺うことはできないが、誰かが隣神と戦っている様子は見られなかった。

 と、右腕だけが異様に膨れ上がった隣神が、その拳を二度、三度と振るった。

 かすかにだが、隣神の身体越しに光情報流の拡散現象が見える。

 誰かが封術結界によって、隣神の攻撃を防いでいるのだろう。

 秋弥は隣神から視線を外す。

 遠くに学生たちの塊が見えた。隣神が顕現している状況で、ただ一人の封術師である封術教師は何をやっているのだろうかと思っていたのだが、どうやら学生たちを一か所に集めて、安全な場所まで避難させていたようだ。

 秋弥は視覚情報だけを頼りにして状況の分析を続けていた。

 そうして、隣神の背後にいた秋弥だけが、誰よりも早く、それに気付いた。

 隣神の背中——その肩甲骨辺りの皮膚が、不意に波打ったのである。まるで何かが隣神の体内から皮膚を突き破ろうとして、暴れているようにも見えた。

 それを認めた瞬間、秋弥は左手の人差し指に嵌めていた簡素な銀色の指輪を、装具へと具現化させていた。

 しかし、召還された装具はつい先ほど心象世界で手に入れた、蒼の刀身を持つ装具ではなかった。

 煌々と輝く真紅の剣——。

 秋弥はそれを、右手で握る。

 隣神の背から幾本もの黒針が飛び出したのとほぼ同時に、秋弥は一歩を踏み込んだ。

 瞬間、足裏に発生した運動エネルギーを改変して爆発的な加速力を得ると、空中を跳ぶように疾駆した。

 結界と隣神の間へ瞬時に割り込むと、全ての黒針が向かう一点に真紅の剣を構える。

 剣の刀身と隣神の黒針が接触して、ガラスが割れるような甲高い音が響いた。


「秋弥!」「九槻さん!」「シュウ君!」


 突然目の前に現れた秋弥に、結界の中にいた三人が驚きと安堵が入り混じった声を出した。

 隣神の攻撃を片手で易々と受け止めたまま、秋弥はちらりと結界の方を窺う。

 声を聞いた時点で半ば予想していたことだが、結界を張った術者は綾だった。

 幾分顔色が優れなかったが、秋弥と眼が合うと彼女は気丈に見える微笑みを浮かべた。


 その結界の中に、見知った三人以外の学生がいることにも気付く。

 学生の顔には見覚えがあった。確か、装具選定前に袋環に質問をしていた女子学生だ。

 意識を失っているのか、今はぐったりとしている。

 ふと秋弥は、周辺領域の『波』の乱れを感じ取った。すぐにそれを女子学生の状態と結びつけて、隣神が顕現した原因が波長障害によるものではないかと推測するに至った。


「……空間領域の調律が必要か」


 現層領域と異層領域が混在した領域を元の状態に戻すためには、調律術式を用いて異層の干渉状態を正す必要があった。

 問題は、この隣神をどうするかだが——。


「ウォォオォォォォォォォン」


 視線を隣神へ戻すと、黒針の攻撃を受け止められて激昂した隣神が、よりいっそう大きな雄叫びを上げる。

 秋弥を新たな敵だと認識した隣神は、一点集中で放った黒針を一旦背中へと戻すと、今度は秋弥の全方位を取り囲むように放った。

 しかし、秋弥はそれに動じることなく、真紅の剣を地面に突き立てると柄に両手を重ねた。

 装具を通じて、空間領域の情報を意識野へと取り込む。

 空間領域から迫り来る黒針の座標情報をトレースすると、全てのポイントに極小の結界術式を展開した。

 一つ一つの黒針に、大した威力はない。

 綾の張った結界術式よりもやや強度の低い結界だが、黒針一本の攻撃を防ぐのにはそれだけで十分だった。

 全ての黒針が結界と接触して空中に静止する。役目を終えた結界が霧散すると、続いて秋弥は炭素の紐を作り出した。

 大気中の炭素を利用した束縛術式——それが地面と黒針を結び付けて隣神の動きを封じた。


「オォォォォォオォォォォン」


 束縛を解こうとした隣神は地団太を踏みながら暴れたが、強固な情報改変を受けた炭素紐の結合は、そう簡単には壊せない。


「朱鷺戸、今のうちに後ろに下がれ」


 背後から袋環の声が聞こえた。秋弥も首だけで振り返り、玲衣たちに向かって軽く頷く。

 四人が退避するのを最後まで見届けず、秋弥は正面へと向き直った。

 真紅の剣を地面から引き抜く。左の掌に『火球』を生み出すと、未だもがき続ける隣神へ向けて放った。


「オォオオォォォォン!」


 火球は着弾点から周囲に飛び火して隣神の全身を焼いた。空洞内が薄暗いことと隣神の身体が黒色であるため気付かなかったが、どうやら隣神の全身は黒い体毛で覆われていたようだ。

 期せずして予想以上の効果に、秋弥はひそかに笑みを浮かべる。

 干渉力が弱まって存在が維持できなくなれば、隣神はこの現層世界から消える。

 身動きも満足に取ることができずに身体を焼かれるのはつらいだろうが、死ぬよりはマシだろう。

 殺してくれというのならば、それはそれで構わない。だが、生憎言語を介せるほど、この隣神は高位の隣神ではなさそうだ。


(獣人型。クラス4thといったところか)


「オォォォン。ウォォォォゥゥゥゥゥン」


 隣神が膨らんだ右腕をさらに一回りほど膨らませて、大きく振りかぶった。最後の力を振り絞って、がむしゃらに秋弥を殴りつけようとしたのだ。

 秋弥はその拳を受け止めようとして、真紅の剣を身体の前に構える。

 大岩を思わせる拳が秋弥に迫ろうとした——。


 その瞬間だった。


 隣神の姿が、秋弥の目の前から掻き消えた。

 何者かによる横殴りの強打を受けて、勢い良く吹き飛んだのである。

 大空洞の壁面に激突する手前で、影のような隣神はその存在ごと現層世界から消滅する。

 途端、静寂が辺りを包み込んだ。

 突然の出来事に誰もが言葉もなく呆気に取られている中で、秋弥は構えていた剣を下ろすと、強打を放った闖入者へと眼を向けた。


「…………」


 秋弥の視線の先には、フリルがたくさん付いた赤いワンピースを身に纏い、金色の長い髪を靡かせた十歳前後の少女が立っていた。

 燃えるような紅の双眸と秋弥の視線が重なる。

 秋弥は少女のそばまで歩み寄ると、徐に真紅の剣を少女に向かって軽く投げた。

 少女は両手を伸ばして胸の前で受け止めると、ふくれっ面の顔で秋弥を見詰めた。


「リコリスの剣を投げるなんて、酷いわ」

「……どうして勝手に出てきた」


 困り顔で秋弥が呟く。

 少女の姿を認めて、面倒なことになりそうだ、と内心で思う。秋弥の態度から彼の感情を読み取った少女は、きまりが悪そうにそっぽを向いた。


「だってだって、リコリスも遊びたかったんだもん」

「遊んでたわけじゃないんだけどな……」


 見た目どおりの子供っぽいことを言って拗ねた少女に、秋弥はがくりと肩を落とした。


「しゅう——」

「九槻! 今すぐそいつから離れろ!!」


 不意に、袋環が大声で叫んだ。

 秋弥と少女が揃って袋環を見る。

 彼女の緊迫した声音に、我先にと秋弥のところへ駆け寄ろうとしていた堅持たちが、驚いて足を止めたのが見えた。


「……どうしたんですか、センセ?」


 いつの間にか十指に爪型の近接系装具を装着して全身に緊張感を纏わせた袋環に、堅持が恐る恐る声を掛ける。


「あの少女は……クラス1stの隣神だ!」



★☆★☆★



 目の前の光景が信じられないというように、袋環は眼を見開いたまま叫んだ。

 袋環の鍛え抜かれた異層認識力(オラクル)は、少女が放つ強大な情報の干渉圧を感知していた。


 異層世界の生物である隣神には、現層世界(このせかい)に干渉できる強さに応じて十段階にランク付けがされており、数字が若いほど高い知能と干渉力を有している。

 なお、封魔師の場合はクラス4thを一人で倒せるようになって、ようやく一人前と認められる。先ほどの黒い隣神は秋弥と袋環の判断による暫定ではあるが、クラス4thに当たる。そして、クラス1stにカテゴライズされる隣神に対しては、封術師による大規模な討伐隊が組まれるほど強大な存在とされている。

 袋環の言葉に学生たちがざわめく中、彼女の態度が気に食わなかったのか、少女が憤りの声を発した。


「……何よ。もしかして、リコリスを殺そうとか考えてるの?」


 少女は静かに、壮絶な笑みを向ける。

 袋環は本能的に身体を一歩後ろに引きそうになって、すんでのところで踏みとどまった。


「それに、クラス1stですって? たかが人間が面白いことを言ってくれるわね。貴女たちのくだらない尺度でリコリスたちを測ろうだなんて、本当に馬鹿馬鹿しいわ」


 少女は真紅の剣——秋弥から受け取った彼女自身の装具(・・・・・・・)を変形させて身体のサイズに合わせると、その切っ先を袋環へと向けた。


「良いわよ。ちょうど遊びたかったところだし、特別に相手をしてあげるわ。せいぜいリコリスを楽しませて、死になさい」


 言葉とともに、周囲の構造情報が光エネルギーへと変質して剣の切っ先に集中した。袋環は反射的に腰を深く落として高エネルギー弾の射線上から逃れようとした——、


「……いったぁ〜い。何するのよ、秋弥様ぁ」


 ——のだが、それよりも先に秋弥が少女の前に屈み込んで視線の高さを合わせると、右手を少女の額へと伸ばして軽く小突いた。

 その拍子に高エネルギーの情報体は改変前の状態へと戻り、少女の干渉を受けていた領域は、潮が引くように緩和していった。


「そんなに痛くしてないだろう……」


 小突かれた額を片手で押さえて、涙声で訴える少女の頭を優しく撫でながら、秋弥が言う。

 幼い子に接するような彼の態度に、しかし少女は嫌がる素振りを微塵も見せず、むしろ、嬉しそうに眼を細めた。

 見様によっては微笑ましい光景なのだが、それは少女が同じ人間であればの話だ。

 状況が理解できずに臨戦態勢を維持したままの袋環と、度重なる隣神の顕現に怯える学生たち。地下大空洞内にいるすべての人間の眼が、秋弥と少女の二人へと向けられていた。

 秋弥は少女の頭をぽんぽんと軽く叩いてから言った。


「リコリス。すまないが調律を頼んでもいいか?」

「うん!」


 秋弥の言葉に隣神の少女——リコリスは二の句もなく即答すると、刀身が短くなった真紅の剣を地面に突き立てて調律術式の準備に取りかかった。そして秋弥は、そんな彼女を背で庇うように立つと、袋環へと向き直った。


「九槻……これはいったい、どういうことだ?」


 説明を求める袋環に、秋弥は何をどう話したものかと逡巡した。


「……お騒がせしてすみませんでした」


 頭こそ下げなかったが、ひとまず謝罪の言葉を口にする。


「まずは装具を仕舞っていただけませんか? この()は教諭の言うとおり隣神ですが、敵ではありません」


 つい先ほどまで少女に生殺与奪の権利を完全に握られていた袋環は、秋弥の台詞に眉根をひそめた。クラス1stにカテゴライズされる隣神を前にして、一介の学生にすぎない秋弥の言葉に「はい、そうですか」と簡単に応じるわけにもいかなかったからだ。

 当然、唯一の対抗手段である装具を手放せるはずもなかった。


「……それに、先に装具を召還してこの娘を挑発したのは教諭のはずです。この娘は自分自身を護るために力を使おうとしただけにすぎません。……少し言葉が荒っぽかったかもしれませんが、悪気は無いんです。もう一度だけ言いますが、装具を仕舞っていただけないでしょうか?」


 袋環はなおも訝しげな視線を秋弥の背後へと向ける。

 その視線の先には彼の言葉に従って、まるで人間と同じように封術を扱う少女がいた。先ほど感じた強大な干渉圧も、身体の芯が凍りつくような戦慄も、今はもう全く感じられなかった。


「……わかった。九槻、今はお前の言葉を信じよう」


 袋環は大きく息を吐くと、緊張状態を維持しながらも爪型の装具をイヤリングへと戻した。それを見た秋弥が内心で胸を撫で下ろしたことには、どうやら気が付かなかったようだ。


「それで、その隣神は何者なんだ? それに、その装具はいったいなんだ?」


 腕を組みながら全員の疑問を代表して問うた袋環の言葉に、秋弥は溜息を一つ吐いて、諦観を込めた声で言った。


「この娘はリコリス。装具は『紅のレーヴァテイン』」


 そして——。


「高位隣神と、近接系の魔剣です」

 

 

★☆★☆★

 

 

 特別訓練棟から地下大空洞へと繋がるエレベーターの、唯一の途中階。

 大空洞に程近いその階には、『マナスの門』を一望できるゲート観測室があった。

 学園の封術教師と特別に許可された学生のみしか入室できない観測室に、二人の女子学生がいた。

 女子学生たちは特殊強化ガラス窓を通して、眼下に広がる大空洞内を食い入るように見詰めていた。


「……驚いたね。あれは本当にクラス1stの高位隣神なのかい?」


 大空洞内部の会話は、観測室に設けられたスピーカーを通じて、すべて筒抜けだった。

 それでも、女子学生の言葉には多分に猜疑の色が滲んでいた。


「……どうやらそうみたいね。しかも、あの一年生に高位隣神が従っているようにも見えるわね」


 目の当たりにした光景に絶句していたもう一人の女子学生が、独り言のように呟く。


「それにあの装具は……異能型?」


 その言葉に、一方の女子学生が眼を見開いた。


「まさか! いやしかし……、あの剣は学生の装具じゃないんだろう?」

「そうね。そう言っていたわ。でも、だとしたらおかしなことになると思わない? 私たちは彼があの装具を使っていたところを見ていたはずよ」


 女子学生は話をしているうちにだんだんと気持ちが落ち着き始めたのを感じた。椅子に深く腰を下ろして、大きく息を吐く。


「装具には相性が——いえ、相性なんていう言葉では片付けられないほどに、装具と担い手の間には強固な繋がりがあるのよ。だって、装具は自分の心が生み出したものなんだから。誰よりも上手に扱えるし、逆に、自分以外の誰にも扱えない……」

「つまり、ユウキはあの装具を神器の一種だと言いたいのかい?」


 女子学生——ユウキは首を横に振った。


「いいえ、そうじゃないわ。……顕現した黒い隣神が針で攻撃した瞬間を見てた? あのとき彼は、射線上の座標に対して正確に結界術式を発動させていたのよ。神器ではあそこまで精密な封術を行使することはできない……」

「それじゃあ、いったいどういうことなんだい?」

「わからない、としか答えられないわね」


 学園の制服の基調色を反転させた——学生自治会役員専用の白い制服に身を包んだユウキが、眼を伏せて弱音を吐く。

 その様子がよほど珍しかったのだろう。一般学生用制服の右腕部分に赤い腕章を巻いた女子学生がにやりと笑った。


「まあ何にしても面白い一年生だね。今年は大した収穫はなしかと思っていたけれど、最後にとんでもないのが現れたもんだ」


 女子学生はユウキの隣に腰掛けると、細い腕と長い足を組んだ。事後処理へと向かいつつある地下大空洞での顛末を俯瞰視点から眺めながら、楽しそうに笑う。


「興味あるね、あの力には……」


 女子学生は内より沸き上がる感情を押さえきれずに身を震わせた。灰色の瞳に強い意志の光を宿して、件の男子学生——秋弥の姿を瞳に焼き付ける。


「クラス1stの高位隣神を従えて、クラス4thの隣神を一人で圧倒する一年生かぁ……」

「ユウキも、彼に興味があるのかい?」

「貴女とは違う意味で、だけどね。気付いてる? あの学生は、月姫の弟よ」


 ユウキの言葉に、女子学生の瞳が驚愕に見開かれた。言葉の真偽を疑うようにユウキの顔を見返す。だが、それが真実であると悟ると、乾いたような笑い声を上げた。


「はは……あれが、そうなのかい。本当に、とんでもないな」


 もう一度、食い入るように秋弥の姿を瞳に映す。


「まあ彼とはすぐに会うことになるだろうね。……それはそうと、ユウキの妹さんも無事で何よりだったよ」

「……ちょっと、私の妹をモノのついでみたいに言わないでよね」


 女子学生の物言いに、ユウキは半ば呆れ気味に言った。


「だけど、本当にもうあの子ったら……さっそく心配ばかりかけるんだから」

「まあ良かったじゃないか。これで彼との接点もできた」

「だからさぁ……」


 勝手に妹を利用しようとしないでよ、と言ったところで女子学生は聞かないだろう。

 言葉の代わりに、ユウキは溜息を吐いた。

2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施

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