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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第1章「封術師編」
8/111

第7話「隣神」

★☆★☆★



 時間はほんの少しだけ遡る。

 秋弥が『マナスの門』を潜ってからずっと、綾は一人で鳥居の方を見詰めていた。


「あれ、シュウ君は?」


 すると、女子グループから離れて戻ってきた玲衣から声を掛けられた。


「さっき、装具選定を受けに行ったよ」

「そっか」

「あれ、牧瀬と朱鷺戸さんだけなの?」


 続いて堅持が二人のところへ戻ってきた。

 堅持の問いが前の玲衣と同じものだったことに苦笑しながら、綾は答えた。


「はい、九槻さんは装具選定に行きましたよ」


 同じ問いかけに対して、今度は丁寧語で答える。

 彼女の家系——朱鷺戸家は、血統を母方に求める女系制の家系だった。

 その直系である綾は、幼い頃より母親から封術の手ほどきを受けて育ってきた。

 反面、あまり男性とは接する機会に恵まれなかったのである。


(頭ではわかっているのに、難しいなあ)


 男の人とどのように接していいのか。

 綾はその距離感を掴めずにいた。


(やっぱり、よそよそしいって思われちゃうのかな)


 だけど幸いなことに、「ふぅん」と応じた堅持に気分を害した様子は見られなかった。

 そもそも堅持と面識を持ったのは今日が初めてなのだから、綾のよそよそしい態度は別段不自然なものではなかったのだが——生真面目な性格の彼女にはそのことにまで気が回らなかった。


「じゃあ三人で待とうぜ」

「そうだね。そうしよっか」


 そんなことを考えているうちに、堅持と玲衣は二人で話を進めてしまっていた。


(どうして二人は、こんなにすぐに仲良くできるのかな)


 とてもじゃないけど自分には真似できそうもないなあと、綾は思う。


「そうだ。ねぇねぇ、綾の装具ってどういうのなの?」

「私の装具ですか?」


 急に話を振られて、綾は眼を白黒させた。


「うん。見せてほしいなぁ」

「あ、オレもちょっと気になるな」

「えっと……、ちょっと待ってね」


 興味津々といった様子で瞳を輝かせる玲衣の視線に半ば押されるようにして、綾は両の手を首の後ろに回すと、首飾りを外して手の中に収めた。


「綾の装具はネックレスにしてるんだね」


 玲衣の言葉に頷く。

 心象世界を通じて手に入れた装具はそれ以後、指輪や首飾りのような装飾品の形で待機させておく場合が多い。

 これは封術師が装具を召還させる際に、装具が別の形を持って存在している方が、召還に要する時間を短縮できるからである。もちろん、訓練すれば形を保たなくても装具の召還は可能になる。

 綾は首飾りを両手で包み込むと、祈りを捧げるように額へと持っていった。


(——きて)


 瞬間、首飾りは装具へと形を変えていた。

 両手を胸の前まで下ろす。

 装具の召還には、情報体の事象改変に伴う過剰光(オーバーレイ)は発生しない。

 装具召還のプロセスは事象の改変とは少し異なるらしいのだが、詳しいことは綾にもわからなかった。


「これが、私の装具です……」


 恥ずかしげに目元を伏せながら、両の掌を上にして装具を玲衣たちに見せる。


「えっ……でもこれって」


 と、玲衣の口から戸惑いの声が漏れた。


「これが、装具なのか?」


 堅持の口からも同じ種類の声。


「どうみても、御札だよね?」


 綾の両手——その親指を除く八本の指の間には、合計六枚の札が挟まれていた。

 表面に紋らしき模様が刻まれたそれは、御札そのものだった。


「これは術符『祈札(いのりふだ)』です」


 二人にまじまじと見詰められて、綾は頬をほんのりと上気させた。


「へぇ……朱鷺戸さんの装具は刃のない装具なんだ」

「すっごい。あたし、初めて見た」

「オレもだぜ。といってもクラスの奴らの装具しかしらねぇんだけど」

「装具は『心の刃』なんて言葉があるくらいだもんね。……あれ、刃の心だっけ? まあどっちでもいっか。とにかく珍しい装具なんだよね、きっと」

「私の家系では……、その、皆こういう形の装具だったから……」

「あっ……と、ごめんごめん。こらっ堅持! いつまでジロジロと見てんのよ」

「あ、いてっ!?」


 暗がりでもはっきりとわかるほど綾が赤面していることにようやく気付き、玲衣が慌てて謝罪の言葉を口にしながら、脇に立つ堅持の頭を軽く叩いた。


「ったく、少しは手加減しろよな……。ごめん、朱鷺戸さん。気ィ悪くさせたか?」

「いえ、良いんです。こちらこそごめんなさい。つまらないことでお二人に変な思いをさせてしまいました」

「うぅん。装具を見せて、なんて言ったのは私たちなんだから、綾が謝ることじゃないよ」


 ばつが悪そうに語気を弱めた玲衣に、綾は頭を振って応じた。


「……えっと、私の装具は見てのとおりの御札で、沢村さんの言うとおり、刃はありません」


 気まずい雰囲気を打開するため、綾はその発端となった装具へと話題を向けることにした。


「……ふぅん、なるほどな。そういうタイプもあるんだな」

「これはどんなカテゴリに含まれるの?」

「特殊型遠隔系術符だよ。絶対数は少ないから……うん、少し珍しいかもしれないね」


 答えながら、朱鷺戸家の封術師は皆が同系統同形状の装具だからあまり気にしなかったなあ、と綾は思った。

 装具は人の心が具現化して形を得たものだと言われているが、その心の有り様が家庭環境に依存するものなのか、はたまた血縁に依存するものなのか、その謎は未だ解明されていない。

 だがしかし、『星鳥(ほしどり)』に連なるほとんどの家系は、系譜レベルで同系統同形状の装具を持っているという事実もまた、確かに存在している。


「特殊型かぁ。ちなみにオレと牧瀬は強化型だぜ」

「私たちとはタイプからして完全に違うんだねっ」

「お二人とも、個性があって良いと思います」


 別段意識したわけではないが、半ば以上自身の血縁に対する皮肉が篭められた台詞を、綾はうっかり口に出してしまった。

 しかし、彼女の家庭事情を知らない二人は特に気に留めた様子もなく、「そうだよな」と頷き合っていた。


「そういえば、綾はいつ頃に装具選定を受けたの?」

「中学校に進学した頃だから……、だいたい三年前くらいかな」

「じゃあ三年も先輩だね。これからは調律についていろいろ教えてね」


 はにかむような玲衣の笑顔に、綾も微笑を返す。


「封魔はオレに任せろってんだ」


 仲間はずれにされたと思ったのだろう。堅持が拳を握って息巻く。


「私たちにはシュウ君がいるから、堅持の出番は皆無だね」


 だがそれを、玲衣は冷たくあしらった。


「ん……、秋弥?」


 と、今までならばすぐに突っかかっていたはずの(綾の視点からでもそう見える)堅持が、玲衣の言葉に疑問符を浮かべた。


「そういや秋弥のヤツ、まだ戻ってきてないのかよ」


 堅持の呟きに、綾はすぐさまカード型端末で時刻を確認した。


「……もうそろそろ五分くらい経ちますね」

「五分って、すっごい遅くない?」


 現層世界と心象世界では時間の流れが異なっている。それは三人ともが身をもって体験済みのことで、同時に自身の体感時間に対して現層世界の時間はほとんど進んでいなかったことも知っていた。


「おいおい。まさか心象世界(むこうがわ)で何か問題が起こったわけじゃないだろうな」


 不安げな声で呟いた堅持を、玲衣はキッと睨み付けた。


「バカなこと言わないで! シュウ君に限ってそんなことがあるわけないよっ!」

「おあっ……わ、悪かった」


 思いがけず本気の怒気を含んだ玲衣の口調に、堅持は反射的に己の非を詫びた。


「……とりあえず、先生のところに行ってみませんか?」


 急に声を荒げた玲衣に驚いて身を強張らせていた綾だったが、立ち直ると、二人におそるおそるそう提案した。


「そうだな。牧瀬も一緒に行こうぜ」

「うん……」


 堅持を先頭に、三人で袋環のところへと向かう。

 何事かとこちらを注目する袋環に、堅持が代表して尋ねた。


「すみません。秋弥……九槻が五分以上経ってもまだ戻ってきてないんですけど」

「何?」


 袋環が名簿に視線を這わせる。おそらく名簿にメモした門の入出時間を確認しているのだろう。


「……ふむ。確かに少し遅すぎるな」


 名簿から視線を上げた袋環が眉をひそめる。


「しかし、マナスの門は他人の干渉を完全に断絶する。中で何かあったとしても、私たちにはただ待つことしかできない」


 袋環が眼を伏せて首を横に振る。聞き様によっては冷淡とも取れる言葉と仕草に、堅持が苦い顔をした。


「……お前たちが心配する気持ちもわかるが、現実世界と心象世界のズレは必ずしも等価であるとは限らない。例えば現層世界(こちらのせかい)での五分が心象世界(むこうのせかい)での三十分かもしれないからな」


 気休めを言っている風ではないのは、袋環の真剣な口調からでも感じ取ることができた。


「だからお前たちも、あまり気張らずに九槻が戻るのを待っていると良い」


 綾が堅持と玲衣に目を向けると、わずかながら二人の緊張が和らいでいる様子が窺えた。


「わかりました。……門のそばで待ってようぜ」


 堅持の提案に、綾は玲衣と揃って頷く。

 袋環はそれ以上何も言わず、再び鳥居の柱に背を預け直した。


「まあ心配してても埒が明かないし、気長に待とうぜ」

「そうよね。シュウ君なら大丈夫」


 それは自分自身に言い聞かせるための言葉に聞こえたが、うんうん、と頷く玲衣の様子に、綾は黙っていた自分まで勇気付けられたような気がした。


「そうだ。玲衣ちゃんって九槻さんの装具を見たことある?」

「え、秋弥って装具持ってんの? なんで?」


 驚きの声を上げる堅持に、綾は神器と呼ばれる装具の話をした。


「へぇ……、そんな凄いものを秋弥は持ってるかもしれないのか。で、秋弥が装具選定を受けに行ってるのは、自分の装具を持っているわけじゃないからってことか」

「玲衣ちゃんは小学校から九槻さんと同級生だったんだよね。何か知らないかな?」


 この話もまた堅持にとっては初耳だったのだが、口は挟まずに視線を玲衣へと向けていた。

「少しなら知ってるよ。でも『アレ』は神器とはちょっと違うと思うな」


 ある意味では神器だけど、と玲衣からは意味不明な答えが返ってきた。


「もしかして綾、シュウ君に興味あるの?」

「っ!? ち、違うよ。そういうのじゃないから」


 思いもしない方向へと話が転換しそうな気がした綾は両手と首を振った。

 確かに初めて会ったときからカッコいい人だとは思っていたけれど……、と思考がそちらへとシフトしそうになって、内心で慌てて取り消す。頬がわずかに紅潮したのは、緊張によるものだと思い込んでおくことにする。

 綾は気持ちを落ち着かせるために、ひとつ、深呼吸をした。


「そういうのじゃなくてね……。えっと……、あれ? 神器じゃないの?」


 思い返してみれば、秋弥も確か同じことを言っていたような気がする。


「うん。剣の刃が深い赤色で、何かすごい形ををしてるんだよ」


 身振り手振りで形状を表現する玲衣に、綾は首を傾げた。

 玲衣の怪しげな行動に、ではなく、彼女が『それ』を装具と言わずに単なる『剣』と言ったことに対して、引っかかりを覚えたのだ。


「きゃあ—————————っ!」


 しかし、その違和感は地下大空洞内に突如として響き渡った甲高い悲鳴によって、形になる前にかき消された。


「な、なんだ!?」


 堅持が素早く左右へと視線を向ける。

 声が空洞内に反響していてその出所がわかりづらいため、直接眼で確認しようとしているのだろう。


「見て、門が!」


 いち早く変化に気付いた玲衣が、『マナスの門』の方を指差した。

 玲衣が示す先を眼で追うと、門の境界面が大きく波打っていた。

 その波紋の広がり方は、人の出入りに発生するものととても良く似ており、そして綾のその思いを裏付けるように鳥居の向こう側——心象世界から、女子学生が勢い良く飛び出してきた。


「きゃーっ!?」


 女子学生は足の裏から伝わる地面の感覚が唐突に変化したことで足を(もつ)れさせてしまった。

 駆けていた勢いもそのままに、数メートルの距離を危なげに移動した後、盛大に転倒した。


「うわっ、痛そう……」


 玲衣が眉を寄せて小さく呟いた。女子学生の一番近くにいた綾たちは、何事かと彼女のそばへと駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」

「あ……ぇ…………ああ」


 堅持が声を掛けるが、気が動転している様子の女子学生は口を開閉させるだけで、言葉にならない音を発することしかできなかった。


(いったい何があったんだろう)


 綾の内心の疑問は、すぐに違う形で明らかとなった。

 堅持と玲衣が気遣わしげな視線を女子学生へと向ける中、空間領域に何かが干渉する気配を感じ取った綾は、門の方を見詰めた。

 鳥居と綾たちの間に唐突に発生した空間の裂け目。その隙間から、高い異層認識力(オラクル)を持つ者にしか見えない高密度のガス状の塊が溢れ出していた。

 それは徐々に形を成して、やがては身の丈三メートルを超える黒い巨人を形作った。


「——隣神!?」


 綾は咄嗟の判断で装具——術符『祈札』を召還すると、そのうちの五枚を周囲の地面に向かって均等に放った。予め硬質化の情報改変を与えていた術符が地面に突き刺さったのを確認すると、残った一枚に素早く術式を送りこむ。手札の一枚を中継して、地面に配置された札同士が白色光で結ばれた。

 無意識領域での演算処理を終えると、綾を中心にして五芒星の結界術式が発動した。


「玲衣ちゃん、沢村さん。結界の外には出ないでね」

「……星条の波障に中てられて、隣神が顕現した(現れた)のか」


 いつの間にか鳥居から離れて綾たちのそばまで来ていた袋環が、ぐったりと項垂れたままの女子学生を一瞥して言う。


「星条?」


 聞き覚えのある名前に、綾は小首を傾げて聞き返した。


「それはひょっとして、『星鳥』序列一位の、あの星条ですか?」


 クラス名簿を見たときから気になってはいたのだが、聞いたことの無い名前だったので、同姓なだけかと思っていた。しかし、やはり『星鳥の系譜』に連なる、あの星条で間違いなかったのだ。


「そうだ。その星条で間違いない。朱鷺戸、すまないが結界を維持し続けてもらえるだろうか。結界の中にいるお前たちを退避させるよりも、今は他の学生たちの退避を優先させたい。学生たちの退避が完了したら、すぐにコイツの始末をつけるからな」


 そう言うと、袋環は綾の返事も待たずに綾たちに背を向けて離れていった。


「おいおいおいおい、どうなってんだよ。何で隣神が顕現したんだよ!」

「波障、ですよ」


 袋環の言葉をそのまま引用すると、「波障?」と玲衣が問い返した。


「波長障害——心象世界で何があったのかはわからないけど、この方——星条さんの心の乱れが自分自身の『波』を暴走させてしまったの。そして、暴走した『波』が領域の『波』と共鳴現象を発生させてしまったんだと思う」


 説明しながら、綾は別の事を考えていた。

 波長障害が起こる例としては、心の奥底に仕舞い込んでいたトラウマを引き出された場合や、心を大きく揺さぶるような外的な衝撃を受けた場合が挙げられる。

 ただし、世界を構成する『波』には必要十分以上の緩衝(バッファ)が組まれていると、世界多重層構造理論は示している。人間という情報体が持つ『波』に障害が発生した程度では、世界の『波』に干渉することが難しいとも——。

 しかし、現に目の前には顕現した隣神がいて、今にも綾たちに襲いかかろうと、大きく膨らんだ右腕の拳を握り締めている。

 女子学生——『星鳥の系譜』序列一位の家系である彼女が有している『波』のエリシオン光波長域は、それほどまでに強大だということだろうか。


「共鳴を起こすと現層領域の波長域が拡大する——そこを通り道に(ショートカット)して隣神が顕現したんだと思う」

「えっ、それってすごくマズいことよね……。あたしたち、どうなっちゃうの?」


 玲衣が綾と隣神を交互に見詰めて、不安げな声で言った。

 その疑問に、綾は小さくかぶりを振る。


「袋環先生が封魔で撃退してくれるのを待つしかないよ……」


 気休めならばいくらでも言える。

 だけど綾は下唇をかみ締めながら、純然たる事実のみを告げた。

 結界術式を発動中の術師は他の封術を一切使えない。仮に使えたとしても、綾が使える低級の封魔術式では、目の前の巨人を牽制することすら難しい。

 今の自分にできることは、とにかく隣神の攻撃を耐えるための結界に注力することだけだった。


「オォオオォオオオォオォオオォォォォォォォン」 


 と、隣神は己の置かれた状況を理解し始めたのか、空気を震わすほどの雄叫びを上げた。


「ちょ、ちょっとまっ……」

「きゃっ!?」


 堅持が戸惑い、玲衣が短い悲鳴を上げる。

 雄叫びと同時に、隣神は握り締めた拳を振りかぶった。

 乾いた音が大音量で響く。


「……うっ」


 数瞬遅れで、綾の表情に苦悶の色が浮かぶ。

 隣神の放った拳は結界に阻まれて綾たちへと届くことはなかった。

 しかし、即席で発動させた結界では隣神の攻撃を相殺しきることができず、余剰分の衝撃が術者の精神に負荷を与えた。


「綾、大丈夫っ!?」

「……平気、だよ」


 心配そうに眉根を寄せる玲衣に、綾は努めて気丈に振舞ってみせる。

 今この場で満足に封術を使えるのは自分だけだ。

 だから、自分が三人を護らないといけない。

 そんな使命感が、彼女の心を満たしていた。


「ウォォオォオォォォォ」


 いっそう大きな声とともに、二度、三度と拳が放たれる。

 結界と拳がぶつかった点を中心にして、蒼色の光情報流が放射状に拡散する。

 そのたびに、綾の表情には苦悶の色が深みを増した。

 封術師としては見習い以前の素人に近い玲衣の眼から見ても、綾の張った結界があまり長く持ちそうにないことがわかった。

 結界が壊れるか、綾が倒れるか。どちらが早いだろうか。


「ったく、袋環センセは何してんだよ!」


 危険の最前線に身を置きながら何もできない自分に腹を立てたのか、八つ当たりにも似た苛立ちを含んだ声で堅持が言った。

 視線を上げて、ちらりと袋環の方を見やる。

 学生たちの避難は終了したように見えるが、袋環は何やら男子学生と口論をしていた。何を話しているかまではわからないが、長く見積もっても後一分ほどは持ち堪えなければならないだろう。


(それまではなんとか……)


 頑張ろう、と内心で小さく呟いて視線を隣神に映して——。

 綾は驚愕に眼を見開いた。

 

 

 ★☆★☆★

 

 

「でけぇ、何だよあれ!」

「うそ、隣神なの!?」


 突如大空洞内に現れた隣神に、学生たちは色めき立っていた。


「落ち着け、慌てるんじゃない。無闇に動こうとはせず、一か所に集まって大人しくしているんだ」


 決して大きな声を出したわけではないが、有無を言わさぬ口調で袋環が言う。

 装具選定を終えて地面にしゃがみこんでいた学生も、グループで装具談義をしていた学生も、彼女の指示に従って移動を始めた。

 その間も、袋環は綾たちと隣神の姿を常に視界に収め続けていた。

 隣神の雄叫びに続けて、情報体同士が激突し合う音が空洞内に反響する。

 綾の張った結界は隣神の攻撃を何とか防いでいるようだが、簡易結界ではそう長くは持たないだろう。

 早く援護に行かなければと、はやる気持ちを抑え込みながらに袋環は思う。


「——袋環先生」


 不意に名前を呼ばれて、声のした方を振り向いた。


「……なんだ、鶴木」

「先生、僕も隣神退治に協力させていただけませんか?」


 思いもしない鶴木からの提案に、袋環は眼を瞬かせた。


「……やる気があるのは認めるが、あの隣神はおそらくクラス4th。お前たち一年生が倒せるような隣神ではないぞ」

「お言葉ですが、僕の家系は『星鳥』です。多少の戦闘訓練だって積んでいます」

「勘違いするな。これは訓練じゃない」


 底冷えのするような声色と冷え切った眼差しを向けられて、鶴木は言葉もなく立ち尽くした。


 ——必要以上に萎縮させてしまっただろうか。


 しかし、今はそんな小事に構っている暇はなかった。


「私にはお前たちに対する監督責任がある。すまないが、わかってくれ」


 鶴木を納得させるための理由付けをして彼を下がらせる。

 学生たちの避難があらかた終了したのを確認すると、袋環は隣神の方へと向き直った。


 そして、袋環は見た。

 袋環と綾たちにとっての死角——隣神の背後から正面に回りこむようにして放たれた十数本の黒針が、綾の結界を突き破ろうとして一直線に迫っていた。

 袋環は一瞬、綾たちから眼を離しただけだった。

 その間に、状況が大きく動いていたのだ。

 今から装具を召還して、慣性や停止の計算を全て除外した跳躍術式を最大出力で発動させたとしても、最早間に合わない。


「朱鷺戸!」


 一点に集中させた隣神の攻撃は、間違いなく綾の結界を破壊する。

 そして、貫通した黒針が結界内にいる綾たちを串刺しにするだろう。

 誰もがその光景を想像した。

4/14:文章校正

2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施

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