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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第3章「四校統一大会編」
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第83話「こころのありか(中編)」


◆◇◆◇◆



 かつての私は、自分の役目に誇りを持っていただろうか。

 誇りを持って、自分の役目を全うしていたと言えるのだろうか。

 思い出す。

 思い出す。

 思い出せない。

 いいや、それは違う。

 記憶の忘却とは無縁の私が、それを思い出せないはずはない。

 ならば。

 ならばなぜ、私は思い出せずにいるのか。

 決まっている。

 私はただ、思い出すことを拒否しているだけだ。拒絶しているだけだ。

 隔離して、隔絶して、思い出さないようにしているだけだ。

 振り返りたくないと。

 思い出したくないと。

 だから私は、かつての私が抱いていた気持ちを思い出せない。

 思い出さない。

 その道にはもう、戻らないのだから。



◆◇◆◇◆



「九槻秋弥、貴様はいったい何をやっている?」


 四つん這いになりながら自分で蹴り飛ばしてあちらこちらに散らしてしまった白い破片をかき集めている少年に、私は訊ねた。


「ん、これ? ジグソーパズルだよ」


 ジグソーパズル?

 『全統符号』による言語の相互変換は等価の意味を持つ。

 だがしかし、私の知る言語の中にジグソーパズルなる言葉に該当する言葉はなかった。


「ジグソーパズルというのは?」

「は? 知らないの?」


 秋弥少年は目を見開いた。

 およそこの世界にジグソーパズルを知らない者なんているはずがないとでも思っていたのだろうか。

 それは何とも狭すぎる世界だな。

 私は自分が知らないことを棚上げしてそんなことを思いながら、そのまま少年に教えられるのは少し悔しかったので、まずは自分の推論を述べることにした。


「知らなくとも見ていれば大体の想像はつく。そうやってバラバラにした破片を正しい配置で並べて、元の状態に戻すことだろう?」

「なんだよ、知ってるんじゃんか」


 どうやら、見事に正解だったらしい。


「昨日から貴様がそうしているのを見ていたのだから、当然だ」

「え……昨日からって」


 集めた破片――ピースを白色の側が見えるようにひっくり返していた少年が顔を上げた。

 つい口を滑らせてしまったが、少年は「まあいいか」の一言でそれを済ませ、視線を白いピースに落としてしまった。

 まあいいことなのか?

 少年はピースの向きを揃え終えると、その中からいくつかのピースを手にとって、脇に避けていた木枠の内側に収め始めた。

 私が眺めていてもさして気にした風もなく――自分の家なのだから他人の目を気にする必要はないと言えばないのだが――最初の数個をテンポ良く置いていた少年の手が、急に止まった。

 どうやら、今手に持っているピースの置き場所を考えているらしい。

 ふむ……。

 私は膝を抱えるようにしてしゃがむと、木枠の内側――その一点を指で示した。


「そのピースは、ここに置くんだ」

「えー……」


 少年は半信半疑といった様子だったが、それでも割と素直に持っていたピースをそこに並べると、どうだろう。ピースはピタリと収まった。


「おぉ……」


 感嘆の声を漏らす少年。


「どうしてわかったんだ?」


 私は昨日、今よりもう少しだけ出来上がっていたジグソーパズルを見ていた。

 見ていたということは、記憶したということだ。

 記憶にある情報であるならば、私は『星の記憶』からそれを完全な形で取り出すことができる。

 その力を使って昨日までの出来具合を詳細に想起しただけなのだが、それを懇切丁寧に説明したところで、年若い少年は理解できないだろう。


「まあ私は、記憶力には自信があるからな」


 だから私は『全統言語』の相互変換に頼って、もっとも簡単な答えを返した。


「そっか」


 少年は短い言葉の後で、


「そういやお前、昨日から見ていたって言ってたよな? それじゃあ、昨日できていたところまで並べることもできるのか?」

「もちろんだ。何だ、人間。貴様はそんなこともできないのか?」

「できるわけないだろ、姉さんじゃあるまいし」

「ほぅ、貴様の姉は人間ではないのか」

「いや……人間だけどさ」

「それならば貴様だって同じ人間なのだから、できるはずだろう」

「そんなわけないだろ。姉さんは特別なんだよ」


 特別、か。

 それも所詮は種としての個体差にすぎない。木枠の内側に収められているピースのように、あらゆる情報体は存在定義の許容値から外れることなんてできないのだから。

 それに……代替存在が用意されているこの『星』に特別な存在なんて、それこそ『星の抑止力』でもない限り――。

 私はピースとその置き場所を交互に示しながら、昨日までと同じ状態になるまでそれを続けた。そうはいってもピースの総数に対して配置済みのピースは少なかったので、その作業もすぐに終わってしまった。


「……ホントに記憶してたんだな」

「当然だ。ひょっとして貴様、私の言葉を信じていなかったのか?」


 言葉は――言語は何よりも強い力を持つというのに。

 そんなことも知らないのか、人間という種は。


「そんな簡単に信じられるわけないだろ。でもまあ、ちょっとくらいは信じても良いかもな」

「ふん、生意気な人間だ」


 こちらとしても別にお礼を求めてやったことではないので、私は鼻を鳴らす程度に留める。

 それよりもむしろ――、


「人間――九槻秋弥よ」

「ん、なんだよ?」

「貴様はどうして、真っ白いだけの破片を並べているのだ?」


 私の疑問は――姿を現した理由は、まさしくそれだった。

 ジグソーパズルという遊戯らしいそれは、見ているだけで何となく理解できた。

 だけども、文字も柄もない破片を並べる遊戯の、いったい何が面白いのかと。


「ああ……。これはミルクパズルって言って、全部が真っ白いピースのジグソーパズルなんだよ。母さんの部屋から勝手に持ってきた」


 少年はそう言うが、答えになっていない。

 私はその呼称や出どころを知りたかったわけではない。

 秋弥少年がそれを並べている理由を、知りたかったのだ。

 そう思っていると、少年は言葉を続けた。


「まあ俺も、何が楽しいのか全然わからないんだけどさ」

「わからないのか」

「うん、わからない」


 それならば、何を思ってそんなことをしているのだろうか。

 少年は昨日の続きから白い破片を並べる作業を再開した。手近なピースをつまみ上げると、それをじっくりと眺めてから首を小さく振って元の場所に戻した。見たところパズルの外周部分は比較的簡単に揃えられるようだが、その内側となると四方をピース同士で合わせなければならないためか、難易度が上がるようだ。


「ミルクパズルってさ、文字とか柄をヒントにしてピースを揃えられないから、結構難しいんだよ」

「まあそうだろうな」


 ジグソーパズルという遊戯とそのルールを知ったばかりの私でさえも、そう思う。


「だけどさ、姉さんはこのパズルを完成させたんだ」

「?」


 唐突に、少年の姉――似通った遺伝子構造を持つ人間の話になった。

 少年の姉がこのパズルを完成させたから、いったいどうだと言うのか。


「だからさ、このパズルを完成させることができたら――」


 秋弥少年は顔を上げず、まるで私から表情を隠すようにして、


「――姉さんの気持ちが、少しくらいはわかるのかなって」


 そう言うのだった。

 姉の『こころ』を理解するためにパズルをしているのだと、秋弥少年は言うのであった。

 それでは、そこに少年の『こころ』は介在しないのだろうか。

 否、そんなはずはない。

 表情を伺うまでもなく、言葉から少年の心情が読み取れる。

 秋弥少年は、姉に対して憧れを抱いている。

 姉のようになりたいと。

 姉のようにありたいと。

 だからこそ少年の『こころ』は姉の真似をし、姉の『こころ』を理解しようとすることを選んでいる。


「…………」


 だけども、そうして出来上がったものは、まがい物でしかない。

 代替存在にはなれても、そのものになることはできない。

 本当に?

 本当にそうだろうか?

 『こころ』の在処を知らない私には、誰かの『気持ち(こころ)』なんて理解できない。わからない。

 それでも、そんな私にもひとつだけ言えることがあった。

 カチャ。

 と、そんな音が部屋の外から聞こえてきた。

 すぐ身近に秋弥少年以外の人間の気配を感じた。誰かが家の中に入ってこようとしているようだ。


「姉さんが帰ってきたんだよ」


 私が気配のする方に眼を向けていたからだろうか。少年がそう言った。


「そうか。それでは私は、そろそろ消えるとしようか」


 『負死の干渉』の対象である秋弥少年に姿を見せる分には、かつての私を思えば許容できるところなのだが、それ以外の人間に私の姿を見せるべきではないだろう。

 それも、私という存在自体が少年にとっての『負死の干渉』となり得る可能性を考慮してのことだ。


「えっ、お前どっかに行っちゃうのか?」

「……ああ」


 少年が意外そうに言うので、私は少々面食らった。

 本当はこの層から別の層に存在を移して姿を隠すだけなのだが、そんな懇切丁寧な説明はしない。


「そっか……」

「…………」


 別世界の存在である私に対して、少年は残念そうな声を漏らした。


「……なあお前さ、リコリス」

「なんだ?」

「……明日も、来てくれるのか?」

「……」


 明日も何も、この後だって私の姿が見えなくなるというだけなのだが……。まあ次に姿を現すときも秋弥少年が一人でいるときなのだから、その認識でもほとんど正しいのか。

 何にしても『負死の干渉』が少年の身に降り掛かるそのときまで、私は少年の傍にいるつもりだった。


「ああ、そうだな」


 そう答えてすぐに、私は空間領域に溶け込むようにして干渉状態を解いていった。

 その最中、私は私を見詰める少年から視線を外して、途中まで出来上がったパズルに眼を向けた。

 私にも――ひとつだけ言えることがある。

 少年が組み立てているそのパズルは、永遠に完成することがないということだ。



◆◇◆◇◆



「おかえり、姉さん」


 私が姿を隠すと、少年は部屋から出て行って、そう言った。

 少年の姉――つまり少年と血の繋がりを持つ家族に、そう言った。

 しかし、少年の言葉に対する返事はない。

 聞こえない。

 私には聞こえず、少年にも聞こえなかっただろう。

 やがて聞こえてくるのは、廊下を歩く音。階段を昇る音。何処かの扉が閉まる音。

 それだけだ。

 そうして私が異層領域に身を潜めたまま部屋から出てみると、立ち尽くしている少年を見つけた。

 少年は階段の方を寂しげな瞳で見詰めて立ち尽くしていた。

 どうして少年は、そんな眼をしているのだろう。

 どうして少年は、そんな表情をしているのだろう。

 その意味を、私はしばらくして理解する。


 少年は――独りだった。

 血の繋がった家族と暮らす家の中でさえ、少年は独りきりだった。


 少年が『特別』だと言った人間は、何処かから帰ってくるなり部屋に籠もったままだったから。

 少なくとも私は見ていないし、興味もなかったので自ら様子を見に行こうとは思わなかった。

 それでも……否、だからこそわかることがある。

 少年と彼の姉は、同じ家の中にいながら別々に生活をしているようなものだった。家族らしい振る舞いとは何かと問われれば、家族と呼べる相手のいない私には答えられないのだが――それでも彼らの在り方が正常な状態だとは思えなかった。


 会話をするまでもなく『こころ』を通わせているのなら良いのだが――。

 会話をしないことで『こころ』を閉ざしているように思えて――。


 そうして。

 日々が進む。

 日常が過ぎ去る。

 時間的概念は観測者によって伸縮する。

 私が体感する時間の進行速度は、少年が体感するそれとは違う。

 私にとっての一瞬は――。

 誰かにとっての、永遠かもしれない。

 そんなことを思いながら、私は少年を見守る。

 いや、手を差し伸べるつもりはないのだから、見守るという表現は少々ズレているのだろう。

 私はただ、見ているだけだ。

 眺めているだけだ。

 『負死の干渉』に呑み込まれつつある小さな人間の姿を、静観しているだけだ。

 日が経つにつれて、バラバラだったピースは収まるべきところへと収まっていき、真っ白なジグソーパズルは徐々に完成へと近づいていった。

 私が顕現した日こそ不注意というか不慮の事故によって一度崩してしまったものの、それは私の記憶力をもってして元の状態へと戻した。それからは毎日、少年は出来上がった部分を大事そうに抱えて別の部屋まで移動させ、翌日にはその続きからパズルを始めていたのである。

 そうだ――パズルが完成する日も近い。

 『負死の干渉』に呑み込まれるのと、どちらが早いだろうか。


「なあ、お前。俺がパズルやってるのを見てるだけで楽しいのか?」


 少年はパズルのピースから視線を外して、そう言った。


「楽しいとは思わないな」


 私は淡々と答えた。


「なんだよ……」


 その答えでは不服だったのか、少年は不満そうな声を上げた。それからまた黙り込んで、パズルの組み立てに没頭した。

 何が言いたいのだろうか。

 まあ楽しいとは思わないが、つまらないとも思わないと内心で付け足しながら、私もパズルに視線を落とした。


「そろそろ完成に近づいているようだが、貴様が望む何かは見えたのか? 九槻秋弥」

「どうだろ……まだわかんないな」


 おそらく少年の行いは徒労に終わるだろう。

 誰かの真似をしても、誰かの気持ちは理解できない。

 自分は自分であって、他の何者でもないのだから。

 誰かの『こころ』を理解しようとすることは、自分の『こころ』を理解することであり、そこには誰かの『こころ』を理解できたという自分の『こころ』が生まれるだけなのだから。

 それが自己を形成するということ。

 私が見失ったアイデンティティを創造するということ。


「母さんの部屋にさ」


 不意に、少年が口を開いた。


「いろんなものがあるんだ。変な機械とか、怪しいボタンとか、何だかよく分からない道具とか、いろいろ」


 それがどうしたというのか。

 唐突すぎて、話の流れが見えてこなかった。


「このパズルも母さんの部屋から見つけたものなんだけど……ってそれは前に話したか。まあこういうオモチャみたいなものも、探せばまだあると思うんだ」


 私は独白に近い少年の話を黙って聞いていた。


「だからさ……もう少ししたらパズルも完成するし」


 少年が手に持ったピースを木枠の内側に配置した。

 適当に取ったピースから配置しているように見えたのは、残りのピースが片手で数えられるほどしか残っていないからだ。こうなってしまえば残ったピースを配置する箇所は自ずと見えてくる。


「そうしたら、さ……お前も見てるだけじゃ退屈だろうし……だから、次はお前と一緒にできることをしようと思うんだけど」


 少年の声は口の中で転がしているようにモゴモゴとしていて、まるで恥ずかしがっているようにも聞こえた。


「ああ、それも悪くないな」


 たかだか数日、少年と共に在っただけで情が移るようなことはない。

 だけどもきっと、それは私の本心だったと思う。


「ホントか? 約束だぞ」

「良いだろう、約束しよう」


 ああ……私は残酷だ。

 そんな日なんて、永遠に来るはずがないのに――。



◆◇◆◇◆



 遠い記憶を振り返る。

 装飾も美化もない、記録と同じ意味を持つ記憶を、私は振り返る。

 それは"フィー"との短い思い出の一節。

 だけどもとても印象深い――記憶の断片。


「情報体と世界は存在証明を司るエリシオン光で結びつけられている。それは情報体が"存在としての死"を迎えることで切断され、分解された情報体の原質は次の段階へと変遷して循環する。それがこの『星』の基本原則だ」


 知っている。何よりも存在証明の『波』を操ることができる私はそれを知っている。


「"存在としての死"――この『星』のあまねく情報体は、世界に存在しているという、ただそれだけの理由で絶えず――いや、絶えるまでと言うべきかもしれないが――とにかく絶えず、いくつもの『死の干渉』を受け続けている。絶対的で避けようのない『確定未来』である"天寿"は言うまでもなく、収束点へと向かって枝分かれする可能性世界の中には、無作為的に生じる『死の干渉』というのもある。まあこれは釈迦に説法だったか」


 最後の言葉は意味がわからなかったが――否、言葉の意味は『全統符合』の力で伝わっていた。

 "フィー"はひとりで喋り続けている。

 聞いてもいないことを、語り続けている。


「やっかいなのはこの『無作為的に生じる死の干渉』だ。これによって情報生命体が"存在としての死"を迎えた場合、情報生命体は世界との関係性を断ち切れずに留まり、永遠に彷徨い続ける事がある。未練や執着、憎悪――そういった"心残り"というものは、『死の干渉』の負の側面ともいうべきものだろう」


 心残り……。なるほど、深く考えたことはなかったが、言い得て妙だ。

 『こころ』があるから、残る――心残り。

 『死の干渉』の負の側面――そんなものを抱いて私が"存在としての死"を迎えたとき、私の『こころ』は、ちゃんと残ることがあるのだろうか。


「さてこの『死の干渉』の負の側面……何だか言いづらいな。ああ、そうだ。わかりやすく、『負死の干渉』というのはどうだろう?」


 聞かれても困る。だけども『負死の干渉』か。確かに言いやすい。もっとも、それを言う相手がいればの話だが。

 "フィー"は私に問うておきながらも返事を待たずに続ける。


「さてこの『負死の干渉』による存在の"死"の運命は、"天寿"のように『星』によって定義された絶対的で不変的な『確定未来』による運命ではなく、かといって『可能性世界の収束』ほど強固な運命でもない。絶対ないとは言い切れないけれど、私に言わせれば"負死"の運命というものは――可能性のひとつにすぎない」


 "フィー"が可能性を語る。


「君も一度くらいは目にしたことはあるだろうが、たとえば大局的な運命――『星』や重層世界の可能性世界が収束する地点を変革することは不可能に近い。なぜならば、『星』によって定められ、導き出された強大な『可能性未来』を破壊して別の未来へと歩もうとする存在が現れたとき、『星』は己の手足である『抑止力』を世界に介入させることで『可能性未来』を在るべき形に正そうとするからだ。だけども"負死"の運命には回避できたという前例がある。それもひとつやふたつではないことは君が一番良く知っているはずだ。希少であることは間違いないだろうけれど、"死"以外の運命を選び取ったというその瞬間から、そこに可能性は生まれた」


 可能性について話す"フィー"はとても楽しそうだ。私は黙って耳を傾ける。


「その"死"が『確定未来』でもなく、『可能性世界の収束』でもなければ――『可能性未来』という名の強大な運命の歯車のひとつとして組み込まれていなければ、『抑止力』の介入を受けることはない。そして幾重にも枝分かれして折り重なり、あるいは絡み合って存在する可能性世界(うんめい)の中に、生き残るという可能性が――最終的には『確定未来』である"天寿"に行き着くとしても、それが"現在(いま)"に直結していない可能性を選び取ることができたならば――」


 "フィー"の姿がぼやけて――。


「"負死の干渉"は――回避できる」


 そこで私の記憶は途切れた。

 私はまた独りになった。



◆◇◆◇◆



「――あれ?」


 秋弥少年が怪訝そうな声を上げる。

 私は何事かと少年の視線を追って、すぐに気づいた。

 木枠の内側に配置されていないピースが、あとひとつだけになっていたのである。

 しかし、配置されるべき最後のピースが何処にも見当たらなかった。


「おかしいな……蹴っ飛ばしたときにどっかやっちゃったのかな」


 少年はその元凶たる私に非難の眼差しを浴びせるでもなく、何処かにあるはずのピースを探し始めた。

 私はその様子を眺めていた。


――いや。


 そうじゃない。

 私が目を奪われていた(・・・・・・・・)のは、そんな些末事ではない。

 九槻秋弥の全身を呑み込み、いよいよ許容量を超えて溢れ出した『負死の干渉』に気を取られていたのだった。


「ん?」


 そのとき、部屋の外から音が聞こえた。

 家の中には私と秋弥少年の二人しかいない。ならば聞こえた音は何だろうか。


「姉さんかな」


 時間を確認しながら少年は言うが、普段から考えればずいぶんと早い時間のようにも思える。

 だけども私は、これまでどおり異層領域に身を潜めた。

 たとえこれから『負死の干渉』が少年の運命を決めようとも、私がそれに干渉すべきではない。

 私が姿を隠したことを確認した秋弥少年が、ふと愁いを帯びた表情を浮かべたように見えたが、それは気のせいだったのかもしれない。

 部屋を出て行く少年の背中を見送る。

 粘着質の液体であるかのように少年の全身に纏わり付いて離れない『負死の干渉』を見送る。


 九槻秋弥が再び部屋に戻ってくることは――なかった。

第84話は2013/08/01 08:00~

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