第86話「全は一、一は全。そして――」
★☆★☆★
「なん……と?」
封術協会の幹部たちが絶句する中、学園長は悠然と続けた。
「聞こえなかったかな? この少女、リコリス君は――クラス1st級の隣神だと、そう言ったのだがね」
「……ば、馬鹿な」
信じられない、とでも言いたいのだろう。珠鳩家代表の男性が戸惑うように瞳を揺らしながら幼い少女の姿を見つめる。
「珠鳩翁が信じられないのも無理はない。私も最初は自分の眼を疑ったほどなのだからね」
「……鷹津殿。貴方の言葉を疑いたいわけではないのですが、私にもどうにも信じられません」
議長を務める男性もまた、学園長の言葉に戸惑いを隠せないといった様子で言った。
「本当に、この少女は隣神なのですか?」
秋弥の隣に立ち、黙って話を聞いているリコリスに視線が集中している。見定めるような視線は、さすがは熟練の封術師たちと言ったところだろうか。だがそれは、その視線は――リコリスにとっては逆効果だった。
「……気に入らないわね」
リコリスがぼそりと呟いた。
「人間は本当にどうして、どうしようもないくらい救いがないわ」
瞬間、凝縮された干渉圧が爆発的に拡散した。たったそれだけの行動で、この場に集まった全員の目の色を変えさせた。
「やめておけ、リコリス」
そして秋弥の言葉を受けて極大の干渉圧は瞬く間に消え失せる。ただそれでも干渉波の余韻は十分に残存しており、一瞬にして臨戦態勢へと移行していた者たちは三度の戸惑いを隠すこともできなかった。
「おわかりになったかな。彼女はまごう事なき高位隣神なのだよ」
だけども特殊な瞳を持つ家系――鵜上家の代表にしても、干渉圧を抑えた今のリコリスは、もはや普通の人間にしか見えていないだろう。いや、むしろ秋弥と同一の人間がもうひとり存在しているように映っているのかもしれない。
「そして彼――九槻秋弥君はリコリス君と存在を――『意』を共有している。すなわち共存だ。リコリス君と秋弥君は同一の存在であり、彼らは一心同体なのだよ」
リコリスが触発されたように干渉波を放ったことも、秋弥がそれをすぐさま止めたことも、すべてはデモンストレーションの一種。秋弥とリコリスは事前に打ち合わせていたとおりに行動したに過ぎない。
ここまでは、段取りどおり。
それから学園長は議席を埋めている封術師たちに対してプレゼンテーションを行った。
その内容も――事前に聞いていたとおりのものだった。
高位隣神リコリスという存在に関する情報の開示――つまりは追想の断片的な記憶情報から得た"彼岸の花姫"から現在のリコリスに至るまでの全てだ。その過程の中で必然的に生じるリコリスと九槻秋弥の関係性や、歴史の影に埋もれた事件。そして、異なる世界に住まう情報生命体同士による存在の共有化現象。もちろんそれがどのようなプロセスで行われたのかは知り得ないことだったので説明できなかったが、いずれにしても、現在のリコリスからはその力の大部分が失われてしまっていることと、リコリスが有している原質"波"を操る"異能の力"――その危険性と有用性に関しては、ある程度の真偽も交えながら時間を掛けて説いた。
それまでが、プレゼンテーションの大体の流れだった。
「さて、本題はここからなのだがね――」
長い説明だったにも関わらず疲れた顔ひとつ見せず、プレゼンテーションという前振りを終えた学園長は、そのように言った。
「高位隣神リコリスという存在を十分に理解していただけたところで、私から封術協会に提案がある」
もったいぶるように、やや芝居がかったように、学園長は言葉を紡いだ。
「私は――リコリス君を鷹津封術学園の学生として入学させようと考えている」
プレゼンテーションを聞いていたときよりも周囲のざわめきが大きくなったが、学園長はそれに構わず続けた。
「しかしながらこれは特例措置であるゆえ、彼女に通常の学業を強いるつもりはない。言うなればこれは、彼女の存在を我が学園の管理下に置くということだ」
「なっ……できるわけがない! この者は人間ではない――危険な隣神なのだぞ!」
珠鳩家代表の反対意見に呼応するように、封術協会の幹部たちが一斉に口を開いた。
「不可能だ!」「何を考えているんだ!」「ありえない!」「学生たちを危険に晒す気か!」「封術師としての本分を忘れたか!」「そもそもなぜ今まで隠していた!」「重罪だ!」「気が狂ったか!」「クラス1stだぞ!」
「――静粛に!」
議長が張りのある声で一喝する。再び静まり返ると、議長が彼らの言葉を代弁した。
「鷹津宰治殿。貴殿は確かに鷹津封術学園の学園長ではありますが、そのような申し出が受理されるとお思いなのでしょうか?」
丁寧な言葉を選んでいるが、その言葉が孕んでいる意味は封術協会の幹部たちが口にした言葉と大差ないと、秋弥は思った。
「ふむ……封術協会の副会長を務めている貴方までも理解を示していただけないとは、非常に残念でならない」
「……それはどういう意味ですか?」
すると学園長は大仰に両手を広げた。
「学生たちを危険に晒す? 封術師としての本分? 気が狂った? なるほど、可笑しなことを言われたものだ」
学園長の視線が微かに動く。秋弥はこの議題に移ってからずっと、事の成り行きを静かに見守っている者たちがいたことに気づいていた。
学園長と同じく『始まりの封術師』と呼ばれる三人と、星条家当主の星条帝だ。
鷹津宰治は彼らの方へチラと視線を向けると、口元に微かな笑みを浮かべた。
「やれやれ……貴方がたはどうやら忘れてしまっているようだ。ならば、私がいま一度思い出させてあげようではないか」
ここで学園長は穏やかな表情を引き締めた。
「我々封術師が戦うべき相手は隣神ではない――異層世界の脅威だ」
瞬間、言葉の音の波に鷹津宰治の干渉波が重なった。
「学生たちを危険に晒すな? 君たちはいつからそこまで日和ってしまったのかね? 封術学園の学生たちに限らず、我々人間は常に様々な脅威に晒されているのだということを、よもや忘れてしまったわけではあるまいね」
言葉の重圧が室内に響き渡って浸透する。
封術協会の幹部たちは言葉も無く、ただ呆然とした表情を浮かべていた。
「リコリス君の持つ力は――実際にその異能に触れた私が断言するが――確かに脅威的だ。放置しておくにはあまりにも危険で、過ぎた力だ。しかしながら、彼女は我々人間に対して何の興味も持っていない――故に、我々の出方次第では、彼女の存在は脅威になり得ない」
詭弁だ。
だけども反論意見は出てこない――少なくとも、学園長の放つ言葉の圧力に圧倒されている今のうちは。
「そして我々が真に立ち向かわなければ――向き合わなければならない脅威はもっと別のところにある。……まさか忘れたということもないだろう? 『始まりの封術師』と大層な銘で呼ばれている我々が、何故、封術協会という組織を設立し、『星鳥の系譜』という先導者を示し、次代を担う封術師を育成する学園を創り出したのかを――」
「――ッ!?」
秋弥はハッとして眼を見開いた。思わず声が出そうになったところをギリギリで抑えこむ。
学園長が今しがた口にした言葉は、事前に打ち合わせていた話の中になかったことだ。それにその口ぶりではまるで――封術協会を設立した理由や封術学園を創設した理由が、封術史の教科書に書かれている理由とはもっと別のところにあるとでも言うようではないか。
だけどもこの場の全員が知っているらしいことを訊ねるわけにもいかず、秋弥は疑問を覚えながらも黙って話の続きを聞くことにした。
「来るべき『試練の刻』……彼女の存在はその前兆であると、私は考えているのだよ」
「待ってください」
ここで学園長の言葉を遮ったのは、秋弥も多少は知る人物――星条家当主の星条帝だった。
「それでは鷹津殿は、その少女が『抑止力』のひとつであると、そう仰りたいのですか?」
『抑止力』――それはリコリスの記憶の中だけではない。つい昨日に"原罪の獄炎"も言っていた言葉だった。それが何を意味しているのか秋弥にはわからなかったが、どうやら封術協会の上層部にいる者たちは何かを知っているらしい。
「その可能性を否定することはできないが……今はまだ判断が難しい。だからこそ、それも含めてリコリス君を学園の管理下に置いておきたいのだよ」
『抑止力』のひとつという星条帝の言葉から、『抑止力』なる存在はひとつではないらしいことが窺えるが、まるで話についていけない。当事者であるはずなのに蚊帳の外にいるような気分だったが、それでも秋弥は黙っていた。自身の目的とは関係のないことだとも思うし、これ以上余計なことに自ら首を突っ込むこともないだろう。
「いずれにしても、今すぐこの場で結論は出ないことだろう。だから半年――今年度の終わりまで、封術協会と『星鳥の系譜』の回答を待つ」
もちろん――と、少しのタメを作ってから学園長は言う。
「もちろん、それで結論が覆るとは思えないがね」
『始まりの封術師』たちは一貫して一言も口を挟まない。
『星鳥の系譜』に連なり、封術協会の幹部席を埋める者たちも言葉を発しない。
その中で、席を立って発言をしていた学園長と、その傍に立っていた秋弥が静かに席に座り、リコリスがわざとらしく眩いばかりの存在証明光を散らせながら姿を消した。
★☆★☆★
本当にこれで良かったのか。疑問を覚えない秋弥ではなかった。
だけども、それ以上の良案があるということでもなく、結局は事前に打ち合わせていたとおりに事は運んだのだから、相手の反応も含めて学園長の想定通りだったということになる。
そして、それよりもだ。
封術協会の上層部は――公には発表していない重大な秘密を隠している節がある。
会議からの帰り道で秋弥はそれとなく学園長に疑問をぶつけてみたが、最後まで満足のいく答えを得ることができなかった――というよりも、何だかんだとはぐらかされてしまった。
『抑止力』――。
『試練の刻』――。
これらが何を意味しているのか。曲がりなりにも封術師を志す者として、頭の片隅くらいには留めておいた方が良いのかもしれない。
あるいは――母親に伺ってみるのも良いだろうか。第八国際封術研究所の所長である母ならば、その答えを知っている可能性がある。
明けて次の日――四校統一大会最終日の朝は、普段よりも目覚めが良かった。
ひとつの大きな課題に一応の区切りがついたからだろうか。肩の荷が降りたというか胸のしこりが取れたというか、とにかく気が楽になったように思う。
制服の袖に腕を通し、鏡でひとしきり身だしなみを確認してから部屋を出る。最終日とは言っても荷物をまとめるにはまだ早い。これから『神の不在証明』の男女決勝戦があり、続けて男女の優勝選手同士によるエキシビションマッチが行われる。その後は閉会式へと移り、そこから時間を空けて夜には大会関係者を集めての懇親会という運びになっている。そこまでのプログラムを終えて、ようやく今年度の四校統一大会は終了となるのだから、急ぐ必要はない。
部屋を出た秋弥はラウンジで聖奈と合流する。お互い作戦スタッフとしての仕事がなくなってしまったので、最終日は堅持たちと一緒に大会を観戦するという約束をしていた。
そう――鷹津封術学園の学生自治会役員が『神の不在証明』の決勝戦でやらなければいけない仕事はない。
『神の不在証明』に出場していた選手四名のうち、最終日の決勝トーナメントに進んだ選手は西園寺美空ただ一人だけだった。そのため秋弥と聖奈がサポートに回る必要はなく、今日は二人とも非番なのである。
聖奈と他愛の無い雑談をしながら、第一演習場の前で集まっていた堅持たちと合流した。一般のホテルに宿泊している堅持たちは大会が終わったら直接帰るつもりなのだろう。それぞれが旅行鞄を脇に置いていた。
「よっす秋弥」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
日常的な挨拶を交わす。お馴染みとなった顔ぶれの中に、ここ数日間、共に競技を観戦していた伊万里の姿はない。事前に連絡をもらっていたことだが、伊万里は実父である浅間総一郎と一緒にいるらしいので、最終日は別行動となっていた。
全員が揃ったことを確認してから入場ゲートを抜けて観戦席へと移動する。適当に人数分の席を確保すると、堅持たちとこれまでの競技を振り返りながら、競技が始まるまでの時間を過ごした。
★☆★☆★
『神の不在証明』。
競技名からしてそもそも皮肉と捉えざるを得ないが、しかしながらこの世界に、真に神や仏と呼べる存在はいないだろう。
とはいえそれは、存在していることを証明できないからこそ、逆説的に存在していないことを証明していることにはならない。
神は存在しない――だけども神が存在しないことを証明するためには、あらゆる存在を精査して、その存在が神ではない存在であることを証明していかなければならない。
そういう意味で言えば、神がいることも――神がいないことも――立証できない。
『神の不在証明』とは、だからこそ皮肉が効いていると思う。この世界の理を――事象を改変する封術という力が、神にも等しい『星』によってもたらされた力なのだから。
そして、"全は一"。
皆はひとりの為にと名付けられたその名が意味するところは、共生。
神が存在しない世界で、すべての存在は互いの手を取り、助け合っていく。
それならば隣神――元々の語源は隣人だが――神と呼ばれるリコリスと共生している自分は、いったい何者になるのだろうか。
存在が、あやふやだ。
だけども、そういうときは決まって自分ではない『意』が――リコリスが支えてくれる。
"九槻秋弥"という一己の存在が此処に在ることを、証明してくれる。
「あっ……」
すぐ傍でそんな声が聞こえて、秋弥は思考の海から抜け出した。
顔だけ向けていた競技フィールドに瞳の焦点を合わせると、学生自治会書記の西園寺美空が倒れ伏していた。その手に握られていた特殊な形状の装具は、術師が意識を失ってしまったことで音もなく消滅し、場内アナウンスと巨大スクリーンが美空の対戦相手の勝利を知らせていた。
「負けちゃったかぁ……」
玲衣が誰ともなしに呟く。それは単純に美空が負けてしまったことを指しているものではなかった。決勝トーナメントの初戦で美空が敗退したという事実は、同時にもっと大きな可能性も失ってしまったことを意味していたからだ。
「これで大会三連覇はなくなっちまったな」
第九回大会が中止となってしまったことを考慮すればその言葉は不適当だが、堅持の言葉は概ね間違ってはいない。
唯一、鷹津封術学園から『神の不在証明』決勝トーナメントに駒を進めていた美空が敗退したことで、鷹津封術学園の総合獲得点はこれ以上変わらず、ここで打ち止めとなる。
五日目の『二体一対』と『螺旋の球形』で優勝したことにより、鷹津封術学園は昨日時点まで総合獲得点で暫定一位に返り咲いていた。だけどもその得点は他校と――特に鶺鴒封術学園とは僅差であり、最終競技である『神の不在証明』の結果如何で、その順位は容易く変動してしまう。
六日目の予選試合を終えた時点で、鷹津封術学園から出場していた男子選手は全員が敗退した。そして予選の成績を考慮すると、男子決勝トーナメントは鶺鴒封術学園の鴫百合煉が順当に優勝するだろうと予想できた。
そうすると、美空が女子決勝トーナメントで優勝する以外、鷹津封術学園が総合優勝する可能性はなかった――。
「いや……」
ただひとつだけ――。
「決勝で鴫百合選手が負ければ――」
可能性はある。だけどもその可能性は限りなく低いとみて良いだろう。鴫百合煉――鴫百合。『星鳥の系譜』序列第三位――封魔の基礎を築き上げた『戦騎』鴫百合家の嫡子。昨年度は一年生ながらに四校統一大会の『神の不在証明』に代表選手として出場し、今年度は学生自治会役員の一人となって、再び『神の不在証明』に出場している。
そして鴫百合煉は――星条悠紀の許嫁。
おそらく……否、万が一にも鴫百合煉が負けることはないだろう。
いずれにせよ――鷹津封術学園の戦いは、これで終わったのだ。
★☆★☆★
こうして間近で『戦騎』鴫百合の封魔術を観るのは初めてのことだった。
『神の不在証明』男子決勝戦――さらに続けて男子優勝選手と女子優勝選手による、大会最後を飾るエキシビションマッチ。
『神の不在証明』は使用可能な封術式に制限のない対人戦だ。しかしながら、だからといって派手な術式や効力の大きい術式が乱舞することは滅多にない――そういった術式は強力であるが故に、構築してから発現するまでに時間が掛かってしまうからだ。
そのため『神の不在証明』では多くの場合、装具による戦いか下位の封術式による戦いとなり、その最中で時間を掛けて構築した上位封術式が勝敗の決め手になるケースがほとんどだ。
だけども、鴫百合煉の操る封術は一線を画していた。
これまでに使用した術式はいずれも下位――それも五つの原質による基本術式ばかりだったが、その干渉力は凄まじいの一言に尽きた。
火の基本術式『火球』は『炎球』となり、
水の基本術式『水球』は『氷錐』となり、
風の基本術式『風刃』は『嵐刃』となり、
地の基本術式『土礫』は『土塊』となり、
虚空の基本術式『雷光』は『雷電』となった。
おそらく――いや、改めて考察するまでもなく、鴫百合煉の操る術式は極限まで効率化され、最適化されているのだろう。悠紀の装術『月光』には及ばないものの、術式は恐るべき速さで発現し、聖奈が無意識的に組み上げている術式には及ばないものの、恐るべき干渉力を内包している。
そんなものを乱発されては、相対する者としては直撃を喰らわないように常に動き回るしかないだろう。競技フィールドと観戦席は特殊な封術結界によって隔てられているため被害はないが、フィールドはもはや穴だらけとなっている。
と、ここで鴫百合煉が動きを見せた。
エキシビションマッチの結果は順位に影響しない。
鶺鴒封術学園の総合優勝が決まっているこの時点で、『神の不在証明』と同じ戦い方をする必要はない。
鴫百合煉は下げていた左腕を上げると、術式の発動起点としていた右手の掌と左の掌を合わせた。そこから今度は指だけを合わせた状態にすると、指先にエリシオン光が集まり始めた。そして徐に合わせていた手を離し、五つの指先に集まったエリシオン光を相手に向けた。
「――ッ!」
人差し指の先をくいっと下に曲げた瞬間、女子選手の身体が地面に沈んだ。
「な、なんだよありゃ!?」
その光景に、堅持が驚いたような声を上げた。
一瞬の出来事であったため、そこから何が起こったのかを推測することは堅持にはまだ難しいだろう。ただ見たままの現象を述べるならば、
「重力でも操作してるのか!?」
否――惜しいが、あの術式は重力によるものではない。
『戦騎』鴫百合が得意とする……特異とする術式は"圧力"。とりわけ対戦相手を圧し潰した力は空気圧によるものだろう。
鴫百合煉が起き上がれなくなってしまった女子選手に近づき、手を差し伸べて助け起こしたところで、エキシビションマッチは終了となった。
観客席から割れんばかりの歓声と拍手の嵐が巻き起こる。
「これで閉会式か……長かったな」
堅持は感慨深そうにそう言うが、秋弥たち自治会役員や選手たちはこの後に懇親会を控えているのだから、素直に共感はできないのだが――。
「そうだな……」
それでも――これで四校統一大会が終わりを迎えたことに、違いはなかった。
★☆★☆★
進行表通りに閉会式を終えてから――午後五時半。
学生自治会役員同士の懇親会で使われた大広間よりもさらに一回り以上大きな広間には、七日間の競技を戦い抜いた四校の代表選手たちと、裏方としても活躍した学生自治会役員たち、作戦スタッフメンバーたちがいた。
さらに、集まっているのは学生たちだけではない。四校の学園長。封術協会から派遣された審判団の面々。来賓として招かれた第一線で活躍する封術師たち。『星鳥の系譜』に連なる家系の著名人も多く見受けられる。
皆、雑談に興じていたり、食事をしていたり、挨拶回りをしていたり――思い思いに懇親会を楽しんでいる。
昨日の敵は今日の友、とでもいうように――ふと視線を向けた先では『螺旋の球形』で優勝を果たしたスフィアを囲うように、彼女と戦った他校の女子学生たちが集まって輪を作っていた。女子学生から間髪入れずに差し入れられる食べ物を困ったように受け取って食べているスフィアというのも、何ともまあ珍しい光景だった。本人が聞いたら苦い顔をするかもしれないが、スフィアは男子学生よりも女子学生に人気のあるタイプなので、この状況も予想できたというものだ。
「『ペンは剣よりも強い』なんていう諺があるけど、だからといってペンが何よりも強いということにはならないのよね。三すくみの関係っていうのかな。たとえば剣は紙よりも強いけど、剣よりも強いペンは紙に弱いじゃない? そういう図式だって、世の中にはたくさんあると思うの」
料理がたくさん乗ったプレートを片手で持ち、もう片方の手でペンを握るようにフォークを握りながら、西園寺美空がそう言った。
「装具に頼った戦い方ばかりだと、そういうこともあるかもしれませんね」
「九槻君、それは皮肉かな?」
美空からジト眼を向けられた秋弥は、軽く肩を竦めた。
「いえ、残念ながら事実ですよ」
「可愛くないなぁ!」
可愛くなくて結構、と内心で呟きながら、その代わりに溜息を吐き出した。
「でもまあ勝負も時の運と言いますし、西園寺先輩が負けた選手以外は全員、剣型の装具でしたしね」
そもそも剣型――もっと言えば刃を持つ装具以外の装具自体が珍しいのだから、立てられる対策にも限度があるというものだ。しかもそうなると実践訓練もままならないので、後はぶっつけ本番、選手の個人技量に委ねるしかないのだった。
「そうよ! そうなのよ! むぅ……でも勝負ごとで負けるというのはどうにも悔しいわ。この気持ち、いったい何にぶつけたものか」
「さぁ……ペン型の装具使いらしく、紙にでもぶつけたらいいんじゃないですか?」
適当にあしらおうと思って言った言葉だったが、突然嬉々とした瞳を向けた美空に、秋弥は嫌な予感を覚えた。
「九槻君、良いこと言うわね! そうよ、この溢れ出して止めどなく流れ出した湯水のような思いをぶつけるには紙しかないわよね!」
「こら、美空。周りの人たちがびっくりしているわよ」
と、二人のやりとりを見かねたのか、はたまた美空の声が大きすぎたのか、星条悠紀が助け船を寄越すように割って入ってきた。
「えー、そんなはずないじゃないですか。だって九槻君から話を振ってきたんですよ」
心外そうにむくれる美空から視線を外し、悠紀が表情だけで「そうなの?」と秋弥に問うた。
「まあそうですね……あながち間違いではないです」
「……ひっかかる言い方だけど、それなら自業自得になるのかしらね」
「身も蓋もないですね」
「身も蓋もない話だしね」
そう言われてしまえば返す言葉もないのだが……。「あ、それじゃああたし行くね」と美空は言って、逃げるように人混みの中へと消えていく。美空と入れ替わったように悠紀が秋弥の話し相手となった。
「会長はもう、挨拶回りは済んだんですか?」
「んー……まあそこそこにね。一応父上……星条家の当主も来られているから、私はおまけみたいなものなのよ」
悠紀が視線で示した先では、星条帝のもとに入れ代わり立ち代わり、有名な封術師たちが挨拶にきていた。なるほど、確かに相手の方から進んでやってくるのだから、自分の方から挨拶回りをする必要はないだろう。
「それに、ここでのメインはあくまでも私たち学生なのよ? 学生は学生らしく、営業活動するような場でもないでしょう」
これには同意して良いものか迷う。そもそも秋弥と悠紀では過ごしている環境が――世界が違うのだから、共感することも難しい。
ただ何となく、ここは同意しておいた方が良いだろうという判断を下して、秋弥は首を縦に振っておいた。
「それにしても……三連覇できなかったのは正直残念だったわ」
「会長は『光速の射手』で三連覇したじゃないですか」
「それとこれとは別なの。個人戦の勝利というものはね、それでも全体の中の一部でしかないのよ」
たくさんの一部が集まりあって全体を形作っているのよ、と悠紀はそう言った。
「まあだけど、結果が全てじゃないこともたくさんあるからね」
悠紀は懇親会に出席している学生たちの方へと視線を向けた。競技中は敵同士だった学生たちと打ち解けるように歓談していたり、あるいは再戦の約束をしあったり、はたまた互いの技術を認め合ったり――。
そんな彼ら彼女らを、悠紀は愛おしそうに見つめた。
「それでも、来年こそは絶対に勝とうね、秋弥君」
来年は悠紀やスフィアにとっては学生最後の年だ。自分が選手として出場できるかどうかは封術協会や『星鳥』たちの結論次第だが、できることならば悠紀たちが――否、姉が立っていた舞台に立ちたいと思う。
悠紀は「また後でね」と手を振って離れていく。
その後ろ姿を見送っていると、今度は背後から声を掛けられた。
「九槻」
振り返ると、ドリンクの入ったグラスを二つ手にした鶴木真が立っていた。一方のグラスを無言のまま向けられたので、秋弥はそれを受け取ると、
「お疲れ」
そう言って鶴木のグラスにグラスをぶつけた。カチンという音がなって、グラスの中の液体がゆらゆらと揺れる。
「ああ、お前の方もな」
二人してドリンクを喉に流し込む。喉が良い感じに潤ったところで、鶴木が口を開いた。
「僕は、さ……九槻。この大会を通じてわかったことがあるんだ」
「……」
「お前にとってはどうでもいいことかもしれないけど、僕にとってはとても大切なことばかりだった。こういうのを見方が変わったっていうんだろうな。見方が変わると、物事の見え方もずいぶんと変わるものなんだな。これまでに抱いてきた思いも価値観も、物事の一側面でしかなかったんだ」
鶴木の言わんとしていることは、酷く抽象的だったが、何となく理解できた。
秋弥は鶴木の言葉に耳を傾け続けた。
「さっき、烏丸封術学園の葛城会長とも話をしたんだ。封術のこととかチームプレイのこととか、葛城会長の考えかと、いろいろと勉強になる話が聞けたよ。そういうのも良いものだよな」
「ああ、そうかもな」
「覚えているか、九槻。『妖精の尻尾』の前夜に、僕がお前に言ったことを」
「え、何だったかな?」
「わ、忘れたのか!?」
覚えているが、あえてとぼけてみたところ、鶴木は狼狽した。
その様子がおかしくて笑ってしまいながら、
「冗談だ。ちゃんと覚えてる。俺に勝ちたいって話だろ?」
「あ、ああ……そうだ。その通りだ」
眼鏡のブリッジを持ち上げて、鶴木は気を取り直した。
「僕は君の力を認める。認めた上で――ハッキリと認識した上で、僕はいつか、君に勝つ」
「ああ、いつでも受けて立つさ」
「その言葉、覚えておけよ」
「どうかな。またすぐに忘れるかもしれない」
「はは、それなら心配無用だな」
鶴木はふと、空になったグラスに視線を落とした。
「お前の代わりだったかもしれないけれど、僕はこの大会に参加できて……良かった」
「それは違うだろ」
秋弥の言葉に、鶴木が顔を上げた。
「お前は俺の代わりじゃない。お前は、皆に必要とされたから、代表選手のひとりに選ばれたんだ」
代替存在。
誰かが、誰かの代わりになる。
それだって、必要な存在であることに違いない。
「……まったく。僕はやっぱり、君のことが嫌いだよ」
遠くの方で千景と、どうにかして女子学生の輪から抜け出したらしいスフィアが手を振っていた。鶴木は鼻を鳴らしながら、それでも何処か晴れやかな表情で、治安維持会メンバーのもとに向かって歩いて行った。
これでようやく静かになったかなと、空になったグラスを給仕人に渡して一息吐いた秋弥の視界に、鷹津宰治学園長と立ち話をしている聖奈の姿が映った。
二人の意外な接点――聖奈の後見人。
聖奈の持つ不思議な力の正体について、学園長は知っているのだろうか。
何ともなしに眼を向けていると、不意にこちらに顔を向けた聖奈と眼があった。聖奈は笑顔で学園長と別れると、すぐさま寄ってきた女子学生たちや男子学生たちに心の底から申し訳なさそうな顔で一人ひとりに丁寧な断りをしながら、秋弥の傍までやってきた。
「お疲れさまです、九槻さん」
「そっちこそ、お疲れさま」
大会前日の懇親会でもそうだったが、聖奈の見目麗しい容姿と物腰は周囲を惹きつける。直線距離にすれば大した距離もなかったのに、聖奈の頬はわずかに高揚しており、真っ白な制服や粉雪のような肌がその色をさらに引き立てていた。
「学園長と話をしてたんだろ? こっちきて良かったのか?」
自分とは学園でいくらでも話ができるのだからと思うものの、よくよく考えてみれば鷹津宰治は鷹津封術学園の学園長であって、天河聖奈は鷹津封術学園の寮生だ。それだけ聞けば学園長と会うことは簡単なことのように思えるが、学園長が学園にいることは滅多にないので、やはり自分と話をするよりも、学園長と積もる話もあったはずなのだが。
「はい。お話は終わっていましたので、心配はいりません」
ニコニコと笑顔の聖奈。
「それなら良いんだけどさ」
「九槻さんはお一人でいらしたのですか?」
「ん……ついさっきまで星条会長とか鶴木と一緒にいたんだけどな。ちょうど一人になったところで天河と学園長の姿を見かけたんだよ」
「そうでしたか」
聖奈が何処か嬉しげに微笑んだところで、突然音楽が鳴り出した。
音のした方に二人して眼を向けると、特設舞台で音楽演奏が始まっていた。
二人は少しの間、音楽に耳を傾けていた。
流れる旋律。
心地良いリズム。
四校統一大会が終わってしまうことへの物寂しさと同時に、達成感や充足感も胸の内から自然とわき上がってきた。
「終わってしまうのですね……」
聖奈がぽつりと呟く。彼女にとっても初めての四校統一大会で、しかも聖奈は封術という技術に触れてからまだ半年ほどしか経っていない。
それなのに学生自治会役員の一人として、わからないことばかりでも精一杯頑張ってきた数か月を振り返っているのだろう。
感慨深げに物思いに耽っている聖奈の揺れる瞳に、秋弥の眼は自然と惹きつけられていた。
「……どうかしましたか?」
瞬きひとつして顔を向けた聖奈から、秋弥は反射的に眼を逸らした。
「いや、何でもない、何でも」
「?」
「それよりも――」
きょとんとしている聖奈にそう言って強引に話題を変えようとした秋弥だったが、続く言葉がなかなか思いつかなかった。
「えっと、裏方作業ばかりでろくに観戦もできなかったけど、天河は四校統一大会、楽しめたか?」
それでも下手に間が空いてしまえば怪訝に思われてしまうかもしれないので、秋弥は取り繕うように訊ねた。すると――、
「はい、とっても」
瞬間、花の蕾も思わず綻んでしまいそうな満面の笑みを、聖奈は浮かべた。
「……そっか。そりゃ良かったな」
「九槻さんは、いかがでしたか?」
「俺も、まあそこそこ楽しかったよ」
「選手として出場していたら、もっと楽しかったのかもしれませんね」
「ああ、そうかもしれないな」
秋弥は適当な相槌を打つ。
舞台の上で鳴り響いている音楽も、そろそろ終わりが近づいていた。
「もうすぐ、終わりだな」
「ええ、そうですね」
「そうしたらまた、いつもの日々に戻るんだよな」
何を当たり前のことを言っているのだろうと思う。
だけども聖奈は、ふと悪戯っぽく微笑むと、
「行事は一時であるから楽しいと感じるのですよ。それに――変わらない日常があるということは、何よりも代えがたく、幸せなことなのだとわたしは思います」
そう言いながら秋弥の瞳を見返した。
「ああ、そうだな」
本当に、そうだと思う。
日常と――非日常。
その狭間にいる封術師だからこそ、日常が何よりも愛おしい。
共に笑って共に泣き、共に歩んでいける友人たちがいるということ。
音楽が鳴り止む。
続きはない。
続かない。
ここで――閉幕。
皆が音の余韻に浸っている間、しばしの静寂が生まれる。
秋弥もその余韻をしっかりと噛み締めながら。
日常へと回帰していくのだった。
(第3章『四校統一大会編』――了)
聞こえる。
呼ぶ声が聞こえる。
名を呼ぶ声が聞こえる。
聞こえる。聞こえる。
声。
聞こえる。
声だ。
呼ぶ声だ。
誰かを呼ぶ声だ。
誰だ。誰か。誰だ。誰だ。
声。聞こえる声。呼ぶ声。呼び声。誰かの。私を。呼ぶ声。聞こえる。呼んでいる。私は。
私は誰だ。
誰が私を呼んでいる。
誰が私の眠りを妨げようとしている。
誰が私の名を呼ぶ。
私の名。
名前を。
呼んでいるんだ。
私の名を。
確かに聞こえた。
私を知る者。
呼ばれた。
私を、呼んだ。
名前を呼んだ。
私を――特定した。
断定した。
確定した。
決定した。
決めた。
決めつけた。
私が此処に在るということを。
私の存在を。
世界に。
『星』に。
見つけた?
見つけた。
私は、私を見つけた。
名前を。
名前。私の名前。私の名前。私は誰だ。誰が私を呼んでいる? 私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。私は誰だ。誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰だ。
"可能性の魔女"
そうだ。かつてはそう呼ばれていたこともあった。
私はそう――"可能性の魔女"。
だけど、弱い。
それではまだ弱い。
私は私を固定できない。
私は私という存在を認められない。
私であって、私ではない。
誰だ。
私は誰だ。
私は、誰なんだ?
"――"。
聞こえた。
いま確かに聞こえた。
私の名を――呼ばれた。
本当の名。
本当の名?
ああきっとそうだ。
それが私の名だ。
私の名――だった。
ああっ!
世界が……世界が満たされていく!
私は、また世界に生まれることができる!
生まれ変わることが――できる!
瞳を開く。
満たされた世界だ。
満ち足りた世界だ。
ここが――私の新たな世界だ。
「お目覚めですか?」
白くて赤い。
うさぎがいた。
「……おやおや、まだ意識がはっきりとはされていないご様子ですね」
奇抜な格好をしたうさぎは慇懃な態度で喋っていた。
私はぼんやりとした瞳でその姿を見つめた。
「まあしかし、それはそれで構わないでしょう。ボクはボクの為すべきことを、貴女様は貴女様の為すべきことをすれば良いのですから」
ああ。
知っている。
わかっている。
私が生まれた意味。
私が――此処にいる意味。
「それではまた、再びお目にかかれる日を心よりお待ちしております――天河聖奈様」
それがいまの私の名前だ。
(第4章『可能性の魔女編』――)
第三章「四校統一大会編」はこれにて完結となります。
振り返ってみると第三章の一話目(第四十五話)を投稿してから一年以上が経過しているんですね。そして初投稿からちょうど2年です。無事に第3章を完結まで続けられて、実のところ安堵しています(笑)
以下、連絡です。
第三章の後書き的な駄文、および、第四章の連載形式、諸連絡事項について、近日中に活動報告にて報告させていただきます。
また、外章である登場人物紹介と世界観設定を、この第3章の後ろへ移動させます。中身に関しましても大きく更新しますので、宜しければ第4章の連載開始までの間に、振り返っていただけたらと思います。