第81話「開かれた扉」
★☆★☆★
事ここに至ってしまえば、隠していても仕方がないことだろう。
というよりも、隠す必要なんてない。
いずれは知れることだった。それが、早いか遅いかという違いでしかなかったのだから。
宿泊施設の一室。
鷹津封術学園の作戦会議室として利用されている部屋に集まった面々の顔を秋弥は見やる。
あの場に居合わせていた悠紀、スフィア、朝倉、亜子、千景、聖奈、鶴木に加えて、学生自治会役員の美空と時任も集まっている。二人は人間とまったく同等の干渉圧を放出しているリコリスが本当は高位の隣神であることを見破った様子もなく、ただ興味深げに眺めていた。
さすがにもう装具は仕舞っているが、朝倉たちが未だリコリスを警戒していることは一目でわかった。それぞれの胸中にはさまざまな感情が渦巻いているのだろう、複雑な表情をしている。
その視線の先にいるリコリスと秋弥の横に並び立った悠紀が、事前に秋弥から聞いた報告も含めて、今回の出来事の顛末を全員に説明し始めた――。
説明の途中で誰かが発言することはなかったが、会議室中がざわめくことは何度もあった。特にクラス1st級隣神の"原罪の獄炎"と邂逅したこと、そして"原罪の獄炎"が昨年度の封術事故に関わっていたことを聞かされたスフィアは、口出ししたくなるのをグッと堪えていたようだった。
そうして悠紀からの説明が全て終わると、いよいよ我慢も限界に来ていたスフィアが口を開いた。
「よくわかったよ。ありがとう、ユウキ。それで、どうしてシュウヤは異層の存在を感知したときに、ワタシたちにも話してくれなかったのかな?」
スフィアが言っているのは、二日前の夜中のことだ。
異層世界の存在が宿泊施設の周辺に現れた瞬間を、秋弥とリコリスは感知した。
その日、多くの封術師や封術師見習いが集まっていた宿泊施設で、誰一人としてそれに気づけた者はいなかった。その事実を聞いて皆が驚愕にざわめく中、スフィアだけが違うことを思っていた。秋弥が悠紀にだけそのことを報告していたことを知ったスフィアは責めるような視線を秋弥に向けたが、その詰問に答えたのは秋弥ではなく悠紀だった。
「貴女には……貴女たちには競技のことがあったからよ。感知したのも短い間だけだったし、不確かな情報で貴女たちに余計な不安を与えるべきではないと判断したのよ。わかるわよね?」
悠紀の話も一理あるが、それでも自分を頼ってほしかったという思いが勝ったスフィアは歯噛みしながらも、
「……わかるよ。それなら……仕方ないよね」
渋々といった様子で一応の理解を示した。
「だけど、クラス1stの高位隣神"原罪の獄炎"。その隣神は確かに、カグヤを殺したはずだと、そう言ったんだよね?」
「はい。シンフレアは俺を見て、そう言いました」
「そうかい……シンフレアね。その名前はもう覚えたよ。次に逢ったときは一発喰らわせてやらないと、ワタシの気が治まらないね」
これには悠紀たちも同意を示したが、秋弥だけは眉根を寄せると、シンフレアの纏う蒼炎について話した。
「それは難しいかもしれません。リコリスによるとシンフレアの纏っている蒼炎は俺たちの知っている炎とは性質そのものが異なるようで、非常に高い防御性能を備えていました。リコリスの手助けがあっても俺の装具や封術ではシンフレアの身体に傷ひとつ与えられませんでしたし、会長の光矢も簡単に弾かれてしまいました」
「……なるほどね。クラス1st級は一筋縄ではいかないということか」
会議室内の空気が沈む。
シンフレアと邂逅した悠紀たちはその強大な干渉圧を、身を以て感じたはずだ。
シンフレアの纏う蒼炎は異能の力だ。それに対抗するための作戦をしっかりと立ててから戦いに臨まないと、次は本当に命を失うことになるかもしれない。
「……なぁ、星条」
朝倉が重々しく口を開いた。
「お前たちは何か事情を知っているからそういう態度を取っているんだと思うが、それなら僕たちにも教えてくれ。その少女は、一体何なんだ?」
朝倉の言葉に、会議室に集まった多くの視線がリコリスへと向いた。
「"原罪の業火"がクラス1stだというなら、その少女もクラス1st級の高位隣神なんだろう?」
リコリスが隣神であることはまだハッキリとは伝えていなかったが、あの光景を――クラス3rd級の隣神を圧倒した力と秘めたる干渉圧を目の当たりにした朝倉たちは、リコリスが人間ではないことに気づいていた。
「えっ、ウソぉ!?」
「ど、どういうことだ?」
朝倉の言葉を聞いて驚いたのは時任と美空だった。
どう見ても人間そっくりな少女を見詰める二人の眼の色が変わる。朝倉や亜子がリコリスに対して向けていた警戒心の意味が何となくわかったのだろう。
「僕は九槻とその少女が一緒にいるところをずっと見ていた。"観察者"との会話中も、"原罪の獄炎"と戦っているときも、ずっとだ。だからきっと、その少女は僕たちの味方なんだろうと思う。だけど、もういい加減隠さなくても良いだろう?」
朝倉の視線が星条へと移る。
「星条が九槻を学生自治会役員に迎え入れると言った日、お前は装具選定の報告書を改竄したと言っていたよな。僕はずっと、その言葉が引っかかっていたんだ。あのとき、新一年生の装具選定を視察していたのは学生自治会長と治安維持会長の二人だけだった。二人はそのときに何らかの秘密を知り、それを隠した。だから二人以外の学生自治会役員や治安維持会メンバーはそのことを知らなかった」
「……まあ、一応補足しておくと、あのときマナスの門にいた一年三組の学生全員に、担当教師から箝口令が敷かれたんだよね。だからというほどでもないけれど、その一端を知っているのはワタシとユウキだけではないし、ここに集まったメンバーだと、ツルギも多少はこのことを知っているよ」
人の口に戸は立てられないというが、閉鎖的な施設内での出来事であったにも関わらず、今日までその秘密が公にならずにいたことはある種の奇跡的なことのようにも思える。封術学園が特殊な事情で創られた学校施設であったからか、ひょっとすると装具選定で顕現したクラス4thの隣神を討滅したことや、クラスメイトを護ったという事実の方が大きかったのだろうか。
あるいは単に、目先の問題から目を逸らしたかっただけなのかもしれないが……。
「それに、亜子は四月の終わり頃に課外活動で私たちと一緒に廃病院へ行ったとき、秋弥君と一緒にいるこの子を見ていたはずなのだけれど……」
「……はぃ、今はもうハッキリと思い出せますぅ」
亜子はそのときのことを想像して肩を小刻みに震わせた。
「……そうだとして、今この場にはそのことを知る者だけが集まっている。だから星条、九槻。その少女について知っていることを、僕たちにも話してくれないか?」
朝倉が真剣な表情を秋弥に向ける。
リコリスと秋弥の秘密。
その一部を知っている者もいるが、既にその全てを知っている悠紀を除けば、それは全員が最も知りたかったことだった。
「…………ねぇ」
「っ……!?」
「黙って聞いていれば、人間がずいぶんと好き勝手なことを言ってくれるわね」
ゆっくりと吐き出された言葉には、力があった。
言葉の圧力だけで、聞く者を畏怖させる力だ。
「クラス1st? 何それ」
リコリスが鼻で笑う。それは幼子の容姿に似つかわしくない仕草だった。
「リコリスが言ったことをもう忘れたの? 人間はつくづく学ばないわね。良いこと? リコリスのことを貴方たち人間の尺度で勝手に測らないで。とても――とても不愉快だわ」
紅の双眸に睨まれただけで、朝倉の心拍数は跳ね上がった。表情は強ばり、背筋を嫌な汗が伝い落ちる。
「それに、リコリスは貴方たち人間の味方ではないわ。秋弥様の味方よ」
人間と同じ外見、人間と同じ干渉圧を持つ少女の口から発せられた言霊の力で会議室内の空気が凍りついた。事情を全く知らされていなかった美空と時任に至っては身構えることすらできず、ただ呆然と立ち尽くしていただけだった。
「……その辺にしておくんだ、リコリス」
やがて発せられた言葉は、秋弥のものだった。
疲れたように吐き出されたその言葉に力は籠もっていなかったが、リコリスに対してだけは絶大な力を発揮した。
「だって……秋弥様!」
「いちいち気にしていたら、この先うまくやっていけないだろ?」
「それでも、リコリスは何も困らないわ」
「俺が困るとしても?」
「えっ……それは……」
リコリスは言葉に詰まって押し黙る。
秋弥を困らせることは、リコリスの本意ではない。
だけども他人に自分自身のことを好き勝手言われたくなかった。
「――わかっている」
リコリスの葛藤は、『意』の深い部分で繋がりあっている秋弥にもはっきりと伝わっていた。
「だから、これからみんなに俺たちのことを話す。そうしたらきっと、わかってくれるから」
「――うん」
そうすることでリコリスと一緒にいられる場所を作るために――秋弥は会議室に集まった全員に顔を向ける。
リコリスの威圧感に当てられた朝倉たちの表情は、未だに強ばったままだった。その表情からは、警戒心よりも恐怖心の方が強く感じられる。
当たり前だ。自分が逆の立場だったならば、彼らと同じ思いを抱くだろう。
それは彼らが封術師の見習いだから、ではない。
たとえ封術師であったとしても、現層世界に生きる人類にとって、最も危険な存在としてヒエラルキーの頂点に君臨するクラス1st級の高位隣神が目の前にいたならば、恐怖せずにはいられないはずだ。
だけど――その恐怖心の大部分を占めているのは、未知の存在に対する恐怖心だということを秋弥は知っている。
だからまずは、みんなに自分たちのことを知ってもらうところから始めなければならない。
「もう今更隠すつもりはありませんよ、朝倉先輩。すべて、お話します」
そして――。
★☆★☆★
秋弥が口を開き、続く言葉を口に出そうとした、そのときだった。
――コンコン。
と、扉をノックする音が響いた。
ノック音がしたということは、扉の向こう側に誰かがいるということだ。
これから高位隣神リコリスに関わる大事な話を始めようかというこのタイミングで、いったい誰がやって来たというのか。
全員の視線が扉側に集中する。その様子から、誰もが来客者の存在を事前に知らされていなかったことがわかる――否。
「どうぞ、お入りください」
悠紀だけが――学生自治会長である彼女だけが、扉の向こう側にいる誰かに向かって、明確な反応を示した。
それは、来客者が誰であるかを知っているということだ。
悠紀の声に反応して、施錠されていた扉が解錠される。
扉の施錠と解錠が機械化されてから、ずいぶんと経つ。当然のことながら来客者通知も同様に機械化されているため、扉をノックして内部に自身の存在を知らせる、という慣習はもはや失われつつある。
故に、そういう習慣がない若者の大半は、扉をノックするという行為をしない。だからもしもそれをする者がいるとすれば――その者は扉をノックする必要があった時代を生き、あるいはそういう環境で育った者に他ならない。
扉がゆっくりと開く。
果たして、その来客者とは――、
「失礼するよ」
第一声は、落ち着いた、ゆったりとしたものだった。
「お待ちしておりました――」
悠紀の言葉が続くよりも早く、学生たちはピンと背筋を伸ばした。別種の緊張感を漂わせ、来客者の姿を認める。
現れたのは、蒼の外衣を纏った老人――
「――学園長」
――鷹津封術学園の創設者にして、学園長である鷹津宰治だった。
その姿は、写真や資料で幾度として目にしたことがある。
しかし、実際に自分の眼で見るのは、数えるほどでしかない。四校統一大会の開催期間中を除けば、学園にも滅多にいることがないからだ。
彼に続けて封術教師の袋環樹も入ってきた。
まさか自分たちの担任教師でもある袋環が学園長と一緒に現れるとは予想していなかった秋弥は目を見張った。
学園長は柔和な表情で会議室内を眺めると、
「私に気を遣わず、楽にして良いよ」
かしこまったままの学生たちに向けてそう言った。
「さて……もしや話の途中だったかな?」
「いいえ、ちょうどこれから始めようとしていたところです」
「それなら結構。なかなか手が離せなくてね。袋環樹君の助力がなければ、ここに来るのがもう少し遅くなっていたところだよ」
すると、学園長の顔が秋弥の方へと向いた。
「……ッ」
穏やかな表情の奥から一瞬だけ垣間見えたその眼光は、開会式の学園長挨拶のときに感じたものと似ていた。だがそれも、秋弥の気のせいだったのかと思うほどにあっさりと、柔らかい種類のものに変わった。
「君が、九槻秋弥君だね?」
「はい」
「なるほど……こうして間近で見ると、君も九槻綺羅君と良く似ている」
感慨深げに学園長は言う。
君も、というのは、姉の月姫と自分を指して言っているのだろう。
しかしなぜ、ここで母親の名前が学園長の口から出てくるのか。
「母を……知っているのですか?」
「ああ、仕事の関係でね」
何の仕事かを言わないところを見ると、学園長も母親の事情を知っているらしい。
九槻綺羅――またの名を空木里香。
学園長が知っているのは、秋弥の母親としての彼女ではなく、第八国際封術研究所の所長としての彼女だろう。
「九槻綺羅君には何度もお世話になったものだよ。あれほど聡明な人を、私はほとんど知らない」
頭は良くても、言動がどうかはさておくとして。秋弥は内心で付け加えた。
「かといって仕事一辺倒の人なのかと思えば、君と九槻月姫君のことになると途端に饒舌になるものだからね。私はこうしていつか、君と会える日を楽しみにしていたものだよ」
あの母親は外でいったい何をやっているんだ!
辟易しながらも、むしろ秋弥は母親が外部で自分の家族――つまりは空木里香としてではなく、九槻綺羅としての話をすることがあることに驚いた。
「それに――」
続いて学園長は、聖奈に眼を向けた。
「どうだね、聖奈君。学園にはもう馴染めたかね?」
優しげな表情で学園長が訊ねる。それは聖條女学院から異例の入学を果たした学生を気に掛けていたというよりも、むしろ……。
「はい――みなさん、とても良くしてくださいますから」
聖奈が笑顔で応じる。その声は親しげな者に対して向けるような独特の感情が込められていて……。
「ですからご安心ください、叔父様」
「――ッ!」
封術学園の学園長を、聖奈は「叔父様」と呼んだ。
それが何を意味しているのか、想像に難くない。
だけどもいま、その答えを聞く者はここにはいなかった。
それは話の脱線を招くだけであり、それよりも圧倒的に――早急に知らなければならないことがあったからだ。
久しぶりに顔を合わせたのであろう聖奈との会話もそこそこにして、学園長はこれまで意図的に避けていた視線を、ようやくリコリスへと向けた。
『始まりの封術師』――鷹津宰治の双眸がリコリスを見つめる。
「さて、それでは学園の問題を解決するため、私にも君たちの話を聞かせてもらおうかな」
★☆★☆★
今日起こった出来事の大筋は、既に学園長と袋環の耳には入っていた。
否、眼に入っていたというべきか。
会議室に集合する前、"観察者"との邂逅から悠紀たちが駆けつけるまでの出来事を報告した秋弥は、悠紀が話を聞きながら報告書を作成しているところを見ていた。
おそらくその後すぐに、完成した報告書を学園長へと送ったのだろう。
その理由は――今更考えるまでもない。
リコリスのこと。
そして、秋弥とリコリスの関係を知ってもらうためだ。
「この子は――リコリスはクラス1stにカテゴライズされる高位の隣神です」
この話をするのは、装具選定のとき以来になるのだろうか。
ただあのときと違うのは、この場に集まっている者たちのほとんどが、封術に精通しているということだ。
封術師と、隣神の在り方に精通している者たちであるということだ。
「ですが……リコリスはいま、ある事情で俺と存在を共有しています」
「存在を、共有?」
スフィアが頭の上に疑問符を浮かべた。
彼女だけではない。朝倉や亜子たちもどういう意味かという眼を秋弥に向けていた。
「それは重層同位体とは違うんだよね?」
「はい。重層同位体は全く同一の構造情報を持っていますが、重層する世界で存在が――情報体の存在を世界に定義している存在証明光波が異なっています。ですが、俺とリコリスはその逆なんです」
「……つまり、シュウヤとその子は別々の構造情報を持っているけれど、エリシオン光波のパターンが完全に同じだということだね? だから、存在を共有していると」
スフィアが半信半疑であることは声の調子からもわかる。
現実に――世界多重層構造理論に基づいて考えれば、あらゆる情報体はエリシオン光波が一意となる固有振動パターンを持ち、自身の存在を唯一のものとして世界に定義付けている。
そのエリシオン光波のパターンが同一である存在がこの重層世界にいることは理に背いていると、そう考えているのだろう。全く以てそのとおりだと同意したいが、現実に存在しているものは認めるしかない。
「一つの情報体に二つの『意』というところか……」
学園長が独り言のように呟く。
「俺とリコリスがこうなった事情については後でお話しますが……結果的に現在のリコリスは俺と存在を共有したことで、本来有していた力の大半を失っています」
「馬鹿な!」
朝倉は思わず叫んでいた。
"原罪の獄炎"や蛇頭の隣神と戦っていたときのリコリスの干渉圧を思い出したのだろう。否定したくなる気持ちもわかるが、"原罪の獄炎"が評していたように、今のリコリスの力は、秋弥と出会う以前に比べたら明らかに弱くなっているのである。
「いいえ、リコリスは確かに本来の力を失っています。その証拠の一つが、これです」
そう言って秋弥は、左手の甲を皆に向けた。その瞬間、人差し指に嵌められていた指輪が突如として一振りの剣へと変わった。
赤より紅く、血よりも紅い――真紅。
それは複雑に絡み合った蔦のように歪で、禍々しい形の剣を、秋弥は呼吸をするように自然に召喚して見せた。
「……な、んだ。その剣は?」
秋弥の装具が蒼い流剣であることを知っている朝倉が震える声で訊ねた。すると秋弥はさらに反対の手に、蒼の装具を召喚して見せた。
紅と蒼――二振りの装具。
「まさか、その紅い剣は『神器』なのか?」
朝倉はリコリスが同種の剣を使っていたところも目撃しているので、そう考えたのだろう。
だけどもこの剣は『神器』とは別種のものだ。
「これは異能型近接系魔剣『紅のレーヴァテイン』。リコリスの装具です」
「なっ……!?」
それだけ言って息を呑むのが、いまの朝倉の精一杯だった。
「異能型の装具……それも隣神の――リコリスの『装具』だと、君は言うのかね?」
朝倉の代わりに学園長が訊ねた。
「はい」
秋弥の短い返事に、深く刻まれたしわが微かに動いた。
学園長の瞳が秋弥の掲げる装具を見詰めていた。
「……なるほど。『神器』は元々が道具や術具であったものを指すが、『装具』は『意』から生まれるものだ。九槻秋弥君と高位隣神リコリスが存在を――情報体を共有しているというのならば、互いの『装具』もまた、扱えるということなのか」
これから説明しようと思っていたことの一部を先に言われてしまった秋弥は首を縦に振って肯定する。
「しかし、私はこれまでに様々な装具を見てきたが、『神器』でさえ異能型に分類されるものはほとんどないのだよ。その装具が記録上登録されていないものであることは理解したが、君が装具を異能型であると結論付けた、その理由を聞かせてもらえるだろうか」
もちろん、その話はこれからするつもりだった。
装具の分類は心の――『意』の在り様によって決まる。
強化型、特殊型、そして異能型。
これらの分類で、異能型だけは『意』の在り様に説明が付いていない。逆説的に、説明できない『意』の在り様こそが異能型の装具を生み出すとされるのだが、人が人で在る限り、異能型の装具は決して生まれないという見方もある。
秋弥はもう一度首肯すると、魔剣にちらと視線を向けた。
「元々異層世界の存在だったリコリスは、存在の共有によって存在証明の定義を現層世界に移したことで、本来の力を失ってしまいました。だけど、本来の力の一部は、装具という形でリコリスに残りました」
「その、本来の力というのは?」
「…………原質への直接干渉――その中でもリコリスは、原質『波』への干渉に特化していました」
今度こそ――いよいよもって今度こそ、学園長が表情で驚きを示した。
その事実を知らなかった袋環やスフィア、鶴木たちも一様に息を呑む。学園長は言葉の真偽を探るように、改めてじっくりと真紅の装具を見詰めた。
「……今更説明は不要だと思いますが、九つある原質の中で、情報体と世界を――『星』を関連付けている要素は『波』だけです。あらゆる情報体の根源――存在証明の根底にあるエリシオン光波そのものである『波』を自在に操る異能の力。それこそがリコリス本来の力であり、この魔剣にはその力の一部が宿っています」
信じられないというのならば、それこそが信じられないことだろう。
だがしかし、その疑念もすぐに晴れることになる。
秋弥はここまで黙って話を聞いていたリコリスの方を見た。
リコリスが何を感じて、何を思い……何が起こった結果、今こうして自分が生きていられるのか。
視線に気づいたリコリスが秋弥を見上げる。真紅の装具よりも遙かに澄んだ美しい虹彩が、秋弥の心理を見透かすように見詰め返した。すべてを秋弥の意思に委ねているリコリスの表情に、一切の陰りはない。
秋弥は再び学園長たちの方に向き直ると、
「『波』を操る異能……その力をもって、俺とリコリスは一つの存在となりました。これからその一部始終を追想していただこうと思います」
「……秋弥君、追想ってどういうこと?」
疑問を投げ掛けたのは悠紀だった。既にリコリスと秋弥の関係を知っている悠紀だったが、そのときは言葉で伝えていたので、今回もそうするものだと思っていたようだ。
あのときは相手が悠紀だったからそうしたというだけで、全員に納得してもらうにはこの方法が最適だと秋弥は考えた。
「会長には口頭で説明しましたが、実際にこの魔剣が『波』を操れるということを実証して見せた方がわかりやすいでしょう。追想は言葉のとおり、過去を思い出すということです。この魔剣の異能によって、この場に集まっている全員に、俺とリコリスが出会ってから存在を共有するまでの出来事を振り返っていただこうと思っています」
「……ほう。そんなことができるのかね?」
『始まりの封術師』鷹津宰治が興味深げに訊ねた。
「はい。あらゆる情報体と『星の記憶』を繋いでいるものもまた『波』であるため、可能です。さらに付け加えると、記憶情報は『星の記憶』から受け取るものなので、一点の曇りもない真実の記憶となります――ただし」
秋弥は一瞬言い淀んだ。
言い淀んで、険しい表情を見せた。
「追想するためには魔剣の固有装術を使いますが……この術式では対象の記憶情報が行使者の『意』に直接流れ込むことで、強制的に対象の記憶情報を認識させます」
「……あっ」
悠紀がハッとしたように声を漏らした。
これから秋弥が魔剣を使って何をしようとしているか、思い至ったのだろう。
原質『波』を操る異能の魔剣『紅のレーヴァテイン』。
リコリスが生み出したこの魔剣は、対象となる情報体の『波』から本来在るべき世界の固有振動パターンを読み取り、その世界へと通じる『門』を魔剣の刀身に創り出すという特異な性質を宿している。
刀身に対象の世界を映した魔剣は、存在そのものに影響を与える刃となる。リコリスはこの力を用いることで"原罪の獄炎"の蒼炎を切り裂き、驚異的な再生力を持つ蛇頭の隣神を圧倒することができたのだが、しかし、使い道はそれだけではない。
世界を映した魔剣は文字どおり――意味どおりの『門』としての役割も果たす。
すなわち、現層世界と異層世界を繋ぐ門。
それが魔剣の固有装術『狭き門』――"ゲート・オブ・バビロン"。
対象を情報体の最小単位である原質まで分解して魔剣で取り込み、対象を本来在るべき世界で再構成するこの術式では、対象の原質を魔剣で取り込む過程において、ある現象が発生する。
その現象とは――対象が強く思い抱いていた記憶の再生現象である。
「秋弥君、それは――」
「――ですから」
おそらく制止の言葉を掛けようとした悠紀の言葉にかぶせながら、秋弥は言った。
「先ほどは過去を思い出すとか振り返るという言葉を使いましたが、実際にはそんなに生易しいものでも、軽々しいものでもありません。自分自身の意識に他者の記憶情報が無理矢理介入することで、見ず知らずの記憶がまるで自分自身の記憶であるかのように想起されるんです」
秋弥が口にした言葉の意味を全員が理解するまで、ずいぶんと時間が掛かった。
理解して、沈黙した。
やがて声を発したのは――おそるおそる言葉を発したのは、スフィアだった。
「それは……シュウヤ、とても危険な術式ではないのかい?」
その疑問はもっともで――至極真っ当なものだった。
「……正直に言えば、リスクがないとは言えません。頭の中をかき回されるような感覚による頭痛や吐き気は最低限なものとして、それ以上の――たとえば記憶の混乱や意識の混濁、最悪の場合は自我の消失も起こり得るかもしれないと認識しておいた方が良いでしょう」
ぞっとするような話だが、可能性が全くないとは言い切れない。
秋弥自身、何度もこの術式を行使してきたが、これまでは偶然、何ともなかったというだけかもしれないのだから。
あるいは既に、何処かが壊れてしまっているのかもしれないが――。
「ですので、強制はしません。そういったリスクを承知した上で、それでも真実の記憶を知りたい方だけが――その覚悟が出来た方だけがこの部屋に残ってください」
そう言って、秋弥は全員の顔を眺め回した。
術式の効果範囲を部屋内に限定するため、術式の発動中は効果範囲外に出て行ってもらうしかない。
皆、それぞれに思い悩んでいるようだ――術式によるリスクと得られる情報の確度を天秤に掛けているようだった。
もちろんここで退出した者には後ほど、会長にした説明と同じことを話すつもりだったので、秋弥としては皆がどちらの選択をしても一向に構わなかった――のだが、
「――私はもとよりそのつもりで来たのだから、ここに残らせてもらうよ」
予想どおりというか予定調和というか、やはり学園長がいの一番に承諾をした。
すると、袋環も学園長に賛同して首を縦に振り、
「私も自治会長として――ううん、星条家の者として真実を知る義務があるわ」
「もっと素直になりなよ、ユウキ。シュウヤたちのことをちゃんと知っておきたいってね」
続いて二人の会長が頷き、
「……僕は正直、これから九槻が見せるという記憶でさえ、実は改竄されたものなのではないかと疑っている。だけど、ここまで聞いておいて今更後には引けない」
「…………わたしも、知るより視る方が良いですぅ」
「リスクというのなら、高位隣神がこの場に顕現していること自体がリスクだろう」
「他人の記憶を追想できるなんて、こんな機会は二度とないかもしれないですから」
朝倉、亜子、鶴木、千景が次々と言い、
「俺はまだ何だかよく分かっていないけれど、ここで自分だけが出て行くわけにもいかないよな」
「え、ひょっとして抜け出す機会を逃しちゃった感じ?」
時任と美空が受動的な覚悟を決め、
そして最後は――、
「これまで九槻さんが大丈夫だったのなら、今回も大丈夫だと思います」
そんなはずはないだろうが、聖奈が秋弥への信頼を前提としているとも捉えられる答えを返した。
「……わかりました」
そうして一人も退出する者がいないことを確認し終えた秋弥が頷くと、そっと差し出されたリコリスの小さな手を掴んだ。
以心伝心、というよりも。
お互いの意思がひとつの意思であるように、そうすることが当たり前というような自然さで。
それでも肌と肌が触れあうことで感じる互いの体温は異なっていて――その温度差が、すぐそばでリコリスが生きているということを証明してくれていた。
小さな手を引いてリコリスの身体を腕に抱くと、秋弥は握っていた魔剣の大きく掲げた。
手首を返してその切っ先をリコリスの胸へと向ける。
瞬間、会議室内を対象として『領域支配』の術式を発動させた。話の最中に構築していた領域支配術式の効果によって、全員に『狭き門』の付随効果である記憶の追想が行われるように仕向けたのだ。
全ての準備は整った。
あとは強い思いを抱いたまま――リコリスの身体を魔剣で貫くだけ。
「……いいよ」
リコリスがそっと目を閉じる。
この魔剣がリコリスの胸を貫けば、リコリスの身体は無数の原質となって本来在るべき世界へと還っていく。
リコリスの、本来在るべき世界。
その世界はいま、現層世界であるという事実とともに。
異層世界の存在を隣神とするならば、現層世界の存在となったリコリスはやはり、人間ということになるだろう。
隣神の元々の語源が隣人であるように、自分たちと近しい存在として、リコリスを皆に認めてもらうために。
秋弥はゆっくりと腕を動かした。
魔剣の切っ先が、リコリスの胸に突き刺さる。
しかし刃はリコリスの服や身体に一切の傷を与えることなく、溶けるように吸い込まれていく。
そこからの光景は、幻想的であり、神秘的だった。
真っ赤なワンピースを着た少女の全身から溢れだした九つの原質の光が二人を包み込み、瞬く間に九つの色の光の奔流が会議室内を満たした。
『地』の黄色。
『水』の翠色。
『火』の赤色。
『風』の緑色。
『虚空』の黄色。
『意』の白色。
『理性』の黒色。
『自我意識』の赤紫色。
『波』の無色。
それらは秋弥自身にしても未だかつてないほど強い光だった。領域支配をしていなければ、そのあまりの圧力に術式が発動途中で解除されてしまいそうなほどに――。
それだけの膨大な存在の力を、リコリスはその小さな身体に秘めていたということだ。
秋弥は魔剣の制御に意識を集中させる。
魔剣の刀身は半ば部分がリコリスの身体に埋まっている。胸を貫いて背中から飛び出した刃に、溢れだした原質の光が次から次へと吸い込まれていく。
徐々に薄れゆくリコリスの身体を――その体温を感じていながら。
秋弥は――リコリスは、思い抱く。
過去の記憶を。
現在に繋がる記憶を。
リコリスとの出会いを。
秋弥との出会いを。
そうして――。
秋弥とリコリスの六年前の記憶が、花開いた。
次回からようやく、秋弥とリコリスの出会いの話になります。
(((ここまで約二年も掛かってしまいました……