第78話「すべては斯くも唐突に(5)」
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朝倉の現在地を確認しながら前を進んでいく悠紀の背中を、聖奈と亜子が追いかける。
聖奈の視界にも映っているホロウィンドウは右眼の瞳孔を零地点とした相対座標で表示しているため、視線の動きに合わせてホロウィンドウの表示位置も自動的に補正される。
朝倉の所在を示すアイコンは先ほどから動かない。それは朝倉が後を付けていた秋弥たちが足を止めたからだろう。亜子を呼び出してから第一演習場を出るまでに少々時間が掛かってしまったため、聖奈たちのアイコンと朝倉のアイコンはまだずいぶんと離れていた。
そして、朝倉のアイコンからどれほど離れた場所にいるかはわからないが、そこに秋弥がいる。
朝倉からの通信によれば、秋弥は一人ではなかった。彼の他に、赤い服を着た少女と燕尾服を着た壮年の男が一緒にいるようだ。
秋弥とともにいる二人が誰なのか、聖奈は知らない。しかし、どうやら星条会長とスフィア会長の二人は、赤い服を着た少女のことを知っているらしい。しかもスフィアは朝倉から少女のことを聞いた途端に、眼の色を変えて取り乱したほどだ。
鷹津封術学園の治安維持会長が冷静さを欠いてしまうほどの何かが、その少女にはあるということなのだろうか。それが何であるか聖奈にはわからなかったが、おそらく、秋弥のいる場所に辿り着けば、すべてがわかるのだろう。
『……あれは……一体何者だ……?』
不意に、自分たちと合流するまでは待機を命じられる朝倉の震えるような声が聞こえた。
「どうかしたの、朝倉君!」
地面を蹴る際に発生する反発力に指向性を持たせることで移動速度を向上させる加速術式を行使して駆けていた悠紀が、風切り音に負けないように大きめの声を出した。
加速術式は一学年の授業では習わない術式だが、聖奈は秋弥と玲衣がそれを用いているところを見ていたことで、独学でそれを身に付けていた。追従する亜子も、当然ながら加速術式を行使している。
『……か…あ……は高………なのか……し………の炎は何……嫌…………す…』
風切り音だけではない。朝倉の声にはノイズが混じっており、うまく聞き取ることができなかった。四校統一大会の会場が山中にあるからといって、衛星基地局を中継して行われるデバイスの通信でノイズが発生するようなことは、滅多に起こることではない。
ならば通信障害を引き起こすような何かが、朝倉のいる付近か、あるいは自分たちの付近で発生していると考える方が賢明だろうか。
「亜子、聖奈さん。今の朝倉君の声、聞き取れた?」
「いえ、ノイズが酷くてはっきりとは聞き取れませんでした」
「わたしもですぅ」
「あっ……、通信も切断されてしまったわ」
悠紀の言うとおり、ホロウィンドウ上に展開された通話アプリには切断を示す赤い受話器のアイコンが明滅していた。悠紀が立ち止まったのを見て聖奈と亜子も足を止めると、悠紀は朝倉にコールを行った。だが何度コール音を鳴らしても、朝倉が再び呼び出し音に応えることはなかった。
「いったい何が起こっているというの……」
悠紀が森林地帯の一点へと視線を向ける。
聖奈たちは時折木々を避けながらも朝倉のいる場所へと一直線に向かっていたので、お互いの現在地点を逐一確認しなくとも、このまま進んでいけばいつかは合流できるだろう。
「二人とも、もう少しだけ急いでも大丈夫?」
「はい、問題ありません」
「が、頑張りますぅ……」
亜子が自信なさそうに言うが、悠紀は亜子の顔色を見て大丈夫だと判断したようで、二人の顔を見回して頷いてから移動を再開した。
少しだけと言いながら、その移動速度は先ほどよりもずいぶんと速い。
聖奈は何とか悠紀の後ろに付いていくことができているが、亜子はどうだろうかと横に視線を向ける。すると、亜子は聖奈と同じ速度でしっかりと追従してきていた。
加速術式の移動性能は運動能力に依存している。個人としての運動能力が高ければ術式による事象への干渉力も小さくて済むが、いまの自分たちのように運動能力だけでは足りない部分は、事象への干渉力を高めることで補うしかなく、この三人の中でもっとも運動能力が低いのが亜子だった。いくら加速術式が継続的に行使可能な常駐型の術式であるとはいえ、運動能力以上の加速力を制御するために重心移動や運動方向の調整にも集中力を要するため、亜子の精神的な負担はそれだけ大きいはずだった。
それでもこうして追従できているところを見ると、弱気な発言は謙遜なのかと思えてならないが、亜子の場合はそれが普段どおりだと言えるだろう。
謙遜などではなく、自分自身に自信がないというだけで、その身体には『星鳥の系譜』序列第十二位の鵜上の血が流れているということを、忘れてはならない。
「……っ!」
移動を再開してから朝倉のアイコンを最後に確認した時点まで目測で八割ほど移動したところで、前方から強力な事象干渉の揺らぎを感じた。空気ではなく領域を震わせる干渉波が生じたのは一瞬のことだったが、それを感じ取っていたのは当然、聖奈だけではなかった。
悠紀が険しい顔で正面を睨み付けている。振り上げた左手には、いつの間にか巨大な翼を模した装具『月蝕』が握られていた。
淡紫色に発光した大弓を視線の向かう方角に構える。存在しない弦に右手を据えると、悠紀の左眼から封術紋が円を描きながら出現した。幾何学的な模様の封術紋は悠紀の視線が通う先に存在する障害物の前で静止すると、障害物を挟むように反対側にも同じ封術紋を浮かび上がらせ、そこから一回り小さい封術紋を創り出した。新たな封術紋も次の障害物の前で静止すると障害物の反対側に同じ封術紋を複写して、さらに一回り小さい封術紋を創り出す。
その繰り返しによって、悠紀の視線の先に存在しているすべての障害物に封術紋が浮かび上がった瞬間、悠紀の掲げていた『月蝕』から光の矢が生まれた。
ピィンという高周波に似た音を奏ながら放たれた光の矢は、射線上に存在する封術紋に触れると障害物を無視してその反対側から出現した。光の矢は障害物の影響を一切受けることなく、一直線に狙い澄ました場所へと飛翔していった。
その直後、凄まじい干渉波の奔流が発生した。
見上げた聖奈の瞳には、蒼穹を突き抜けて天へと昇っていく光の矢が映った。
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突如として飛来した光の塊――悠紀の放った光の矢が、男の頭部に直撃した。その瞬間に強い干渉力の波が発生し、領域を伝搬して周囲へと広がる。
しかし、光の矢は男を穿つことができなかった。
蒼炎による強力な防壁に接触した光の矢は、ベクトルを変えられて空へと昇って消えた。
『あァ? んだよ……』
男が光の矢が飛来してきた方向に顔を向けた。その身体にダメージを受けた様子は見受けられなかったが、注意を引くための目的で矢が放たれたのであれば、その役目は十二分に果たされたといえるだろう。
男に意識を向けながらも、秋弥とリコリスも男と同じ方向に顔と眼を向ける。眩い光の矢を見た時点で、それが誰の放った術式であるのかわかっていた。
「星条会長……」
チラリと向けた視線の先には、森を抜けて現れた学生自治会長が装具を携えて立っていた。
悠紀は険しい表情で男を睨み付けると、
『……クラス1st級の隣神か』
凜としたその声は、音としてではなく、意味として秋弥の意識に届いた。
封術の一種である思念言語は、干渉範囲内であれば音のように状態が減衰することがない。
悠紀の声は秋弥の意識にも、そして蒼炎の男にも、ハッキリと届いたはずだ。
『あァ? いま俺に何かぶつけたのは、お前か?』
光矢が直撃した頭部を手で掻きながら、全身に蒼炎を纏った男が言う。
『てかよォ、人間が俺に勝手な線引きをしていんじゃねぇよ』
蒼炎が、男の感情を表して揺れ動いた。
『クラス1stだか隣神だか知らねぇけどなァ、俺には"原罪の獄炎"って名前があるんだぜ。まあ記憶しなくていいぞ』
蒼炎の男は頭を掻いていない方の手を持ち上げると、気怠そうに腕を振るった。腕に纏わり付いていた蒼炎が乖離し、一匹の赤い炎蛇となって悠紀に襲い掛かった。
『……ッ!』
炎蛇が放たれたときには、既に悠紀は装具『月蝕』の形状を弓型から剣型に変えて、その切っ先で空中に円を描いていた。始点と終点が結ばれて完全な円を形作ると、その中心を装具でひと突きする。
すると、円が押し出されるように前方へと飛び出して四枚の障壁へと変わった。それぞれが異なる層の領域情報を持つ強力な封術結界だ。
高温により空気を歪ませながら悠紀に襲い掛かった炎蛇が大きく口を開いた。その大顎が封術結界の一枚目を粉々に噛み砕く。続いて二枚目の封術結界も噛み砕かれる。しかし、三枚目の封術結界を噛み砕いたところで炎蛇の勢いが弱まった。そして最後の封術結界を噛み砕くのではなく体当たりで破壊した炎蛇は、術者に到達することなく、弓型の『月蝕』によって射貫かれて消滅した。
『へぇ……少しはやるじゃねぇか』
笑みを見せたシンフレアの口の端から火の粉が舞った。
天使の翼を模したような大弓を携えて立つ悠紀の姿を見て、面白い遊び相手を見つけたといった様子だった。
『しかしまあ、またぞろぞろと増えやがってよォ……人間ってやつァはホント、すぐに群れたがるよなァ』
悠紀とともに駆けつけたのだろうか。いつの間にか彼女のそばには、装具を手に持った朝倉と亜子、聖奈の姿があった。
蒼炎が不規則に揺れ動く。
シンフレアは緊張に強ばった表情で装具を構える朝倉を見て、
『だがな――』
強い干渉圧を放つ悠紀を見て、
『人間が何人寄り集まろうと――』
クラス1stの高位隣神を目の当たりにして震える身体で装具を抱きしめる亜子を見て、
『所詮、俺の敵じゃ――』
杖型の装具を胸の前で構えた聖奈を見て、
『………………あァ?』
途端、その眼の色を変えた。
『……何で、お前がこんなところに……』
シンフレアの瞳孔が徐々に開いていき、ついには驚愕によって瞼ごと大きく見開かれた。
『その杖……見間違うはずがねぇ……。だがそんな……ありえねぇだろ……』
シンフレアは聖奈から目をそらすことができず、気づくとその左足が一歩後ろに下がっていた。
いったい、どうしたというのだろうか。
シンフレアの不審な様子に、秋弥が疑問を覚えたそのとき、
『……"可能性の魔女"までいやがるなんて、俺は聞いてねぇぞ!』
シンフレアの蒼炎が、彼の動揺を表すように激しく燃え上がりながら揺らいだのだった。




